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赤…赤…赤…
辺り一面赤かった。
地面も、壁も、私の手もーー。






11.ひとときの語らい







ハッと息を飲む。なんだか頭がぼーっとする。何が起こったんだろう? なんともなしに額に手を当てるとべちゃっと粘つく何かが付いた。生臭い匂い、なんだこれ……。霞のかかった頭で視線を落とすと、自分の手が指の先から肘先までぬるぬるした液体で赤く染まっているのが見えた。爪の間まで真っ赤になっている。


なんだこれーー。


周りの全てが赤かった。壁も、地面も、私の服も、私の両手も、全てが全て赤かった。全身が総毛立つ。頭がぐらりと揺れて足がふらつき、踏ん張った足元からぴちゃりと嫌な水音が聞こえた。なんだこれーー。足元ではおびただしい量の血だまりがあり、その中心では主のいなくなった服が人の形を残したまま横たわっていた。ロゴの入ったワンサイズ大きいTシャツも、迷彩柄のズボンも、さっき私を襲ってきた男が来ていた服に違いない。黒いもやに襲われ溶けてゆく男の映像が頭に鮮明に浮かび身の毛がよだつ。


あの男は死んだのか、死んだのだ。死んだ。死んだ。殺された。殺した、私がーー。


信じられなかった、自分がやっただなんて思えなかった、嘘だと思いたかった。でも、この手に付いた血が……この手に残った感触が……伝えていた、私が殺したのだと。


「うげぇ、うぇ……」


その場に崩れるように倒れこんで私は胃の中にあるものを吐き出した。何も食べていないのに、何も飲んでいないのに、内臓を掻き回すような気持ち悪さが次から次へと込み上げて、私は血が出るまで胃液を吐き続けていた。胃液の薄黄色が真っ赤な地面で色をじわじわと広げてゆく。血が発する生臭い匂いと胃液が発するすえた臭いとが混ざり合って、鼻がひん曲がりそうだった。内蔵を掻き毟りたくなるようなおぞましい感覚に、私は立ち上がることも顔を上げることも出来なかった。


「あ……あ……」


どっちが前でどっちが後ろかももう分からない。でも、もうこの光景を見たくなくて少しでも早くここから離れてくて、私はふらふらになりながらも立ち上がった。帰らなくちゃーー。でも、どこに? 自分がどこに帰りたくて何を求めているのか、もう分からなかった。ただ、もうここには居たくなかった。


「クル、ス……」


私は無意識に彼の名前を呟いていた。そうだ、クルスなら何とかしてくれる、助けてくれる、どうしたらいいか教えてくれる。そう、クルスにこの出来事を話そう、クルスならいい知恵を貸してくれる、解決方法だって見つけてくれる。クルスなら、クルスなら……。私は、一筋の希望を胸に足を引きずっていつもの修行場所に向かった。でも、そこで私を待ち受けていたのは救いの手ではなく、更なる絶望だった。


「なに……これ……」


辿り着いた私の目に入ったのは想像を絶する地獄絵図。耳をつんざめく阿鼻叫喚と、鼻がもげそうな程の血の臭い。一歩歩く度に、ぴちゃりと嫌な水音が鼓膜を震わした。言葉を失う。


「た……助けて……」


道の向こうで下半身のなくなった女が懇願の目を私に向けていた。はらわたが飛び出し、肋骨が飛び出している。助かるはずがない。私は堪らず目を反らした。少し経って息を引き取ったのか、視界の隅で女に襲いかかる黒い靄とどろどろに溶けた粘度の高い赤黒い液体が見えた。頭が狂いそうだ。


「クルス……ク、ルス……」


助けて、助けて、クルス、お願いだから助けてーー。目を閉じても、耳を塞いでも、鼻を摘まんでも、皮膚を通してこの惨劇が手に取るように伝わってきて逃げられない。助けて、助けて、助けて、クルス……。助けを求める息絶え絶えな人たちから顔を反らし私は肉片の転がる血だまりの中を進んだ。


「クルス……」


視界の先に金色の髪をした男の後ろ姿を見つける。半年以上一緒にいたのだ後ろ姿だけでも私には分かる、クルスだ間違いない。私は駆け出した。ああ、良かったクルスだ、これで助かる、クルスクルスクルスーー。私は身体の痛みも汚れた服も血を吸って重くなった靴も気にせずに走った。


「クルス……あっ!」


しかし焦りすぎたせいだろう、私はクルスまであと10mの所で足をずるりと滑らせてしまった。おっとっと……とバランスを取ってなんとか転倒を防ぐ。危ない危ない全然下を見ていなかったと、息を大きく吐いて自分を落ち着けたその瞬間、言葉にならない違和感が背中を駆け上る。


ーー水音?足を滑らすような何かが……足元に?


恐る恐る下を見る。そこは一面の血の海だった。服がついたままの肉塊がそこかしこに転がり、たまに落ちている長い髪や指の形残る肉片がそれらが元人間だったことを物語っていた。その血と肉塊の海の真ん中に彼はいたのだ。血の気が一気に引く。


「ク……ルス?」


私の声に見知った金髪の後頭部がゆっくりと振り返る。その顔、その髪、その瞳ーー。恐怖と驚愕で総毛立つ。私に念を教えてくれたクルスが、無茶をする私に「そんな気張んなよっ!」って優しく笑かけてくれたクルスがーー、瞳孔の開いた焦点の合わない瞳で笑っていた。血に汚れた顔。私を両目に映しながらも私のことが分からないのか、クルスは「クハッ……ケハッ……」と奇妙な笑い声を上げながら真っ赤に染まった手をこちらに伸ばす。



「クルス、クルス……どうしたの? ほら、私だよ?」



彼が一歩歩くたびに、ピチャリピチャリと粘着質な水音が鳴り、金色の髪が左右に不穏に揺れる。焦点の合わない瞳、釣り上がった唇、血まみれの両手……。彼の瞳は私を映さない、私の声は届かない。目から自然と涙が溢れる。悲しいのか苦しいのか自分でももう分からない。それでも、私は彼の名前を呼び続けた。


「クルス……クルス……クルス、クルスクルスクルスクルスーーーー」


息の続く限り呪文のように繰り返し繰り返し呼び続ける。ーーでも、本当は分かっていた。彼の姿を見た時から分かっていたのだ。



モウ 手遅レダト言ウコトヲ




私は彼の名前を呼びながらも、右手にオーラを込めたーー。零れ落ちた涙が血の涙で砕け散る。「クハッ」と短く笑い声を上げ、クルスは虚ろな瞳のまま大きく飛び上がって私に襲いかかる。オーラを込めた右手を振り下ろすクルスの動きが、まるでビデオのスローモーション再生のようにゆっくりと見えた。


嗚呼、クルスーーーー


最後に彼の名前を今一度呟くと、私は彼に向かって笑いかけた。悲しいとも寂しいとも苦しいとも言えない、全てを内包しながらも全てを隠し混む笑みをーーーー私はした。




辺り一面に華が咲いた

真っ赤な真っ赤な薔薇の華
ピチャッと音をたてながら
美しく美しく飛び散った





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