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ジリジリと太陽が照りつける。パナトニア共和国の夏は、日本に比べて湿度が低くカラッとしている。歴史上、イスラム国家にもキリスト国家にも支配されたことのあるこの国は西洋と東洋の文化が絶妙に混じり合っていて、そのオリエンタルな雰囲気残る街並みは旅行者たちに人気であった。ミズキの根城とするストックスや隣町のニュースティはどちらか言うと治安が悪くのんきな旅行者たちの姿は少ないが、飛行船で半日足を運んだ「ガストゥーヤ」の街では旅行カバンを片手に持った旅行者たちの姿がそこかしこにあった。


「8月30日にヨークシン集合、か……」


のんきな旅行者たちが行き交う公園のベンチで、ミズキは空を見上げてボソリと呟いた。今日は7月25日。毎月25日は支払いの日だった。ミズキは一時間ほど前にジョンに会い、今月の支払いと来月の打ち合わせを終えてきたばかりだったのだった。今月はジョンの用意する仕事以外の仕事での収入が多かったため目標の700万は難なく用意でき、ジョンを監視する雑費を差し引いても150万ほどを捜索資金に回せた。なかなかの快挙だ。張り詰めていた糸が少しだけ緩む気がした。しかし、そのせいだろうか、金稼ぎにいっぱいいっぱいな時は頭から締め出されている弱気が、ずぐんと頭をもたげ、ミズキはいつもは感じない身体を侵食していくような空虚をベンチに座りながら感じていた。


ーーいつになったら……


結論の出ない堂々巡り。胸ポケットから取り出した写真の中で彼女が儚げに笑っている。この写真がミズキの手元に渡ることを分かっているのだろう、彼女は自身がやつれていることも、手元の念具による見えない拘束も、その身を侵しているだろう苦しみをも全て押し殺したーー、そんな笑みをしていた。

だめだだめ、弱気になっちゃだめ。そう何度も言い聞かせるが、気持ちはどんどん落ち込んでゆく。ジョンの一方的な仕事の都合で呼びつけられたこの地は、ヨークシンほどではないが仕事で二、三度訪れたことがある程度でしかなく、ほとんど見知らぬ土地と言っても過言ではなかった。自分を知る人物も、憎い敵も、虚勢を張る相手もいない土地ーー。


「『私』、何やっているんだろ……」


『男』を装う必要も『オレ』という必要もないこの場所は、どうにも心が隙だらけになってしまう。ミズキは、いつもの斜に構えた態度でも小生意気な顔もしていないどこか気の抜けた顔で、情報収集用にと先ほど拾った週刊誌を片手に持ちながら、ぼんやりと空を見上げていた。

ブブブブブ……。ポケットにしまった携帯電話が震える。ミズキは鈍重に携帯の画面を開き、メール画面を開いた。


「げっ!」


そのメールを読んだ瞬間、ミズキは思わすベンチから立ち上がってしまった。ガタンと大きな音を立てて立ち上がったミズキにランニング途中のおじいさんが視線を送る。ミズキは左右をキョロキョロと見た後、ベンチに静かに座り直して、跳ね上がった心臓を落ち着けながらその問題のメールを再度見た。


ーーーー

FROM:イルミ=ゾルディック
SUB:re
ねぇ、うちに遊びに来るって約束したけど、いつ来るの?

ーーーー


簡潔かつ明瞭な一文に、冷や汗がダラダラと流れる。この間ゾルディックに遭遇した時、確かにミズキはイルミに約束をした。「雇われることは出来ねーけど、友達なら別に構わねーぜ。手が空いたときは仕事手伝ってやるよ」そう言っても引かないイルミに、「分かった分かった、今度お前の家に遊びに行くよ、それでいいだろ?」と、行く気もないのにその場を切り抜けるためにミズキはイルミにそう言ってしまったのだった。


ーーや、やばい、どうしよう


イルミにアドレスとホームコードを渡された時、一瞬「このまま連絡しないってのもありだな?」と思いもしたのだが、『連絡をしない→ゾルディックを欺いた→ゾルディックの敵』となるのが怖くてしぶしぶ連絡先を送ってしまったのだった。

ど、ど、ど、どうしよう……。先ほどの気の抜けた顔とは一変して、いつもの『便利屋のミズキ』の顔に戻ったミズキは、どう返事するのが最善か頭を巡らせる。新たな問題の浮上。一番最悪なのは、『ゾルディックを欺いたゾルディックの敵』となることだった。その次に避けなければいけないのは、『ゾルディックに与するゾルディックと仲の良い人間』となってゾルディックに恨みのある人間に敵対視されることだった。


仲良くなっても邪険に扱ってもいけない。付かず離れずの距離を保たなくてはーー。


そうだ、返事は三日後くらいがいい。相手が怒らない範囲で返信をどんどん遅くしてゆけば次第にあいつも興味を失うだろう。そう思ったミズキは大きく息を吐くと携帯をポケットにしまい、手に持った週刊誌を真剣な顔で開いた。情報収集の再開だ。

