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「なぁ、イルミ……そろそろ許してくれねぇ?」
「ダメ。お仕置きって言ったでしょ?あと一時間はそのままだよ。」


ミズキの願い出を、木陰で鋲を磨いていたイルミはどこ吹く風とさらりとはねつけた。暑い日差し中、湖で涼しげに泳いでいた魚がちゃぽんと水音を立てる。

そう、ミズキとイルミは今ガラナス山にあるいつもの鍛練所にいた。土下座をしてどうしても街中でイルミに会いたくなかった理由を涙ながらに切々と訴えたところ、初めは不満顔だったイルミも最終的には渋々ながらも納得したのだった。ところが、涙を拭いながら見えないところで舌をペロリと出したミズキにイルミが言い放った言葉は、「それでも嘘は嘘だから、罰を受ける必要があるよね?」というもので、どんな理由があれ「嘘」を言ってしまったミズキはイルミの『罰』を受ける羽目になってしまったのだった。


「ぐっ……く、イルミ、今何分だ?思ったより、コレ、キツいぞ?」
「16分42秒。当たり前でしょ?お仕置きなんだから。」


木陰で鋲を磨くイルミの数m先には汗だくのミズキがいた。相撲の四股踏みのような状態のミズキの両膝には、岩が乗せられている。伸ばした両腕の上にも、頭の上にも大きな岩が乗っていた。一つ一つの岩の大きさは、車のタイヤほどあり、重さは大人一人分あった。300キロ近い重りを乗せながらの空気椅子。イルミ曰く、ゾルディックの基礎訓練の一つらしいが、ゾルディックの人間ほど基礎体力の無いミズキにとって、それは叫びたくなるほど無茶なものに違いなかった。


「イ、イ、イ、イルミ!もう無理だ!腕がプルプルしてこれ以上は無理だって!!」
「ダメ。少なくともあと30分。その岩、落としたら承知しないからね。」
「そ、そんな……」


顔を真っ赤にしながら罰に耐えるミズキの目には涙が浮かんでいた。生理的なものではあったが、先ほど流した涙とは違う本物の涙だった。

ミズキは瞬発的な動きを得意とする速筋の発達した人間だった。ヒソカとのトレーニングもどちらか言えば攻撃力を増大させる"速筋"比重のものばかりで、このように瞬発的ではない筋肉を鍛える訓練をミズキはほとんどしてこなかった。ミズキの不得意な部分を見抜いてのイルミの"罰"なのかもしれないが、とにもかくにもミズキの筋肉は限界を伝え、その顔は赤色を超え土気色に変わっていた。


「もういいよ。」


意識が朦朧とする一歩手前で聞こえたその声と同時に、ミズキはその場に崩れ落ちた。「50分ちょうど。一時間経ってないけど10分はおまけしてあげる。」そう言って近づくイルミに言葉の一つ返せないほど、ミズキは疲労困憊していた。


「どんな執事見習いだって一時間は余裕でやるのに、だらしないねミズキは。」


やれやれといった様子で言うイルミに、ミズキは心の中で「ゾルディック基準で考えるな!」と毒づいたが、呼吸を整えるだけで精一杯でそれを言葉にすることは適わなかった。それでも、なんとか一難は乗り越えた。


「それにしてもミズキは力にバラつきがあるよね。持久力低すぎ。」
やっと息が整った辺りで、イルミが唐突に言い出す。
「はぁ……はぁ……オレ、そんなに偏ってる?」
「うん。瞬発力と攻撃力ばっかり上げて、どっかの殺人狂みたい。そんなんじゃ暗殺は出来ないよ?」
「いや……別に、オレは暗殺をしたいわけじゃ……」
「暗殺にも瞬発力は必要だけど、それよりも日常的に音を出さないでおくだとか、そういう"遅筋"を使った動きの方がもっと大事なんだよね。」
「イルミ、言っとくけど、オレ……別に暗殺をするつもりは……」
「さっきの訓練も音を出さないようにする訓練の一環で、300kg、500kg、800kgと重りをつけて普通に生活できるようになって一人前。たかだか300kgの重さで根を上げているようじゃ道は遠いよ?」


相変わらず人の話を聞かない男だ。イルミの隣でげっそりと肩を落とすミズキであったが、イルミの指摘は間違いなく的を得ていた。「暗殺するか否か」は別として、自分より格上の人間の言葉は貴重である。ミズキはイルミの言葉をふんふんと相打ちをしながら大人しく聞いていた。


と、その時、イルミが話途中で突然言葉をつぐみ、鋭い目で遥か先の茂みを睨みつけた。ミズキも釣られてその視線の先に目を向けるが、何もおかしなところはない。「どうしたんだ、イルミ?」そうミズキが尋ねようとした瞬間、イルミが目にも留まらぬ速さで懐から鋲を取り出しその場所に投げつけた。鋲が空気を切り裂く。


ーーくそ、気づかなかった。こいつ、絶が上手い……


何もなければそのまま茂みの向こうに生えている木の幹に突き刺さるであろう鋲が、途中で不可解に止まるのを見て初めてミズキはその茂みの中に何者かが隠れていることに気づいた。こんな近くにいるのに気配を一切悟らせないなんて、茂みの中にいる人物は相当腕の立つ人物に違いない。イルミの瞳は辺りが凍りつくほどの冷たさを帯びており、辺りを覆う空気がピンと張り詰めていた。


「ねぇ、出ておいでよ。」


ゆらりと立ち上がって言うイルミに続き、ミズキも緊急事態に備えて腰のボトルのキャップをキュポンと開けてオーラを練る。

イルミを狙う人間だろうか。いや、もしかしたら、自分を狙う人間かもしれない。ゾルディックの人間といるところを街中で見られ、「ゾルディックと関わりがあるような厄介な人間ならば消してしまえ」という指令が下ったという可能性も考えられる。ミズキは細く長く息を吐きながら、ガサゴソと揺れる茂みに向かって構えをとった。ほんの数秒の時間が、何分もの出来事のようだった。


「どうして、キミがここにいるのカナ?」


そう言って茂みから姿を現したのは、赤い髪の男だった。奇抜な格好に奇抜なフェイスペイント。腰を前に出した独特のポーズで髪を撫で上げながら問いかける男は、このガラナス山で何度となく顔を合わせている彼だった。


「ヒソカぁ!?」


ひっくり返った声で名前を叫ぶミズキをチラリとも見ずに、ヒソカを手に持った二本の鋲を「これ、返すよ◆」と言ってイルミに投げつける。視線が交差する中、イルミは飛んでくる一本の鋲をパシリと受け止め、もう一本の鋲をはたき落とした。


「……どういうつもり?」
「クク、ちょっとした遊びだよ♣」


そう言ったヒソカが指先をクイと動かすと、イルミの足元に転がっていた鋲がヒソカの手元に伸びたゴムが戻るようにして飛んでいく。そうかヒソカのバンジーガムか。目元に"凝"をしたミズキは、やっと二人のやり取りの意味を理解した。そして再び投げられた鋲を、イルミは今度こそ受け取った。あんな高スピードで迫り来る物体にバンジーガムが付いているか付いていないかすぐに判断できるだなんて流石はゾルディックだ。ミズキは、今のほんのちょっとのやり取りからでも垣間見える二人のレベルの高いやり取りに、嘆息した。


「さて、改めて聞こうか。なんでこんな所にキミがいるんだい?」
肩をすくめながら問いかけるヒソカの瞳はどこか鋭かった。

「あ、あのな!ヒソカ、こいつはイルミ=ゾルディックと言って……」

慌てた声でイルミの紹介を始めたミズキを遮ってイルミが一歩前にずいと進む。

「こっちこそ聞きたいよ。何でこんな所にヒソカがいるの?」
「ボクは良くココに遊びに来るんだ◆」
「……質問の答えになってない。」
「イルミこそ、ストックスなんて田舎町のこんな山奥に、どうしているんだい♠」
「……たまたまだよ。」


ヒソカの視線の先にはイルミが、イルミの視線の先にはヒソカがいた。初対面であるはずのイルミとヒソカが自分を差し置いて会話しているだなんて、もしかしたら二人は知り合いなのかもしれない。本当なら「お前ら知り合いなのか?」と聞くべきなのだろうが、ミズキは二人の間に流れる剣呑な雰囲気に、口を開くことができなかった。


「ふーん。こんな何もない山奥に『たまたま』……ねぇ?」


ヒソカの物言いはいつにもなく刺々しかった。先ほどの挑発行為も今のあからさまな敵意もいつものヒソカらしくない。何か理由があるのだろうか。トランプを取り出して右に左にと手元でパラパラ移動させるヒソカに応対するように、イルミも懐から複数の鋲を取り出した。空気がピリピリと張り詰める。ミズキはこれから起こるであろうことに備えて、二歩三歩と後ろに下がった。


「そう、じゃあもうひとつ質問。キミは……あの腕輪の人物かい?」


言うや否や、ヒソカは手に持っていたトランプを投げつけた。それは戦闘開始の合図だった。イルミが投げた鋲を最小限の動きでかわしながらヒソカは距離をぎゅんと詰める。目にも止まらぬ幾重もの攻防。目で追いきれない。キィンと何かがぶつかり合う音がしたかと思うと、二人の距離は元に戻っていた。

なにがどうなって戦いが始まったのか。いや、そのまえに二人の関係は何なのか。知り合いなのか、それとも、敵対している仲なのか。全くもって分からない。しかし、戦闘は始まってしまった。ミズキは自分とは次元の違う高レベルの二人の戦いを、食い入るように見た。唾を飲み込む音がやけに大きく思えた。





[ 12.水辺の争奪戦 3/5 ]


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