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「悪かったなぁ、ゾルディック…お前の仕事を奪っちまって」


男の息が絶えるのを見届けると、ミズキはイルミの方にゆっくりと振り返ってそう言った。割れた窓から入り込んだ風がミズキの前髪をふわりと揺らす。しかしイルミはミズキに言葉を返さず、自身の両肩を抱き身体を小刻みに震わせていた。


「ん?どうしたんだ、ゾルディック。」


動きに合わせて揺れる艶やかな黒髪が、シャンデリアの光をキラキラと映している。怪訝な顔をして覗き見ると、しばらくしてイルミがもう堪えきれないといった様子で笑い声を上げた。


「ん…ふっ…くっ…あっはっははははは!!面白い…面白いや、ミズキ!!」


突然の笑い声にミズキは身体をビクッと揺らす。無表情な顔のまま目を見開いて笑うイルミは、正直言って恐怖以外の何物でもなかった。「ホラーかよ……」と口には出さず突っ込みながら、ミズキはぶすっとした顔でイルミに尋ねる。


「ンなに笑ってんだよ‥…」
「‥くっ…ふっ…キミが想像以上に面白くて、嬉しいんだ。」


何がどう面白いのかよく分からない。とりあえず、ターゲットを殺したことは怒っていないようだ。ミズキはガーネットが倒れている側の机にどかっと腰を下ろして、不貞腐れた顔で笑い続けるイルミを見やる。


「ふぅ〜…あぁ〜面白かった」


笑っている時も笑っていない時も顔は変わらないんだなと冷めた目で一人突っ込むミズキに、笑い終えたイルミが振り返る。


「ミズキは…始めからこの男を殺すつもりだったの?」
「……いや、別に殺すつもりは無かったぜ?オレの依頼はこいつの調べたデータを入手することだからな」


仕事内容を敵に伝える事はご法度だったが、敵対関係が終わった今なら問題ないだろう。ミズキは血だるまになって倒れている男を見下ろして言う。


「でも、ま、 思い通りに動かねェ時は、脅すつもりではあったな」


「喉元にナイフ突きつけてな」と冷たく言い放ち、ミズキは腰から取り出したナイフを指先でまわし始めた。その様子をイルミは嬉しそうな顔をして見ていた。ナイフをまわしている様子をーーーというよりは、ナイフをまわしているミズキの指先を。そして、薄ら笑いを浮かべながら楽しそうに話しているミズキの様子を。


「でも、こいつ馬鹿だよなぁ、ゾルディックに狙われて生き残れると思ってんだもん」


指でナイフをはじき人差し指と中指でそれをビシッと受け止めたミズキは、どうせなら頭働かせてオレを金で買収するくらいすればよかったのに、とため息混じりに言って、手に持ったナイフをイルミに向かってヒュッと投げつけた。


「ふーん、金を積まれてたらオレと本気で殺しあったの?」
顔めがけて飛んでくるナイフを二本の指で受け止め、イルミは猫のようなその黒い瞳を少し細めながらミズキに問いかける。
「ハッ、冗談!!」
その言葉にミズキは両手を挙げて降参のポーズをする。
「100億ジェニー積まれたって引き受けねえよ!」
そのままミズキは、ガーネットの座っていた革張りの椅子にドサリと腰を下ろす。
「ゾルディックを殺すなんてアホな依頼、誰が引き受けるっつーんだよ」
今度はイルミから投げられたナイフをパシリと受け止め、ミズキは椅子に体重を掛ける。


イルミは「お、なかなか柔らけぇな、コレ」と椅子に興味を持ち始めたミズキを変わらずじっと見ている。ミズキの人を小ばかにした生意気そうな目も、良く回る口も、コロコロ変わる表情も、少し大げさな身振りも、どれもこれも面白かった。見ていて飽きないとイルミは感じた。


「……ねぇ、ミズキ」


熟考を終えたイルミは、唐突にミズキの名前を呼んだ。その声にミズキが、んあ?と言いながら顔を上げる。


「ウチの執事にならない?」


突然の脈絡の無い申し出にピシリとミズキが固まり、二、三度パチパチと瞬きをする。数秒後やっと言葉の意味を理解したミズキは「はぁ!?」と大声を上げて椅子から立ち上がった。







「ちょ、おまっ、何言ってんだよ!」
驚いた顔で、ミズキはイルミを指差す。
「最近、オレの仕事のサポートする執事がやめちゃってね。ミズキならいいかな?って思って。」
「だぁーかぁーらー、何がだよ!」
少しイラついた声で、ミズキは手を大振りに動かしながら尋ねる。
「ミズキ、ウチで働かない?…執事として。」
「はぁ?んなのヤだよお断り。つーか執事ってあの執事?『お帰りなさいませ、ご主人様』っていうアレ?お前ン家そんなンいるの?」
「いるよ。執事はだいたい20人くらいかな?使用人は全部合わせると6、70人はいるけど。」
「何それ!そんなにいンの!?金持ちだな…ゾルディック…」
暗殺ってそんなに儲かるのか…と呟きミズキは腕を組む。そんなミズキにお構いなしにイルミが言葉を続ける。
「そうそう、どうせならオレ付きの執事にしたいなって思ってるんだよね。」
「だからヤだって言って…」
「え、使用人がいいの?」
「いや、だから…」
「ミズキみたいな面白い人間を使用人風情にするのは気が引けるな。」
「使用人とかの問題じゃ…」
「あ、個別の雇用契約の方がいい?外部サポートスタッフとしてさ。」
「だからさ…」
「特別待遇にするよ、契約料も弾ませる。」


