03




深い深いまどろみの中
私はいつも思う

次に目を開けた時
この悪夢は消えているだろうかと

毎晩繰り返される私の願い

五日前も十日前も私は願った
五十日前も百日前も私は願った
「夢よ醒めろ」と呪うように願った

しかし、無情にも悪夢は醒めない
私はきっと明日も願うのだろう

「夢よ覚めろ」と飽きることなく――






2.『護衛の護衛』


 背丈を越す本棚がそこかしこに並び、所狭しと色とりどりの本が棚の中に詰められている。特定の夢を繰り返し見る事を相談した由紀から「一度夢診断してみたら?」とアドバイスを貰った私は、夢診断の本を買いに県内最大規模の本屋に来ていた。

「私、あっちのコーナーに行ってるからね?」

 雑誌コーナーで立ち読みをする由紀に声を掛けると、由紀は振り返らずに手をひらひらと振ってきた。私を一人にしてくれる由紀の気遣いだろう。心の中で由紀にありがとうと言って私が向かった場所は社会科学のコーナーだった。その中の心理学の棚に指を当て、目当ての本がないか順々に探してゆく。

『無意識の構造――ユング心理学の分析と展開――』
『夢と夢解釈――フロイト精神分析入門――』

 目についたその本は、難解な専門用語ばかりが並んでいて全部を読み切れる気がしなかった。棚に戻して本探しを再開すると、なかなか良さそうなタイトルが目に入った。

『夢占い大辞典』

 その本は見た夢の内容に合わせて自分の現状や深層心理が分かる本らしく、ページを開くとあいうえお順にキーワードが並んでいた。この本にしよう。そう思いレジに向かった途中で、可愛らしいピンクの本が目に入り私は足を止めた。

『オーラの法則――スピリチュアルな生活を始めよう――』
 目に入った言葉に、心がざわりと逆立つ。
『これはね、オーラなのよ……』

 夢で見た女性の声が蘇る。前世とか来世とか守護霊だとか、そういったスピリチュアル用語の一つを、なぜ彼女は重大な秘密のように喋っていたのだろうか。一緒に話していた「ネン」という言葉は関係あるのだろうか。

「年」「燃」「念」「粘」「ねん」「ネン」

 頭の中で「ネン」という言葉をいくつも浮かべたが結局答えには辿り着けず、とりあえず意味不明な「ネン」は置いといて比較的分かりそうな「オーラ」に焦点を当てようと、私は「スピリチュアリズムとオーラの関係」という本を手に取ってレジに向かった。

 まだ何かを調べなくてはいけないような、何かを知らなくてはいけないような、何とも言えない不安が胸にじわりと広まるも、何をして良いか検討もつかなかった私はそのもやもやを強引に押し込んで、本棚の群れを後にした。

 この時の私は知りもしなかった。オーラについて重大な勘違いをしていたということに――。

 私が「ネン」と「オーラ」の本当の意味を知ったのは、この時からさほど遠くない"未来"での事だった。





 濃紺だった空が次第に薄紫へと変わっていく中、ミズキはレンガ壁に挟まれた細い路地裏にある空き箱の上で、拾った新聞をぺらりとめくった。

「ジリキスタン解放戦線、によるテロで、四十三名死亡……か。物騒な世の中だな」

 テロ組織に武器を流した人間はどこの組織だろうか。ミズキは国際地図を頭に浮かべながら記事に目を通してゆく。

「ふむふむ……多国籍企業『ハクサンインターナショナル』が、中央演算処理装置で有名な『インストール』の合併に失敗……世界シェア第四位の、『ダクター』が敵対的買収を仕掛ける、か……」

 マフィアンコミュニティーは世界中に数百数千とあり、人身売買麻薬売買で利を得ている組織からフロント企業をいくつも立ち上げて経済界に影響を与える組織まで多岐に渡る。金欠ゆえに情報屋を頻繁に使えないミズキは、こういった隙間時間を使って様々なニュースを自力で仕入れていた。

「……誰だ!?」

 次の情報は……とページをめくったミズキの手が前触れもなく固まる。

「え? ミズキ、どうしたの!?」

 もしかしたら例のピエロかもしれないと身構えて振り返ったミズキの目に入ったのは、牛乳瓶の詰まった箱を肩から下げたまま固まる少年の姿だった。

「なんだよ、ライスかよ……。忍び足で近寄ってくんなよ、ビックリしたじゃねえか……」
「僕、忍び足なんかしてないよぉ。……でも、よくあんな遠くから僕が来るって分かったね! さすがミズキ!」

 キラキラした顔でミズキに話し掛けるこの少年の名前はライス。ミズキのホームとしている『ストックス』で路上生活をしながら空き缶・鉄屑拾いや新聞・牛乳配達で生計を立てる少年であった。

「お前は牛乳配達の途中か?」
「うん、今半分終わったところ。あ、新聞……。僕、字が読めないからなぁ……何か面白い記事あった?」
「うーん……お前に関する記事って言ったら、今年は水不足になりそうってくらいかな?」

