53




「ゾ、ゾ、ゾ、ゾルディック!!」


茂みの葉っぱを頭に乗せたまま、ミズキはすっとんきょうな声を上げた。人差し指でイルミを指差し一歩二歩と後ろによろめくミズキに、イルミはふぅーと息を吐く。



「人を指差すなんて失礼だな。」
「お、おまっ、なんでこんなところに!?」
「ん?ちょっと近くに寄ったからね。」
「近くに寄ったからって……な、なんでオレの場所が……!?」
「ん、それは……ま、いいや。とにかく座りなよ。」


言いかけた言葉を途中で切り、イルミはベンチにゆっくりと腰をかけ、その隣をトントンと叩く。

ベンチに座る?ゾルディックの隣に? ミズキの背中に冷たいものが走る。ミズキには三つの間合いがあった。一つ目はミズキの愛用銃ベレットM84を使った遠距離攻撃の間合いで、だいたい20m〜50mほど。二つ目は水弾を使った中距離攻撃の間合いで、だいたい3m〜20mほど。そして最後はナイフを使った近距離攻撃の間合いで、だいたい腕の長さである80cm〜3mほどであった。イルミの隣は完全に三つ目の近距離攻撃の間合いに入る。そして、イルミは完全に"近距離戦闘特化型"の人間。つまり、ミズキの間合いということはイルミの間合いでもあるのだ。


隣に「座れ」ーーだと?


「立っている」状態より「座っている」状態の方が確実に初期動作にロスが出る。こんな近距離で体術的に劣る自分が隣に座って無事にいられるだろうか?ーー答えは否。イルミが本気で攻撃を仕掛けたら、ミズキは防ぐ術もなく鋲で心臓を貫かれてしまうだろう。


「あ……ああ、分かったぜ」


それでもミズキは「NO」と言うことが出来ない。隣に座ることを拒否したらーー自分が厳戒態勢にいることがバレたらーー、「ゾルディックに仇なす敵」という事になってしまう。「ゾルディックの敵」となることは、何が何でも避けなくてはいけない。ミズキは平常心を装いながらも何かあってもいいようにオーラを足に纏わせて、イルミの隣にゆっくり座った。


「…………」
「…………」


会話がない。どんだけ待っても相手が口を開くことはなく、しかもその無表情の顔からは何も読み取ることが出来ない。や……やべぇーよ、こいつ、怒ってんの? 連絡返さなかったから怒ってんの?それともオレが約束破るつもりだったことに気づいてんの? ミズキの背中に冷や汗が滝のように流れる。


「あ、あの……いい天気だな……」


無言に耐えきれなくなったミズキがそう言った瞬間、今まで一点の曇りのなかった真っ青な空で雷鳴が響き、真っ黒な雲が竜巻のような勢いで近づいて、大粒の雨を降らしては嵐のように去って行った。温帯冬雨気候ーーまたは夏乾燥温暖気候に属するパナトニア共和国は、冬に纏まった雨が降り、そして夏は砂埃が舞うほどに乾燥する地域である。真夏にこんな雨が降るのは、八月の東京でヒョウが降るくらい珍しいことであった。


な、な、なんで、このタイミングで……!


青い顔で口をパクパクと開け閉めするミズキの横で、イルミは突然の通り雨でしっとりと濡れた髪を気だるげに掻き上げ、「あーー……うん、いい天気だね。」とぼそりと言う。


絶対嘘だろ、お前それ絶対嘘だろ、そんなこと思ってねぇーだろ!?


