15




まだ薄明けの静かな時間のストックスの教会裏に、広げた新聞を食い入るように見ながら話をする子供の姿があった。


「これが、『あ』だ。んで、この黒丸が『い』だ。
この、きゅーっとなってんのが『う』だ」
「で、この三角が『え』なんだよね!?」
「うん、そうだ。えらいな、ライス、段々覚えてきたじゃねぇーか!」
「えへへへへ」

得意げな顔をするライスの頭をミズキがポンポンと優しく撫でると、ライスは嬉しそうに目を細めた。ミズキは今、ライスにハンター文字を教えていた。

「ねぇミズキ、ボク後どれくらい勉強したらミズキみたいに新聞読めるようになるの?」
「うーん、そりゃ、お前の努力次第によるけど…始めて一週間でここまでこれたんだ、あと三ヶ月ってところかな?」
「えー、そんなにー!?」
「そりゃ、難しい言い回しもあるからな、それらも覚えなきゃいけねぇし。それに、毎日こうやって時間を作れるかどうかも分からねぇからな。」
「そっかー、早くミズキみたいに読めるようになりたいのに。」
「ハハ、そんな買い被んなよ、オレだってハンター文字読むのは得意じゃねぇし。」
「そうなのー?でも、ミズキって物知りじゃん。色んなこと知ってるし。」
「んー、まー、でもこれくらい……」


『義務教育終えてれば当たり前だろ』と言いかけて言葉を切る。ライスは学校に通っていなかった。通わせてくれる親がいないのだ。


「……まー、これくらい、お前もすぐ覚えるさ。」


誤魔化すようにそう言うと、ミズキは懐からボトルを取り出した。


「ほらよ、今朝の汲みたての水だ。」
「ありがと、ミズキ。」
「まださ、外はこんなに寒いのに、牛乳配達って重くて熱くなっちゃうからすぐ喉乾くんだ。でも、コレ飲んじゃダメだから。」
「当ったり前だろー、商品飲んだらクソ親方にぶん殴られっぞ。ほら、こんな風にな。」


とおどけた風に言い、自分の拳で自分の顔をゆっくりと殴る振りをする。
口を大きく開け目を半開きにして鼻の穴を膨らませ、殴られた顔を再現すると、ライスがくすくすと水を飲みながら笑った。

殺伐とした日常の中の、一瞬の安らぎ。これが味わえるから、ミズキは街に来るのをやめられないのかもしれなかった。


「ねーミズキ、何か面白い話して?僕、配達の続きに行く前に何か聞きたいよー。」
「面白い話?って突然言われてもなぁー。」
「ねー、お願い。ミズキって物知りじゃん。」
「物知りって言われてもなー。」

何か話のネタがないかと周囲を見渡すと、ちょうどライスが飲んでいたボトルが目に入った。

「ボトル……水……井戸……川……、ん、分かった。なぁ、ライス?幽霊ってどんな場所にいるか知ってっか?」
「えー、幽霊??お墓とか??」
「そうだ、墓もある。あとは?」
「うーん、死んじゃった場所とか?」
「そうだな、そういう場所にもいるな。他は?」
「えー、後は……もう、いっぱいあって分からないよ!」
「ハッ、そうだな、いっぱいあって分からねぇよな。でも、それが正解だ。人は至る所で死んでっからな、どんな場所にも幽霊がいる。…でもな?」
「……でも?」
「幽霊が現れるのには、共通点があるんだぜ?」
「え!?そうなの!?凄い、僕知らなかった!!」

素直に反応を返すライスに、ミズキは気分を良くした。舌がますます饒舌になる。

「その共通点って何だと思う?」
「えっと……分からない」
「まぁ、そうだよな。それはな…」
「それは?」
「……水だ」
「水!?」


そう言って、ライスは手に持っていたボトルを、驚いた顔でじっと見た。
こうも、予想通りの反応をしてくれると、話しているミズキも楽しくなる。


「そう、水だ。幽霊が現れる所には、必ず水がーー正確には水場があるんだ。井戸、海、沼……雨の排水溝や風呂の排水管なんかでもいい。とにかく、水が近くにあるんだ。」
「………」
「なんで、水の近くに幽霊が現れると思うか?」
「……分かんない。」
「それはな、残留思念だ」
「ザンリュウ、シネン……?」
「人間の思いってヤツだ。」
「それがな、水の中に入り込むんだ。」
「水にっ……」
「テープのレコーダーみたいに、記録しちまうんだ……その全てをな。」
「す…べて?」
「痛い、苦しい、辛い、恨めしい……そんな感情すべてだ。」
「そうなの……?」
「んで、そんな風に記録しちまった残留思念が、何かのきっかけで再生されたもん、それが幽霊だ。」
「そうなの!?じゃあ、幽霊ってザンリュウシネンなの!?」
「そうだ、水に記録された残留思念だ。だからな、怖くなんかないんだぜ?」
「そうなんだ!そっかー、幽霊って怖くないんだー、良かったー。」


胸を撫で下ろすライスを目を細めて眺める。自分に弟がいればこんな感じなのだろうかと思うミズキに、ライスが声を掛けてきた。


「僕さ、実は幽霊って怖かったんだ。でも、ザンリュウシネンなら、怖くないんだね!」
「幽霊なんか怖くねぇよ、そんなんより実在する人間の方が怖いもんだからな。お、そう言やぁ、ライス、最近怪しいヤツはいねぇか?幽霊より、そっちの方が問題だ。」


一般人より腕っ節の強いミズキは、近くの浮浪児仲間から用心棒として頼りにされていた。顔見知りの人間が『ホームレス狩り』や『人身売買』にあうのは我慢がならなかった。


「怪しい奴……いた…んだけど……」
「なんだ、歯切れが悪ぃな、どうしたんだよ。」
「でも、もしかしたら、幽霊かもしれないし。」
「ん?いったい何を見たってんだ。」
「あのね……僕、ピエロの幽霊を見たんだ。」
「ピ、ピ……ピエロ!?」
「確かに見たんだよ、この近くで。大きくてでっかいピエロを。でもね、すぐ消えちゃったの。ヒュンって。……あれって、ザンリュウシネンだったのかなー?」


ミズキの心臓がズキンと嫌な音を立てた。ピエロみたいな格好をし、一瞬で姿を消す実力のある人物に、心当たりが痛いほどあったからだ。ま…まさかな…。あの時完全に撒いたはずだし、第一ここはあの街から30kmは離れている。


「これで何度目だよ。いい加減、ビクビクすんの止めろって自分……もう二週間以上経ってんのにさ。」
「ん?ミズキ?どうしたの?」
「いやー…なんつーか、一度身体に叩き込まれた警戒心ってなかなか消えねぇーんだなー……と、しみじみ。」
「ん?」
「いや、何でもねぇ。ピエロはただの残留思念だ。気にするな。」
「う、うん。」
「ほら、もう、配達に行く時間だろ?」
「うん!そうだね、ボク、もう行くよ。」


そう言って、立ち上がったライスの背中をミズキはポンと叩いた。振り返ったライスににかっと笑顔を向けると、ライスは安心したのか肩を緩めた。穏やかな空気が流れ、ぶら下げている箱の中で所狭しと並んでいる牛乳瓶たちが、カチャリと小さな音を立てた。


「行ってきまーす。」
「おう、行って来い。」


と元気良く走り出したライスをミズキは見送り、さて情報収集を再開するかと新聞の続きを読み始めた。束の間の平穏な時間。しかし、その平穏は見送ったはずのライスの慌てふためく声によって終焉となってしまったのだった。


「ミズキ!!大変大変!!いた……いたんだ、あいつが!」


思わずミズキの体がピキリと強張る。ライスが「あいつ」呼ばわりする存在に、心臓がズキンと音を立てた。ま…まさか…な。


「ミズキ、ミズキ!助けてよ。あのピエロが……幽霊のピエロが居るんだ!!」


ミズキの耳がパタンと閉じて、今聞いたばかりの言葉をシャットアウトした。『あー、なになに二つ星ハンター取得者発表だって?面白そうな記事だな。』と新聞に目を戻したミズキのパーカーを、配達の牛乳をカタカタ揺らしながら駆け寄ってきたライスが、グイと引っ張った。

「ねぇ、こっちだよ、向いてってば!」と何度も裾を引っ張るライスに負け、ミズキはライスの言う方向に首をギギギ…とまるで錆びついた扉のような動きで捻った。


「やあ、久しぶり◇」


ミズキの願いも虚しく、そこにいたのは今一番会いたくないと願っていた人物だった。にこやかに笑いながら手を振ってくるヒソカに、ミズキはまるで犬の糞を踏みつけた時のような苦い顔をしたまま、ピシリと固まったのだった。









