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カチ…カチ…カチ…と、手に持った懐中時計の秒針が規則正しく時を刻んでいる。今夜ミズキが潜入している「ガーネット=クロウリー」の屋敷には、32個の監視カメラがあった。その映像を警備室にある8つのモニターで24時間監視しており、各モニターでは4つの監視カメラの映像が5秒ごとに切り替わる設定になっていた。つまりは映像が切り替わってからもう一度モニターに映るまで計算上15秒間の空白ができることになる。監視箇所が重なっているカメラもあるため実際は計算上の数字通りにはいかないが、それでもミズキは事前に手に入れた警備状況の情報から監視カメラに映らずに移動できるルートとタイミングを導き出していた。


「よっし、時間通りだ」


廊下の向こう側から姿を現したメイドの手に、銀色のトレーに並べられたスコッチウィスキーとチェイサーとグラスを確認すると、ミズキは静かにオーラを練った。コンサルティング会社「モトハスカンパニー」に勤めているガーネット=クロウリーは情報収集が得意で、難解な企業間取引を成功させた立役者として業界内では知られているが、その実かなりの小心者で、最近関わっている案件に関する重圧とストレスで毎晩アルコールを摂取しているらしかった。小心さが慎重さとなって仕事で成功している分にはいいかもしれないが、こういう心の弱い人間ばミズキの念の格好の餌食に違いなかった。


「キャ!!ねずみ!!!」


足元を通ったネズミにメイドの女が小さな悲鳴を上げる。ネズミに気を取られている隙に、ミズキはカメラの死角となっている天井から降り立ち、素早くメイドの背後からウィスキー瓶に手をかざし、念を発動させる。


【操られたマリオネット(ディレクションウォーター)】
【ターゲット:ガーネット=クロウリー】
【ディレクション:ファイル『M-41』がハッキングされ盗まれるのではないかという不安が限りなく増す】


ミズキのディレクションウォーターは水を介して相手を操る技である。しかしこれは対象者の肉体を強制的に動かす技ではない。むしろ、相手の意に反することが出来ない強制力の弱い念である。だが、だからこそ謀略にもってこいだと言えた。


『魔が差したーーー』


ミズキの念にかかった者は口を揃えてそう言う。考えたことがないわけでもない、そう思わなかったわけでもない、だけど普段は理性と感情で抑えているそれらが噴き出し居ても立ってもいられなくなるーーー。ミズキの念はそういう念なのだ。


その念がガーネットに作用したらどうなるであろうか。小心者のガーネットのこと、ファイルが盗まれてないか居ても立ってもいられないほど不安になり、自分でかけた厳重なロックを一つずつ外してその無事を確認するであろう。ミズキが事前に侵入した際に置いてきたメモリーカードにコピーを取るならそれでよし、もしコピーを取らなかったとしてもパスワードのロックを外した時点でガーネットを後ろから気絶させ、そのままファイルをコピーすれば今日の仕事は終了する。

ハッキング能力も相手を脅してパスワードを聞き出す必要もない。全てガーネット自身がやってくれるのだ。ミズキの『ディレクションウォーター』は念能力者や意思の強いものには効かないという弱点もあったが、ガーネットのような小心者を意のまま動かすにはぴったりの念だった。

ーーー86万ジェニー、楽勝だぜ。

情報屋に依頼をしたらたったの20万ジェニーしかミズキの手元には残らないが、自分でやれば取り分が4倍以上に跳ね上がるのだった。たまにはこういう楽な仕事で大金を稼がないとやっていられない。メイドがガーネットの書斎に入るのを見届けると、ミズキは廊下の天井から音もなく姿を消した。







警備室の天井裏の空気ダストの中で、ミズキは盗聴器を耳に当てながらじっと息を殺していた。ガーネットがウィスキーを飲み始めてから30分ほどが経つ。一回目の侵入時に仕掛けた盗聴器から、絶え間無く苛立たしげにキーボードを打つ音が聞こえてくる。10分前には携帯電話でどこぞの業者に「セキュリティーはどうなっている!本当に安全なのだろうな!?」と怒鳴り散らしているのが聞こえたので、念は順当に作用していると言えた。そろそろかーーー。そう思いミズキが身体を動かそうとしたその時だった、モニターの画面の一つが前触れもなく砂嵐になる。


「おい画面がおかしいぞ?故障か?」
警備員の一人が首を傾げて言う。
「そんなはずないだろう、先週点検したばかりだぞ?」
「いや、これ見ろって」
「あ…あぁ、くっそ、完全にいかれてやがるな」
もう一人の男が機材のコードをいじりながら返す。
「これ、カメラ側のコードが切れてるパターンじゃねぇのか?」
「チッ、面倒臭ぇ……」

口ではグダグダ言いながらもそういう不調を確認するのも警備員の仕事である。新入りと見られる年若い警備員が、他の男たちの無言の圧力に負け警備室から渋々出ていった。ところが「ネズミにでもかじられたんじゃねえか?」と呑気にコーヒーをすする男たちの隣で、モニターの画面が次から次へと消えて砂嵐となっていくではないか。何かが起きている。男たちは慌てふためき「緊急警報」の赤いボタンを押す。しかし鳴るはずのアラームは鳴らなかった。


