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VIP会員しか入れない、優雅なピアノの生演奏が流れる落ち着いたラウンジの一角で、その男は静かにコーヒーを啜っていた。仕事の途中なのだろう、ノートパソコンと幾つもの資料が、男の几帳面な性格を表すようにきっちりと並べて置かれている。資料右上に書かれた文字は『ダスターカンパニー 渉外部』。ミズキと別れてからジョンは、このラウンジでずっと会社での仕事をしていたのだった。


「お忙しい中ご足労頂きありがとうございます」


ラウンジの入り口に人影を認めると、ジョンは手を止めて立ち上がった。齢は四十半ばであろうか、引き締まった体躯に精悍な顔つき、そして隙のない瞳は、見る人が見ればいく戦もの修羅場をくぐり抜けて来た人間なのだろうと予想できる鋭いものであった。ジョンは現れたその男に上座を勧めると、通りすがりのウエイターにコーヒーを持って来るよう言いつけた。


「お電話で何度もお話させて頂いておりましたが、こうしてお会いするのは久しぶりですね、ミスター。お会い出来て嬉しく思います」


ミスターと呼ばれた男は「君も息災のようで何より」と落ち着いた声で返し、差し出されたジョンの右手をギュッと握った。節くれだった太く大きい手には幾つもの傷があり、それが男の放つ威圧感に磨きをかけている。平和な世界しか知らない人間だったらこの男の放つ裏に精通する人間独特の威圧感に萎縮してしまっているところだろう。


「こちら、例のものです」


そう言ってジョンが鞄から取り出した厚みのある茶色い封筒を一瞥すると、男は「あぁ……今月も律儀に金を支払ったのかね、あの子供は」と感情のこもらない声を返した。


「はい。数時間前になりますがこのホテルで会い、こちらを受け取りました。ヨークシンでの仕事も既に了解しており、飛行船・宿・その他もろもろ全て手配済みです」
「ご苦労だった」


男はジョンに渡された資料を手にし素早く全体に目に通していたが、とあるページでふと手を止めた。それは、ミズキの顔写真付きの資料のページだった。


「この子供……さっきここに来る途中の公園で見かけた気がする」
「こいつをですか?はぁ……確かにこのホテルに呼びつけたのでまだこの近辺にいることも考えられますが……」
「資料越しにしか顔を見たことなかったからすぐには気づかなかったが、確かにこの子供だった。しかも、隣にはーー」
「隣には?」


そこで言葉を切り、ジョンの顔を見て言うべきか濁すべきか逡巡した後、男は口を開いた。


「隣に居た男が、イルミ=ゾルディックだった気がするのだ」
「ゾ、ゾルディック家の人間がですか!?あのガキの隣に!?」
「あぁ……。イルミ=ゾルディックは今年のハンター試験の合格者だ、登録は偽名だったがな。最終試験では素顔を見せていたので、一部の人間の間にはその姿が知れ渡っているのだよ」
「本当にあのガキがゾルディックと一緒にいたのですか?あのガキにそんな伝手があるとは思えませんが……」
「確証はない。私も見たのは一瞬だったからな……。ふむ……この子供がしてきた仕事の一覧を見せてくれないか?」
「あぁ、それでしたら……」


ジョンはノートパソコンのキーボードをカタカタと弄ると、表示された画面を男に見せた。そこには、身体能力の高い人間ならギリギリこなせるであろう程度の難易度の仕事が、一覧となって出ていた。「運が良かった」と一言で済ませることも出来なくはないが、本当にただの子供がここまで出来るものなのであろうか。念が使えるとも使えないとも判断しづらいその一覧を、男は口元の無精髭を触りながら鋭い目で見ている。


「……何か問題でも?」


心配顔で問いかけるジョンに男は「本当にこの子供は念を知らないのか?」と言いそうになる言葉を飲み込み、「いや、なんでもない。ただ、騙されているとも知らずに頑張るな……と思っただけだ」と返した。目の前に座るスーツを着たこの男は、強欲で自意識が高く扱いやすいことだけが取り柄のただの人間なのだ。交渉ごとの上手さには男も一目を置いていたが、それだけだった。この世界のことを深くは知らない。念についても「一芸を磨き上げた人間は常人には出来ない人間離れした芸当ができる」くらいにしか思っていないのだ。