突然降った雨以上に冷や汗が噴き出して、ミズキのTシャツがじっとりと濡れる。あーー、ヤバい、オレ死んだ、間違いなくオレ死んだわ。ゾルディックをおちょくるような事を言ったんだもう死ぬしかないだろう、あーーろくな人生じゃなかったな……でも、叶うなら最後に彼女を一目見てから死にたかっ、た……。そう思い目を瞑ったミズキの耳に遠くから声が聞こえる。


「……ぇ、……てる?ねぇ、ミズキ、聞いてる?」
「…………え?」


目を開けたミズキの眼前に広がったのは、彫刻のように整ったイルミの顔。黒目がちな猫目がミズキをじっと見ていた。


「え?え?」
「…………」
「あれ?……オレ、生きて、る?」


アホ面と表現して差し支えない間抜けな顔でキョロキョロ周囲を見るミズキに、イルミはふっと肩を震わせる。


「なに?オレがミズキを殺すとでも思ってたの?」
「いや……別に……そういうわけじゃ……」


さすがに「その通りです!」とは言えず、ミズキは口ごもってしまった。よく見るとイルミはオーラを纏っておらず、戦闘態勢とは程遠いリラックスした状態だった。敵意も悪意もないように見える。『ゾルディックの出現』で相当自分はテンパっていたのだろう。


「あーー、アレだアレ。白昼夢を見てたんだよ」
「白昼夢?」
「えーーっと、アレだ。変態的な奇術師に追いかけられる夢だよ、逃げても逃げてもケツを狙って追いかけてくる……そんな夢だ」
「あーー、それは大変だね。ゴシュウショウサマ。」


「ヒソカ、すまねぇ!」と内心でヒソカに謝るも、なんだかこの説明でイルミは納得したらしく、「変態的な奇術師ってのは世界共通で嫌がられるものなんだな……」とミズキはぼんやりと思った。


「それにしてもよゾルディック。お前はなんでこんな所にいるんだ?」
ミズキは今更ながら誰でも思い至る当たり前の疑問を口にした。
「……イルミ。」
「ん?」
「だからイルミだって。」
無表情な顔からは感情が読み取れないのだが、どうやらイルミは苗字呼びが気に食わないらしい。
「あぁーー……分かったよ。イルミさんは何でこんな……」
「イ・ル・ミ。」
能面のような顔をずいと近づけて、イルミは一言一言区切って言う。


「うわぁ〜、こいつ面倒臭ぇな……」なんて思いつつも、イルミの実力を知っているミズキは逆らうこともその感情を表に出すこともなく言う通りにする。


「イ、ルミ……は、なんでこんな所にいるんだ?仕事か?」
「ん?別に?仕事じゃないよ。」
「…………」


会話が続かない。二人の間に流れる沈黙がまるで針のむしろのようで、ミズキは「やっぱ、怒ってるんじゃねーか!?」と思い首をギギギと捻ってイルミを覗き見る。整った山なりの眉にすっと通った鼻筋に絹のように艶めく髪、そしてその美しさと相反して不気味さを放つ黒い瞳。感情が一切映らない。怒っているのか怒っていないのか、いや……その前にそもそも何を考えているのかすら読み取れない。だが何にせよ、ミズキを殺す気がないことだけは確かなようだった。


「あーー、お前、もしかして今機嫌悪かったりする?」
「別に?なんで?」
「いや……なんとなくそう思っただけで深い意味はねぇ。……あ、でもやっぱもう一つ聞きてぇ」
「何?」
「お前、今怒ってる?」
「怒ってないよ、なんで?」


イルミはきょとんとした顔で小首を傾げながら目をパチパチと瞬かせる。どうやら無表情なのも口数が少ないのも会話が続かないのも無意識の行動のようだった。この様子では、足音を立てないで近づいたのも動きが制限されるベンチに座らせたのも、別段意図があっての行動ではないのだろう。


「早とちりかよ……はぁぁぁ〜〜……」
背中を丸めながら大きく息を吐く。
「ん?どうしたの?」
「気ぃ張って損したって話だ!」
「気を張る?ミズキが?今、気を張ってたの?」
「いやいやいや何言ってんだお前、オレめっちゃ気ぃ張ってただろ?お前が出現してからずっと緊張してただろ?」
「え、そうなの?なんか変だと思ったけど、お腹痛いのかな?って思ってた。」
「ンなわけあるかーーっ!お前ちょっとは考えろよ、ゾルディックが突然現れて緊張しない裏の人間がどこにいるってんだよ!!」
「でも、この間屋敷で会った時は緊張してなかったじゃん。」
「し・て・た・だろ!!一歩間違えればお前に殺されてたんだ。むちゃくちゃ気ぃ張って、めちゃくちゃ頭使って、必死だったんだからなオレ!!」
「ふーん、そうなんだ。」


