68





月明かりの下、有刺鉄線のついた頑丈な造りのコンクリート塀を飛び越え、手入れの行き届いた青い芝生の上を駆け抜ける。目視できる範囲内にいる警備の人間は8名。門扉を守る人間が4人、定位置で見張りをする人間が2人、邸内を巡回する人間が2人だった。まずは一番装備の多い門周辺の警備員だと、私はイルミとヒソカに目で合図をし、タンと地面を蹴った。

世界中に嫌というほど流通しているAKー47のライフル銃を、肩から仰々しく仰々しく下げている男の背後に詰め寄り、首を締め上げる。「うぐっ…」と潰れた声を出す男から、鼻につく甘ったるい匂いが漂ってくる。込み上げる吐き気を強引に飲み込んで、私はさらに腕に力を込めた。

ボキッと音がして完全に首の骨が折れた。後ろを振り返ると、既に狙った男たちを殺し終えた二人が目に入る。ヒソカはトランプで喉を一掻き、イルミは門近くの小さな警備小屋の中にいる男の額の中心を、ガラス窓越しに鋲で刺している。「ハッ、流石だな」と率直な感想を言うと、二人が当たり前だと言わんばかりに目を細めた。


「さてと、ミズキ。お次はどうするつもりだい?さっきイルミが警報アラームと監視カメラの配電線を切断したから、敵がすぐに駆けつけることはナイけどネ。異変が気づかれるまでいくらとないよ?」


私が男の首を締め上げている間にそんなことまでやったのか。隣に立つと二人の能力の高さを改めて思い知らされる。でも、一人でやろうと二人でやろうと三人でやろうと、やるべきことに変わりはない。私の次の判断を審査するような勿体ぶった様子で問いかけたヒソカに向かって、含みを持った視線を投げかけた。


「そんなん関係ねーよ。向かってくる奴は皆殺し。この屋敷にいる組織員は全員ぶっ倒す、それだけだ!」


アマンダ以外は眼中に無い。そんな私の返事に満足いったのだろうか、ヒソカがニヤリと笑みを返す。

「ククッ、リーダーの仰せのままに◆」
「んー、じゃあ、バラバラに分かれる?この屋敷の規模ならヒソカが正面から。ミズキが東の勝手口から。んで、オレが回り込んで裏口からってのが常道だと思うけど。」
「ちょっと待て、それはダメだ」
「なんで?」
「先にお前らに今回のオレの目的を伝えておく。オレの目的はアマンダって名前の30代後半の女性を助け出すことだ。結構階数の高い部屋の一角に幽閉されていると思われるんだが、場所は不明。……オレ、確かにこの組織をぶっ潰してぇけど、最優先事項は彼女の救出なんだ。彼女以外に興味はねぇ。ま、逆に言えば彼女以外は全員死んでても構わねぇってことだがな」

二人は私の話をじっと聞いている。

「で、問題なのがお前らがアマンダの顔を知らないってことだ。アマンダを助けに行ったのに間違って殺しちまったなんてことになったら元も子もないだろ?だから、オレを拠点に三人でまとまって動く。んで、アマンダらしき人物を見つけたらオレに報告。それ以外は殺していい。ハッ、殺し方に注文つけるなんてけち臭いことなんか言わねぇぜ?後ろから忍び寄ってそっと殺してもいいし、ど派手なパフォーマンスをやってもいい」

前半をイルミに向かって、後半をヒソカに向かって言う。

「二人とも、そういう感じでいいか?」

二人が頷くのを確認してから私はヒソカが殺した男の側に転がっているサブマシンガンUZI―25を手に取った。運よく取替えのカートリッジまで胸元のホルダーに入っている。弾数を確認し、安全装置を引いて動作不良がないかチェックする。9mm弾32発が装備可能。かつフルオート機能までついているUZI−25はライフルに比べたらその飛距離も精度も威力も劣るが、数十メートル内の相手に対しては圧倒的な攻撃力を持っていた。防弾チョッキも念も身につけていない人間相手なら、引き金一つで蜂の巣となる。襲撃の武器としては十分だ。


「さぁーてと、準備はいいか、お二人さん!」


サブマシンガンを片手に首をコキコキならしながら二人を見やると、ヒソカは手に何枚ものトランプを出現させておりイルミは「ん。」と言いながら準備運動の伸びをしていた。準備万端だ。

「いっちょ、派手にぶっ潰しに行きますか!」


そう言って私は、「ドガガガガ」とサブマシンガンを鳴らしながら、見晴らしの良い中庭に躍り出た。後ろでヒソカが「クク、一番派手にやりあいたいのはキミの方じゃないか◆」と言っていたが、私はその言葉を右から左へと流してそのまま屋敷に向かって突っ走って行った。