『清純派アイドルの闇の顔 〜肉欲だらけの芸能界〜』
『ハンター協会分裂の危機!?〜ハンティングに熱心なハンターは権力闘争にもお熱!?〜』
『成功者たちの資産運用〜これであなたも億万長者!?〜』


少々お下劣な煽り文句が並んでいるが、読んでいるのが中綴じにヌード写真が何枚も並ぶ週刊誌なのだから仕方がない。新聞の情報の方が信憑性があるのだが、こういった週刊誌の情報もなかなか侮れないのだ。


「なになに……ハンター協会内では、会長派と副会長派で分裂していて……醜い権力争いが……日夜広げられており……、会長派支持者の第一人者のモラウ氏は……」


ハンター語を読むのが苦手なミズキは声に出して読む習慣があった。内容はどうやら、ハンター協会内が二分しておりその間で熾烈な権力闘争が行われているとのことだったが、どうやらこれを書いた記者はハンター協会に良い印象を持っていないらしく、記事内では「ハンター」という人種がどれほど醜く権力含む「お宝」に貪欲か、「会長」と「副会長」がそれほど悪どい人間か、いうことが手を替え品を替え何度も繰り返し書かれていた。


「頭が痛ぇ……」


ミズキが遥か昔に、心源流の道場に通っていた男から聞いた「ネテロ会長像」とは完全にかけ離れている。道場に通っていた金髪碧眼のその男は、どれだけネテロ会長が清廉潔白で魅力的な人間か、熱っぽくとつとつと語っていたというのにーー。


「本選び、失敗したかな?」


本を閉じようとしたミズキの目に、別のタイトルが入り込む。『緊急特集!!〜ヨークシンオークションでの掘り出し物の見つけ方〜』、気になったのは掘り出し方の見つけ方ではない、『ヨークシンオークション』の一文だ。ジョンは先刻の邂逅で、真っ先にミズキの予定を聞いてきた。八月末と九月上旬の予定を告げるとジョンは「 8月30日から9月10日まで予定を空けておけ、ヨークシンで仕事だ、全てにおいて優先させろ」と言ってきた。

ヨークシン。ミズキは数ヶ月前、ジョンの指示で向かったヨークシンで、仕事の請け負いを装った目的不明のテストを受けさせられた。ジョンの「 ヨークシンで仕事だ」という言葉は、それの答えということだろう。結果は合格。ミズキは様々な人の思惑のーー、ジョンの思惑さえ絡み合うヨークシンオークションに潜入する機会を得たということに違いなかった。


ーー考えろ、考えろ、考えろ


一人につき200万を支払ってでも行われたテスト。たかだか人材の選別にそんなに金をかけるなんてよほどこの組織は人材不足なのだろう……、普通ならそう考えるだろうがおそらく違う。毎年オークションに参加している組織ならば、それなりの経験と伝手があるだろう、わざわざ人材集めに余計な金をかける必要はない。ならばなぜ? ミズキは考える。答えはおそらく新規参入する組織だからだ。……いや、あるいは、系列の人間・縁のある人間にはさせたくない仕事をさせるつもりか。

オークション開催中に地下で行われる闇オークションには世界中のマフィアンコミュニティが参加する。様々な組織がそれぞれの組織の人間を使って護衛・警備・そして他コミュニティーとの折衝を行う。『地上のいざこざは忘れる』それがマフィアンコミュニティー内の暗黙の了解だそうだが、実際はその裏で色々と取引や折衝が行われている。様々な組織の思惑が入り乱れるオークション開催中は、ミズキのようにどこの組織にも属していない色のついてない人間が必要なこともあるだろう。

そうやって思考の深いところで考えを巡らせていたミズキは、一人の男が近づいて来ることに気づかなかった。もっともその男は足音を全く出さずに近づいて来たので、普段のミズキでもその存在に気づくのは骨が折れただろうが、とにかくミズキはその男に肩を叩かれるまでその男の存在に気づいていなかったのだ。


「ーーッ!!」


突然肩を叩かれたミズキは、驚きのまま飛び上がってベンチの後ろの茂みに身を隠し、素早い動作で腰に括り付けたナイフの柄を握る。そして、激しく鼓動する心臓を落ち着かせながら茂みの合間からベンチの方をそっと覗き見た。


「や。」


そこにいたのは、長い黒髪を靡かせて右手を上げる猫目の男の姿。今、絶対に会いたくない人物の一人だった。


「ゾ……ゾ、ゾ、ゾルディック!?」


ミズキの素っ頓狂な叫び声が、長閑な公園の一角で響き渡ったのだった。



[ 11.ひとときの語らい 2/6 ]


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