興味のなさそうなイルミの声に、ミズキが徒労感でがっくりと肩を落とす。この男と自分は根本から価値観がずれている気がする。昔どこぞの国の王妃様が「パンがなければケーキを食べればいいじゃない」と言ったそうだが、ミズキにとって目の前のイルミはその王妃様のように別世界の別の生き物のように思えた。


「お前とオレの実力差を考えろよ……今ここに座ってるだけでも、オレ、冷や汗もンなんだからな……」
「ミズキは弱いからね。」
「ちっ、げーーーよっ!!確かに実力差はあるがな!そもそもの原因はお前だろ!!殺気があるのかないのか、悪意があるのかないのか、その前にいったい何を考えているのか、それすら分からねーからどう対応していいか困ってんだよ!!!」
「あ、そうなの?」
「あぁーーーもぉーーーーーっ!!!」


ミズキは頭をガシガシと乱暴に掻いた。言いたいことがちっとも伝わらない。ヒソカも言葉が通じない人間の一人と言えたが、言いたいことを理解した上でわざと話を反らしてゆくヒソカに対して、イルミは全て自分の独自の価値観で判断していくため、まるで宇宙人に話しかけているような気分にミズキはなるのだった。


「何かどっと疲れた……」
「そう?」
「そうだっつーの……はぁ………でもよぉ、こうして会っちまったんだから仕方がねぇ……。なぁ、イルミ。オレな、お前に会ったら聞きたいことがあったんだよ」
ミズキはイルミに向き合って言う。
「何?」
「お前、オレをゾルディックの執事にしたいって言ってたよな……。アレ、本気か?」
「うん。」
「でも、お前さっきオレのこと弱いって言ってたよな?」
「うん。ミズキは弱いよ?」
「お前ンち換算でどれくらいだ?」
「うーん、うちのどの執事より弱いと思うよ?執事見習いレベルじゃないかな?」
「だろうな……。オレもお前の強さと……あとゾルディックに関する諸々の情報からオレのレベルはゾルディックの中でそれくらいだろうと思ってる。……あとさ、お前、オレの念見ただろ?」
「うん。」
「全部で二度?三度?見てると思うけど、ぶっちゃけたところオレの念って水を操るだけなんだ……。持ち運んだ水の量に依存する、しかも付加価値も付けてねぇ水見式に毛が生えたようなもんがさ、お前の……ゾルディックに役に立つとは思えねぇ……。それにさ、オレのこの場所が分かったのもお前んところの執事の力だろ?」
「…………」
「企業秘密ってか。オレな、この携帯名義ごと買ってるんだわ。名義人はケンジ・サトクリフ、オレとは縁もゆかりも無い人間だ。メールも電話も暗号化して流すようにしてるし、転送に転送をかけて使用電波帯も偽装するようになってる。そう簡単には足がつかない仕様になってる。……なのに、お前はオレを見つけた。つまり、ゾルディックには相当優秀な人間がいるってことだろ?」
「既存の電波帯を使ってるなら仕方がないよ。」
「既存のって……まるでゾルディックが専用の回線持ってるような言い方だな………って、マジか!?なに、ゾルディックって独自の電波帯持ってんの?まさか衛星回線!?」
「…………」
「はぁーーー、そりゃ衛星持ってる奴らに勝てるわけねーよ……って、話が反れたな。つまり、何が言いたいかっていうと、オレにはお前ン所の執事たちみたいにそんな得意技能はねぇってことだ。見習い程度の強さしかない、念もありふれたもの、しかもそれをカバーする得意技能もない、ただの体術がちょっと優れているだけのガキがゾルディックの執事が務まるとは思えねぇ。なぁ、イルミ……、本当のところお前オレのことどう思ってるんだ?」
「…………」
「あ、ちなみに、オレのゾルディックへの忠誠心は皆無だからな!」
「…………困ったな。確かにオレはミズキを執事にしたいと思ったよ?でも、こうして改めて考えるとミズキを執事にするメリットが見つからないな……」
「だろ?オレもお前がなんでオレに執着するのか意味わかんねーもん……」
「でもミズキみたいな男、側に置いといたら面白いと思うんだよね。」
「それってさ、『執事』である必要あるのか?」


ミズキの問いかけにイルミは腕を組み顎に手を当てる。何かを考えているようだったがおそらく結論はもう出ているのだろう。『ミズキを執事にするメリットはない』、これは間違いない真実だった。考え込むイルミに助け舟を出すようにミズキは言う。


「だからさ、オレ思うんだよね。オレとお前の関係は『友達』くらいがちょうどいいんじゃないかって」
「『友達』ーー?」
「うん、『友達』」
「……暗殺者に『友達』なんかいらない。」
「あーー、友達って言い方が悪かったなら謝る。けど、ほら、アレだ。ゾルディックにもいるだろ? 依頼によって手伝ってくれる外部の人間」
「外部サポートスタッフのこと?」
「そうそう、それ。技術的にお前を手助けできるワケじゃねーけどさ。お前の精神的?気分的?サポートっての。お前の気分を盛り上げる役っつーか、気の向いた時にこうやって会って話しとかして気晴らしをする相手ってやつ。……どうだ?」


気の向いた時に会って話をする相手ーー『友達』


その言葉を初めてミズキが発したのはイルミと二回目に会った時ーーガーネットの屋敷でのことで、それは執事にならないかと無表情の顔で迫るイルミを誤魔化すために言った出まかせの言葉だった。どうやってこの場を切り抜けようかばかりを考えていたその時のミズキはイルミと友達になる気はさらさらなかったのだが、今のミズキは違った。友達になってもいいんじゃないか。今のミズキは本気でそう考えている。

もちろんミズキには『ゾルディックの敵』にも『ゾルディックに与する人間』にもなりたくないという打算的な考えもあった。ゾルディックの益にも害にもならない「話し相手」くらいが落とし所として丁度いいと思っての会話でもあったが、実際会って話をしたイルミは噂で聞いていたような極悪非道で無慈悲な殺人者像とはかけ離れていて、『暗殺依頼』や『仕事を邪魔する人間』にならない限り意外と近づいても大丈夫な人間なのではないか、友達として関係を持っても大丈夫なのではないか、そういうプラスの考えも今のミズキにはあった。


「外部サポートスタッフか……うん。ミズキがそれでいいならいいよ?」
「そっか!」
「でも、仕事に関わらないんだから報酬は出ないよ?」
「ハッ、ンなもんいらねーよ!友達……じゃねぇ、気晴らし用の外部サポートスタッフにはンなもんいらねーんだよ」
「そうなの?」
「そうだって。んじゃ、手ぇ出せ、手」
「手?」
「そうそう、拳をこうやって前に」
「こう?」


ミズキはそっと差し出されたイルミの拳に自分の拳をコツンとぶつけた。そして、にかっと笑った。それはパナトニアに降り注ぐ太陽のように一点の曇りもない笑顔だった。


「んじゃ、これからもよろしくな!イルミ!」


それは、ライスのように庇護する存在でもない、同業者たちのようにお金を買いする関係でもない、初めて対等でいられる存在ーー『友達』が出来た瞬間であった。


「…………ん。よろしく。」


そう言ったイルミの顔は相変わらず無表情のままだったが、それがどこか嬉しそうに見えたのはミズキの見間違いではないだろう。黒雲が去った公園の空は、それはそれは抜けるように青い綺麗な空だった。




[ 11.ひとときの語らい 3/6 ]


[prevbacknext]



top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -