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「ヒ、ヒソカ!なに怒ってんだよ!?」


後ずさりをしながらミズキは上ずった声を上げる。いくら強くなっているとはいえ、本気を出したヒソカとミズキではその実力差には天と地ほどの差があった。突然オーラを発したヒソカに、ミズキは反射的にオーラを練る。


「ミズキ……」
地面を踏みしめる音と共ヒソカのオーラが不穏に揺れる。
「な、なんだよ。そんなにオレが休憩とってなかったのがムカついたのかよ!?」


状況が飲み込めていないのだろう、後ずさりをしながらそう言うミズキの顔には明らかに困惑な色があった。ボクの助言を無下にするくせに、見知らぬ誰かの接近を許すくせに、その人物に心を縛られ続けているくせに、なんだその顔は。何も分かっていないような顔で言葉を返すミズキの無神経さが、ヒソカをさらに苛立たせた。


キミはボクの青い果実。いつかくる「闘いの日」までボクを楽しませ続ける存在。ボクだけのもの。他を見ることは許さない。


ヒソカは懐からトランプを取り出し、それにオーラを纏わせる。それを見たミズキは不本意ながらも、キャップをキュポンと外して腰にぶら下げたボトルから水を取り出した。湖までの距離、トレーニングで疲弊した身体、数メートルしかない間合い、互いの戦闘スタイルの違い、全てにおいてミズキは不利だった。初撃をかわして、湖に全力疾走する。それしかヒソカから逃れる道はない。ミズキは、じりじりとヒソカとの距離を離しながら、ヒソカの一挙手一投足に細心の注意を払っていた。


一撃目をかわした後に、湖の水を使ってボクをやり過ごすつもりだろう?


ヒソカはミズキの全てを見通していた。疲弊した身体ながらも絶妙なオーラ配分をして切り抜けるための最善を取ろうとするミズキは正直称賛ものだった。配分されたオーラにはミリ単位の狂いもない。普段の戦闘ならそれはヒソカを興奮させる要素であるはずだった。しかし称賛に値するそのオーラ操作でさえ、今のヒソカには苛立つ要因にしかなり得なかった。


誰のおかげで強くなったと思っているーー。


苛立ちが加速する。思い通りにならないならいっそのこと殺してしまおうか。そう思いながらヒソカがミズキを見ると、ミズキは恐怖におののきながらもヒソカを真っ直ぐと見ていた。真っ直ぐすぎるほど真っ直ぐなミズキのその瞳には、もう迷いの色も困惑の色もなかった。理不尽に訪れる死だとしても、全力で生き抜いた上での死ならそれすらも受け入れよう。そんなミズキの想いが伝わるようだった。


「言っとくがな、オレがどんなトレーニングしようとどのタイミングで休もうとお前には全く関係ないことだからな! なんで怒ってるのかワケ分んねぇーが、それでもやるってなら受けて立つぜ?」


それはおそらくミズキの本心だろう。圧倒的な実力差を理解しながらも言い放ったその言葉には、嘘も偽りも取り繕いもなかった。貪欲なほどに「あの人」に執着するミズキにとって、どんだけ親しくなろうともヒソカは「全く関係ない」「眼中にない」存在なのだ。その事実に気づいた時、ヒソカの心の中で苛立ちとは別の感情が生まれた。胸の奥がシクシク痛むような感情。その感情は爆ぜる寸前だった苛立ちの代わりにヒソカの身体に広がっては彼を支配していった。


「関係ない、か……」


ヒソカはぼそりと呟いた。ヒソカとミズキの関係は、ヒソカがミズキを勝手に青い果実認定して一方的に追いかけ回している、そういう関係なのだ。ミズキがどこの誰を想っていようと、誰から貰ったプレゼントを身につけていようとも、確かにミズキが言う通りヒソカには全く関係ないことだった。心湧き踊る「闘いの場」で美味しく熟れた果実を握りつぶすことさえ出来ればそれでいいのだ。歴代の青い果実たちとの関係もそうだったし、これからも青い果実たちとはそういう関係であるべきなのだ。


それなのになぜだろう、この釈然としない気持ちはーー。


ヒソカは戦闘態勢を解除して、ミズキにくるりと背を向けた。「じゃあね、ミズキ」そう言うとヒソカは次の瞬間には姿を消していた。初夏の風が吹き抜ける。張り詰めた空気がなくなり、逃げていった鳥たちがピチュピチュ鳴きながら大樹の枝に戻ってくる中、ミズキはドサリとその場に膝から崩れ落ちた。


「なんなんだあの変態は……。本当に意味が分からねぇーー……」


その夜、ストックスでは繁華街にたむろする男数名が何者かに襲われるという事件が発生した。鋭利な何かで元の形が分からないほど切り刻まれたその事件は、実力あるものによる苛立ち紛れの一方的な殺戮だろうと地元の警察は推測していたが、その犯人はついぞ捕まることはなかった。その犯人が誰であるか、何が原因なのか、どうして起こったのか、ミズキがそれを知ることは永遠になかった。







