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噴水で水浴びをする子供たちがきゃっきゃと楽しそうな声をあげている。通り雨で濡れた地面もすっかり乾きうだるような暑さが戻っている中、二人はそんな暑さを物ともせずにベンチで声を弾ませていた。


「マジかよ!?それってもう犬の範疇超えてるじゃねーか!もしかしたら象よりでかいんじゃねーの!?」
「うん。そうだね。ミケは象より大きいんじゃないかな。」
「うお、怖ぇなゾルディック。そんなのが扉の向こうにいるかと思うとブルっちまうぜ。おぉ、怖ぇ〜」


ミズキが大げさな仕草で肩を縮こませる。イルミの発言にミズキが突っ込みを入れ、そしてそんなミズキにイルミがまた言葉を返す。二人の会話は途切れることはなく続き、出会った当初にあったぎこちなさは影も形も無くなっていた。


「あ!……ってことはもしかしてアレか?ゾルディックの人間は執事見習い含めて全員その試しの門を開けられるのか!?」
「うん、そうだね。門の掃除夫も門は開けられるよ。門も開けられないような人間はゾルディックにいらない。」
「さすがゾルディック、レベルが違ぇーな……。でもよ、そうなると飛行船で連れて来られた力のない人間も、庭に出たら即座に食い殺されちまうのか?無差別に?」
「うーーん、それはないかな?本邸とミケが放し飼いされてるエリアはかなり離れているから。ミケの動く範囲はだいたい執事邸辺りまでだね。」
「ふーーん、そんなもんなのか。それにしてもゾルディックの屋敷って広いんだな」
「うん、広い方だと思うよ?だから本邸に招いた人間がミケに殺されることはほとんどないんだけど。あ、でも、この間母さんが外で音楽聴きながら優雅にピクニックしたいからって言って交響団を呼んだときは困ったね。呼んだ人間の中に、ゾルディックの敷地内の写真が高く売れるって知ってる奴がいて、そいつが執事邸の向こう側に……」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待て!お前今何て言った!?」
「ん?ゾルディックの写真が高く売れるって知ってる奴がいて、そいつが……」
「違う違う、その前!!」
「前?」
「お前、交響団が……って言ってなかった?」
「うん、言ったよ?」
「なに、お前ん家、ちょっとピクニックすんのに交響団呼ぶの!?」
「うん、呼ぶよ。母さんがやりたいって言った時にしかやらないけど。」
「かぁーーーっ!!!なんだよ、ゾルディックなんだよ、本当に。半端ないにも程があるだろ……」


ガシガシと乱暴に頭を掻きながらぶつくさ言うミズキを、イルミはいつもと変わらない猫のような瞳でじっと見ている。相変わらず面白い。ガーネットの屋敷で感じた感情を、イルミはこの場でも感じていた。ゾルディックの執事とも同業者の人間とも違い、ミズキは自分のことを敬いも恐れてもしていなかった。かと言って無遠慮に踏み込んで来るわけでも遠巻きに息巻いているわけでもない。この感覚をなんと表現して良いのかイルミには分からなかったが、イルミはこの距離感を心地良いと感じていた。


「それにしてもさー、凄いよな、ゾルディック。執事がいて、使用人がいて、専用の衛星回線持っていて、交響団をたかだピクニックに呼びつけることが出来てさ……。もう敷地内にでっかい野球ドームがあるっていってもオレは驚かないぜ……」
「あ、野球ドームはないよ。」
「例えだって!」
「そうなの?でも、野球場くらいの大きさのトレーニング場はあるね。あと陸上トラックとプールとテニスコートも。」
「トレーニング場と陸上トラックは置いといても、プールにテニスコートって、『THE★金持ち』って感じがするぜ。あぁーぁ、そこの手入れをしている使用人たちも大変だな、ホント」
「うーーん、どうなんだろ?大変なのかな?確かにテニスコートなんか爆発があるから十二面あっても整備が追いつかないみたいだけど、でも、それが使用人たちの仕事だし。」
「あーー、もう……突っ込むのもそろそろ疲れてきたんだがな。一応聞くぞ?」
「何?」
「爆発ってなんだよ?お前ん家ではテニスコートが爆発すんの?」
「え?しないの?普通テニスって言ったら爆発するでしょ?」
「しっねぇーーーよっ!!!何がどうあったらテニスで爆発するんだよ……」
「え?ラケットの中央にちゃんと当てなかったり、力の圧が不均等だった時にペナルティでボールが爆発するんだよ。テニスって普通そうでしょ?」
「ンなワケねぇよ!!そんなルールがあったら世界中のテニスの試合が血みどろになってるじゃねーか!!」


がっくりと肩を落としながら、「根本からズレてんのな。はぁ……お前の強さが何となく分かった気がするぜ……」と力なく呟くミズキを、イルミはきょとんした顔で見つめていた。