ヒソカの顔を見たまま微動だにしないミズキと、そのミズキににこやかに笑いながら手を降る男を見て、ライスは首をコテンと傾げた。


「ねぇ…ミズキ、このザンリュウシネンと知り合いなの?」
「残留思念、かい?」
「う………うん、そう。ザンリュウシネンの幽霊のピエロだって…ミズキが言ったんだ。」
「そう、『ミズキ』君が言ったんだね?」
「う、うん。」


それを聞いてヒソカは至極嬉しそうに口元を歪めた。そしてミズキを意味ありげに覗き込み、ゆっくりと口を開く。


「ミズキ君?ボクを幽霊扱いするなんて酷いじゃないか♣でも、また会えて嬉しいよ♠」


その瞬間、雷に打たれたかのような衝撃が体を走り、ミズキはその意識を覚醒させた。バッと振り向いて鋭い目でライスを見やるが、ライスは状況が掴めていないのか、ワタワタと慌てた様子でミズキとヒソカを交互に見続けるだけだった。


ーーくそっ、名前がバレた!!住んでる場所もバレた!!ちくしょう、何でこいつがここにいるんだ!?ニュースティからここは数十km離れてるんだぞ!?まさか!?


必死に頭を働かせて行き着いた一つの可能性に、ミズキは目に"凝"をして自分の体を見渡した。


ーーーない、何もない。念も、トラップもなにも、仕掛けられていない。


ミズキの素早いその判断に、ヒソカは目をきゅっと細めた。

かつて遭遇したことのある能力者に思わぬ場所で再会した場合、一番始めに疑うのは追跡系・情報収集系の念の存在。次に疑うべきは他者による情報漏洩、そして、"絶"による尾行だった。最初の接触で、念をかけられた可能性を危惧し、迅速に対応したミズキを見て、ヒソカはやはり自分の目に間違いはなかったと笑みを零した。


しかしまだまだ詰めが甘い。驚きと焦りの色をにじませているミズキに向かって、ヒソカは余裕ぶった口どりで言った。


「 君は本当に面白いネ。クック、ボクがここにいるのがそんなに不思議かい?」

鋭い目で睨みつけてくるミズキにヒソカは続ける。

「もう一度会いたくてね♠ 探したんだよ、このエリアを◇」
「でも、どう、してここが……」
「黒髪黒目の13、4才の生意気な少年って聞いたら結構情報集まったヨ。それにココはね、キミとボクが出逢った場所とキミがチラシを捨てた場所の延長線上にあるんだ◇」
「チラシ?」
「忘れちゃったのかい?コレだよ。」


そう言ってヒソカが懐から出した紙を見て、ミズキはギリと歯ぎしりをした。それは、ヒソカに出会った夜に強引に渡されたサーカスのチラシだった。

「これは、ボクの念で作られたチラシでね。ボクのオーラをたっぷりと含んでいるから、近場ならどこにあるか感じることが出来るんだよ♣ ま、あくまで自分のオーラの残り香を探るってだけだから、コレを探し出すにも、キミを探し出すにも、意外と時間がかかっちゃったけどね♠」


クックックと喉を不気味に鳴らすヒソカに、ミズキの警戒心がさらに上がる。牛乳配達の箱を持った、明らかにこの地で生活をしている少年と仲良く話をしている時点で、「ここはたまたま寄っただけ」という言い訳は出来なくなっていた。この間のように逃げることはもうできない。

ミズキは未だに状況がつかめず右往左往するライスを自分の背後にサッと隠した。


「おい、そこのピエロ。」


後ろ手でライスに「あっちへ行け」と指示を出す。名前も、活動拠点も、人間関係も知られた今、立ち向かう道しか残されていなかった。ライスが物陰に隠れたのを気配で確認してから、ミズキは威圧を込めて言った。


「わざわざ、時間と手間かけてオレを探して…。お前…いったい、何が目的だ?」


目の前の男を睨みつけながら、拳を前に出して静かに構えをとる。

力量も分からずに対峙した時とも、欺くためにか弱い少年のふりをしていた時とも違う、真っ直ぐ前を見据えたミズキのその瞳に、ヒソカは体を震わせた。







[3.『望まぬ遭遇』2/4]



[prevbacknext]



top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -