04




「……ねぇ。聞いてるんだけど。無視? 殺すよ?」

 怒りを含んだ声に慌てて飛び起きると、猫目の瞳が食い入るようにこちらを見ている。逃げ出したい衝動に駆られながらも男の「逃げたら殺す」という無言の圧力を感じたミズキは、「無視するつもりはありません」というアピールを込めて男の目の前に正座で座る。

「ねぇ。それ、何?」

 死んだふりをしたことを指しているのだろうか、改めて問われると答えに詰まる。しかし、適当に誤魔化す事は許されそうもなく、ミズキは羞恥に顔を赤くしながら「死んだふりをしていました」と途切れ途切れに答える。

「やっぱりね。変だと思ったんだ。当たってないのに倒れるから。」
「……見えてたのか?」
「ん。見えづらかったけど、なんとなく。」

 心臓めがけて飛んできた鋲は、死んだふりの一連の動作に紛れ込ませてバレないように受け止めたはずだったが、それもこの男には意味がなかったようだ。

「死んだように見えたし、別にそのまま通り過ぎても良かったんだけど。ちょっと気になることがあってね、"絶"で戻ってきたんだ。」

 そのまま行ってくれて構わなかったのに……。そう言いたかったが、何かを検分するようにじっと覗き込む男にミズキは言葉を飲み込む。

「……ねぇ、会場で見てたでしょ? 俺のこと。」
「ばっ、なぜそれを――」
 直ぐに手で口を塞いだが、これでは見てましたと白状したのと同じだった。
「やっぱりね。妙な視線を感じると思ったんだ。」
 目の前に座るミズキを上から下までまじまじと見るその視線には、「なんだこんな弱そうな子どもに見られていたのか」という思いが滲んでいる。
「少し勘がいいみたいだけど……御愁傷様。死んで。」

 言うが否や、男は懐から鋲を取り出し投げつける。しかしそれとほぼ同時――いやそれより一瞬早く攻撃を予想したミズキは後ろに飛び退きそれを避けた。続く第二弾、迫り来る三本の鋲もミズキは右に左にと飛んで避けた。

「意外とやるね。弱そうなオーラしてるくせに。」
「お褒めの言葉ありがとうよ、全然嬉しくねぇがな!」

 切迫した状況だと相手に知られてはいけない。生意気な言葉を返しながら周囲を素早く確認するが、芝生と低木が広がるこの場所には男の攻撃を避けるような背の高い遮蔽物は見当たらない。逃げ口のとなる正面ゲートは男の背後にあり、裏口はここから八百メートルほど離れたところにある。ミズキは一瞬裏口から逃げ出すルートを頭に思い浮かべたが、スモーク弾も手榴弾もナイフも銃もないこの状況で、この男相手に背中を向けて逃げ切れる自信はなかった。

 攻撃を避けるにしろ逃げるにしろできるだけ間合いは取っておきたいと、ミズキは構えを取りながらじりじりと後方に足を進めたが、男はそれを許さない。ビュビュビュと鋲が放たれる。上下左右にプラスして真ん中を射抜くその攻撃に逃げ場はない。ミズキはオーラを込めた手で上下の鋲をはたき落とし、右に飛び、そのまま膝を使って身体をねじ込む。

「ぐっ!」

 避け切れなかった鋲がミズキの服を破っていく。しかし間一髪、体は無事だ。ミズキは地面ですぐに態勢を立て直し、間合いを詰める男に向き合う。ナイフのように硬い男の手がミズキの左腕をえぐるも、ミズキは絶え間無く続く男の攻撃を避けながら後ろに後ろに飛んで間合いを空けた。
 強い。目的の場所はまだ遠く、攻撃を避けるだけで精一杯だった。

「く、そ……お前、何者だ!?」

 攻撃を少しでも引き延ばそうと、ミズキは口を開いた。
「オレ? オレは、イルミ。イルミ=ゾルディック」
「はぁ!? ゾルディックってあのゾルディック!?」

 ゾルディックと言えば世界有数の暗殺一家、その姿を見て生きている者はいないとさえ言われている。

「そうか…通りで強いと思ったぜ」

 そう小さく呟いたミズキの頬を一筋の汗が流れる。世界トップクラスの人間を相手にやれることは限られている。この時間稼ぎも意味を成しそうになかった。

「オレの名前はミズキだ、以後ヨロシクしてくれなくて構わねえよ!」
 ニヤリと唇を上げて不敵な笑みを送る間もミズキは頭を必死に動かして、この場をやり過ごす算段を必死に巡らす。

(随分と場所を移動できた……)

 攻撃を避けている間に低木のエリアは終わり、ミズキとイルミは水が並々と張っている噴水と白い像がいくつも立ち並ぶエリアに来ていた。中央の白い円盤が重なった部分から数十秒ごとに水が噴出する噴水は相手の意識を削ぐのに使え、噴水を囲むように佇むビーナス像の土台部分は、攻撃避けるのに使える。やっと戦える場所に来た。

 安堵の息を吐いたミズキはしかしイルミの構えた手を見て顔を青くする。その手には二十本を軽く越す数の鋲があった。あれを広範囲に投げられたらたまったもんじゃない。負傷して動きの鈍くなった箇所を皮切りに攻撃を叩き込まれるだろう。

 しかし、――絶体絶命の状況にも関わらずミズキは笑った。イルミが何か言いたげに眉をひそめたその瞬間、ミズキの身体から膨大な量のオーラが噴き出した。

『優雅なる濁流弾(トルネード・ウェーブ)』

 そう叫ぶと同時にミズキの身体から噴出した大量のオーラが、ぶわっと風を起こしながらミズキの背後にある噴水へと一斉に向かい、そして、噴水にある多量の水と混じり合い大津波となってミズキの前に落下する。水壁だ。ミズキは液体操作を得意とする念能力者で、噴水のあるエリアまでイルミを誘導したのはこのためだった。
 不敵な笑みを浮かべるミズキの前で、水の津波に叩き落とされたイルミの鋲がカランカランと地面で小さく音を立てる。

「まだだよ。」

 不満気にぼそりと言ったイルミは、波の切れ間を狙っているのか、はたまた波の加圧を計算した上で投てきしようとしているのか、鋲を片手に鋭い瞳をミズキに向けている。
 事実、上から下に大きく移動させた質量ある物体を再度下から上に移動させようとすると、その転換には相当の時間とエネルギーが必要となる。――急な転換ができない。それが液体操作を得意とする能力者の弱点であった。無論、ミズキも例外でなく、転換のわずかな瞬間を狙われれば一巻の終わりであった。しかし、構えられたイルミの手から鋲が放たれることはついになかった。

「よく頑張るね、それ。」

 猫目の瞳をほんのわずかに細めてイルミが言う。大津波となってミズキの前に立ち塞がった多量の水はイルミに襲い掛かることなくその場に留まってミズキの周りで円を描くようにして渦を巻き、二メートル近くあるそれはミズキをスッポリと隠していた。

「お前の攻撃を防ぐためにはこれぐらいしねえとな。なんだ、もう終わりか?」
「死にそうな顔してよく言うね。」

 大量の水を操作するには多量のオーラが必要となる。生意気な態度で軽口を返すミズキの顔は多量のオーラを練ったせいで青色を越して土気色になっていたが、全方位を守るその水壁はイルミの攻撃を防ぐには最善の手であった。

「死にそうな顔? 馬鹿言うな、オレは元々こういう顔なんだよ」

 戦いの場での弱みは死に繋がる。ミズキは今にも飛びそうな意識を唇を噛んで繋ぎ止める。
「それにしても守り一辺倒だね。ミズキ……だっけ? 反撃しないの?」
「何言ってやがる。天下のゾルディックに向けて刃を向けるほど、オレは馬鹿じゃねえ……」
「え? でも、スターリッドの人間でしょ?」
「違えよあんなしょぼマフィア! これはバイトだバイト。見ろよシンボルマークつけてねえだろ!?」
「あ。ごめん。興味なくて。気にしてなかった。」
「はぁ……だと思ったぜ。こっちは命がけだってのにな」

 チカチカと視界が点滅し出し、噛み締めた唇から血がポタリと垂れていく。保ってあと五分。ミズキは霞のかかり始めた頭で必死に言葉を続ける。

「興味ねえんだったら、このまま見逃して屋敷に向かってくれると助かるんだがな? それともなんだ、お前の仕事にはオレみてえな雑魚まで含まれてんのか?」

 雑魚一掃が依頼に含まれていない可能性は大いにあった。皆殺しならばわざわざ気配を消して会場に潜入するはずもない。あれは暗殺対象の人間がどれくらいいるか偵察だったのだろう。最後の望みを掛けて、ミズキは絞り出すようにして言う。

「……ホントはオレを殺すのなんてお前にとってはどうでもいいことなんじゃねぇの?」
 ミズキの言葉を受け、イルミは少し考えるそぶりを見せる。その時間が、ミズキには永遠のように思えた。
「……それもそうだね。今回の依頼はスターリッドファミリーボスと幹部の抹殺だから部外者は含まれてないんだよね。ま、邪魔な奴は全員殺すつもりだけど。」
「なら――」
「聞くけど。ミズキはオレの邪魔するつもりはないんだよね?」
「当たり前だ。ゾルディックの邪魔するつもりはねえ……」
「ミズキを殺すのは時間がかかりそうだし。向こうの様子が気になるし。今回は見逃してあげる。」

 そう言うとイルミは鋲をしまい、踵を返してスタスタと歩いていった。
 やった。やっと終わった――。イルミが視界の向こうに消えてから、ミズキは念を解除した。ミズキの壁となっていた水がパシャリと音を立てて崩れていく。膝がカクンと折れ、すぐにでも意識が飛びそうだった。

(嫌だ……やめてくれ……)

 瞳孔を開き口を三日月に歪めた自分が、背後からヒタ……ヒタ……と忍び寄っている気がした。飲み込まれるな。意識を保て……。そう必死に耐えるも、我慢の限界が訪れたミズキはそのままふっと糸が切れたように意識を失った。





 ミズキは夢を見た。ミズキが消し去りたいと願っている悪夢を。
「殺せ……殺せ、殺すんだ……」
 暗い暗い洞窟のような空間でただ一人、ミズキは繰り返しその言葉を呟いていた。
 虚ろな瞳、生気のない顔、返り血で汚れた体。地面には汚物と肉片が転がり、死臭が鼻を突く。そこは死の空気が漂う空間だった。
「殺さないと……私が、殺さレる……殺セ」
 ここはミズキが『狂ってしまった』場所。ミズキがミズキで無くなった場所。
「殺セ……殺セ……」
 ミズキは虚ろな瞳で呟きながら赤く染まった体を引きずって死の満ちたその空間を進み続ける。ただひたすらに。見つからない出口に向かって――。




 ハッと目を開けたミズキの周囲にあったのは完全なる静寂だった。さわさわと風が樹を揺らし、フクロウがホーホーと鳴いている。目眩と嘔吐感の残る体に鞭を打って体を起こし、ミズキは屋敷へと向かった。道すがら来る時にはなかった死体が転がっており、その全てに鋲が刺さっていた。イルミの仕業だった。

 屋敷の中の惨状は想像以上で、イルミがぶち開けたと思われるひしゃげたシャッターの穴から屋敷に足を踏み入れると、折り重なって倒れている人の山が目に入った。一番近くで倒れている男の首筋に手を当てたがやはり脈はなく、その温かさから死んで二十分いったところだろうとミズキは目測した。

「凄えな。これ全部一人でやったのか……?」

 答えは明白だった。報告用にと携帯で写真をパシャパシャ撮りながら屋敷内を歩いた先で、ミズキは今晩のパーティーで主役になるはずだった男の姿を見つけた。表では地元の有力者風情を装いながら、裏では買収をはねつける判事を誘拐して首を切断しその口に札束をねじ込んでその写真を家族に送りつける、そんな男の最後はあまりにも惨めな姿だった。

「きゃぁぁー!!」

 突然悲鳴が聞こえ、ミズキは気配を消し声の聞こえてきた方に急いで向かう。扉の隙間から中をそっと覗くと、女が血塗れの現場に腰を抜かしていた。さらによく見ると、人山の下でもぞもぞと動いている人間が見える。十中八九、最初のオーラの噴出で気絶をした生命力の弱い人間だろう。

(皆殺しかと思ったけど。ターゲット以外を殺さないでいくだなんて、あいつ、意外といい奴だな……)

 気絶していたので邪魔のしようがないとも言えるが、ミズキは口だけでふっと笑うと、人がいる以上長居は無用だとそのまま静かに屋敷を後にした。





 時間は少し遡る。これはミズキが屋敷を離れる三十分ほど前の事、イルミはスターリッドの屋敷から程なく離れたビルの屋上で飛行船の到着を待っていた。上空から降り立った飛行船から、黒いスーツに身を包んだ眼鏡の男が、イルミに恭しく頭を下げる。

「おかえりなさいませ、イルミ様」

 男の名前はゴトー。ゾルディックの執事の一人であり、その顔にはイルミに対する敬服と恭順が刻まれている。

「イルミ様、シャワーと軽食とお休みのベッドをご用意しておりますが、いかがいたしますか?」
「うーん。じゃ、最初シャワー、その後夜食。……あ。今日は飲みたい気分だから、ワイン用意しといて。」

 しばらくしてシャワー室より出てきたイルミが目にしたのは、高級赤ワインの一つである「ロマネ・サン・ヴィヴァン」と小洒落た品の数々だった。

「軽くで良かったのに。」
「お嫌いですか?」
「いや、うん。これでいいよ。飲みたい気分だったし、ちょうど食べたいなって思ってたのばかり並んでるし。」
「それはようございました。本日ご用意したのは、千年樹のチップを使って燻したスモークチーズ、鴨ロースの赤ワインソースかけ、そしてトマトとモッツァレラチーズのバジル添えです。他にもご要望がございましたら、お作りさせていただきます」

 ゴトーに椅子を引かれてテーブルについたイルミは、猫目な瞳を少し細めてワイングラスを手に取る。

「今日のお仕事はいかがでした?」
「特に、何も。」
 トポトポと注がれるワインを見ながらイルミは感慨深さも何もないといった様子で言葉を返したが、しばらくして何かを思い出したように口を開いた。
「あ、でも。いつもとはちょっとだけ違ったかな。」

 芳醇な香りとまったりとした舌当たり、そして、飲み終わった後に鼻に抜けてゆく奥深い味がイルミの味覚を喜ばす。主の心地良さそうな顔に、ゴトーもその鉄壁の執事の仮面の下で頬を緩ませた。しかし、次に聞こえた主の言葉に、ゴトーは自分の耳を疑った。

「イ、イルミ様……今、何と……?」
「聞こえなかった? 今そこで死んだふりしてよって言ったの。」
「死んだふり、ですか?」

 雇い主の無茶振りにゴトーは目を丸くしたが、しかし、こくんと頷くイルミを見て、これは要望を聞くしかないとゴクリと唾を飲んだのだった。




[2.護衛の護衛 2/3]


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