音に気づいた見張りたちがこちらに銃を向けながら近づいて来る。引き金を引くより早くイルミが鋲を投げつけ、ヒソカがトランプで敵の喉元を一閃する。なんと頼もしい。このまま行けばアマンダが幽閉されている場所まであっという間だ。私は膝から崩れ落ちてゆく男の間を通り抜けて行った。


「どうしたの?ミズキ?何か元気ないみたいだけど。」


道ゆく男たちを倒しながらイルミがこちらを覗き込む。鋭いな。そう思いながらも私は、「ハッ、何でもねーよ!」と言葉を返した。


脂汗が額に滲み出る。気づかれただろうか。屋敷に近づくにつれ甘い匂いが強くなっていて、鼻の奥にこびりつく不快感に吐きそうだった。


「突っ込むぜっ!」


正面玄関の隣にある部屋の窓を9mm弾で吹き飛ばして屋敷の中に飛び入ると、ロビーで待ち構えていた男達が一斉に銃口を向けた。遅い。動きについてこれていない。床で一回転して体勢を整え、そのまま男達に弾丸を叩き込む。弾丸を食らって叫び声を上げる男達の後ろで、目にも留まらぬ早さで男達との距離を詰めていたヒソカとイルミが舞うようにして残りの男達を倒してゆく。

改めて二人の能力の高さを思い知る。私もヒソカに鍛えられて段々強くなってきただなんて思っていたが、思い上がりも甚だしい。『強い人間』とは彼らのような人を言うのだ。あんな風に強くなりたい。あんな風に肉体的にも精神的にも、もっと、もっと強くーー。

二人のターゲットへの近づき方、足さばき、攻撃のタイミング。目の裏に焼き付けておきたいことは数え切れないほどあった。けれど、私にはそれをすることが出来なかった。

ザシュ、と音とともに喉を掻き切られた男から、血が噴水のように噴き出し、鉄臭い匂いがもわん、と漂ってくる。匂いの発信源から五メートル以上は離れているにも関わらず、甘い匂いと混じり合ったそれに吐き気がぐっと込み上げ、クラクラとめまいがした。


この距離で、コレかーー。


どろりと、背中を這い上がるような不快な感覚が、段々と強くなっている。敵に接近しなくてはならないナイフでの攻撃はしていないし、血も直接浴びてはいない。オーラを練ることも水弾を使うこともしていない。それなのに、巨大なナメクジが胎内を這いずるような、ぬたりと纏わり付く不快感が一歩歩くごとに増してゆき、屋敷の廊下を走っているはずなのに、崖に挟まれた地獄への一本道を走っているような錯覚を感じる。もう、逃げ場はなかった。





ピチャッ。床に出来た血だまりが音を立て、私は慌てて足を引っ込めた。死体が至る所に転がっている。自分が願ったこととは言え、あまり気分のいい光景ではなかった。

血は嫌いだ。あの出来ことを思い出すから。死体も嫌いだ。延々と続くあの空間に戻ったような気がするから。鉄臭いこの匂いも、甘ったるい香水の匂いも嫌い、嫌い、嫌い。血の匂いが段々と強くなり、死んだ男たちの身体がどろりと溶けてゆくような気さえした。


「ハァ……ハァ……ゆる、さねェ……」


床に転がっていた穴だらけの男に足首を掴まれる。油断した。私はサブマシンガンの照準を血走った目で足を掴む男に合わせた。


『どうして私を殺したの?』


血塗れのアマンダがそこにいた。ウェーブのかかった美しい黒髪は乱れ、その顔は血で汚れている。なぜーー。アマンダが「ハァ……ハァ……」と肩で息をしながら恨みのこもった目で私を睨んでいる。


「あ、あ……違っ……ちがっ……オレ、じゃ…な……」


私の足を掴んでいたアマンダの華奢な手も、アマンダの顔も、アマンダの皮膚という皮膚全てがどろりと溶けてゆき、アマンダの目からコロリと落ちた白い目玉が、私の足元でじっと私を見上げていた。



「あああああああああああーー!!」


私はサブマシンガンの引き金を引いた。ドパパパパと乾いた音が鳴り、空薬莢が地面でカランカランと転がった。カチカチッと音が鳴り、私は全弾を使い果たした事に気が付いた。肩で息をしながら足元に視線を落とすと、そこには9mm弾で穴だらけになっている男の背中があった。アマンダではない。ピクリとも動かなくなった男から、血がゆっくりと広がっていった。


幻覚まで見るだなんて、そこまで頭がイカレたかーー。


私はその場にがくりと崩れ落ちた。手足が震えている。ただでさえあの世界とこの世界とのーー夢と現実の区別が付いていないというのに、これ以上頭がおかしくなってしまったら私はどうなってしまうのだろうか。私は頭を抱えた。もし、また男がアマンダに見えたらどうしよう。私は躊躇いなく引き金を引けるのだろうか。一瞬でも気を抜いたら死んでしまう場所に来ているというのに。いや、その前に、本物のアマンダを本物だとちゃんと分かることが出来るのだろうか。不安と恐怖が次から次へと湧いてくる。

