瞳の奥に映るモノ 2/4






「ハァハァハァ……、あっ!」
部屋から飛び出して十数mのところで、アルメリアが前につんのめった。廊下に敷かれた絨毯に足を取られたのだろう。
「大丈夫か、アリー!?」
急いでアルメリアの様子を確認する。怪我はない。しかし、その顔は驚くほど蒼白だった。彼女は戦闘とは無縁な世界で生きているのだ、そうなるのも無理がなかった。
「……立てるか?」
そう尋ねるとアルメリアが血の気の失せた顔をミズキに向けた。
「あ……ミズキ……、ダメ……ダメなの、足が……。」
アルメリアの膝は外からでも分かるほどカタカタと震え、その瞳には涙が浮かんでいた。
「大丈夫、大丈夫だから。アリー、落ち着くんだ。」
「ミズキ………。」


零れそうな涙を堪え、アルメリアは唇をキュッと噛んだ。震える肩を抱いて大きく息を吸う。戦いとは無縁の人間が襲撃を受けた場合、大多数の人間はパニックに陥り、泣き叫び、喚き散らし、そして、状況も分からぬまま死んでゆく。しかし、アルメリアは違った。恐怖と不安でいっぱいだろうにも関わらず、アルメリアはその衝動に抗い、打ち勝とうとしているのだった。強い人だ、とミズキは思った。


「ねぇ、ミズキ、教えて。今、この屋敷では何が起きてるの?」
数秒後、そう言ったアルメリアの声は先ほどのか細い声とは打って変わっていた。良かった。持ち直したようだ。
「分かった。ちょっと待ってろ。」
そう言うとミズキは床に耳を当てた。
「屋敷内の複数カ所で……何かが破壊される音がして……る。アリーの部屋と……2階?いや、一階か……たぶん、食堂の方。それと、おそらく広間の方で襲撃を受けてる。」
アルメリアが息を飲む。
「確認できるだけでこんだけだ、潜伏している数も考えたら、相当ヤバい状況だぜ。」
「そんな……!」
「この屋敷の警備システムも悪くねぇし外の警備の連中も弱くはねぇ。でも、それが突破されてんだ。状況はかなり悪い。敵の数も、強さも未知数。包囲網を狭められたらお終いだ。猶予はねぇ。」
「どうしたら……。」
「屋上は……ダメだな。ヘリがあるかどうか分からねぇし、第一操縦者が生きてるかどうかも怪しい。……となると、駐車場か。あそこなら身を隠す遮蔽物も沢山あるし隙を見てお前を逃がすくらいは出来る。」
「そんな、ミズキは!?」
「オレ一人くらいならなんとでもなる。最優先事項はお前だ、アリー。」
アルメリアの瞳をじっと見る。
「車の鍵は壊せばなんとかなる。アクセル全開で突破すれば雑魚どもは付いて来れないだろうし、もし敵がいたとしても突破口はオレが作る。あとはハンドルを切るくらいだ。それくらいはできるな、アリー?」
言い聞かせるようにして言うと、アルメリアがコクコクと頷いた。
「よし、いい子だ。行くぞアリ……ッ!」


言葉を途中で切る。この感覚、ヤバい。あいつらやられたのか?
勢い良く後ろを振り返ると、そこにいたのは先ほどアルメリアの部屋を襲った金髪の男だった。その姿に、ミズキは思わず息を飲む。男の腕は外れてぶらんと垂れ下がり、その頭は支えを失いグラグラと動いている。剥き出しのロープで辛うじて繋がっているソレを無事な方の手で支えて歩くその姿は、明らかに人間のモノではなかった。


ーーー念か。


アルメリアを背中に隠して構えを取ったその瞬間、ソレが勢い良く飛び上がり、ナイフを振り上げた。人間の関節の稼動領域を越えて動くソレに表情はない。人形。間違いなくソレは誰かによって操られている人形に違いなかった。くそ、早い。

ガキン、と金属音が鳴り響く。咄嗟に取り出したナイフで受け止めたものの人形の力は予想以上に強く、受け止めるだけで精一杯だった。ナイフがキチキチと音を立てる。


「アリー!!走れ!!!!」


叫ぶと同時にナイフを振りかぶり、そのまま体を捻じって蹴りを繰り出す。狙いは頭。ドガッという鈍い音と共に、人形の頭が吹っ飛んだ。頭部と胴体を繋ぐロープに引っ張られ、人形がぐらりとバランスを崩す。今だ。ミズキは銃を取り出し、人形の関節を狙って弾丸を撃ち込んでいった。何発もの発砲音が鳴り響く。


「ハァ……ハァ……、もう動かねぇか。」


空になった弾倉を投げ捨て予備の弾倉を装填する。空中に投げ出された弾倉が、大理石の床で跳ねてカランと音を立てた。地面に伏す人形に目をやる。静寂。人形に動く気配は見当たらない。関節という関節を潰したのだ、たとえこの持ち主が新たに操作しようとしても、これだけ体がぐちゃぐちゃになっていたらまともに動かすことは出来ないだろう。よし終わりだ、と小さく息を吐くミズキの顔は、これから襲ってくるであろう敵を案じてだろうか、たった今人形を一体倒したにも関わらずどこかまだ険しかった。






金髪の人形を倒してからどれくらいの時間が経っただろうか。ミズキとアルメリアは、必死に逃げ回った。しかし、音を殺し息を殺しての移動では思うように歩みを進められず、その上、屋敷内を終始人形達が徘徊しているのだ。神経を尖らせ、全方向に注意を向けての移動は、急速にミズキの体力を奪っていった。


「ハァ……ハァ………。」
「大丈夫、ミズキ?」
アルメリアが声を潜めて尋ねる。
「大丈、夫……だ。」
強がってそう答えるも、ミズキの体力は限界に近づいていた。ミズキの額から一筋の汗が垂れる。


屋敷をうろつく人形達は、ミズキの襲撃を恐れてか常に"纒"をしていた。"纒"をしているという事は"円"で感知する事が出来るという事であり、ミズキは先ほどの戦闘から今までずっと、"円"を張りっぱなしだった。そのおかげで人形と遭遇する事なく道を進むことが出来たのだが、常にオーラを消費しているため、ミズキの体力は加速度的に失われていたのだった。


ーーーくそ!頭がズキズキする。オーラを使いすぎた。


じわり、じわりとナニかが這い上がってくる感覚がする。喉をえづく嘔吐感を強引に飲み込み、ミズキは必死に頭を働かせた。


ーーーどうする?どうすればいいんだ!?


時間は刻々と迫っている。今はまだバラバラに動いているからマシなのだが、あの人形達が連携して包囲を狭め始めたら、ミズキたちの逃げ場などあっという間に無くなってしまうだろう。一対一の戦闘なら負けることはないだろうが、三対一の戦闘となったらミズキといえ勝てるかどうか分からない。そうしたら、待ち受けているのは『死』のみだ。


「ハァハァハァ………」


歩き回った範囲内に操っている人間はいなかった。そうすると敵は、屋敷の外に居ながらあの人形達を操っていることになる。"凝"をしても見破れないレベルの高度な"隠"をしながら、人形を複数体しかも遠方から操っているのだ、敵は相当な熟練者に違いなかった。


『逃げの一手に専念する以外方法はない。』


アルメリアを守りながら勝てるほど敵は弱くはない。ならば、逃げるしかない。それは分かっていたのだが、そうはいかない大きな問題があった。オーラのリミットだ。ミズキは一定以上のオーラを使うことが出来なかった。オーラ量が少ないのではない。むしろミズキが体内に内包するオーラ量は人一倍あったのだが、ある一定量以上使うと『ミズキがミズキでなくなる』のだった。自我を失い、破壊衝動と殺戮衝動ままに暴れ回る。そうなった時、隣にいるアルメリアが無事でいられる訳がなかった。自分がアルメリアに襲いかかるイメージが頭に浮かぶ。嫌だ、そんなことはしたくない。それなのに、このまま"円"を張り続けていたらいずれリミットに到達してしまうだろう、そのことがミズキには痛いほど分かっていた。


目をつぶると一面の赤が脳裏に浮かぶ。どこもかしこも、赤・紅・朱・アカ………。鉄臭い独特の匂いと、吐瀉物と汚物と内臓が混ざったすえた匂いが鼻をつく。あんなのは嫌だ。もう二度と味わいたくない。呼吸がだんだんと荒れてゆく。


ーーーどうすればいいんだ!?