ここで不用意に言う必要もないーー、と男は別の話題を口にした。


「それより、君にあげた時計はどうだい?」
「あぁ、これですか?大層重宝しております。これのおかげで、様々な人間の敵意に事前に気づけるようになりました」
「あぁ、それは良かった。どれ、この話が終わったらメンテナンスも込めて後で見てあげよう」
「ありがとうございます。それにしても、これはどういうカラクリなのですかね?私には見当もつかないのですが……」
「……特別な技術を使用して作っている。それ以外は言えないよ。ふふ、『企業秘密』だ」
「『企業秘密』、ですか。それでは聞けないですね」


男とジョンの言う「企業秘密」には天と地ほど違いがあったのだが、そのことにジョンは気づいていない。御しやすい人間は好きだよ、扱いやすくていいーー、そんな男の思惑にも、ジョンは気づいていないようだった。


「さて、雑談はこれくらいにして本題に入るとするか」


ミズキの資料をテーブルにパサリと置いた男が言ったその言葉を皮切りに、二人はヨークシンオークションの最後の打ち合わせに入ったのだった。これが成功すれば世の中の勢力図はひっくり返る。その事を重々理解している二人の打ち合わせは真剣そのもので、コーヒーを持ってきたウエイターが声を掛けるのを躊躇う程であった。時は刻一刻と進んでゆく。金と欲望に塗れたヨークシンオークションが始まるまであと半月ーー。






「ねぇ、まだ寝ないの?」


ジョンと男が打ち合わせをする一時間ほど前、ミズキ達のいるパナトニア共和国から遠く離れた時差が五時間半ほどある地で、シャルナークは明かりの漏れる扉の向こうにいる人物に寝ぼけ眼で問いかけていた。その声に、古ぼけた書籍が壁一面に並べられた薄暗い部屋の奥に座る黒髪の男が、手に持っていた本にしおりを挟んで振り返る。


「あぁ、もう少ししたらな。それよりも、そっちはどうだ?」
「オレの方?うん、あらかた終わったよ。後は、オークション開催一週間前に配布されるらしい警備配置図を入手できれば終わり。仮の方は既に入手済みなんだけどね、どうやら元締めがかなりの慎重者らしくて……現時点ではどの関係者にも情報開示してないらしいよ?」
「そうか、かなり慎重だな」
「だ、ね。でも配置図なんてあってないようなものだし、オレ達の前ではどんな警備も無意味同然だけどね」
「そう言うな、シャル。準備はどんなに入念にしてもし尽くすことはない」
「あいあい、分かってるよ、ダンチョー」
おどけて答えるシャルナークに、クロロは肩をすくめて小さく笑った。
「あれ?……それ……」

クロロの肩越しに見えた机の隅にある物が置いてあることに気づいたシャルナークは、それを頭の中の情報と照らし合わした後、首を傾げながらクロロに問いかけた。


「ねぇ、それってククルクル遺跡のヤツじゃない?なんでこんなところにあるの?」


いくつもの円環が絡み合って出来ている金色の羅針盤。それは、シャルナークの記憶が正しければ、先日仕事で行ったククルクル遺跡から盗んできたもので、金の腕輪と銀の腕輪を一定の法則に従って重ね合わせると、この羅針盤が古代ヘブライカ族の最期の宝『星光のレガリア』なるものの位置を示すと言われていた。


「そう言えば……金の腕輪を盗みにいってから結構経つけど、最近クロロからこの話聞かないよね。何かあったの?」


ヨークシンオークションが半月後に迫っているとはいえ、全く話題にでないのは些かおかしい。何かあったに違いない。シャルナークは、半ば確信を持って思案顔をしたまま言葉を返さないクロロに「ねぇ、聞いてるんだけど?」とさらに詰め寄った。


「……シャル、お前は腕輪と羅針盤のこと、どこまで覚えている?」
しばらくして、クロロはそっと口を開いた。
「どこまで……って、クロロが説明したことは全部覚えてるけど?……って何?何かトラブル?」
「トラブルというほどではないが、少し予想外のことが起きてな」
「予想外のこと?『星光のレガリア』は入手難易度そう高くないんじゃなかったっけ?暗号の解読が難解なだけで、羅針盤さえ手に入れられれば後は芋づる式に他の見つかるって……」
「そうだ。この羅針盤は、腕輪が発する特殊なオーラを感知してその場所を盤上に示す、そういう造りのものだ。羅針盤さえ入手できれば、金の腕輪、その次に銀の腕輪、そして『星光のレガリア』と、全てが難なく手に入るはずだったのだが……」
「だが?」
「金の腕輪のオーラを感知出来なくなった」
「えぇ!?なんで!?」
「要因はいくつか考えられるが……。まず一つ目は、オーラを遮断する何かに入れられている可能性が上げられる。オーラを遮断する特殊な念具、または生き物の体内ーーが考えられるだろう。二つ目は……」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待った!!ねぇ……クロロ、一つ聞いていい?」
「なんだ」
「金の腕輪ってさ。2ヶ月くらい前に盗ってきたやつだよね?」
「ああ」
「その腕輪のさ、保管を受け持ったのってクロロだよね?」
「……ああ」
「別にクロロがオーラを遮断する何かに入れたり、飲み込んだりしたわけじゃないんだよね?」
「…………ああ……」
「それなのにオーラが感知出来ないっておかしくない?」

