28




突然聞こえた耳を疑うヒソカの言葉に、ミズキは目をパチパチと瞬かせた。


「…えっと…ヒソカさん?…今なんか変な幻聴が聞こえたんですけど…もう一回言って貰えます?」
と、ミズキはなぜか敬語で聞き返した。
「聞こえなかったのかい?ボクにキスをしてって言ったんだ◆」
その言葉に、ミズキは理解出来ないと言った顔で頭をポリポリと掻いた。
「えっと…、意味がわかんねぇんだけど…、一応聞くぞ?」
「どうぞ◆」
「誰が?」
「キミが♠」
「誰に?」
「ボクに♣」
「な、何を?」
「キスを◆」
「………」
がくんと口を大きく開けたまま言葉を失うミズキに、ヒソカが追い打ちをかける。
「ーーキスをするのさ。 ミズキに『できること』、だろ?」



ヒソカが確信的な笑みをする。


「まさか出来ないのかい?そんな難しい事じゃないだろ?ボクの唇にちょこんとキミの唇を付けるだけじゃないか♠」
「…………」
「それとも何かい、この一件でボクに借りを作るつもりかい?」
「ぐっ……いや、てめぇに借りを作るなんて死んでも嫌だ……。」
「なら結論は出てるじゃないか◆」


ミズキは押し黙ってしまった。


「なぁ、ヒソカ!それ以外に何かねぇのか?肩揉みとかパシリとか、オレなんでもやるぞ!」
「だから、ミズキが『何でもやる』と言うからキスをリクエストしてるんだろ?」
「………」


盛大な墓穴を掘ってしまった自分にミズキは後悔するも、全ては後の祭りだった。気まずい空気が流れる。


「ぐ……くそっ……、う、分かった……。」
観念したように呟くとミズキは
「ただし!一回だけだからな!!こんな願いを聞くのは金輪際ないからな!!!」
となぜか怒りなからそう叫ぶと、胡座をかいて座っているヒソカに荒々しく近寄った。スーハースーハーと大きく呼吸をする。
「ミズキ、分かっていると思うけど、唇だからね◆」
と、ヒソカが自分の唇をちょんちょんと触りながら言う。
「わ、わかってるよ!」
唾を飛ばしながらそう言うと、ミズキはヒソカの両肩をガシッと乱暴に掴んだ。



二人の顔が、50cm、30cm、20cmと近づく。ミズキの指先がヒソカの肩にギュッと食い込む。鈍い痛み。しかしヒソカはその痛みさえ楽しんでいるように目をキュッと細めた。







15cm、12cm、10cmと、二人の唇が近づく。しかし、あと10cmというところでミズキの動きがピタッと止まった。戸惑っているのだろうか、ミズキの荒々しい鼻息がヒソカの前髪を揺らした。



「どうしたんだい?」
「だぁーーーーーー!!!!!」
頭を抱えてミズキが仰け反る。
「な、なぁヒソカ!?コレってオレからやらないとダメなのか!?お前からやるのをオレが受け入れるっつーのじゃダメなのか!?」
挙動不審な動きをしながら一気にまくし立てるミズキに、ヒソカはにんまりと唇を上げる。

「ダメダメ◆」と勿体ぶった声で言葉を返すヒソカの顔には、「嫌がるミズキが羞恥に悶えながら自分からってのがいいんじゃないか」という思いがありありと滲み出ていた。


「分かった…」


ミズキは大きくため息を吐くと、まるでピーマン嫌いの子供がピーマンを食べる時のように「んっ」と息を止めた。そしてそのまま勢い良くぶちゅっとヒソカの唇にキスをしたのだった。



「……もう少し色っぽく迫ってくれてもいいのに♣」
直ぐに顔を離したミズキに、ポリポリと頭を掻きながらヒソカが言う。
「う、う、うるさいな!これでいいだろ!!」
そう言い放ちぷいっと背中を向けたミズキの耳は、遠目からでも分かるほど真っ赤になっていた。
「これで、今回の事はチャラだからな!いいな!!」
念を押すようにそう言う放つとミズキは、振り返りもせずにそのまま森の奥に荒々しく歩いていった。


「ホント、ミズキは美味しそうだ。」


ミズキが森の奥に完全に消えた後、ヒソカは自身の薄いその唇を三日月に吊り上げながら呟いた。


「そう、……色んな意味でね♥」


新緑が芽吹き出した森を心地よい風が吹き抜ける。その中で、ヒソカは体を震わせていた。湧き上がる欲望を抑え付けるように自身の体を抱きながら。クックックという不気味な笑い声を上げながら。


「あぁ、ミズキ。骨の髄までしゃぶりたくなるじゃないか◆」


そう言って唇をペロリと舐めたヒソカの瞳には、何かを決意したような鋭い光が宿っていた。











同時刻、イルミ=ゾルディックはとある屋敷の絢爛豪華な廊下を一人で歩いていた。

大理石の床に赤い絨毯、重く垂れ下がったシャンデリアに調度品の数々。過剰に装飾されたその屋敷の中で静かに響き渡るイルミの足音は、その空間の異質さをより一層際立てていた。

規則的な靴音がコツっと止まる。


「出ておいでよ。」


抑揚はないがしかし迷いなく放たれたイルミの言葉に、今まで誰も居なかった空間から一人の男が出て来た。殺意の篭った目でキッとイルミを睨みつける。


「よくも……、よくも、パパディーノを殺したな…。突然現れて仲間たちを容赦無く殺していきやがって……許せねぇ……。」


怒りに震えた声で男が言う。そう、イルミは今晩暗殺の依頼を受けてこの屋敷に来ていたのだった。イルミが通ってきた廊下、それとその奥の部屋には身体中に針を刺され息絶えている男たちが何層にも重なり合っていた。


「許さねぇ……許さねェ!!死ねェェェ!!!」


男が手から念弾を飛ばす。ドンッドンと鈍い発射音が鳴る。しかしイルミは不機嫌そうに息を吐いただけで、その猫のような顔をピクリとも動かさずに鋲を放った。


「ぐはっ……!!」


鋲が男の額に深々と突き刺さる。口から血の泡を吹きながら男が崩れ落ちる。どさりと床に伏した男に、イルミが気だるそうにため息を吐いた。


「わざと足音を立ててこっちの居場所を教えてあげたっていうのに。……つまらないな。」


そう言うとイルミは、絶命した男に近づいて首にそっと手を当てた。当たり前だが、男に脈はなかった。


「ほらね。死んでる。」


イルミは、先日出会った少年を思い浮かべた。戦いの最中に「死んだふり」をしてこちらを出し抜こうとした少年。その技量も戦闘能力も未熟で、念能力者としても裏の世界の人間としても三流であると言えたのだが、なぜだかその少年はイルミの印象に強く残っていた。


「…ミズキか、もう一度会いたいな。」


イルミは猫のような目を少しだけ細めると、そっと音もなく窓から飛び降りた。一切の音が消え去る。無様に倒れ伏す屍の山の間を、静寂だけが抜けていった。









薄暗い空の下、どこからともなく煙が登っている。吐瀉物のようなすえた匂いと、肌にべとりと纏わり付く腐敗した空気に、初めて訪れた人間は否応無く膝を付くであろうこの場所の名前は『流星街』ーーーなにを捨てても許される、誰からの干渉も受けない政治的空白地。そこでは、欲望の成れの果てといえるゴミ屑が、人間の業の深さを物語るように何層にも積み重なっていた。


その地の奥深く、慣れ親しんだ人間でないとたどり着けない場所に建つ廃屋の一室で、金髪の男が真剣な面持ちでパソコンの画面に向かっていた。コンコンと背後から聞こえた音に、男は画面から顔を離さずに「どうぞー」と朗らかな声で返事をした。


「シャル、どうだ?見つかったか?」


背後から声を掛けられ、シャルと呼ばれた男ーー本名をシャルナークと言ったーーは扉にいる人物に向かって肩をオーバー気味にすくめた。


「全っ然……。ねぇ、クロロ。何この子?」


少し苛立ちの混じった声でシャルナークが言う。それを聞いてクロロは、困ったようなそれでいて冷酷さを失わない鋭い瞳で笑った。


「やっぱりな。お前でもそうか。」
「やっぱり……ってなにそれ。オレを試したの?」
「いや、そういうわけではない。オレの手元にある機材じゃ不十分だったからな、お前なら分かると思って頼んだんだ。」
「そりゃあクロロの仮宿にあるPCのスペックじゃ国際人民データ機構にハッキングなんてできないし、ホームにいるオレに依頼するってのは分かるけど…。」


そこで言葉を切ると、シャルナークは『該当者なし』と印刷された何枚もの紙をクロロにバサリと手渡した。


「全部、『該当者なし』だったよ。」
「そうか。」
「……もう、そんな顔しないでよ。オレだってやれる事は全部やったんだよ?クロロの言う日にヨークシンに宿泊した全顧客のリストを洗ったし、飛行船の乗客リストも洗った…。国際人民データ機構のデータバンクもハッキングしたし、主要50カ国の学生データの洗い上げもした。」


息継ぎなしにそこまで言うと、シャルナークはため息をついた。


「……でも、クロロが言うような条件の子はいなかった。」


徹夜でもしたのだろうか、シャルナークは隈の出来た目元を手でぐっと押さえ、上を向いた。ギシッと椅子が音を立てる。しかしそんな様子にお構いなしに、クロロは勝手に用意したマグカップをシャルナークの頭の上にトンと置いた。それは熱々のコーヒーだった。香ばしい匂いがシャルナークの鼻をくすぐる。おでこに感じた熱にシャルナークが目を開けると、そこにはいたずらな顔で勝気に笑うクロロがいた。


「……ったく、クロロは……。あぁ〜あ、ワガママな頭を持つと手足はつらいよー!!」


おどけたようにそう言うと、シャルナークは背筋を正して再度画面に向き合った。


「よっし、やるか!!」
瞳に力が戻ったシャルナークに満足げな顔をしたクロロは、後ろから画面を覗き込んだ。
「もう一度条件を言って、クロロ。」
「すまないなシャル。探して欲しいのは『ミズキ』という名の16才前後の『女』だ。黒髪黒目で髪は短い。染髪・ボディピアス・ボディタトゥーの形跡は確認しうる限りなし。身長は158cm前後、痩せ型。人種は…そうだな東洋系だ。」
「それにプラスして、クロロが仮宿探しにヨークシンに行った日の前後に、旅行者としてヨークシンに来ている人物、でしょ?」
「そうだ、それでいて少なくとも数年前までどこかの学校に所属していたと思われる。『体育』の授業で習った『ダンス』だとか、『部活』だとか、『文化祭』だとか言っていたからな。」
「『文化祭』?それは聞いてないよ!?」
「そうか?言ってなかったか?」
「だってそんな平和ボケしたイベントをしている学校だなんて、相当平和な国の学校か上流階級クラスの学校じゃん。それだけでも、かなり絞り込めるよ。」
シャルナークはカタカタと軽快な音を立ててキーボードを叩いた。
「それに?他には何かある?」
「そうだな。年齢は確定ではないから、±3才は幅を入れておけ。」
「あいさー、他は?」


そんな風に会話を交えながら『ミズキ』の情報収集は再開された。しかし二時間が過ぎてもシャルナークがミズキの情報を得ることはなく、始めは軽やかだったタイピング音も次第に重くたどたどしいものになっていった。


「……ねぇ、クロロ。その『ミズキ』ちゃんが言った情報が全て嘘だったって可能性は?」
ぶっきらぼうな声でシャルナークが言う。
「それはない。シャルナーク、お前はオレがそういう嘘を見抜けない人間だと思うか?」
「そういうわけじゃないけど…。あ、もしかしたらその子、偽名を使ってるんじゃない?大前提がずれてるならこれだけ探しているのに見つからないのにも納得いくし。」
「それもない。あれは偽名を呼ばれた時の反応ではない。それにもし真名ではなかったとしても慣れ親しんだ名前であることに違いはないだろう。シャル、お前は周囲に認知されている名前が何の記録に残らない事があり得ると思うか?」
「分かってるよ、クロロ。でも、流星街の人間や裏の世界の人間ならいざ知らず、『フツー』の『女の子』がそれを出来るとも思えないんだよね。」
「………」
「だからね、オレはその『ミズキ』ちゃんが『蜘蛛に接触するために送られた人間』なんじゃないかと思ってるんだ。それなら情報が全くでないのにも納得いくし…」
「アハハハハハ」
「なんでそこで笑うの。」
「ハハッ…いや、すまない。だがそれはない。」
「……なんでそう言い切れるのさ。」
「なんでと言われてもな……ふふ、あんな感情丸出しな人間にそんな高度な事が出来るはずがないだろう。」
何かを思い出すように口元を緩めたクロロに、シャルナークは眉を潜めた。
「ねぇ、何があったの?」
「何かあったと言えばあったが、何もなかったと言えばなかったとも言える。」
「あー……、つまりちょっと手を出すところまでは上手くいったけど、そっから先をする前に逃げられたってことね……。」


最後の方はもう尻すぼみになっていた。


「あーーー!もう終わり!!!」
やけくそな声でシャルナークが言う。
「クロロ、これ以上は別料金かかるよ!?こっちは徹夜の仕事で疲れてるっていうのにさ……。仕事の合間にやってあげられるのはここまでだからね!?」
「そう怒るな。無理を言って悪かった。」
「全くもう……。別料金で、クロロに頼まれていた蜘蛛の仕事を後回しにして、2週間時間くれるって言うなら調べられるけど、どうする?」


シャルナークが覗き込むようにして尋ねる。その言葉にクロロは一瞬思案した顔を見せたが、すぐに元の顔の戻った。


「いや、それ以上する必要はない。」


きっぱりと断言する。
クロロ=ルシルフルは曲がりなりも『幻影旅団』の頭として手足を束ねる存在である。自分がどんな状況にあったとしても、物事の優先順位を間違える事は決してしない。「ヨークシンで出会った『ミズキ』という女の情報収集」と「蜘蛛の仕事に必要な情報の収集」、どちらが優先させるべき事柄であるか、それは自明の理であった。


「蜘蛛の仕事を優先させろ。これはもう追う必要はない。」
「ふーん、っそ、分かったよ。……でもクロロ、それどうするの?知りたいんじゃないの?」
「自分でやるから大丈夫だ。お前は仕事に専念しろ。」


そう言うとクロロは、シャルナークが集めた資料を手に取って踵を返した。ドアノブに手を掛ける。しかしドアノブに手をかけたクロロに、シャルナークが「待って、クロロ。」と声を掛けた。


「なんだ?」
「クロロ、もし必要なら腕のいい情報屋を紹介するけど?」
シャルナークの優しさだろうか、シャルナークは肩越しにクロロに尋ねてきた。
「必要ない。」
しかしクロロはその申し出を断った。
「………」
押し黙ったシャルナークにクロロが向き合う。
「シャルナーク、お前はミステリー小説をヒントがあるからと言って終盤から読むか?」
「ん?読まないけど?」
「つまりは、そういうことだ。」
「……なるほどね。読み解く所も楽しみたいってコトね。完璧、娯楽だね……ソレ。」
「『手応えのありそうな』、という項目を付け加えておけ。」
「あー、ミズキちゃん、かわいそー、こんな男に狙われてー。」
「こんな男とは、酷いな。」
「だって、手に入ったらすぐ捨てちゃうんでしょ?いつものようにさ。」
「おいおい、シャル。言っておくがオレは捨てているつもりはないぞ?ただ興味が無くなるだけだ。」
「あーもう、それが捨てているって言うんだよ。ったくもう。」


そう言ったきり再び画面に向かったシャルナークを見て、今度こそクロロはドアノブに手をかけて部屋を出て行った。バタンと乾いた音が鳴る。遠ざかる気配を確認してから、シャルナークは再びキーボードを打ち始めた。しかし、シャルナークは気づいていなかった。去り際にクロロが呟いたことに。


「ミズキ……捕まえてみせる。必ず、な。」



彼の欲望が色濃く映るその言葉は、クロロが去った後も消え去ることなくその場に残り、周辺の空気を捕らえて離さなかった









ひらり ひらりと導かれ
出会ってしまった男たち

一人目の男、奇術師ヒソカ
二人目の男、イルミ=ゾルディック
三人目の男、クロロ=ルシルフル

ミズキを求めて手を伸ばす
欲望のままに手を伸ばす


彼女は何も気づいていない
再会の時まで、あと少し
運命が今動き出す






[ 5.『満月の口づけ』7/7 ]



第一部完です。三人との出会い終了!!異なる出会い・異なる展開となるよう書き進めましたがいかがでしたか?第二部は彼らとの関わりが深まっていきます。第一部のあとがきとちょっとしたアンケートがこちらにあります。差し支えないなければアンケートお願いします。



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