"円"を続けられる時間は多く見積もってあと7、8分。自分一人だけ逃げ出すなら十分だったが、アルメリアを逃がすには圧倒的に時間が足らなかった。


ーーー賭けるか。私だって強くなっている。ヒソカとの訓練で使えるオーラ量も増えてきている。リミットを超えても大丈夫かもしれない。


だけど。でも。もしかしたらーーーー。考えが堂々巡りをする。何が正しくて何が間違いなのか分からない。どれを選べば生き延びられるのか。どれが最善なのか分からない。答えが見つからない。時間だけが刻々と過ぎてゆく。ミズキの額から、汗がたらりと落ちていった。


「ミズキ……。」


アルメリアに声をかけられ、ミズキはハッと顔を上げた。随分と思考に入り込んでいたらしい。アルメリアが心配そうにこちらを見ていた。


「ミズキ。私がいるわ。」


そう言うとアルメリアはミズキの手を取りきゅっと握った。温かい。掌を通して彼女の温もりが伝わってきた。生きている鼓動。失いたくない、守りたい。


「ミズキ、私がいるわ。」
アルメリアは同じ言葉を、今度はゆっくりと力を込めて言った。
「あなたが何を考えいるか、教えて?」
そう言った彼女の声は、何よりも温かく優しさに溢れていた。


ーーーあぁ、彼女は『絶対把握のアルメリア』、二者択一の選択の、その後の未来を知る者。


「アリー、アリー。分からないんだ。何が正しくて何が間違いか分からないんだ。」
ミズキはアルメリアを抱きしめて言った。
「お前を死なせないために……お前を逃がすために、どれを選んだらいいのか分からないんだ。」
「大丈夫、大丈夫よミズキ。私がいるわ。私にまかせて。」
「アリー……。」


ミズキの頭をそっと撫で、アルメリアは笑った。春のそよ風のように暖かいその笑顔に、肩の力が抜けてゆく。気がつけば、焼け切るような痛みも、喉をえづく嘔吐感も、意識が遠くなる感覚も、薄くなっていた。

「アリー……。」
「私の能力は未来を透視する能力。二者択一の選択時にしか視えないし、一人につき月に一度五回までしか視れないけれど、大丈夫。ミズキに護衛を依頼をする時にあなたを視てから一ヶ月経っているから、今日ミズキの未来を五回視ることが出来るわ。これってあなたの助けになるかしら。」
「もちろんだ、アリー!」


駐車場に向かうまで分かれ道は幾つかあるが、五回もあれば十分だった。この能力があれば、"円"をする必要もなくなる。オーラも温存出来る。


「それでミズキ、私は何を視ればいいの?」
「そうだな……、条件は二者択一だったな?」
「うん、そう。」
「なら、この先だ。廊下の先を『右』に進めばいいのか『左』に進めばいいのか、だ。」
「ええ、分かったわ。」
そこで言葉を区切るとアルメリアはミズキの手を握りながら目を瞑った。
「『我が身に宿る、光の欠片よ、彼の者の道を、光り照らさん。』」
アルメリアから、オーラがふわりと広がる。数秒後、アルメリアは目を開いて言った。


「ミズキ、『左』よ。」


そう力強く答えたアルメリアはまるで戦場に降り立った大天使ミカエルのように美しく、ミズキは『彼女を守りたい』という気持ちをさらに募らせたのだった。だからだろうか、この逃走の先にあんな悲しい別れがあるだなんて、この時のミズキは微塵も考えはしなかった。



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