質問をするたびに返事をするたびに小さくなっていたクロロの声が、とうとう途絶えてしまった。そんなクロロに、シャルナークは「ねぇ、どういうことか説明してくれない?」と笑顔のままずいと顔を寄せる。クロロの額から冷や汗が一筋垂れたのだった。


「ふーーん、なるほどそういうことね。じゃあ、金の腕輪は今ミズキちゃんの手元にあるんだね」
「・・・・・・ああ」
「それにしても、クロロがねぇ・・・・・・、ふ〜ん、へぇ〜。あっ、そう〜」
「・・・・・・何が言いたい」
「いや、意外だなって思って」
「何がだ?」
「いや、だって、咄嗟のこととはいえ、クロロが仕事に必要な物を人に渡すとはね」
「すまない。一時のことだと・・・・・・アジトに戻って羅針盤で居場所を探ればすぐに見つかると、そう思っていた」
「そう、そこなんだよね。場所さえ分かっていれば、いつでも取り戻しに行けるのに。・・・・・・なに、ミズキちゃんって、貰ったものを身に着けずにどこぞに隠しちゃう系のモグラ女子なの?それとも、貰ったものをゴクリと飲み込んじゃう系の爬虫類女子?」
おどけた声でシャルナークが言う。
「シャル・・・・・・」
「冗談だって。・・・・・・でもさ、クロロ、考えてみてよ。爬虫類は置いといたとしても、オーラを遮断できる念具を用意しているだなんて、その女怪しすぎない?」

先ほどのおどけた様子とは一変した真剣な顔つきで、シャルナークはクロロをじっと見る。

「そいつ、情報を探っても何も出てこない正体不明な女だよ?学校のこと、文化祭のこと、ダンスのこと。”団長”が見抜けないほどのリアリティーを持ってさも自分が体験したことのように語っておきながら、全部、嘘っぱち。本当のことなんて何もありゃしない」
「・・・・・・」
「今回の事だって、あらかじめ”団長”に接触するようこっちの情報を抜いて行動しているかもしれないのに、"団長"、軽く考えすぎてない?ミズキちゃんと会った日って、確かフィンクスたちと盗みに入った日でしょ?盗みに入る日時を事前に手に入れて行動していた可能性もなくはないよね?」


シャルナークが畳み掛けるようにして言う。幻影旅団では、互いに互いのプライベートには干渉しないことが暗黙の了解となっていた。普段、メンバーがどこで何をしていようと――それこそ変な女に騙されて金を盗られようと誰も何も口出ししない、それが暗黙のルールだった。そのラインを超え、シャルナークはクロロに問いかけている。つまりは、「幻影旅団の頭」としての危機管理能力の未熟さを追求しているのと同然だった。鋭い視線を送るシャルナークに、クロロも同じくらい鋭い視線を返す。


「シャル、お前の疑問ももっともだ、そういう可能性がないわけではない。だが、その可能性はゼロに限りなく近いだろう」

シャルナークの瞳が語っている、「それで?」と。

「まず、接触した時のルートに関してだが、その道を選んだのは全くの偶然だ。現場に向かう途中、フィンクスが『こっちの方が賑やかだからこっち通ろうぜ』と言ったのでそこの道を通ったまでだ。フィンクスに言われなければ、そこの道を通る予定は全く無かった。それに、腕輪に関してだ。腕輪はミズキの方が言い出したのではなく、オレがオレの判断に従って差し出したものだ。言いくるめられて渡したものでは決してない。最後にオーラに関してだが……おそらくミズキは、腕輪を身につけたままでいる。オーラを遮断できる何かに腕輪を入れているわけではない」