「だぁーーかぁーーらぁーーー、人の話を聞け!!!オレはさっきから嫌だって断ってるだろ!!!!」


人の言葉を聞かずに勝手に話を進めるイルミに、ミズキはとうとう大声を上げた。猫のように毛を逆立ててフーフー怒り出したミズキを見て、イルミはきょとんとした顔で目をパチパチと瞬かせる。


「え…嫌なの?」


今気づいたと言わんばかりに首をこてんと傾げるイルミに、ミズキが「何度も嫌だって言ってるだろ!!」とあらんかぎりの声を出す。


ゾルディックの執事になるのは非常に困難で、ハンター試験を合格する以上に難しいと言われているそれは、その給金の高さと知名度の高さから、裏社会の人間にとって上位マフィアンコミュニティーの大幹部になるくらい魅力的なことであった。ハンター試験に敗れた人間やマフィア間の権力争い負けた人間たちがこぞって応募するくらい人気職業であるゾルディック家の執事を、まさか断られるとは思ってもいなかったイルミは「そっか…嫌なのか…困ったな。」と言って口を閉ざした。

しかし腕を組んで何かを考え始めてから少しもしないうちに、イルミから寒々としたオーラが溢れ出す。その殺気にミズキは息を飲み、その身を強張らせた。


「オレ…ミズキが欲しいんだよね。何が何でも……ね。」



そう言うとイルミは威圧的なオーラを発しながらゆらりと動いた。









「ったく、何なンだよ、アイツは……」


星一つない曇天の寒空の下、所狭しと並んでいるれんが造りの屋根を掛けながらミズキは一人ごちた。「断ったからって、普通あそこで殺気だすかぁ〜?」と、ミズキは紙を丸めて突っ込んだポケットを触りながら言う。


「ホント危なかったぜ…危うく拉致られる所だった」


屋根と屋根の間を飛ぶように走りってガーネットの屋敷から5kmほど離れたミズキは、寂れた屋上で足を止めると、大きくーーーそれこそ魂が抜き出んほどに大きくため息を付いた。


「ホント、何なンだよあいつ……意味分かんねーよ」


雇用提案を断った時、ミズキはイルミに凄まじいほどの殺気を向けられ、危うく問答無用に拉致されるところであった。しかしミズキは「雇われることは出来ねーけど、友達なら別に構わねーぜ。手が空いたときは仕事手伝ってやるよ」と口八丁手八丁にイルミを宥めすかして、なんとかその場を切り抜けたのだった。その時イルミに、「これ、オレのメアドとホームコード。」と携帯アドレスとホームコードが書かれた紙を半ば無理矢理渡され、連絡を入れることを強引に約束させられたのだが、ミズキにとってそれはプレッシャーにしか感じられなかった。

ゾルディックと関係ができるということは、強力な伝手が出来る一方で凶悪な関わりが出来ることを意味していた。敵の多いゾルディックのこと、ゾルディックと関わりがあるというだけで敵対視して襲ってくる輩もうじゃうじゃいるだろう。これ以上の危険は増やしたくない。たった数グラムの紙きれが、ミズキには何キロもの鉛のように感じられた。


「あ゛ぁ…なんか色んな意味で疲れたわ…」


屋上の給水器に背を預け、ズルズルと力なくしゃがみ込む。時計を見ると今は夜中の2時15分だった。これからストックスまで三時間近く走り続ける計算になる。


「くそっ、その辺で寝てェよ……休みてェよ……」


イルミから受けた傷は皮下組織まで届いており、"練"で傷部分を強化しているとはいえ動かせば鋭い痛みがミズキの体を襲うのだった。


「チッ……痛ぇ……」


まともに動かせるようになるまで少なくとも半日は静かに"纏"をしなくてはいけない。ストックスに向かわずに今すぐ傷の治療に集中したかったが、ミズキにはそうは出来ない事情があった。


「ライスに会わねぇと……」


ミズキは喘ぐように呟いた。ミズキのディレクションウォーターは水が体内にある間だけ作用する念であった。汗や尿で体外に排出されてしまえば、効力はそこで終わってしまう。水は摂取してから2〜3時間後に排出され始め、三日後には95%の水が体外に排出されてしまうので、継続的に操るためには少なくとも2〜3日に一度は念をかけた水を摂取させなければいけなかった。


「ったく、面倒くせェ!どれもこれもあいつに念が効けば、こんな回りくどい手を使う必要ないのに!!!…………って、痛ててて……」



オーラがぶれたせいで、鋭い痛みがミズキを襲う。痛みにうずくまるミズキのポケットの中で、そっとしまった写真がその存在を知らせるようにくしゃりと音を立てる。「あぁ………」と小さく声を漏らすと、ミズキは服の上から写真に手を当て、苦しげに眉根を寄せた。大丈夫、大丈夫、忘れてない。忘れてないよーーー。服の上から写真をぎゅっと握る。




必ず必ず見つけ出すから
必ず必ず会いに行くから
必ず必ず助け出すから

待っていてください、私が助けるその日まで
生きていてください、私と再び会うその日まで

だからーーーーー



ミズキは空を仰ぎ見る。彼女のことを思うだけで、胸の奥が痛み出し、目頭が熱くなる。目を瞑ると大切で大切なあの人が瞼の裏で笑いかけた気がした。休むことは許されない。ミズキは傷つく体に鞭打って立ち上がり、走り出した。




「彼女を助けたい」
その一心でミズキは走り出す


しかしミズキは知らなかった

一筋の希望が潰えた時
その反動で襲い来る失意と絶望が
暗く冷たく果てしないことにーーー






[7.奪い合いの攻防 5/5 ]



第7章終わりです。イルミと再会、そしてバトル。強制的に連絡先を渡されこれから否応なくイルミとの関係が深まっていくのでしょうが、兎にも角にも、天然ボケなイルミさん可愛い///



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