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ペタペタペタ
足音だけが響いてる



ペタペタペタ
止まることなくいつまでも




お気に入りだったピンクのミュールは、とうの昔に脱ぎ捨てた
剥き出しになった私の足は、見るも無残に汚れている

闇が私を取り囲み、もっと…もっと…と責め立てる
狂気と正気のこの連鎖、いつになったら終わるのか

答えは問えども分からない




ペタペタペタ
足跡だけが続いている




真っ赤な真っ赤な足跡が







5.満月の口づけ





ーーーあぁ、涙が止まらない。


千の幸福を一つにまとめたような暖かくて柔らかい気持ちが、胸の中に次から次へと流れ込んでくる。ただここに居るだけなのに、幸せで幸せで幸せでたまらなくて自然と頬が緩んで涙が零れ落ちた。これが「愛してる」ってことなのだろうか。

私は、幸せな気持ちで胸がいっぱいだった。



ーーーそう、私は夢を見ていた。あのお姉さんがでてくるいつもの夢だ。


黒髪ボインのお姉さんは、いつものように裸のままで、いつものようにベットにいて、いつものように男の人が隣にいたけれど、お姉さんの表情はいつもと違った。

お姉さんは終始、柔らかくて蕩けるような満面の笑みでいて、それは信頼できる人の隣じゃないと出ない安心しきった心からの笑みだった。

お姉さんは男の人の膝の上で猫のようにコロコロと幸せそうに寝転んだり、男の人の頭を胸に抱いてはワシャワシャと髪を乱して遊んだり、男の人を後ろから羽交い締めするように抱きしめてはチュッチュとキスをしたりしていた。


「ねぇ、ねぇ、ニコール?まつ毛が頬のココについてるわ?」
「え、どこ?」
「ふふふ、ここよここ。」
そう言ってお姉さんは、男の人の目の下に手を伸ばした。
「取って上げる。」
「あぁ、すまない。」
そう言って男の人が目を閉じると、お姉さんは悪戯な顔をした後、男の人の頬にチュッとキスをしたのだった。
「あ!……ズルいよ、アマンダ。不意打ちだなんて……」
頬を押さえながら唇を尖らせた男の人に、お姉さんがしてやったりという顔をしながら目を輝かせて覗き込む。
「んふふふふ、引っかかったわねー!」
「もう、なんて悪戯っ子なんだ。そんなことしたら……」
男の人がお姉さんを押し倒す。お姉さんの黒髪とシーツがふわりと舞う。
「僕も悪戯しちゃうよ?」
「あはは!ーーーもうっ、ニコールったら………ン……ふっ」



キャッキャと声を上げながらじゃれ合うお姉さんからは、この間感じたような殺伐とした感情は感じない。代わりに感じるのは、男の人が愛おしくて愛おしくて堪らないっていう感情。

初めて会う人なのに、この男の人が好きになってしまった錯覚さえするほど、お姉さんの感情は強く揺るぎないものだった。

もしかして、この前感じた「誰かを裏切っているような罪悪感」というのは、この男の人に対してなのだろうか?
だとしたら、お姉さんは好きな人がいるのに、なんで体を売る仕事をしているのだろうか?
やむを得ない事情があるのだろうか?



「あぁ、僕は幸せ者だ………イシュティルの女神をこうして独り占め出来るなんて。」
「もう、その名はやめてよ。『性愛の女神』だなんて、褒められてるのかけなされているのか分からないもの。」
「でも、事実だろ?体を介して相手に力を与えたり奪ったりできるなんて、まさに『性愛の女神』じゃないか。」
「確かにそうだけど……」
「この体のどこにそんな秘密があるんだろうね?………もしかして、ココかな?………それとも、ココかな?」
「もう!ニコールったら!………そんなオヤジみたいなことしないでよ。」
「え!?オヤジ!?………そんなこと言わないでくれよ、アマンダ。僕はまだそんな年じゃないのに……」
「ニコール……ニコールったら。もう、冗談よ!!そんな落ち込まなくてもいいじゃない。ほら、こっち向いて。」
チュッとリップ音がする。
「いいわ、教えてあげる。これはね………『房中術』っていうの。アイジエン大陸のとある国の王室にのみに古くから伝わる秘術でね、オーラ………気を操作する術の一つなの。女の陰の気で男の陽の気を操作するんだけど、なぜか我が家には夫婦円満の秘訣としてその秘術が伝わってたの。」
「そうなんだ。」
「それに、私、小さい頃からそういうのに興味津々なおませな子だったし。」
「あぁ、そんな感じ。」
「ふふふ、そのせいもあってそういう事に詳しくなっちゃたのね。それに、私の系統……素質?みたいなのに合致していたのもあったわ。」
「素質?」
「……性格みたいなものよ。」
「そうなんだ。」
「でも、この術を身につけた事を後悔なんかしていないわ。むしろ、誇らしく思っているの。だって、火事で全てを失った私を拾ってくれたグランパに恩返しが出来るもの…。」
「……そうだな、グランパは偉大な男だ。彼なら十老頭になれると信じているし、彼のためなら…、彼をこの大陸一のドンにするためなら僕は命も惜しくないと思ってる。でも…………」


そこで言葉を切ると、ニコールさんは真剣な顔で隣にいたお姉さんーーーアマンダさんの上に覆いかぶさった。アマンダさんとニコールさんの腕にはめられたお揃いの三連のシルバーリングがシャランと音を立てる。


「グランパの後を継ぐあの男は許せない。あの男だけは……。君に色目を使って手篭めにしようとして……。」
「…………」
「……君も気づいているだろう?グランパは、君に無理な任務をさせなかった。なのに、あの男は君が使い勝手がいいからと言って、色々な任務をさせているじゃないか。この間の三人組だって……。」
「ニコール……それは言わないで……。」
「でも、体にあんなに痣をつけて……。」
「いいのよ、それを承知で受けた任務だもの。」
アマンダさんのきっぱりとした声に、ニコールさんが口を噤む。


話の端々から察するに、アマンダさんは恩義のある誰かのために、男の人と寝る仕事をしているみたいだった。やっぱりお金のために体を売っていたわけじゃなかったんだ、ちゃんとした事情があったんだ。

強い意思と鋼の信念を持つアマンダさんに憧れ始めていた私にとって、その事実は朗報だった。彼女に対する好感が私の中でさらに増す。





「ねぇ、アマンダ?君の恩義も分かる…。でも、僕はもう君に無理をさせたくないんだ…辛い思いをさせたくない…。僕の気持ち、分かるだろ?」

ニコールさんがアマンダさんの髪を撫でながら切ない声で言う。ニコールさんの手をそっと手を取ると、アマンダさんは慈しむようにそれを頬に当てた。


「今はまだ無理だけど、…必ず君を迎えに行くから。だから…だから、アマンダ……全てが終わったら、僕と結婚してくれないか?」


弾かれたように顔を上げ、ニコールさんの顔を見つめる。アマンダさんから光り輝くようなキラキラした感情が止めどなく流れ込んでくる。


「あぁ……ニコール…ニコール……」

アマンダさんがニコールさんにこれでもかと言うほどのキスの雨を降らせる。幸せそうなアマンダさんのその顔に、いつの間にか私は頬を緩めていた。


「ニコール……ニコール……愛している……愛しているの……」
「僕もだよ、アマンダ……愛している。」
「……ン、チュッ……ふ…ン……嬉しい……。ニコール、嬉しいわ。私の…私の全てをあげる…。」


アマンダさんがそう言った途端、アマンダさん中心にかげろうみたいなモヤがぶわりと立ち上がって、どこからともなくヒョォーという風の音が聞こえ始めた。あれ?いつもとタイミング違うじゃない!?と突っ込む間も無く、ものの数秒で風は大嵐のようになった。竜巻の中心にいるような激しい風に、頭がぐわんぐわんする。

髪が逆立ち、服が捲れ上がる。しがみつく手が悲鳴を上げる。


「愛してる…ニコール、愛してるわ……」


アマンダさんが「愛している」と言うたびに、風がその力を強める。風の終着地はいつもと変わらずアマンダさんの下腹部で、そこではまるで私を吸い込もうと待ち構えているような、おどろおどろしい黒い穴があった。


「あッ……や……いや、…嫌ッーーー!!」


そう叫ぶも、いつもの何倍も強い風に逆らうことは出来ず、私は掃除機に吸い込まれるゴミみたいにゴォーと音を立てながらそのブラックホールのような黒い穴に吸い込まれていった。

体がぐるぐると回ってどっちが上でどっちが下だかもう分からない。あまりの衝撃に頭が回って意識が遠のく。


「い…や………、吸い込まれたく……な…ッ…………。」


意識の途切れる寸前に私が見たものは、アマンダさんのこれ以上ないくらいの幸せそうな笑顔だった。それを最後に私の視界がぷつりと暗転した。深い深い闇に堕ちてゆく。




そしてーーーー、この時を境に『私の世界』も暗転するのだった。







[ 5.『満月の口づけ』1/7]



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