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「ヒソカさん、ヒソカさん、86番でお待ちのヒソカさん」


松葉杖をついた怪我人や腰の曲がった老人が道行く病院の待合室で、白い服に身を包んだ若いナースがヒソカの名前を呼ぶ。名前を呼ばれたヒソカは読んでいた週刊誌をパタンと閉じて立ち上がる。奇術師の格好とメイクをしたヒソカは皆の注目を集めるらしく、ヒソカが立ち上がった瞬間に待合室に座っていた何人もの人間がビクリと体を震わせた。


「ヒソカさん、奥の診察室へどうぞ〜」


若いナースが笑顔で指差した部屋の札の名前は「泌尿器科 診察室B」。瞬きをせずにじっとヒソカを見つめる者、口をあんぐりと開ける者、隣の人とこそこそと話す者、ヒソカと「泌尿器科 診察室B」の札を交互に何度も見る者と、反応は様々だったが皆が皆言いたい言葉をグッと堪えているのは誰が見ても明らかだった。その視線を物ともせずにヒールを鳴らしながら颯爽と部屋に向かって行くヒソカに、待合室の全員がゴクリと息を飲む。一拍の静寂。そして、扉がパタンと閉じた瞬間待合室の全員が同じタイミングで息を吐き、そして、顔を合わせて苦笑いしあったのだった。


「えっ……と、キミがヒソカさんかな?今日はどうしたのかね?」


扉から現れたヒソカのいで立ちに老医師は一瞬目を見開くが、そこは何千人と診察しているベテラン医師、何食わぬ顔をしてヒソカに問いかける。


「アソコが腫れてしまって……」
「ん?男性器のことですか?」
コクンと頷くヒソカを見て老医師は言葉を続ける。
「分かりました、では、診察をするのであそこの診察着に着替えて下さい」


老医師の指差す方向にあったのは簡単なついたてとカゴに入ったモスグリーン色の衣服。診断する者の心得として着替えの最中は視線を送ってはならない、老医師はついたての向こうからごそごそと衣擦れの音が立っている最中、着替えコーナーの一角には視線をチラリとも送らずに診察に必要な準備に勤しんでいた。しばらくして衣擦れの音が止み患者用の丸いすがキーと小さな音を立てた段階になってから、老医師は「もういいだろう」と医者の顔をしながら振り返る。

しかしそこで老医師を待ち受けていたのは想像を超えた驚愕の光景で、その光景に老医師は言葉を失ってしまった。振り返った老医師が見たものは、何と下半身を丸出しにして椅子に座るヒソカだったのだ。引き締まったふくらはぎと筋肉の盛り上がった太ももが、局部を全開にしながら銀色の丸イスの上にちょこんと座っている。医者の顔から眼鏡がずり落ちた。


「あ、あの……ヒソカさん?……そ、そこまでしなくても大丈夫ですよ。診察着を着ていただければ診察出来ますし……」
「あんなセンスのない服を着るのはごめんだね◆」


着方が分からないだとか、潔癖性ゆえに公共の衣服が着れないだとか、そういう理由ではなくただ単純に「センスがない」から着たくないというヒソカの開き直った態度に、老医師は顎が外れる思いだった。しかし、そこは百戦錬磨の老医師、ここでそれを突っ込んでは先に進まないことを知っていた。ズレた眼鏡を掛け直し、老医師は「えーっと、では、見せてくれるかな?」と冷静な顔を取り繕ってヒソカに向き直る。しかし、ヒソカの局部を見た瞬間、老医師は叫び声を上げてしまった。


「こ、これは酷い!!どうしたのかね、この腫れは!?まるで象に踏み潰されたみたいではないか!?」


ヒソカのアソコはミズキの蹴りを食らったせいでパンパンに腫れていた。局部を深刻な顔でじっと見る老医師の後頭部を上から見下ろしながら、ヒソカは「ククク……」と喉を鳴らした。


「これは愛の結果さ」
「……愛の……結果?」
眼鏡をクイと上げながら老医師はヒソカの言葉を繰り返す。
「そう、愛の結果さ。こんな風にしか愛を表現出来ない子でねぇ◆頬を染めながら蹴り上げる様子はイッてしまうくらい可愛かったヨ♣」


この言葉の内容が嘘か本当か分かりようがなかったが、体を抱き締めながら恍惚の表情で語り出したヒソカを見て、老医師は「あ、これは関わってはいけない人種だ」と思い即座に目を反らす。何を思い出しているのだろうか、腫れ上がっているにも関わらず案の定ヒソカのソレは形をなし始めていた。老医師は「これはあかん」と再度思い、医者の責務の完遂にのみに意識を集中させて機械的な声を上げるのだった。


「あぁ、そうですか。それでは、腫れを引かせる塗り薬を処方しておきますね。1日に数回、患部に直接塗ってください。それと、雑菌が入る可能性があるので、出来るだけ清潔にしてください」


この腫れは塗り薬・飲み薬の処方のみで治まる。手術の必要も何もない。医者として診断・処方が終えた今、老医師のすることは患者に注意事項を伝えるだけだった。言いづらい事だが仕方が無い。老医師はゴクリと唾を飲み、出来るだけヒソカと目が合わないようにしながら言葉を続ける。