「えぇ!?ちょっと、クロロ、話が違うじゃん!」

「違わない。話途中で言葉を遮ったのはお前だろう。いいか、オーラが感知できなくなった可能性として考えられるのは二つ。一つ目はオーラを遮断する何かに入れられている可能性だ、具体的にはオーラを遮断する特殊な念具、または生き物の体内があげられる。が、それより可能性が高いのは、今から言う二つ目だ。二つ目は、腕輪を身につけたまま常にオーラ操作をしている可能性――だ」
「……オーラを操作?」
「そうだ。この羅針盤は、腕輪が発する特殊なオーラを感知してその場所を示すものだ。そのオーラは絶え間なく発されているが、量はそう多くない。身近でオーラの操作をされればたちどころに消えてしまうのだ」
「消える?」
「その腕輪を身につけている人間が、常に自分のオーラを”纏”、”練”、”絶”などで操作していた場合、身体から一センチと離れていない腕輪は、そのオーラ操作に巻き込まれてしまって正常に機能できなくなる――そういうことだ」
「……ちょっと待ってクロロ、ミズキちゃんに腕輪を渡してから一ヶ月半は経ってるよね?ってことは、ミズキちゃんこの一月半ずっと休むことなくオーラ操作し続けていたってこと?寝ている時もずっと?」
「そうなるな」
「ちょ……なにそれ……」
「だから言っただろう、『予想外のことがおきている』ってな」
「……確かにそう言ってたけどさぁ。それ、間違いないの?24時間365日絶え間無くオーラを操作し続けるってかなり大変な作業だよ?」
「信じられないだろう?……だが、間違いない。この羅針盤は時おり金の腕輪のオーラを拾っている……時間が短すぎて記録できていないがな。その動きは不規則で、腕輪を入れたケースを遠方に移動させているといった類の移動とは異なっている、つまりはこれは生きた人間の生活の動きといえる」

その言葉を聞いたシャルナークは、クロロの目をじっと見た後、はぁ……と盛大なため息をついた。

「……分かったよ、クロロ。素性の知れない女で、息を吐くように嘘がつけて、偶然とは思えない場所で出会っちゃうけど、根はいい子で。その上24時間365日常にオーラ操作が出来ちゃうど根性スキルがある人間ってことでしょ、はいはい分かったよ」
「シャル……それは分かっている態度とは言えないのでは?」
「あー、もうだってそうでしょ!?オレは、クロロが感じた印象だとかクロロが抱いた感情だとか、そういう主観的なものを抜いた情報を見て、客観的に判断しているだけだよ!?そんなに言うなら、そのミズキちゃんって子を見せてよ。蜘蛛にとって害のない人間かどうか見てあげるから!」
「そうしたいのは山々だが、そのミズキの居場所が……って、ちょっと待て、シャル」
「もういいじゃん、遊びの範疇越えちゃうかもしれないけどさ、パクに見てもらおうよ。記憶読んでもらって、それで情報共有して皆で探そう?絶対そっちの方が……」
「シャル!」
「……なに?ズルはしたくないって?」
「違う、これを見ろ。羅針盤が、動いている……」
「え……?」


見ると金色の円環が、羅針盤上でぐるぐると動いている。


「これって、ミズキちゃんがオーラの操作を解いているってこと?」
「おそらく、な」
「えっと、確か一定時間オーラを感知しないと作動しないんだっけ?」
「そうだ」
「だいたいどれくらい?」
「距離にもよるが、だいたい5分から10分ほどだ」
「そんなに時間が必要だなんて、ポンコツだね、これ」
「そう言うな、一度感知できさえすれば例え暗黒大陸に持ち去られようが場所を捉えることが出来る優れものだ」
「……渡航禁止のこのご時勢、そんなこと逆立ちしたってありえないのに」

そうぶつくさ言うシャルナークの隣で、クロロは真剣な瞳で羅針盤を見つめていた。時計の時を刻むコチコチという音だけが、薄暗い部屋の中を通り抜けてゆく。

「終わったね」
「あぁ、ここより北北東に923km、アイジエン大陸パナトニア共和国南西部、そこにミズキがいる……。ふっ、逃がしはしない、ミズキーー」


まるで獲物を見つけた肉食獣のような笑みをし、クロロは扉の方に踵を向けた。その後を面白い遊びでも見つけたようなしたり顔をしたシャルナークが「待って待って!オレも行く!」と言って着いてゆく。パタンと音を立てて閉じた扉の向こうで、時計の秒針がカチリと小さく音を立てた。


一人目の男、奇術師ヒソカ
二人目の男、イルミ=ゾルディック
三人目の男、クロロ=ルシルフル


ミズキを求める三人の男たち。何の因果か運命か、彼らはかの地に集結しつつあった。運命が加速するーー。もう、後には戻れない。





[ 11.ひとときの語らい 6/6 ]



第11章終わりです。イルミと夢主が仲良くなる章でしたが、最後の最期で一時戦線離脱していたクロロさんが再戦です。今まで三人が三人とも別々に行動してましたが、次章からはキャラ同士が顔を合わせていく予定です!!!



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