31




ミズキは注がれた老酒を一気に飲み干した。酒の通過した喉と胃が次第に熱くなり、その熱がじわりじわりと手足に広がってゆく。まるで真夏日に冷水を一気に飲み干したような爽快感に、ミズキは目を細めた。



「ミズキ、どうだい?美味しいだろう◆」
心地良さにへにゃりと笑うミズキにヒソカが問いかける。
「あぁ、美味い!!こんな美味い飯は数年ぶりだ!!!」
『数年ぶり』その言葉にヒソカは眉をひそめた。ミズキの仕事内容と仕事量なら食事に貧するはずがないのに、ミズキは出会ってから今までずっとまるで浮浪児のような極貧の生活を続けている。なぜだろうか。
「ミズキ…キミ、毎月何にお金を使っているんだい?」
それは純粋な疑問だった。
「う〜ん…使ってるっつーか、使ってるわけじゃないんだけどなぁ……。でもやっぱ、使ってるのか……」
「なんだい、思わせぶりな事を言って。」
その言葉に一拍間を置いてからミズキが口を開く。
「あぁ…オレさ、毎月かなりの金が必要でな。稼いだ金は全てその支払いで飛んでいっちまうんだ。」
「支払いって…訳ありかい?」
「ま、訳ありだ。」
「……結構稼いでいるように見えるけど?」
ミズキの答えそうなギリギリのラインを感じ取っているのだろう、『訳あり』の内容をわざと聞かずにヒソカは会話を続ける。
「まぁ、稼いでるっちゃ稼いでるけど……。まだ、全然足りねぇ。」
「そう…なら仕事を紹介しようか?…裏の仕事だけどね ♣」
「…殺し、か?」
「うん、暗殺 ♠ パドキアにプロの殺し屋がいてね。知り合いなんだけど、前人手が欲しいって言ってたんだ♣」
「うーーー…ん、考えとく。殺しは出来るだけしたくねぇんだよな……。でも、ま、もしかしたら頼むかもしれないから、そんときは宜しくな!」
「もちろんさ ♠」


『殺し』をしない範囲での裏の仕事だなんて高が知れている。稼いで月数百万ジェニー。それが毎月『訳ありの事情』で飛んでゆく。自分自身にあまり執着しないミズキが自分のために金を使うと思えない。ならばその金はこの間ポロリと零した『人探し』の相手に使っているのだろう。『貯める』という言葉でなく『支払う』という言葉を使ったあたりから支払う『相手』がおり、手っ取り早く金稼ぎが出来る天空闘技場に行かないあたりから、その者との間に金銭以外の『何か』があるのだと推測できる。

目の前で肉まんにかじりつく子供は、自由奔放に見えてその実『何か』にがんじがらめに拘束されているのだ。ヒソカはキュッと唇を上げた。ーーこういう人間の方が『舞台』を作り上げやすい。どのようにその『舞台』を作り上げようか、それを想像するだけでヒソカはえも言われぬ興奮が背筋を駆け上ってゆくのを感じた。


「これも、うっめぇ〜!!…むぐ…ん……ヒソカの知り合いって強そうだよなぁ。」
ヒソカの考えなど露知らず、ミズキが言う。
「お前も強いしさ……ん、ヤバ、中のタケノコがうめぇ……なにお前って、ガキの頃からそんなに強かったンか?」
「ん―…ミズキくらいの年齢には念が使えたし、普通の人間には負けなかったね。そうそう、ミズキが念を覚えたのはいくつくらいの時だい?」
出来ることならその『何か』を掴んでおきたい。ヒソカは思惑を隠しながら問いかける。
「念?念かぁ……。」
ヒソカの問いかけを聞いているのかいないのか、ミズキはグラスに注がれたお酒をおぼろげな手つきで手に取るとクイッと一気に飲んでゆく。
「ぷっはー、美味い!!…って、アレ?もうねぇのかよ」
「それが最後の一杯だったんだよ、ミズキ」
「ンだよ、つまんねぇーの。おい、ヒソカ。他のもンはねぇの?オレはまだまだい・け・る・ぜ!」


語尾に星でも付きそうなくらいの高いテンションで言うミズキは酔っ払いそのもので、これ以上お酒を飲ませたら深く泥酔することは誰の目から見ても明らかだった。それにも関わらず、ヒソカはミズキの言葉に従ってメニューに目を通してゆく。酒が口を軽くするのは万国共通、それにもう一方の目的のためにも酔わせた方が何かと都合が良い。ヒソカはウェイターを呼び止めメニューを指差しながら何かを注文した。


「さぁ、どうぞお飲み。」


運ばれてきたそれは白酒の一種で、アルコール度数は50度とどんなに酒が強い人間でも数杯も飲めば確実に泥酔する代物だった。しかし、ミズキはまるで水でも飲むようにゴクゴクと飲んでゆく。舌がもう麻痺しているのだろう。その証拠に酒の強さも分からずに飲んでゆくミズキの瞳はさらに潤み、その頬は赤く染まっていた。


「ぷっはぁ〜、うめぇ。…っと…何の話をしてたんらっけ?あぁ、そうそう念についてだっけな。…念…念はなぁ、生まれる前から使えてたんだぁ」
にへらとミズキが笑う。
「生まれる前からって…ミズキ、相当酔ってるね◆」
「違うって…ヒック…生まれる前にぃ、修行して身に付けたんだって……」
「嘘ばっかり♠」
「嘘じゃねぇって」
「いいかい?ミズキ。生まれながらに念を使える能力者は世の中に存在するケド、そのほとんどは特殊な生まれか先天的な特質系だけなんだ。ミズキの念は特質系ではないだろ?」
「ちっげーよ、特質系なんかじゃれぇーよ。ヒソカも知ってんだろ?」
「放出系寄りの操作系、そして操作するのは液体♣」
「ほら知ってんじゃねぇか。んなら聞くらよぉ。」
「何か特別な血を引く人間……に見えないし」
ちらりと視線を送る。
「当ったり前だろ?オレは一般家庭の生・ま・れぇ。念は修行して身につけたんらからなぁ。」
「さっきと言ってることが真逆じゃないか。」
「真逆ぅ〜?……ヒック…。ンなワケれぇよ、全て真実らっつーの。」
「ハイハイ◆」



念の発現はその人間に深く関わるものだ。その人間の気質や性格、それに好きなものや執着しているもの欲しているもの、そういうモノが大きく関わってくる。念の発現を紐解くことが出来ればミズキの『何か』に近づくことが出来る、そう思い質問したのだがヒソカの思惑を知ってか知らずかミズキは的外れな答えを返すばかりで、椅子の後ろ足に体重をかけて体をゆらゆらち動かしているその姿はもう質問に答えそうな雰囲気ではなかった。


「ヒソカぁ、なにお前飲まねれぇの?」
酒が変な風に回り始めているのだろうか、ミズキは涼しい顔で目の前に座るヒソカに絡み出した。
「飲んでるよ◆」
「ンの割りには進んでねぇじゃれぇか。オレの酒が飲めねぇってかぁ?」
「あぁ、飲むよ飲む。それより、ミズキ、ここはボクの奢りなんだ。好きなだけ食べてお飲みよ♠」
「お、そうか?悪いな…んらぁ、もう一杯」


上手いこと流されていることにも気づかず、ミズキはヒソカの進めるままにお酒を飲み始める。そんなミズキを見てヒソカは自身の唇をペロリと舌を舐めた。『何か』に迫る事は難しそうだがもうひとつの『狙い』の方は順調だーーと。

ホテルに入る際に「お客様の格好では……」とホテルマンに暗に入店を断られたミズキは今、階下のブティックでヒソカが選んだスーツを着ていた。ヒソカの選んだレストランで、ヒソカの選んだ服に身に纏い、ヒソカの選んだ料理を食べ、ヒソカの選んだお酒で酔っ払っている。全てヒソカの思惑通りだった。ご機嫌にお酒を飲んでいくミズキを尻目にヒソカはウェイターを呼びつけその耳元に小声でなにかを伝えると、ウエイターは「かしこまりました」と小声で返事して小さな鍵を机の上に置いて行った。


「ねぇ、ミズキ。もう、料理は終わりだって。」
猫なで声でヒソカが言う。
「えぇ〜、早ぇよぉ〜。オレは、まらイケるのに…」
「じゃぁ、場所を変えて飲もうか ♣」
「お、さぁ〜すが、ヒソカ〜!分かってんらねーか」
「そう…上に部屋を取ってあるんだ♠」
「んあ?何か言ったか?」
「いいや、早く行こうって言っただけさ ♣」
「おっしぃ、早く次のトコ行くろぉ〜!へっへっへ」


テーブルに置かれた部屋のキーをカチャリと手に取り、ヒソカはミズキの側に立った。「さぁ、行こうか◆」そう言ってヒソカはミズキの腰にさりげなく手を回して歩き出した。ヒソカがエスコートする道は窓や出入り口から離れており、たとえミズキが考えを変えて逃げ出そうとしても叶わない、そんなルートになっていた。







レストランを出たミズキは真っ直ぐ歩けないらしく、右にふらふら左にふらふらとしている。「ミズキ、危ないじゃないか◆」とヒソカに抱き寄せられても、ミズキは腕の中で「大丈夫ぅ〜」と大丈夫じゃなさそうな様子で答えるだけで、自分自身が完全に脱力していることも、無防備にヒソカに体をもたれかけていることも気づいていない。

アルコールは様々な抑制を外す。アルコールによって普段抑えている"素"の部分が出ると言うならば、小生意気な返しをするわけでも小馬鹿な笑いを返すわけでもない今のミズキが、"本来のミズキ"に近い状態なのかもしれなかった。塗り固めた鎧が一枚一枚と剥がれていくようなこの過程は、まるで夜を共にする相手の衣服を一枚一枚と脱がせてゆく過程に似ている。ヒソカにとって、相手との距離をじりじりと詰めてゆく過程は愉しみに満ちた前戯と同義なのだろう。


「これじゃ歩けないじゃないか♠」
腰にもたれかかるミズキに少し困ったように言うと、ミズキは「だぁ〜いじょ〜ぶらって、ヒソカは力持ちだからぁ」と言ってケラケラと笑った。
「ミズキは酔うと可愛くなるね◆」
そう言うとミズキはキョトンした顔で見上げ「ん〜?何か言ったぁ〜?」と返す。その顔に警戒心は一切ない。笑いを噛み殺せそうにない、とヒソカは口角をくっと上げた。


ーー早く良い声で啼かせたい…◆


そんなヒソカの思惑も知らずに、ミズキは廊下の真ん中にペタンと座り込む。
「ひぃ〜そぉ〜かぁ〜、まだぁ〜??もう歩けにゃぃ……」
無防備そのもののミズキをヒョイと持ち上げて抱きかかえる。
「しょうがないな◆連れてってあげるよ。」
「あはは♪お姫様だっこだぁ〜」
自分の身に危険が迫っていることに気づいていないのだろう、ミズキは筋肉のついたヒソカの首筋に腕を回して、楽しそうに声をあげていた。


「ん〜、着いたのぉ〜?」


ベッドにそっと降ろされたミズキは、とろんとした瞳で辺りを見渡して言った。キングサイズの豪華なベットにぼんやりと照らされた照明、官能的なムスクの香りが充満するそこは明らかに「飲み直しをする場所」ではなかった。


「ミズキ、ジャケット脱ごうか。せっかく買ったのにシワになっちゃうよ◆」
違和感に頭を傾げながらミズキは促されるままに腕を動かしてジャケットを脱いでゆく。
「ねぇ、ミズキ。男が服を買い与える理由ってなんだと思う?」
ジャケットをハンガーに掛けながらヒソカがミズキに問いかける。
「え……と、理由?」
ぼんやりとした顔で首を傾げるミズキのネクタイにヒソカが手を掛ける。
「ミズキ、次はネクタイ取ろうか…苦しいだろ?」
「べ、別…に、苦しくねぇよぉ?」
ネクタイをシュルシュルほどきミズキのシャツのボタンに手を掛け始めるヒソカに、ミズキは眉を寄せた。


「ひぃそかぁ、何で服脱らすの!?」


ぼんやりとした違和感が、明確なものとなってアラームを鳴らし始めるのを感じ、ミズキはボタンを外そうとするヒソカの手に自分の手を重ねた。しかし、その手には力がなく、ヒソカの指の動きを止めることは出来ない。


「何でって…服を脱がさないとヤれないじゃないか◆」
「……やるって…なにを?」


まだ呂律の回らない舌で、ミズキは当たり前のように浮かんだその疑問を口にする。状況を理解していないミズキを見て、「何をって……」と途中で言葉を切るとヒソカは不敵な笑みを浮かべた。そして、ミズキの耳元に唇を寄せ、掠れた声で囁いた。



「ーーーーsexだよ♣」



その言葉にミズキが目を大きく見開く。誰も立ち入ることのない密室でベットの上に座らされた自分、しかも酔って思うように力が入らないとくれば、どんなに思考の働かない今の脳味噌でも自分自身が非常に危険な状況にいることは理解出来た。ーーー図られた。そう思ってみても、食欲に負けてレストランについて行き、ヒソカの勧められるままお酒をしこたま飲んだのはミズキなのだ。後悔してもしきれなかった。


「ヤッ、は、はられろぉ……」


襟元を両手でキュッと掴み、ミズキは駄々っ子の様にイヤイヤと頭を振った。



潤んだ瞳
紅くなった頬
荒い息
半開きの唇
力の入らない肢体
呂律の回らない口
小動物のような怯えた表情
首もとから覗く上気した肌



ミズキ……

ボクを煽っているのかい?



ヒソカは上唇を舌先でゆっくりと舐めると、「逃がさないよ◆」とでも言いたげな様子でベットに足を掛けた。ギシとベットのスプリングが音を立てる。


「ヒソカぁ、てめぇ〜いい加減にしらいと怒るろぉー」


手を振り上げて睨みつけるも、酔いに飲まれたミズキの視線に迫力はない。むしろ、怒気よりも怯えの隠れるその瞳はヒソカの加虐心を加速させた。


「ククク、逃げたければ逃げればいいし……」
ベットの上でじりじりと後退するミズキを追って、ヒソカはさらにベットに足を掛けた。ギシッと音が立つ。
「殴りたければ殴ればいいよ……」
薄暗い照明がヒソカの横顔を照らし、敷かれた布団がヒソカの加重によって幾筋かのシワを作る。


「……ま、それができたらの話だけどね◆」


ヒソカは怯えた瞳で睨みつけてくるミズキの肩をトンと軽く押した。ただそれだけで、力の入らないミズキはベットにドサッと倒れてしまった。そしてそのままミズキの上に覆い被さった。


「ひ、ひそかぁ!冗談はやめろろっ…はっ、はらせよぉ」


ミズキは力の入らない四肢をバタバタと動かすが、どんなに暴れても体格差のあるヒソカの体はビクとも動かない。胸元をドンドンと叩いて暴れるミズキをヒソカは楽しそうに眺める。全体重91kgあるヒソカに馬乗りにされては小柄なミズキには勝ち目がなかった。ヒソカが少し指に力を入れ肩を掴むと、ただそれだけでミズキは動けなくなってしまった。


「ボクの勝ち◆」


そう言うとヒソカはミズキに唇を性急に塞ぎ、そのまま舌をねじ込んだ。口内をまさぐり、舌を吸いあげ、荒々しく蹂躙する。


「ん…ふっ…く…」


酸素を求めて塞がれた口の代わりに鼻で息をすると、想定外の甘い声が漏れてしまった。自分の声ではないような甘いその声にミズキは目を見開く。頭を振ってヒソカ舌から逃げようとするが、馬乗りで全体重を掛けられ肩を掴まれ顔を固定された状態では逃げようがない。自分がなぜこんな状況になっているのかどうしたら逃げられるか酔いで霞のかかった脳では考えることも出来ず、ミズキは「舌に噛み付く」という事も思いつかないまま、なすがままに口内を蹂躙された。

十数秒後、満足したヒソカが唇を離すと、一本の銀糸が二人の唇を繋いだ。



「クックックッ、可愛らしい声だね。もしかして感じちゃったのカイ♠」
「ふっざけるな!!そ、そんらことあるか!!は、はらせぇぇ!!」
唯一動く顔を動かし、ミズキは全力で否定する。敵わないと知りながらなおも抵抗を続けるミズキを、ヒソカは恍惚の表情で見下ろしている。


「クックックッ…暴れたかったら暴れていいんだよ、ミズキ………ボクはそっちの方が燃えるしね♣」



そう言うとヒソカは、またミズキの唇を問答無用に塞いだのだった。




[ 6.中華料理の罠 3/4 ]


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