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最近、マフィアンコミュニティーの動きがどこかきな臭い。

私はエベレッジ・ハーバー港の倉庫群の中で息を潜めながらそう思った。ヨークシンオークションを一週間後に控え、各マフィアは最後の調整に躍起になっている。それは、対抗組織同士のヨークシンシティ内での一時休戦協定だったり、資金繰りの話だったり、競り合う商品が被らないようにする話し合いだったりと多岐に及ぶ。7月末から8月末の間に持ちかけられる話し合いはオークションに関するものがほとんどで、話を持ちかけられる側も話を持ちかける側も話し合いの内容と結果が想定できるために、秘密裏に行われるその会合は比較的穏やかに進むことが多かった。

全世界のマフィアが集結するオークションの邪魔をしてはならない。それは、「オークションハウス内で揉め事を起こさないこと」と同じくらい全世界の裏社会に浸透している暗黙の了解の一つであった。そのため、年に一度のお祭りを前に浮き足立ち酔っ払って揉め事を起こす人間はいても、オークションの成功を邪魔するような大きなドンパチはこの時期には決して起こらなかった。八月初旬から下旬のこの時期は一年のうちで一番穏やかな時期と言えた。

予定調和な会合ばかりのこの時期、組織員は浮き足立ち組織内の空気もどこか緊張感のないものになる。それが例年の八月だった。去年も一昨年もこの時期のマフィアたちは間違いなく腑抜けていた。そう、それなのに、今年の八月はどこかピリピリしていたのだった。

何かがどこかおかしい。それは私が八月に入ってからずっと感じていた違和感だった。きっかけは情報提供契約をしているホステスの一人の、「今日はお店に来ても女の子を一人もつけずにずっと奥で話していたわ」という報告だった。オークションの成功を祈って前祝いをしていてもおかしくないこの時期に? それがその報告を聞いた時の第一印象だった。ただ単に何かトラブルがあっただけだろうと据え置くことも出来たが、私は感じた違和感を元に色々と調べることにし、そして調べて行くうちに、その奇妙な違和感が複数の組織でーー、特に上層部の連中の間に広がっていることに私は気づいた。それも、パナトニア共和国内だけの現象ではなく、隣国の「パドキア共和国」「タナトニア公国」ででもその傾向が見られたのだ。これは異常な事態と言えた。


元々パナトニア共和国のあるこの「アフリスカン大陸」は、大陸内にククルーマウンテンと天空闘技場があるため、組織の暗躍という意味合いで十大陸中一の不遇の大陸と言われていた。「天空闘技場」というその腕っぷしを試せる場所があるために腕に自身のある若者はマフィアに流れずに闘士となり、万年人手不足。「誰かの恨みを買えばゾルディックに暗殺される」ことが他大陸の人間よりもずっと骨身に染みているために、行動はどこか臆病となる。「アフリスカン大陸」にあるマフィアンコミュニティー、特にゾルディック家のある「パドキア共和国」と天空闘技場のある「タナトニア公国」、そして、その間に挟まれている「パナトニア共和国」の上層部は常にそのことで頭を悩ませていた。それは慢性の頭痛のようなものだった。

しかし、今回このトニア三国の上層部陣の間に漂っている緊張感は、そんな慢性的な問題からくるような様相ではなかった。始めは、ゾルディック家がうるさい小蝿ーーマフィアのトップの何人かを暗殺しようとしているのかとも思った。実際、ゾルディック家の長男であるイルミと、パナトニア共和国や今回来ているタナトニア公国内で頻繁に出会っている。もしかしたらイルミは暗殺対象の偵察に来ているのではないか。そう疑っていた時期もあった。しかし、冷静に考えるとその可能性は低かった。

うるさい小蝿を一掃しても、ゾルディックにメリットはないのだ。一時的に利益があったとしても、騒乱の元を絶ってしまえば依頼者の数が激減する。そんな依頼者の数が減るような愚かな選択をゾルディックがするとは思えなかった。


では、何がこんな異様な緊張状態を作り出しているのだろうか?