「警備システム自体がダウンしているのか!?」
「なんだ……?何が起きている!?」
「取り敢えず現状確認だ、行くぞ!!」


残った男たちが警備帽を被り直してドタバタと部屋から飛び出して行く。先ほどまで何人もの人がいた警備室は、数秒後、しーんと静まり返った。誰もいなくなったのを確認し、ミズキは"絶"を解いて空気ダストの穴から降り立つ。モニターは相変わらず何も映さず、警備システムはいくらいじってもうんともすんとも言わない。


「なんだ?……強盗……か?」


腕を組みミズキは呟く。最近は軍隊並みの指示系統を持って盗みを働く強盗集団もいると聞く。監視カメラに映らずに警備システムをダウンさせているのだとしたら、相当手慣れている集団に違いない。ただのシステムの不調か、強盗集団がシステムをダウンさせたのか、はたまた別の侵入者がいるのか、今のミズキには把握のしようがない。相変わらず盗聴器の先のガーネットはこの状況に気づかない様子でミズキの目論見通り苛立たしげにキーボードを叩いているが、しかしながら、これを放置し続けたら自分の仕事に支障が出るのは目に見えていた。


「頼むからメインシステムだけはダウンさせんなよ!ネット切れちまうからな!!」


ここから向かうなら中庭を突っ切るのが一番早い。ミズキはいまいましげに舌を打つと警備室から飛び出しガーネットの部屋に向かった。





十数秒後、中庭に辿り着いたミズキは、気配を消しながら四階にあるガーネットの部屋をじっと見た。取り立てて変わった様子もなければ、盗聴先のガーネットにも変わりはない。しかし、ミズキは嫌な予感を感じていた。静かすぎるのだ。部屋を出て行った警備員たちはどうした。この屋敷の人間たちはどうなっている。嫌な予感で首の後ろがピリピリ痛んだ。


『ガタッ……』


盗聴器の向こうで椅子が乱暴に音を立てる。『き、君は誰だ!』ガーネットが誰かに向かって声を荒げている。やばい。ミズキはガーネットの部屋までのルートを瞬時に弾き出し、足にオーラを込め、ベランダと雨どいの出っ張りに足を掛けて一目散に駆け上がった。そしてそのまま窓ガラスに向かって頭から突っ込む。ガシャンと音を立ててガラスが飛び散る。ガラスの破片が宙を舞う中で、ミズキは目に"凝"をして部屋を見渡した。20畳くらいの広さの部屋に、年季の入った大きな机と革張りの椅子、壁に所狭しと並べられた数千冊にも及ぶ本、そして、椅子から立ち上がり入り口に向かって唾を飛ばしているガーネットと思しき男と、扉の向こうでたたずむ人影。この男が侵入者なのだろう。窓を突き破ってから床に着地する一秒と満たない時間の中で、ミズキは状況の全てを把握した。


ーーーくそっ!


視界の隅ではためくカーテンを、空中で体勢を整えながら後ろ手で掴む。そして床に足が着いた瞬間、ミズキはこのカーテンを勢い良く振り被った。カーテンに阻まれて何かがカシャカシャと落ち地面で音を立てる。間に合った。だが次だ。ミズキは息つく間もなく床を蹴って身体を返し、そのままガーネットに覆い被さった。


「き、君!いったい……」
「黙って!」

ミズキとガーネットの頭上を、何かが空を切り裂きながら飛んでゆく。ミズキは書斎のドアを睨みつけ、今度は男の首根っこを掴んで横に飛んだ。男が「ぐぇ!?」と蛙のような声を出して地面に倒れこむ。


「君、なにを!!」
床に頬を擦り付けながらガーネットが叫ぶ。
「後ろを見ろ!あんた狙われてんだよ!!」
ミズキは書斎の扉から目を離さずに言い返す。


その言葉に驚いたガーネットが今まで自分がいた所を振り返ると、そこには何本もの銀色の「何か」が刺さっていた。マチ針を何倍もの大きさにしたような鋭利なそれ。それはガーネットを狙って投げられたものだった。ミズキが庇わなければ、それは間違いなくガーネットの脳天を貫いていただろう。すんでのところでガーネットは命拾いしたのだ。張り詰めていた息を吐き出す。ミズキはこの武器に心当たりがあった。先日、護衛の護衛の仕事を請けた時に見たものに相違ない。ミズキの背筋に冷たいものが伝わった。


「あんた…よっぽど危ない橋渡ってるんだな…」


ごくりと唾を飲み込むと、口の中が緊張でペタついた。状況を理解していないガーネットがミズキと扉とを交互に何度も見ている。そんなガーネットをよそに、空気がしんと静まり返る。ミズキはオーラを静かに練りながら、扉の向こうに居る人物を思い浮かべて小さく呟いた。


「ゾルディックに暗殺依頼が行くなんて…よっぽどだぜ……」


古びた蝶番がギィーと音を立て、半開きになっていたドアが開いてゆく。絹のような美しい黒髪が動きに合わせてさらりと揺れ、扉の影から一人の男が姿を現した。表情のない顔に、猫のような瞳、そして手に構えられた何本もの銀色の鋲ーーー。護衛の護衛として「スターリッドファミリー」に潜入した時に出会った男の姿がそこにはあった。


「また、会えたね……ミズキ」


無機質な瞳をほんの少し細めて、目の前の男が言う。


「…イル、ミ=ゾルディ、ック……!」


ミズキの口から、絞り出すようにして声が漏れ落ちた。




[7.奪い合いの攻防 3/5 ]


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