 ストックスは首都ニューステイのベッドタウンとして栄えている町であったが、ライフラインが整っているのは新興住宅街のエリアばかりで、ミズキたちがたむろしている旧市街の方は百年前から何も変わっておらず、上水道はおろか下水道の設備も未熟だった。

「そんな顔すんなよ。カイザ爺さんの事は自業自得だって何度も言ったじゃねえか。死にたくねえなら井戸まで水を汲みに行く。それが嫌ならちゃんと金を払って水を買う。今から夏に向けて水を買う金を貯めるのが懸命だ」
「でも、売り上げのほとんどは親方が取っちゃうから……」
「なあ、ライス。うん十年と道端で暮らしていたヤツだってただ腐った水を飲んだってだけで簡単に死ぬんだ……お前はまだガキだ、抵抗力も大人ほどねえ……ちょろまかすのが嫌だって気持ちも分かるが、そんな事を言ってられないだろ?」
「分かってるよ、ミズキ。『自分の身は自分で守れ。さもなければ弱い奴から死んでゆく』、でしょ?」

 この街に住むようになって五年。夜に『ニューステイ』近郊で仕事をし、朝方にこの『ストックス』に戻って仮眠を取り、昼は郊外にある『ガラナス山』で鍛錬を積む生活をしているミズキにとって、必ずしもこの町も浮浪児たちと仲良くする必要性はなかったが、慕ってくる年下の子供たちを無下にすることはできず、ミズキは時間を作っては浮浪児たちに生き抜く知恵を教えていた。

「さてと、仕事だ仕事!」

 今晩は『スターリッドファミリー』の邸宅での護衛の仕事が入っている。ミズキに頭を撫でられ嬉しそうな顔で配達に戻ったライスを見送った後、ミズキは大きく伸びをして立ち上がった。

 仕事の開始は夕方の五時。力のない人間はすぐに淘汰されるこの世界で生き抜くためには鍛錬は欠かせない。今からなら仮眠の時間を除いたとしても六、七時間は鍛錬に時間を割けると、ミズキは鍛錬場としている『ガラナス山』に向かって走り出した。


 夕方五時。ガラナス山での鍛錬を終えたミズキは、普段の薄汚れた服とは異なるフォーマルな服で、指定された邸宅の前にいた。外周には三メートルを越す塀がぐるりとあり、入り口には警備員が常駐する小屋、その先には学校のグランドに匹敵する広さの庭が広がっている。

 屋敷に到着したミズキはまず始めにプロフィールとの照合とボディーチェックを受けた。今回のミズキの仕事は『ボスの護衛の護衛』で、端的に言えば狙撃のされ易いポイントに生身で立って有事の際の弾除けにされるという仕事だった。どこか胸騒ぎのしていたミズキは武器の所持の必要性を説いたのだったが、弾除けの人間にはそのような武器は必要ないと、持ち込んだ武器は全て取り上げられてしまった。

 午後六時。狙撃防止のために背丈の高い樹を何本も植えているこの屋敷では、狙撃され易い場所は限られていたが、それでもポイントは十数箇所あり、生きた壁として収集された人間たちは三人一組に分けられてそれぞれの場所に行くよう指示された。
 ミズキが配置された場所は屋敷の右舷側で、正面口へと吸い込まれてゆく招待客がよく見える場所だった。

「おい、兄ちゃん見ろよあれ。今車から降りてきたあの男……確かお偉い議員さんじゃなかったか?」

 隣に立つ、三人一組で組まされたホームレス風の初老の男の言葉に目をやると、以前新聞で見た記憶がある男が、黒塗りのベンツから降りてくる所だった。

「ああ、たぶん連邦議会の上院議員……だと思う」

 清廉潔白な熱血議員として新聞では紹介されていたが、それがどうしてこんな裏社会の人間が集まるパーティーに来ているのだろうか。どうやら世の中は憎まれっ子がはばかるように出来ているらしいとミズキはふんと鼻を鳴らした。

「おい、お前らさっきからうるせぇんだよ!」

 反対側に立つ、三人一組で組まされたもう一方の男が怒声を上げる。いかにも筋肉バカといった風貌の筋骨隆々の男が、幹部に気に入られれば巨額の金が入るのだからとこの仕事の重要性を大声でがなり立てる。

 午後七時の鐘が鳴る中、ミズキは「あのふんぞり返った男たちがこんな切り捨て役の仕事をする人間を取り立てるわけがないだろう……」と思いながら、男のはた迷惑な主張を聞き流していた。その証拠にサブマシンガンを片手にボスを護衛している幹部クラスの男達は、今この瞬間も護衛の護衛の人間をまるでゴミでも見るような目で見ている。
 各ファミリーは連帯感を強めるために、共通のタトゥーやお揃いのバッジ・指輪・時計などの『シンボルマーク』を身につけるものであったが、スターリッドファミリーを表すライオンとオリーブの絵柄が入った黄色地のネクタイが、ミズキたちと幹部の埋めきれない差を凄惨と語っていた。