トップの代替わり、水面下の提携交渉、新たな資金源の発見、他にも色んな可能性が考えられた。しかし、複数の組織ーーそれも国をまたいだ複数の組織の上層部を悩ますような問題は、調べられた範囲内では起きていなかった。

上層部陣に広がる奇妙な緊張感。それはまるで、これから何か大きな「騒動」が起こるらしいという不明瞭だが確実な情報を入手し、それに乗るべきかそのまま傍観すべきか互いに探り合い様子を見あっている感じーー、そんな様相に近かった。

一週間後に控えたヨークシンオークション。大金を注ぎ込んで何かを企んでいるあいつら。そして、何かを悩んでいるコミュニティーの上層部陣。繋がりを確定できる要素は何一つなかったが、私にはこれらがどこかで繋がっている気がして仕方がなかった。


起こる現象を全てあいつらと繋げて考えてしまうのは私の悪い癖だった。今まで、ジョンの背後にいる連中に繋がると推測して行動し、肩透かしを食らったことは数え切れない程ある。

しかし、『利益のあるところには必ず誰かの思惑がある』これは、間違いない真理だった。

この五年間の仕事で私が学んだことだ。平和な世界にいた時はちらりとも頭を掠めなかった考え方。何十年と裏の世界に生きている老獪な狸たちには及ばなかったが、私の直感が告げていた。『最近のコミュニティーの動きには何かある』ーーと。


誰のどんな思惑が働いているのだろうか?
それは特定の個人の思惑なのだろうか?
それとも意思ある組織の思惑なのだろうか?


現時点では分からない。だけど、あいつの背後にいる奴らに迫れる可能性をーー、彼女を見つけ出す可能性を見過ごすわけにはいかなかった。願わくばこの先に彼女に繋がる何かが見つけられますように。私は、エベレッジ・ハーバーの倉庫群に身を潜めながら、空に浮かぶ月に向かって懇願した。







それからどれくらい経っただろうか、カサリと小さな足音が聞こえ私は倉庫の影から外を覗き見た。黒い人影が三つある。ビンゴだ。ここで今晩取引が行われるという情報は正しかったようだ。

三人の内の一人の指に、赤いラインが特徴的な指輪がはめられている。あれは確か、タナトニア公国南西部に根を張るタジスティーナ系列のトルティッタファミリーのシンボルマークで間違いないはずだ。私は、他の二人の身体を慎重に観察した。耳元のピアス、首もとのネクタイ、手首の時計、シャツにベルトにネクタイピン。どこかの組織のシンボルマークと一致するものがないかと脳内の記憶と照らし合わせてみるが、それらしいものは見つけられなかった。

もっともこの世界のマフィアンコミュニティーは秘密結社の側面を持つため、構成員の数をはじめ、メンバーの素性、組織の本拠地、資金源、シンボルマーク等々全てが公にされておらず、この五年間トニア三国内にあるコミュニティーを調べ続けている私でも、必要最低限の情報を把握できている組織数はパナトニア国内で8割、このタナトニア国内となると6割ほどだった。さらに、シンボルマークまで把握できているタナトニア国内の組織となると半分をきる。私には、残り二人の人間がどこの組織のどういう人間なのか、それとも全く組織とは関係ない普通の人間なのかどうか、判断できなかった。

ならば、この取引が終わったらどちらか一人を尾行して素性を割り出そう。私は音の出ない赤外線カメラで二人の姿を隠し撮った。

話し声が聞こえる。一人の男が懐から紙切れを出して、もう一人の男に手渡している。紙を手渡された男はその紙を数秒間凝視した後、ライターで燃やした。証拠隠滅だろう。引き換えに小切手のようなものを渡している。何か取引が行われているのは明白だった。

もっと情報を引き出したい。私は絶をしながら男たちの方に風下から忍び寄った。風が僅かに吹いている。匂いや音は通常風に乗って風上から風下へと流れ、野生の動物も狩りをする時は風下からゆっくりと近づく。私は諜報の基本にのっとって男たちに近づいた。

聞こえる声が大きくなる。男たちの風貌が肉眼で確認できるほどの距離に近づいた私は、凝をして男たちのオーラを見た。三人のうち一人は念が使えそうなオーラをしていたが他の二人のオーラは全然だった。肉体もあまり鍛えられていないし、目に宿る鋭さも足りない。周囲に護衛をするような人間もいない。残念ながら彼らは組織内でも中程度――良くて幹部候補生ってところだろう。

私は心の中で舌打ちをした。もっと上層部陣なら良かった。もしここに来ている人間が上層部陣ならば、捕まえて痛みつけてでも裏に潜む何かを引き出してやるのにーー。話にならない雑魚を前にして、私の中で苛立ちがふつふつと湧き上がる。

