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「あぁ!?またかよ……これで何度目だよ!?」


依頼元への口答えはご法度だというのに、ミズキは思わずその言葉を口にしてしまった。ベレー帽を被った目の前の軍人風の男が怪訝そうに眉を動かす。


「お前、依頼内容を理解した上でこの場にいるのだろう。今さら何を言っている。」
「まぁ、そうだけどよ。こう何回も繰り返されたら嫌味の一つも言いたくなるって。」


今回ミズキは「指定した場所にいる男の言う通りに行動しろ。それがどんな要望でもだ。」とだけ言われてきた。「時間が食う依頼は受けれねーぞ、一日か一日半しかヨークシンにはいれねぇんだからな。」とミズキが返すと「もちろんだ、半日ほどで終わる仕事だ。」とジョンが言ったので言葉の内容から半日ほどで終わる仕事を一つやるのだと、ミズキは思っていた。しかし実際はそうではなく、この半日ほどでミズキは三つの仕事をしており、依頼主に会うのはこれで四人目だった。


一人目には小包の配達を依頼され、ヨークシンの下水道を2時間ほどぐるぐる走り回りそれを届けたのだった。その届け先で、この配達で仕事が終わりかと思っていたミズキを待ち受けていたのは二人目の依頼人で、今度は暗号文と荷物を渡されたのだった。そのうえ配達時刻まで指定されて、ミズキはてんやわんやとなりながらやっとの事でそれを指定先に届けたのだった。三つ目の依頼も似たようなもので、今ミズキはその依頼された荷物を届けにここに来ていた。そして出会った四人目のこの男も、今までと同様にミズキに何かを依頼しようとしているのだった。


「お前も……何かを運んでくれって言うのか?」
「察しがいいな、その通りだ。そこにある黒い箱をある場所に届けてこい。今から一時間以内でだ。」

男の指差した所には黒い箱があった。それは、ミズキがやっと抱えられるくらいの大きさで、これを運ぶとするなら車で運ぶのが一番だと思いながらミズキはその箱に手をかけた。

「重たっ……」

見た目以上に重たい。これだとタクシーの走っているメイン通りまで行くのも大変そうだ。


「なかなか重いな。で、場所は?」
「クイーンズ地区、ウォルターストリート、1023番の地下二階『ストレイズ キャット』という店だ。」
「クイーンズ地区のウォルターストリートって……おいおい!!」
昨日頭に叩き込んだヨークシン市街の地図を頭に浮かべる。
「この帰宅ラッシュの時間帯に、クイーンズ地区まで一時間でか!?」
「そうだ。」
「チッ……」


昼間なら車で一時間とかからない距離も、夕方の帰宅ラッシュのこの時間帯なら倍以上の時間がかかった。ヨークシンの帰宅ラッシュはガイドブックに載っているほど有名なのだ。「一時間以内に届けるのは無理だ。タクシーという線はなし……ならレンタルバイクか?」とミズキは考えたが、やっと持てるくらいの大きさの荷物をバイクにくくりつけて運ぶのは至難の技だった。


ーーーつまりは、この荷物を持ってクイーンズ地区まで走って行けってことか。なるほどな。……今度は体力測定か。


ミズキはもう理解していた。この一連の依頼がただの依頼ではない事を。


今回のミズキの報酬は190万ジェニーで、飛行船のチケット代を含めるとジョンはミズキに200万以上の金をかけていることになった。ヨークシンを拠点としている運び屋に依頼すれば30万とかからずに出来るこの仕事を何倍ものお金をかけてやっているのだ。裏がないはずがなかった。


ーーー品定めだ。


たぶんこの男……いや、この男たちは今日一日でこうやって依頼を受けた人間を何人も見ているはず。すれ違わせないとしても一時間で3人から5人は会うことができるから、依頼を達成した人間のみにお金を払うとしても、この品定めだけで少なくとも数千万は使っている計算になる。


ーーーこの時期からこんだけ金を払って準備してるとなると、世界レベルの何かに関わってんぞこりゃ…。


ミズキは新聞で収集したヨークシンに関わる情報を頭に浮かべた。ここ半年の間でヨークシンで開催される世界的イベントと言えば、いくつか心当たりがある。ミズキは大きく息を吸うと、目の前の男をジロリと見た。


「お前は、お国のために働くようなお固い人間に見えねぇーし……祈るような神ってのもいなそうだな。となると………狙いは、9月…か?」


目の前の男を見据える。ここ半年内でヨークシンで行われる世界的イベントは、7月の世界首脳会議と、8月のキリスト教皇訪問と、9月のヨークシンオークションだった。その中で、この殺人狂の匂いを隠しきれていないこの軍人風の男が関わっていそうなのは、一番最後の9月のヨークシンオークションだった。


「ふっふっふ。頭の回る人間は嫌いじゃない。」


男がにやりと笑う。否定も肯定もしないその返事は、ミズキの推測が正しいことを示していた。


ーーー人集めだけでこんだけ金をかけてるんだ、全部を通したら数十億……いや、数百億単位の金が動くことになるな。ハッ!?もしかしてこいつら、マフィアの勢力図を塗り替えようとしてんのか!?


目の前の男を観察する。ジョンの所属する組織ーーひいてはあの人への手がかりが見つかるかもしれないと鋭い目でチェックしていくが、男に制止されてしまった。


「何を見ている。時間はせまっているのだぞ。さっさと行け。」


チッと舌を打つ。この短い時間では、どの組織のどの勢力に所属しているか分かりそうなシンボルマークを見つけることは出来なかった。しぶしぶ黒い箱に手を掛ける。やはり重い。筋力のみで持ち上げるのは難しそうだった。背中に自分を観察しているような男の鋭い視線を感じた。



ーーー筋力テスト、いや、目の前でオーラを練らせるのが目的か。



深く息を吸うと、漏れ出すオーラ量に変化が出ないように細心の注意を払いながら、体内でオーラを練った。黒い箱が持ちげられる程度に筋力を増強させ、そのまま黒い箱を持ち上げる。その様子を見て男が片眉をピクリと上げた。


「じゃあな!」

荷物を持ったまま振り返らずにそう言うと、ミズキはそのまま部屋を出ていった。バタンと扉が閉まる音がする。


「ふっふっふ。オーラを練らずにあの箱を持つか……。見かけによらず馬鹿力なのか、それとも……。」

男はミズキの去っていった方をジッと見た。

「それにしても、あの男もなかなか面白い人間を送り込んできたものだな。」


荷物を持って走り出したミズキに、その呟きが聞こえることは決してなかった。男の噛み殺したような「ふっふっふ」という笑い声だけが、その部屋の中で生まれては消えていった。










「 満月・・・か」


血が垂れたように赤く光る満月を見上げてミズキはボソリと呟いた。雲一つ無い夜空が、満月の不気味さより一層強めている。



ミズキは今、ヨークシンにある寂れた雑居ビルの屋上で、ボーッと夜空を眺めていた。軍人風の男が指定した『ストレイズ キャット』というお店には、さすがに五人目の依頼人はおらず、ミズキはその配達で今回の仕事終了となったのだが、釈然としない気持ちがずっと胸に残っていた。

『あの男たちは何者なのか』
『ジョンとの繋がりは何なのか』
『何を企んでいるのか』

疑問が浮かんyでは消える。ジョンがどのような意図で自分を送り込み、そしてあの男たちが何の目的で人を集めているのか、今のミズキに知る由はなかったがそれでも『何かある』ということだけはひしひしと感じていた。


ーー食らいつけたか……?


念は見せなかったが相手の要望するラインは越えられたはず。あれだけの規模で品定めをしているのだから「主力としては使えないが変えの効くサブとしては使えそう」という枠でミズキが入り込む余地はあった。


「クソッ……焦るな。餌は撒いたんだ、後は、待つだけだ。」


あの人に繋がる手がかりは、カケラと言えど手放したくない。ミズキは大きく息を吐いて夜空を見上げた。漆黒に夜空にぽっかりと浮かぶ赤黄色い満月には、形容し難い魅力があった。ある者を高揚させある者を惑わせある者を狂わせてきたのだろうソレは、ミズキの瞳にどう映ったのだろうか。


「……いやな月だ……。」


ミズキは額に手を当てて唇を噛んだ。心がざわめく。漆黒に浮かぶ赤黄色い月は、ミズキに黒く長い髪と真っ赤な鮮血を連想させた。満月は思い出したくないこと思い出させるーーー。


この手はどれくらいの血で汚れているのだろうか。
あとどれくらい血を見ることになるのだろうか。
あとどれくらいこの生活をしなくてはいけないのか。
あとどれくらいこの苦しみに耐えなくてはいけないのか。
あとどれくらい………
あとどれくらいーーーー


