05







「ほら、オレの攻撃で死んで。」

 懐から鋲を取り出して投げるふりをするイルミに、ゴトーは意味がわからないながらも主の命に忠実に従おうと、心臓に手を当てながら「うぎゃー」と声を上げ、よくある子供のごっこ遊びでやるような動きをする。

「なにそれ。」

 大理石の床に伏しているゴトーの耳に、イルミの冷ややかな声が届く。

「いえ……何、と言われましても……。イルミ様の言いつけ通り……し、死んだふりです」

 あまり自分の感情を顔に出さないよう訓練しているゴトーであったが、この時ばかりはイルミの冷たい視線に、羞恥で顔を赤くした。

「それ。死んだふりとは言えないから、やり直し。」
「え、やり直しですか!?……あの、イルミ様、意味が分かりかねます。それに、いささか恥ずかしいのですが……」
「だから?」

 イルミの高圧的な声に、ゴトーは諦めた顔で口を噤む。

「ね、ゴトー。本当に死んだ人間は、そんな風に叫ばないし、そんな大げさに倒れこんだりしない。」

 死んだふりの講評を始めたイルミに、ゴトーは鉄壁の執事の仮面の下で顔をやつれさせる。その顔は主の真意を求めているように見えた。

「……それに、オーラが死んでない。」
「オーラ、ですか?」
「うん。そう。人は死ぬとオーラが少しずつ抜けていって、最後にはカラになるんだ。」
「はぁ、そう言えばそうですね。失念しておりました。でもイルミ様、申し訳ないのですが私死んだ人間のオーラがどう変化するかじっくりと観察したことがありませんので……、イルミ様のご希望に沿えるかねるかと……」
「うん。そう。普通はそうなんだよね。」
「は、はぁ……」
「普通は、死んだ人間のオーラがどう変わるかなんか知らないし気にならないものだよね。」
「そういう人間が大多数かと……」

 何かを考えるように顎に手を当て始めたイルミにゴトーは首を傾げるも、イルミは自分の思考に入り込んでいるようだった。

「ミズキ……やっぱり、面白いや。」

 ボソリと呟かれたその声は、しかし、ゴトーには届かなかった。





 あくる日の午後七時、ミズキはニューステイの駅前にいた。目的地はまるで天を突くようにそびえ立つ五つ星のホテル。仕事の詳細確認と金銭の受け渡しのために依頼主のジョンに会いに来たのだったが、ミズキの顔は心なし険しかった。

「いつにも増して汚い格好だな」

 それが、依頼主のジョンが開口一番に発した言葉だった。

「鎖に繋がれたホワイトカラーには分からねぇ、ストリートの最新ファッションなんだよ、これは」

 髪を七三で後ろに撫でつけたいかにもサラリーマンといった雰囲気を出す男に向かってこれ見よがしに服を見せつけると、男はまるでゴミでも見るような目を向けた。

「いいから座れ」

 眉をピクリとも動かさずに言うジョンを睨みながら、ミズキは部屋の中央に置かれたソファにドカッと腰を掛けた。

「まずは昨晩の報告だ。どうやら大規模な襲撃を受けたようだな?」
「耳が早いな。だが、その前に仕事の報奨金だ。護衛の護衛の仕事はちゃんとやったんだから、その金をまず出せ」
「襲撃を食らって、ボスが死んだのにか?」
「お前が前金で金を貰っているのは知っている。それに依頼は依頼だ。オレがお前の依頼を受けた時点で契約が発生している。ちゃんと契約は守れ」

 怒気を含んだ声で言い放つと、ジョンはメガネの奥の瞳を鋭く光らせた。が、それは一瞬のことで、ジョンはすぐに懐から現金の入った封筒を取り出した。

「十万ジェニーだ、確認しろ」
 ミズキは手渡された金を手に取り、数を数える。
「確かにな。では『護衛の仕事』以外の報告に入る――」

 そう言ってミズキは昨晩の報告をしていった。実はミズキは昨晩『護衛の護衛』以外の仕事も受けており、その内容は、屋敷の警備状況・護衛状況・来客の顔ぶれの調査と多岐に渡っていた。

「――最後は連邦議会のダグラス上院議員。秘書二人を連れて、スターリッドファミリーの幹部と一緒にいた。これでパーティーに来ていた著名人は以上だ」

 襲撃後に屋敷を回って撮った顔写真と、電脳ページで調べた略歴のコピーとをジョンの前にポンと投げる。

「一人につき一万ジェニーだから十八万。その他の情報料と合わせて二十六万だ」

 念の使える裏稼業の人間は一回の仕事で数百万を稼ぐ。ゾルディックのような超一流となれば一回で数千万は稼ぐだろう。しかし『念は使えないが身体能力は達人級』という触れ込みでやっているミズキは一回で数十万稼ぐのがやっとだった。

「そうだ。お前、一つ情報を買わねえか?」
渡された札束を数えながらミズキは問いかける。
「……何の情報だ?」
「襲撃者、の情報だ」

 ジョンの眉がピクリと動いた。それを見てミズキはもう一稼ぎ出来そうだとほくそ笑んだ。

「目撃者はいないと聞いていたが」
「こちとら逃げ足と隠れ身には自信があってね。襲撃の様子をつぶさに見てたんだな、これが。……どうだ、買うのか?買わねぇのか?」
「……いくらだ」
 その言葉を皮切りに二人は金額の交渉に入った。
「チッ、仕方ねぇ。十二万で手を売ってやるよ。襲撃者は、――ゾルディックだ」
 ジョンが息を飲む。
「正確には、ゾルディックと思われる男一人と、スターリッドの構成員六、七人だ」
「……内部分裂か?」
「シンボルマークをつけていたからスターリッドの人間に間違いはねえが……動きがおかしかった。ゾルディックに脅されて従っていたか、もしくは催眠術の類で従わされてた可能性がある」
 『念』という言葉は敢えて使わなかった。この五年の関係からジョンは念を知らないのだろうとミズキは憶測していたし、ミズキの方も『使い潰すにはちょうどいいと思わせる強さ』を演じるためにも念の存在を知らない振りと通したかったからだ。
「催眠術か、なるほど……いや、待て。お前はなぜその襲撃者がゾルディックだと分かったんだ?」
「……ゾルディックの襲撃後にはいくつかのパターンがあると言われてるんだ。その中の一つが、長さ十五センチほどの鋲を使った攻撃跡だ。さっき渡した写真の中に写っていただろ? その武器を使った暗殺でかつ目撃者がゼロの場合、高確率でゾルディックの仕業だ」

 口から出まかせを言う。裏の世界に身を置いているとはいえ、深い所まで辿り着けていないミズキにそんな入り込んだ情報が入ってくるはずもなく、イルミが「イルミ=ゾルディック」と名乗ったから出来るはったりであった。

「ま、もう一日とプラス十万くれるなら、ゾルディックの誰がやったか調べることが出来るが?」
「いやいい。こちらにも腕の立つ情報屋はいる。必要ない」
「そうかよ」

 少し欲張りすぎたかと心の中で思うが、元手ゼロで十二万ジェニーの収入は美味しかった。にんまりと笑みが零れる。

「それと、遠方で仕事が入る。スケジュールを空けておけ」
「……いつだよ」
「三週間後に、ヨークシンだ」

 ヨルビアン大陸に行くだなんて何を考えてやがる。ミズキはジョンを食い入るように見た。

「ヨークシンに行くまで飛行船で三日かかる。往復だけで六日だ。どんな仕事をさせるつもりなのかは知らねえが、その間他の仕事が出来ねぇんだ、それなりの――」
「分かっている。二百万出そう。それに移動費もこちら持ちだ」

 ミズキが一週間で稼ぎたいと考えている額をギリギリ超す額を提示される。完全に足元を見られていた。

「詳細は追って知らせる。仕事に関する話はこれで終わりだ。……さて、次の話に入ろう。分かってるだろう? 今日は月に一度の支払いの日だ」
「分かってる……」
「はは、顔色が変わったな」
「うるせぇよ、クソが」

 そう言ってミズキは震える指先で懐から茶色い封筒を取り出し、テーブルにドンと荒々しく置いた。

「……七百万ジェニーだ。確認しろ」
 ジョンは札束を手に取ると機械的に数え出した。
「――九十八、九十九、百。……確かに七百万ジェニー受け取った」
「なら――」
「はは、焦るな。ほら、こちらの品だ」
 ジョンは懐から封筒を取り出すと、それを無造作に投げた。
「大事に扱えよ!」

 蛇のような目でにたりと笑うジョンに苛立たしさが増す。しかし反抗はそれだけで、ミズキはすぐにその封筒に視線を戻して、中から数枚の紙切れを丁寧に取り出した。それは女性の姿が映った写真だった。
 良かった。今月も間に合った……。ミズキは写真の中に写る女性を、慈しむような瞳でそっと撫でた。