それからしばらくゾルディックの世間ずれに関するいくつかの会話が続いた後、「どうせ料理人の作ったお上品な料理しか食ったことねぇんだろ?庶民の味ってのを教えてやる!」と言ってドスドスと公園の向こうにあるコンビニ向かったミズキは、青色と黄色の小さな袋を握りしめて帰ってきた。


「ほらよ」


無遠慮に投げつけられたその手のひらサイズ四角いパッケージを、無駄な動き一つなく華麗にパシッと片手で受け取ったイルミは、眉をひそめながらそれをじっと見る。


「なに、これ。アイス?」


パッケージでは丸坊主の芋臭い少年がにかっと笑っている。形状から言って、棒付きタイプのキャンディアイスだった。

「ガリンガリン君だ」

ミズキは、ベンチに座っているイルミの横にどかっと腰を下ろすと、したり顔でイルミに視線を投げかける。

「夏に食べるアイスと言ったら、ガリンガリン君だろ?ソーダとグレープフルーツ味があるけど、ソーダ味でいいよな?」
「ガリンガリン君?ソーダ味?」
「庶民を代表するアイスだ。毒なんか入ってねぇから安心しな!……つーか、お前には毒が入ってる方がいいのかもしんねぇーけど……」
「ふぅーん、庶民の味、これが……ね。」
「なに、お前食べたことねぇの?」
「うん。アイスは食べたことはあるけど、全部シェフの手作りだったし。キルと違ってオレはこういう外の物は食べないから。」
「ハッ、初体験ってか?いいか、覚えとけ、夏に食べるアイスは『ガリンガリン君』、冬に食べるアイスは『雪の大福』だ!!常識だぜ?」
「……常識なの?」
「常識だ」
「ふーーん。」


偏見に満ちた常識をさも当たり前のことのよう言い放つミズキであったが、その真偽をイルミは知りようがない。イルミは手にしていたガリンガリン君の袋をビリッと破ると水色の棒つきアイスを取り出すと、それを恐る恐るといった感じで口に運んだ。


「ん、美味しい。」


爽やかなソーダの味と、ジャリッとした氷の触感と爽やかなソーダの味が喉に心地よい。火照った身体に染み渡ってゆくようだとイルミは思った。


「だろ?」

ミズキは自慢げにそう言うと、自身のグレープフルーツ味のアイスを袋から取り出し口に頬張った。公園の道向こうで、移動式の屋台がパナトニアの夏のフルーツを観光客相手に売りさばいている。喧騒が遠ざかる。アイスを噛み砕くゴリゴリっという音だけが静かに二人を包みこんでいた。


「ねぇ、ミズキ。それは何のアイス?」
アイスを半分ほど食べた辺りで、イルミが声を掛ける。
「ん、これか?これはガリンガリン君のグレープフルーツ味だ。ソーダよりさっぱりしていて美味しいぞ?」
何ともなしにミズキは答える。


「ふーん、ね、オレにも一口ちょうだい?」


そういうとイルミはミズキの返事も聞かずに、アイスを持っているミズキの手をぎゅっと掴んだ。ミズキより一回りも二回りも大きい骨ばった男の手が、ミズキの手を優しく包む。重なった手からイルミの少し体温の低い温もりが伝わると同時に、イルミの絹のように美しい黒髪が視界いっぱいに広がり、ミズキは思わず息を飲んでしまった。


あっ……


彫刻のように整った顔が近づき、形の良い唇がアイスを口に頬張る。伏した目元を彩る長いまつ毛が頬に影を落としている。口をもぐもぐと動かしてイルミがアイスを飲み込むと、男性特有の喉仏がゴクっと上下に動いた。ミズキの膝にさらりと掛かった美しい黒髪が太陽の光を反射していて、それはまるで極上のシルクのようだった。


綺麗……


この時になってミズキは初めて隣に座る男が美しかったことを思い出した。今まで「ゾルディック」であることばかりに意識が向いていて、ミズキはイルミの美醜については全く考えていなかったのだ。無口で無表情。無機質と言ってのも問題ないほど人間味のない人間であったが、その鍛え抜かれた四肢も、整った顔立ちも、無駄のない洗練された動きも、何もかもが美しかった。それは芸術品の類に通じる美しさであった。


「ん、なかなかいける」


そう言うとイルミは首を捻ってミズキを見上げた。さらりと髪が揺れ、猫のような瞳がミズキを見つめる。う……上目遣い。ミズキは思わず後ずさりをしてしまった。血液がどんどん顔に集まってくる。無意識の行動に違いないのに、イルミの漆黒の瞳にじっと見つめられると変に意識してしまって仕方がなかった。