「それから、治るまでは性行為も控えてください。特に……その……打ったり蹴ったり……というアブノーマルなプレイは、危険ですので……」
しかしながらその声は、言葉が続くに連れて小さくなっていた。
「今回は大丈夫でしたが……性器への強すぎる衝撃は、その、不能の原因となり得ますので……。パ、パートナーの方には……蹴ったり叩いたりする際にはもう少し手加減をするように……お伝え下さい……」


その言葉を最後まで聞いたヒソカは、舌で唇をペロリと舐めながらそれはそれは嬉しそうな顔をした。何かを企むように唇を釣り上げながら「そう……あの子に伝えておくよ♥」と言うヒソカに老医師の背中にゾクリと変な悪寒が走る。しかし、そこは医者歴の長い老医師、今すぐにでも逃げ出したい衝動に駆られながらも「……では、窓口で薬をお渡ししますので待合室でお待ちください……」と、医者としての言葉を絞り出したのだった。


「はぁ……なかなかの変態だったぁ、あの患者さん」


ヒソカが部屋から出た後、老医師は詰めていた息を大きく吐き出した。泌尿器科に駆け込む患者には様々な人がいる。しかし今回の患者は、服装といい対応といい会話といい、彼の長い医者生活の中でもぶっちぎりの変わり者だった。10時間越えの長いオペでも感じなかった疲労を、彼は今その両肩にずっしりと感じていた。


「変わり者……だったけど、あの人の相手をしている女王様の方が凄いんだろうな。彼の股間をあれほどまでに踏みつけられる人なのだから……。本当、世の中には色んな性癖を持った人がいるもんだ」


老医師が腕を組みながら一人うんうんと頷いていたその頃、ガラナス山の湖のほとりで、一人の少女が盛大なくしゃみをした。ヒソカを蹴りあげたせいで『変態を調教する女王様』の認定を受けてしまった少女は、鼻をズズッと鳴らしながら「あーーくそっ誰か噂してやがんな……ハッ、人気者は困っちまうぜ!」と一人呟く。

「……それにしても、ヒソカのあの顔。ふふっ……なかなか面白いもンが見れたぜ」


誰もいない湖のほとりでミズキはヒソカを思い出して一人笑いを零した。これであの変態が行動を自重してくれればいいんだけどな。そう思いながら太陽に向かって伸びを一つすると、ミズキは腰にくくりつけたボトルを手に取ってそれをゴクリと飲む。使えるオーラを増やす鍛錬の再開だ。「よっし、もうひと頑張りするか!!」快活な声でそう言うとミズキは湖の方にずんずんと歩いていったのだった。


そう、これがミズキの日常だった。たまにヒソカと交流をしながら昼にガラナス山で鍛錬し、夜に街で仕事をし、数時間の仮眠を取った後にライスの牛乳ビンに念を掛けてからまたガラナス山に戻って鍛錬をする。山、街、仕事、そして時々のヒソカ。この繰り返しが平穏とはかけ離れてしまった今のミズキのーークロロと決別したミズキの日常だった。今までも、そしてこれからも、彼女を見つけ出すまで続くミズキの日常ーーのはずだった。しかし、その日常はたった一本の電話によって簡単に壊されてしまうのだった。





「はい、ダスターカンパニー渉外部、ジョン=アンダーソン……って、なんだ貴方ですか」


髪を七三に撫でわけた蛇みたいな目つきをした男が、掛かってきた電話を取ってそう言う。電話の主に気を使ってだろう、ジョンと名乗った男は辺りをぐるりと見渡した後、電話の子機を持って渉外部のフロアから誰もいない喫煙所コーナーへと向かった。


「貴方がこちらに掛けてくるだなんて珍しいですね……え、電源?ああ、すみません、気づきませんでした。午前に面倒な案件があって話し込んでいたんです、たぶん、そのせいですね」


男は感情のない声で淡々と話を進める。しかし、電話の向こうの人物が何か言ったのだろう、ジョンは突然言葉をピタリと止めて「……あの子供を?ヨークシンのメンバーに?」と問いかけた。電話の主が何かを言っている。その言葉にジョンは何度か頷きそして事務的な声で「分かりました、必ずオークションまでにヨークシン入りさせるように致します」と言うと電話を切った。


「あのクソガキが選ばれるとはなーー」


ポケットから取り出した煙草に火をつけ紫煙混じりの息を吐きながら、ジョンは呟く。先月の支払いの日に見せたミズキの生意気な顔が、ジョンの脳裏をよぎった。あの小柄な子供が他の戦線たる候補者以上に役に立つとはジョンは思えなかった。しかしあの方の判断となれば指示に従うしかなかった。


「……仕方が無い、スケジュール調整をするか……」


そう言って少し短くなった煙草を灰皿で乱暴に押し消すと、ジョンは渉外部のフロアの方に向かって行った。幾人もの思惑が絡み合うヨークシンオークションが開催されるまであと一月半。欲深い魑魅魍魎たちが水面下で動き始め、ミズキの素知らぬ所で賽は投げられる。運命が加速するーー。もう、戻れない。





[ 10.背中越しの体温 5/5 ]



第10章終わりです。前章はクロロの心境の変化、この章はヒソカの心境の変化をテーマに書きました。あと、ほのぼの&ギャグへの挑戦。
シリアス・バトルから、ほのぼの・ギャグ、そしてエロまで対応出来るヒソカさんのオールマイティー具合半端ないですね!さすがですね、ヒソカさん!!




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