「おい、あの人は無事なんだろうな」
「あぁ、無事さ。写真を見ただろう?」
「信用できねぇ……」
「信用? 別にお前に信用されなくても構わない。だがな、一つこれだけは言っておこう。――彼女の無事は保証する、お前が金を払い続ける限り……はな」

 ぶつかり合った視線から火花が散る。

「おいおい、そんな怖い顔をするな。この七百万ジェニーを彼女の治療費に充てている限り、彼女は無事だ。そういう意味だ。勘違いするな……ふふ」

 嘘をつけ、と叫びたくなる気持ちを抑えて、ミズキは「そうかよ」と言葉を絞り出した。抑え込んだ怒りが今にも爆発しそうで、いつも通りの殊勝な顔ができているかどうかミズキには分からなかった。

「話はこれで終わりだ」

 そういうとジョンはもう用済みだと言わんばかりに顎で退出を促した。二十時を指した古時計がボーンボーンと低い音を立てる。ミズキは短く息を吐くと、そのまま踵を返して扉に向かった。

「そうそう、言い忘れていたが……私を調べても無駄だよ」

 その言葉にミズキは足をピタリと止めた。くそ、バレている……と小さく舌を打ったが、くるりと振り返ったミズキの顔にはそんな動揺の色は微塵もない。

「はぁ? 何のことだ?」
「私はただのお使いだからね、調べた所で何も出てこないよ」
「お前、自分が調べられるほどの男だと思ってんのか? 自惚れんじゃねぇよ、この自意識過剰男が」

 ミズキは言葉を吐き捨て、そのまま部屋から出て行った。バタンと扉が大きな音を立てる。古時計のカチ、コチという規則的な音が、札束の積み上がった机の上を静かに通り抜けていった。





「バレてたか……」

 ホテルから程なく離れた場所まで来たミズキは、路地裏のレンガ造りの壁に力なく寄りかかった。

「やっぱ安い所はダメだな……。仕方ねえ、別の所に変えるか」

 確かにミズキはあの男の言う通り探偵を使って身辺を調査させていた。しかも、これが初めてではなく何度も身辺調査をさせていたが、探偵が出す答えはいつも同じだった。

『不審な点はなし。彼はちょっと有名な企業に勤めているだけのごくごく普通のサラリーマンだ』

 それがいつも返ってくる答えだった。ミズキはそれを信じることはできなかった。ごくごく普通のサラリーマンがこんなにも沢山の仕事を持ってこれるはずがない。何かカラクリがあるはず。

「なかなか尻尾を見せねぇな……」

 頭をぐしゃりと掴む。定期的に探偵に支払う調査料が三十万ジェニー、ジョンの出張記録を洗うために支払う情報量が月に七万ジェニー、ジョンの勤めているダスターカンパニーの社員IDとパスワードの取得にかかる金が五万ジェニー。そして、『治療費』の名目で掠め取られる金が月に七百万ジェニー。

「くそっ……貯まらねぇ……。あの人に何かされるかと思うと依頼を蹴って天空闘技場で稼ぐことなんてことできねえし……」

 胸元のポケットに入っている稼いだばかりの四十八万ジェニーが、酷くちゃちなモノに思えてくる。

「稼いでも稼いでも稼いでも稼いでも……全て、出て行く。……ははっ、いつになったら………いつになったら、あの人を探すための金を用意出来んだよ……」

 空を仰ぎ見る。ゴミの散らばる路地裏とは対照的に、空では星がキラキラと光り輝いていた。決して届くことはない美しい星々。眩しくて見ていられなかった。

「金さえあれば、もっと腕のいい情報屋に依頼が出るのに。金さえあれば、あいつの後ろにいる奴が分かるのに……。金さえあれば、金さえあれば……」

 写真を取り出してそっと撫でると、写真の中の女性がこちらに笑いかけた気がした。感情がぐっと込み上げる。

「泣くな泣いちゃダメだ。前を向け。前だけを向くんだ……。振り返るな、足を止めるな、立ち上がれ……」

 しばらくして立ち上がったミズキの顔には、さっきまでのあった迷子の子犬のような顔はなく、いつも通りの殊勝で生意気な顔だけがあった。

 歩き出したミズキの上空にはそれはそれは美しい満天の星空が広がっていた。しかし、苦しみの中でもがき続けるミズキには空を見上げる余裕もそれを美しいと思う余裕もない。ミズキの目の前にはただただ暗闇ばかりが広がっていた。




[2.護衛の護衛 3/3]


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