「……ミズキ?どうしたの?」
「……え…いや……な、何でもない!!そ、そ、それにしても今日は暑っちぃーなぁー!!」


誤魔化すようにベンチから勢いよく立ち上がると、ミズキは顔を扇ぎながら残っていたアイスをバリボリと口の中に掻き込んだ。勢い良く食べたせいで頭がキーンと痛んだが、それでもミズキはイルミの方を見ることはしなかった。



「まぁ、アレだな、アレ。お前は天然だってことだ」
アイスを食べ終えて一息ついたミズキがぼそりと言う。
「天然?オレが?」
突然の話題変換に、イルミが怪訝そうな顔で首をこてんと傾げる。
「あぁ、間違いなく天然。……もしくはタラシだ」


さりげないボディータッチに、キスが出来そうなほどの距離への接近。そして、極めつけはあの上目遣い。全く興味を持っていなかったミズキでさえそうなったのだから、あんな整った顔にあんな行動をされたら、妙齢の女性なら有無を言わさず恋に落ちているだろう。噴水で遊ぶ子供たちを眺めながらミズキは腕を組んで「うんうん」と首を何度も何度も縦に振ったのだった。


「お前、女だったら殺されてるぞ?」


あんな行動を無意識にする美女がいたら周囲の男の間でどんな争いが起こるのやら、考えただけで恐ろしい。流血沙汰も日常茶飯事だろう。白い入道雲を見つめたままそんなことを考え込むミズキをよそに、イルミは「ふーーん。」と興味ない返事を返すとそのまま手に持ったアイスを食べ始めた。青い空では観光客を乗せる飛行船が飛んでいる。穏やかな静かな時間だけが二人の間に流れていた。





「さぁーーてと、そろそろ帰るか!」


ベンチから勢い良く立ち上がるとミズキは大きく伸びをした。随分と長い時間、ベンチに座って話し込んでいたらしい。地面では、西に沈み始めた太陽のオレンジ色の光を受けて長く大きな影が出来ている。


「もう?」
「もう?……って、結構ここに居たじゃねーか」
「そうかな?」
「そんな顔すんなって。緊急ってわけじゃねーけど、調べ物とか手配とか、今日中にやっときたい諸々があってさ。ここからオレの街まで飛行船で四時間くらいかかるし、そろそろ飛行場に向かわねーといけねぇんだよ……」


傍目にはあまり変化がないのだが、わずかにしゅんと肩を落としているイルミに向かってミズキが諭すように言う。イルミは一見、無表情・無感情・ポーカーフェイスのように見えるがその実感情豊かで、この数時間でミズキはそんなイルミの感情の機微を幾分かは読み取れるようになっていたのだった。


「次は……」
「んーー、お前も仕事あるだろうし、オレにも仕事あるし……。次はいつって約束はできねぇーけど……ま、タイミングが合うようだったらまたこうやって遊ぼうぜ!」


今回、二人は"遊ぶ"と言えるほど大したことはしていなかった。ベンチに座って言葉を交わしつつ、ただぼんやり時間を過ごしていただけだったのだが、それでもミズキはなかなか楽しい時間が過ごせたと思っていた。ピンと張り詰めた糸のように常に気を張って生きているミズキにとって、策を練る必要も、取り入る必要も、出し抜こうとする必要も、そして、何かあった時に守らなくてはと気負う必要もないイルミとの時間は思いの外心地良く、殺しを生業にする暗殺者相手におかしな話であったが、イルミはミズキの中で「気の許せる」存在の一人になりつつあった。


「お前の船は飛行場にあんのか?」


噴水で遊んでいた子供達の代わりに手を繋いだカップル達の姿が増え、辺りも段々暗くなってきている。本格的に帰らなくてはーー。そう思いながら何気なくイルミに問いかけたその時だった、ミズキの側を一組のカップルが通り過ぎていった。


ーークッ、この香り……


匂いが鼻を突く。鈍器で殴られたような衝撃が襲い、ミズキはその場に膝をついた。突然崩れ落ちたミズキを通行人ーーガタイの良い四十半ばの男が訝しげな瞳で見る中、ミズキは口元を押さえながら今通り過ぎたカップルを鬼のような形相で見た。匂いの元は男の方から。年の功は二十歳そこそこ。付き合い始めなのだろう、互いが互いしか見えないといった様子で腕を組みながら無邪気に笑いあっている。


ーー違う……あいつらの匂いじゃないのに……くそッ……


バニラや金木犀を彷彿とさせる甘い香りながらもその奥に深い森のようなスパイスさが潜むその香りは「ちょっと癖があるけどいい香り」と思える範囲内の、ごく普通の香りだった。しかし、ミズキには違った。それは、思い出したくない嫌な記憶を引き摺り出す、おぞましい香りでしかなかったのだった。




[ 11.ひとときの語 らい 4/6 ]


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