出口の見えない現実に、取り止めのない考えが次から次へと浮かび上がる。考えたところでどうにもならない事なのに、その考えがミズキの頭から消えることはなかった。


「…クソッ」


言いようのない虚無感が、まるで鉛を飲み込んだかのように質量を持って体に広がってゆく。腰にぶら下げた武器達が、自分を捕らえる枷のように重い。


ーーあの時二人で見た満月はあんなにも暖かったのに……今はこんなにも冷たい。


乾いた夜風が、ミズキの髪をバサバサと乱していく。逃れられない運命を嘲笑うかのように毛先を遊んで去ってゆくその風は、ミズキの心をさらに孤独にさせた。





満月の日は心が揺れる
閉じこめていた想いが溢れ出し

捨てたハズの弱い自分が
ヒタ…ヒタ…と忍び寄る





ミズキはいまや囚われの身になっているあの人をーーー優しい瞳でミズキを見つめていたあの人を頭に思い浮かべた。幸せだった時間を繰り返し繰り返し頭に浮かべる。それは、ミズキの渇いた心を癒すたった一つの方法だった。


「待っていてください……あと少し……あと少しだけ……。私、もっともっと頑張るから………だから、あと少し、あと少しだけ……。」



足を止める事は許されない。
一度でも、足を止めたら食われてしまう。
ーーーあの闇に、自分の弱さに。


ミズキは重い体に鞭打つようにして、よろりと立ち上がった。どろどろの水の中を歩いているように体が重かった。屋上のフェンスに手を当てながらよろよろと歩く。窒息しそうなくらい息苦しい。

ガチャと鍵の壊れた屋上のドアに手にかける。とその時、ふとドアの隣の窓がミズキの目に入った。暗闇の中で満月の光を返すそれは、まるで鏡のようにミズキを映し出していた。

窓に映っていたのは、みすぼらしく小汚い姿の少年。窓に映った自分の姿にミズキは思わず息を飲んでしまった。





艶のないボサボサな髪
(昔は長くツヤツヤしていたのに)

誰も信じないと全てを拒絶する目
(昔は全てを信じ全てを受け入れていたのに)

やつれて痩けた土気色の頬
(昔はまん丸でピンク色だったのに)

ひきつった笑いしかしない唇
(昔はいつも朗らかに笑っていたのに)

ガサガサに荒れた汚い指先
(昔は指先まで綺麗に整っていたのに)

薄汚れてみすぼらしい衣服
(昔は日替わりで可愛い服を着ていたのに)







その姿は間違いなく自分のはずなのに、体を押しつぶすような孤独感と砂を噛むような虚無感が胸にブワリと広がって、脳と肉体が内側からぐちゃぐちゃに溶かされてゆくようだった。胸を掻き毟りたくなるその衝動に、ミズキは今にも叫び出しそうだった。




嫌だ
嫌だ
嫌だ
嫌だ
嫌だ





もう何もかもが嫌だった。
全てを投げ出して、このまま誰も知らない場所に行きたい。
殺しも盗みも無い犯罪とも縁のない、安全で優しい場所で笑って暮らしたい。昔みたいに。


抗い難い衝動がミズキの体を突き抜ける。悪魔が囁く、あの人を諦めれば全て楽になれるーーーと。甘い、甘い誘惑。


でも、でも、だめ。だめだよ、だめなんだ。
誓ったじゃないか、あの日、あの男と初めて会った日に。
願いを叶えるためだったら、どんなに手を汚しても構わないって。
あの人に会うためだったら、どんなことでもしてやるって。



でも、
だけど、
だけれどもーーー


血が出るほど強く両手を握りしめる。心の中がぐちゃぐちゃで、自分でもどうしたらいいのか分からなかった。『破裂寸前の心』。まさしく、今のミズキは少しでも空気を入れたら破裂してしまう風船のようだった。


「分かってる……分かってるから。大丈夫…大丈夫。貴方を見捨てることも諦めることもしないから。だから……だから、今日だけは……今だけは、お願い……このお金を使わせて…」


そう呟くとミズキは稼いだばかりのお金を掴んで走り出した。そして、デパートに駆け込むと胸の空洞を埋めるように物を買い漁っていった。化粧品にメイク用品、ヘアケア用品に、ワンピースにハイヒール。今のミズキには決して必要のないものーーー。だけど、平和だった頃には身近にあったそれらを手当たり次第にカゴに入れていった。






[ 4.『破裂寸前の心 』2/4 ]



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