ヒソカがミズキの元を離れてから二週間が経った。その間天空闘技場では、人気闘士ヒソカの数か月ぶりの闘いが見れるとあって、にわかに湧き上がっていた。対戦カードはヒソカVSゴン・フリークス。異例のスピードで200階クラスに登りつめた若き少年ゴンと、ミステリアスな雰囲気を醸し出す百戦錬磨の闘士奇術師ヒソカとの闘いは、天空闘技ファンならず一般の視聴者さえ魅了したという。


「おや……これは珍しい◆」


木陰の影で横になって休んでいるミズキを遠くに見つけてヒソカは呟く。天空闘技場でゴンとの血肉湧き踊る闘いを楽しんだヒソカは、ふともう一方の青い果実はどうなっているだろうかと思い、再びミズキのいるガラナス山に足を向けたのだった。最後に一目見てやろう。おそらくヒソカはそんな思いでいたに違いなかった。


「ミズキ……」


声を掛けるとミズキが薄目を開けてこちらを見る。"絶"をしない状態で近づいている以上、ミズキは少なくとも10mは前からヒソカの存在に気づいているはずなのに、それでもヒソカを見るミズキの瞳には「なんだ、ヒソカか……」と言ったような気だるさがあった。ヒソカの存在を認識しつつもミズキはふいと顔を背ける。その態度にヒソカの中で苛立ちが再度頭をもたげたが、その後そっぽを向きながら発せられたミズキの言葉たちにヒソカの苛立ちは立ち消えてしまうのだった。


「……ちゃんと取ってるからな」


ぼそりとミズキが言う。はて、何のことだろう? と首を傾げたヒソカの気配を感じたのか、ミズキは先程より少し大きな声を出す。


「休息っ!……ちゃんと取ってるからな」


ぶっきらぼうな物言いだったが、この間の出来事を気にしての発言だろう。見ればミズキが寝ている所は木で簡易的に作った寝床ではなく、この間ヒソカが手渡したハンモックになっていた。しかもここ数日使った感じの使用感ではない、少なくとも二週間くらいは使ってある感じだった。全くミズキはーー。胸のどこかにずっとあった苛立ちが、たちどころに消えてゆくのをヒソカは感じた。ミズキの寝ているハンモックにギシリと腰を掛けると、ミズキは何も言わずに目を閉じたままフンと鼻を鳴らした。どうやらヒソカを追い返す意思はないようだ。


「あと……アレだ……その、この間は悪かったな『関係ない』なんて言って……。その……お前は、関係なくなくはないぞ……」


途切れ途切れにしてミズキが言う。「関係なくなくはないーー?それは結局どっちなんだい、ミズキ?」そうヒソカは思ったが、それを口にすることはしなかった。代わりにヒソカは笑った。いつもの口を釣り上げるような笑みではなく、頬を緩ませる優しい笑みをーー、ヒソカはした。夏の爽やかな風が二人の間を駆け抜けていった。





二人の間に流れる穏やかな空気とさわさわとこぼれ落ちる木漏れ日がミズキを深い眠りへといざない、ヒソカがハンモックに腰を掛けてから10分としないうちにミズキはスースーと寝息を立て始めた。「……ミズキ?」とヒソカが声を掛けてもミズキが返事をすることはもうなかった。

ミズキが隣で無防備に寝ているという事実にヒソカは少し驚いた。人は睡眠時・性交時・排泄時・飲食時に警戒が弱くなる生き物で、その中でも睡眠は最たるものだった。常に危険に身を置いているミズキなら、誰かの隣で眠るということがどれほど危険か理解しているだろう。それにも関わらずミズキはヒソカの隣で寝たのだ。それほどまでに気を許しているという事だろうか。ミズキの本意は分からなかったが、これがミズキの「関係なくなくはない」の言葉の意味するところなのだろうとヒソカは思った。


「ミズキ……」


ヒソカはミズキの髪をそっと撫でた。それはまるでガラス細工を触るような優しい手つきだった。全くキミは本当に興味深い。未だに腕にはめた腕輪を外さないくせに、警戒心を丸出しにして「関係ない」と言い放てるくせに、それなのにこうやってボクに無防備に寝ている姿を晒したりもする。ミズキ、本当に興味が尽きないよ。ヒソカはミズキの頭を何度も何度も優しく撫でた。そんなヒソカの手がくすぐったかったのだろうか、ミズキは「んっ……」と声を漏らし、そしてにっこりと微笑んだ。それは虚勢のないミズキ本来の柔らかな笑みだった。目が離せない……。


ボクだけを見て
ボクだけに想いを向けて
ボクだけに触わらせて

キミを独り占めしたいんだーー


ヒソカはミズキの額にキスを落とした。触れるか触れないかぎりぎりの優しいキス。樹々に止まった鳥たちが楽しそうにさえずり、夏の太陽の日差しを浴びた湖の水がキラキラとその水面を光らせている中、樹にくくりつけられたハンモックがキシリと小さな音を立てた。





[ 10.背中越しの体温 3/5 ]


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