ヨークシンオークション開催までもう日にちがなかった。今日八月二十六日。あと数時間もすれば日付を跨いで二十七日になってしまう。三十日の正午にはヨークシン入りをしていないといけないので、ヨークシンまで飛行船で二日半かかるここからじゃ二十七日の夜の便で発たなくてはいけない計算になる。残された時間はあと二十時間ほど。それまでに私は何か手がかりを見つけることが出来るのだろうか? 焦りだけがいたずらに増してゆく。

落ち着け。焦っても仕方がない。どんなに焦ってもやれることを一つずつ潰していくしか方法はないのだ。私は焦る心を理性で抑え込み、その少ない時間でやれることを頭の中でリストアップして大きく深呼吸をした。

とその時、一際大きな風が吹いた。その風に乗って男たちの匂いと声が私の所までやってくる。


この香りーー


心臓がバクンと飛び上がり、全身から冷や汗がドバッと噴き出る。まさか、まさか、まさか、まさかーー。指先がカタカタと震え出し、目の前がチカチカした。私はもう一度、慎重に鼻から息を吸い、その匂いを確かめた。

バニラや金木犀を彷彿とさせる甘さを放ちながらもその奥に深い森のようなスパイスさが潜むその香り。胸糞の悪くなる吐き気のする香り、間違いない。


ア イ ツ ラ ノ 香 リ


脳裏に刻み付けるよう何度も何度も何度も何度も、繰り返し繰り返し思い描いた香りだ。嗅ぎ違いなんかじゃなかった。やっとやっとやっと見つけた。心が先に先にとはやると同時に頭が割れそうなほど痛み出して、真夏だというのに寒くてたまらなかった。体がガタガタと震え出す。

鼻につく甘ったるい香りが風に乗って流れてくる。明かりの消えた部屋。天窓から差し込む黄色い月明かり。倒れ伏す女性。床に広がるウェーブのかかった黒い髪。階段を登る男たちの足音。そして、どんどんと広がってゆく真っ赤な血。記憶のフラッシュバック。目の前が赤に染まり、鼻をつく血の匂いが濃くなってゆく。

目の前が鈍器で殴られたようにチカチカと光り、意識が朦朧とし始める。こんなところで倒れたら、こんなところでオーラを発したら男たちに見つかってしまう。私は口の中に手を突っ込んで思い切り歯を噛み締めた。鈍い痛みが手に走り、鉄臭い血の味が口の中に広がった。幸い私は風下にいる。血の匂いが男たちに届くことはないだろう。私はその場にしゃがみ込み、身体をきつく抱いて細く長く息を吐いた。


『どうして俺を殺したの?』


声が聞こえる。クルスの声だ。固く閉じた瞼の裏に浮かび上がったクルスが問いかける。瞳孔の開いた瞳、吊り上がった唇。血塗れの手をこちらに向けている。やめてくれ、しょうがなかったんだ。息の絶えた女が私の隣でドロドロに溶けて地面に吸い込まれていく気がした。

ぐちゃ…ぬちゃ…。手に感じる生暖かい感触。ドクンドクンと脈動し、ぬるぬると柔らかく、ぐにぐにと弾力のあるコレ。人間の内蔵・臓物・ハラワタ。手を伝う温かい液体。私の腕を、私の顔を、私の髪を、私の体を汚す、鉄臭いぬるりとしたソレ。人間の血液。床一杯に広がっている。

すぐ側でアマンダが苦しそうに息をしている。止まらない、止まラない、止まラなイ、止マラなイ、止マラナイ。衝動が、憎しみが、怒りが、トマラナイーー。

次の獲物を狩るために私はトンと床を蹴る。視界の端に虚ろな瞳で私を見上げるアマンダの姿が映った。


『どうして私を殺したの?』


私を見上げるアマンダの瞳がそう問いかけている気がした。






ブロロロ……。遠くで車の発信する音が聞こえ、私はハッと顔を上げた。倉庫の影から覗き見ると、男たちの姿はもうなかった。今の車で帰って行ったのだろうか。逃がさない、逃がさない、逃がさない。私は、ふらつく身体に鞭を打って立ち上がった。

黒く禍々しいオーラが体内で暴れ、焼け付くような痛みが頭を襲い、目に見える全ては眩暈でぐにゃぐにゃと歪んだままだった。それでも、私は走り出した。彼女を取り戻す。それだけをひたすら考えて。もう、穏やかな月の光は私の目には入っていなかった。



[ 13.夢と現の交錯点 4/6 ]


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