アマンダ、アマンダ、アマンダ、アマンダーー。早く私を抱きしめて。早くあなたの声を聞かせて。そうでないと、私、おかしくなってしまう。今だって、もう、意識が擦り切れそうなのにーー。アマンダ、早く私を助けに来て。お願いだからーー。


「ミズキ、どうしたの?」


声が聞こえた。優しい声。顔を上げると視界いっぱいに心配そうに私を見つめるイルミの顔があった。イルミーー。ツンと鼻の奥に熱いものが込み上げる。


「イル、ミ……」


声が震えている。差し出されたイルミの手は温かくて、私は思わずその手をギュッと両手で握ってしまった。生きている人間の鼓動。思い切り抱きつき、すがり、声を上げて泣き叫びたい衝動に駆られた。


「ミズキ、何があったの?」
「あ……アマンダが……アマンダが、そこに居たんだ。『どうして私を殺したの?』って言いながらそこに居たんだ……」
「アマンダ?今回助ける三十代後半の女性のこと?」
「そう、だ……。そんなことあるはず無いのに……そんなこと私がするはず無いのに……アマンダが私を睨んで……」


思い出すだけで身体が震え出す。目の奥がチカチカと痛んで、今にも吐き出しそうだった。


「ミズキ、ミズキ。そこに居たのは男だよ。アマンダなんて女性はそこには居ない」


力強い声。事実を言っているに過ぎないはずなのに、イルミに言われるとなぜか安心出来る。イルミ、イルミ、イルミ、イルミーー。私はイルミの男らしい大きな手をギュッと握ると、願うようにその手を額に当てた。額からイルミの温もりがじんわりと伝わってきた。


「ん、んんっ……」


咳払いが聞こえ顔を上げると、廊下の壁に眉を顰めながらこちらに冷ややかな視線を送るヒソカがいた。


「茶番は終わったかい?」


感情のこもらない声。ヒソカの視線は道端の石ころを見るように冷たかった。


「それで?ミズキ、キミはどうするつもりだい? 」
ヒソカが問いかける。
「今宵のリーダーはキミだ。キミが辛くて大変だって言うならボクらはそれに従うケド?」


ヒソカは、感情のない顔でトランプを右手から左手へとパラララと移動させている。ヒソカはいつだって私に選択を迫る。私が何を選び、どの道を進むか。それを選ぶ意思があるか、力があるか、勇気があるか。ヒソカはいつだって離れた所から高みの見物で私を見ている。それはまるで何かを見極める審判の顔。

イルミは私のことを心配して「辛いならやめれば?」と言うかもしれない。しかし、ヒソカは何も言わない。「やれ」とも「やるな」とも口にしない。ただ、私の選択を見ているだけ。


でも。だから。だからこそーー。私は冷静になれるのだ。今自分が何を求め、どの道を進んでいるのか、初心に立ち返ることが出来るのだ。

私は大きく深呼吸をした。胸を占めていた不安と恐怖が少しずつ下に下がってゆき、冷静さが戻り始める。私は握っていたイルミの手を今一度ギュッと握るとその手を離し、ヒソカに向かいあった。


「そんなの決まっている。続行だ!!」


ふんと鼻を鳴らしてそう宣言すると、ヒソカがふっと笑った。それでこそ、ミズキだーー。そう言っている気がした。


「ヒソカ、その……ありがとな」


壁に寄りかかるヒソカの胸をトンと叩くと、ヒソカが「なんのことだい?ボクはキミに指示を仰いだだけだよ?」といった感じでさもあらん顔で肩をすくめる。お前は本当、天の邪鬼だな。ヒソカを見やるとヒソカも私の方を見た。目と目の会話。それだけで十分だった。私とヒソカは互いに笑いあった。

ヒソカがいるから私は冷静になれる。ヒソカがいるから私は自分の道を見失わずに進むことが出来る。出会いは突然。最初は狙い狙われる関係だった。良く分からない理由で私を狙うヒソカを警戒していた時期もあったけれど、私は今、間違いなくヒソカを信頼していた。奇妙な繋がり。しかし、それは私とヒソカを強固に繋いでいた。


「さてと、行きますか。このコミュニティーのボスをぶっ潰しに!!」


向かうはこのコミュニティーのボスの部屋。血の匂いも香水の匂いも相変わらずしていたが、私の足取りは随分と軽くなっていた。この二人がいれば大丈夫。もう不安になることなんかないんだ。力が次から次へと湧いてくる。私は血だまりを越えて走り出した。


[ 14.襲撃 1/4 ]


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