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豆粒のようなその光を目指してーー。


私は歩いた。動かない足をずるずると引きずって、今にも絶叫したくなる衝動を飲み込んで。

脳みそが焼ききれるような痛みが歩くごとに私を襲い、意識が遠ざかる。だけれども、今ここで意識を手離したら「私」は「私」で無くなり、ただの獣と成り堕ちる。私は歯が砕けるほどに奥歯を噛み、今にも暴れ出しそうな手を必死に抑え込み、身体を切り刻む凄まじい痛みに耐えながら、一歩、また一歩と歩いた。




13.夢と現の交錯点





「アぁ、出口ダ……」


やっと辿り着いたそこには、人一人がやっと通れるくらいの大きさの穴があった。その穴の向こうから穏やかな白い光が差し込んでいる。目が開けられないほどの眩しいそこからは活気に満ちた人々の明るい声が聞こえてくる。早くおいでと、全てが私を掻き立てた。


長かった、本当に長かった。この奇妙な空間に吸い込まれてからどれ位の時間が経っているのだろうか。確か、300日くらいまでは数えていたはずだけど、そこから先は日にちの感覚なんてなかった。永遠とも思える時間をここで過ごしてきた。大学生として平凡な日常を過ごしていたことが、10年も20年も昔のことのように思えた。

でも、もうそんな関係ない。やっと帰れる。私は帰れるのだ。お父さんに、お母さんに、やっと会える。安全で、安心な世界に帰れる。誰も殺さなくて済む世界に、ヤット帰レルーー。

体中に飛び散った血は今や黒く変色し、私の服に肌に髪にとべたりとこびり付いていた。おそらくまつ毛にも付いているのだろうソレが、瞬きするたびに私の視界を遮る。でも、もういい。やっと、やっとやっとやっとやっとやっと……帰れるのだから。

私は後ろを振り返った。空間中に有象無象と漂っていた黒い靄はもう一片もなく、そして人の姿も、もうなかった。私は最後の一人になったのだろうか? その答えを知りたくはあったけれど、私にはもうそれを確認する術も気力もなく、鉛のように重い体に鞭を打って光差すその穴にただ手をかけるだけで精一杯だった。

狭い穴だった。足から出ることは出来そうになく、私は頭をぐにゃりと捻じ込んだ。温かくて柔らかい光が目を刺して、瞼を開けていられない。弾力性のあるその小さな穴の中を、私は鉛のように重い腕に力を込め、ギシギシと音のなる足を折り曲げて、身体を右に左にもぞもぞと動かして進んだ。


あと少し……あと少し……朦朧とした頭でここから出ることだけ考えた。あと少し……あと少し……。穴の外の光が眩しくて目を開けていられない。あと少し……あと少し……。足をばたつかせ、必死になって体を動かす。あと少し……あと少し……あと少しーー。

どれくらいの時間そうやっていたのだろうか、ドサッという音と共に私は穴の外に出た。温かい光。爽やかな空気。甘い香り。そして、目が眩むような白い白い光。アア、外二出レターー。私の意識はソコで途切れた。



「おめでとうございます」
「おめでとうございます、アマンダさん」
「良くやった、アマンダ!!」



再び意識を取り戻した私が見たものは、私を取り囲むようにして立つ白い服に身を包んだ集団だった。白い帽子に白いマスク、手にはゴム状の手袋がはめてある。


「おめでとうございます。ほら、可愛い女の子ですよ!」


そう言って白い集団の一人が私に向かってにゅっと手を伸ばした。私の身体ほどはある大きな手。見れば、白い集団の一人一人が私の身体の十倍はあった。その巨人の手に抱えられ体がふわりと浮く。頭上にあるライトがぐっと近づき、眩しくて目を開けていられなかった。


なんだこれ……。ここはどこだ? 状況が分からない。いくら考えようとしても頭がぼんやりして、何も考えることができなかった。


「女の子かぁ、アマンダに似て美人さんになるぞ」


男の嬉しそうな声が耳に届いた。どこかで聞いたことある声だ。でも、どこで聞いたのか思い出せなかった。ぼやけた視界の隅で、その男の人が涙ながらに誰かの手を握るのが見えた。白い手。女の人の手だ。


「あ、あぁ……わ、わたし、の……可愛、い、赤……ちゃ、ん……。やっと、会えた……。ふふ、実は、もう……名前は決めて……るのよ。そう…名前は、ミズキ。可愛い名前でしょ?」


女の人は荒い呼吸を整えながら、途切れ途切れに言った。


この声ーーーー。


聞き間違えるはずがない。私が間違えるはずがなかった。暗闇の中、ずっとずっとすがってきた。頼りにしてきた。擦り切れるほど頭の中で思い浮かべていた。それは私の唯一の拠り所だった。間違いない。この声はーーーー





アマンダさんの声






衝撃が走り抜ける。霞がかかっていた頭が一瞬でクリアになり、様々な事が物凄い勢いで駆け巡る。

なぜ彼女の声がこんなところから?
しかもこんな近く、直接聞こえてくるの?
もしかしてもしかしてもしかして、あそこにいるのはアマンダさん?
いや、その前に彼女はさっき私のことを何て呼んだ?
記憶に間違いがなければさっき彼女は私のことを……





「私の可愛い赤ちゃん」とーーーー





赤ちゃん!?赤ちゃんって何?何のこと!?誰のこと!?意味が分からない!


混乱する頭の中で、私は鉛のように重い身体に力を入れた。神経の伝達が遅く、思うように体が動かなかった。やっとのことで動かした視界の先に女の人を見つけた。男の人に手を握られ、汗まみれの顔で幸せそうに微笑む女の人。黒髪の美しいその人ーー。間違いない……アマンダさんだ。何度も何度も夢に見た黒髪の美しい妖艶な人。

私は自分の体を見渡した。小さな丸々とした指。出っ張ったお腹。所々についている血液。そして腹部から生えている赤いグロテスクな管。違う……アレは管じゃない。そうーー、へその緒。

赤ちゃん。生まれたての赤ん坊。そう……私は赤ちゃんなのだ。まだへその緒がついている、生まれたばかりの……生まれたての……


アマンダさんの『赤ちゃん』


その瞬間私は全てを理解した。私が今までさ迷っていたあの空間、黒いもやのたち込める暗く不気味な空間。

あの空間は、あの空間はーー





『アマンダさんの子宮の中』






そうだ、思い出した。SEXが終わる度に吹き荒れていた風の向かい先は、いつも彼女の下腹部だった。突風に負けて吸い込まれたあの時も風の向かう先は彼女の下腹部で、あれをきっかけに私はあの異様な空間で過ごすようになっていたのだ。

そうか、私はずっと彼女の子宮の中を彷徨い歩いていたのか。そして、私があそこを彷徨っていた期間。それは……おそらく、私があそこに吸い込まれてから出て来るまでの期間は……十月十日、人が妊娠する……子を宿す期間。

ああ、だんだんと繋がってくる。そう……それで、あのもや。あのもやも見たことがある。未だに忘れられない、レイプ男たちを相手にアマンダさんがやった逆転劇。あの時に私はあのもやを見た。あのもやはアマンダさんが『吸い尽くす生命力(バキュームオーラ)』の念を発動した時に男達から立ち上っていたモノと同質のもの。

そう、あの黒いもやはーー





『念で吸い取られた男達のオーラ』






アマンダさんがどれくらいの間組織の命令で男達のオーラを吸い取ってきたかはわからない。けれど一度や二度ではないだろう。たぶん、何年もの間……何十人何百人もの屈強な男たちのオーラを組織の命令に従って吸い続けていたのだろう。


「ミズキか、なんていい名前なんだ!アマンダ、ありがとう……ありがとう、この子を産んでくれて。アマンダ、愛してるよ」


男の人がアマンダさんの手を握りながら涙声を上げている。そう、あの男の人も見たことがある。名前はニコール。アマンダさんと幸せそうに抱き合っていたアマンダさんの恋人。そして、あの白い服を着た人たちは、看護師と医師。アマンダさんの出産を手助けした人たち。


生まれた、生まれた……私は生まれたのだ
この日、この時、この瞬間。


私はーー





この世界に『生まれた』







今までの出来事が走馬灯のようになって頭の中を駆け巡る。様々な感情が混じりあってまるで嵐のように私を襲う。悲しいのか、悔しいのか、辛いのか、もう何が何だか分からなかった。ただーー、もう元の世界に帰れないこと。そのことだけは痛烈に分かった。


私は泣いた。感情のままに泣いた。自分を抑えることもなく、涙を拭うこともなく。感情に身を任せて、ただひたすら泣き続けた。


「オギャーオギャー」


耳をつんざく大音量の産声が、病院の分娩室にいつまでもいつまでも響き渡っていた。




→→あとがき

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