 あの澄まし顔の奴ら、襲撃されても同じ顔ができるか見ものだぜ……。そう心の中で呟いたその瞬間、ミズキは驚愕で目を見開き、思わず出そうになる声を強引に飲み込んで後ろを振り返った。

 間違いなくミズキは用心していた。いくら軽口を叩いていたとしても、いくらボスの方に意識を向けていたとしても、護衛の護衛として襲撃の可能性がある以上、警戒心を怠ることはしなかった。それなのにミズキは気づかなかった。長髪の男が自分のすぐ側を通り過ぎるまで、その存在に気づかなかったのだった。何者だ――。

 ミズキは黒髪を揺らしてパーティー会場へと歩いてゆく男を目で追った。人にぶつかることなくすいすいと歩いてゆく男は、後ろ姿からでも分かるほど均整のとれた身体つきをしていた。顔は見えなかったが女性客が黙ってはいないスタイルを持っている。それなのに、会場内でこの男に注目している者は一人としていない。

『存在感がない』

そう、この男はまるで幽霊のように存在感がなかった。見晴らしの良いこの会場で不自然にオーラが消えていたら、誰かしらに不審に思われる事を分かっているのだろう。目に"凝"をすると、予想通り男は"絶"をしていなかった。
 人の意識に入りにくい位置を見抜き誰にも注視されることなく移動する。それは非常に高度な技術で、長年の訓練とそれなりの実践を経験していないと身につかないものだった。間違いなくあの男は強いだろう。ボスの護衛についているボディーガードより数段上だ。そうミズキは目測した。

(あいつ、スターリッドの人間か? それとも招待客? それとも――)

 ミズキの位置からはもう男の背中しか見えず、男がシンボルマークをつけているかどうか確認できなかった。しかし、今夜は何かある――と予感めいたものが背筋を駆け抜け、ミズキは緊張でゴクリと唾を飲んだのだった。


 午後十時、宴もたけなわとなり、男は見目美しい女を、女は小金持ち風の男をといった具合で偽りの恋の駆け引きが繰り返される中、それは起こった。
 突如足先から頭の先へとまるで虫が這い登るような不快なオーラが走り抜け、招待客の何人かがパタリパタリと倒れていく。

「なんだこれ……寒い……」

 近くから聞こえた声に振り返ると、隣の初老の男が歯をガタガタと鳴らしながら倒れてゆく。普通の人間にとって悪意のあるオーラは、極寒の地を裸で歩くほどに強烈なもので、絢爛豪華な大広間では既に二百人近い人間が、折り重なるようにして倒れていた。しかしさすがマフィアンファミリーのパーティーに参加する面々と言ったところか、残った人間はしっかりと意識を保ってこの緊急事態に備え、銃を片手に鋭い目を周囲に向けている。

(あの男だ――)

 体を鍛えている者、意思の強そうな者、そして念能力者と、まるで生命力の強い人間だけをふるいにかけたような状況に、あの黒髪の男の姿が脳裏をよぎる。わざわざこの日を選んで屋敷に潜入しているのだ。このまま何も起こらずに終わるはずがない。そう思い唾をごくりと飲み込んだその瞬間、甲高い発砲音が耳をつんざいた。

「敵襲だ!」

 続く発砲音。反射的に伏せたミズキの頭上を弾丸が飛び、背後の白い柱に銃弾痕を作る。石柱の影に飛び込み、そこから庭の様子を伺い見るが、学校のグラウンド程の広さがある庭園には、樹木や石像などの襲撃者が身を隠す所がそこらじゅうにあり、パッと見た限りではどこに誰が隠れているか分からない。

『――ザザ……おい、どうなっている…』

 耳につけたトランシーバーから幹部が問い掛ける。

「流れ弾だ。おそらくゲートの方で襲撃を受けている」
『……そうか。では、ゲートを見て来い。そして襲撃人数・武器・戦況・その他を報告しろ。……ザザ――』

 一方的に告げて無線は切れた。後ろを見るとバロック建築には不釣り合いな鉄製のシャッターが、ガタガタと音を立てて降りていく所だった。死角となるバルコニーや襲撃用の小さな小窓にライフル銃を構えている男がいる。護衛の護衛の人間を撒き餌として放ち、敵を撃ち落そうという魂胆なのだろう。

 捨て駒としてブレない指示に苛立ちが増すが、命令は命令だ。ミズキは樹から樹へと身を隠しながら庭園を横切ってゲートの方へと向かった。途中、同じように庭に向かうよう指示された護衛の護衛の人間が、流れ弾に当たって倒れていくのが見えた。背中から撃たれた人間もいる。前からは襲撃者。後ろからはライフル銃を構えたスターリッドの人間。もう逃げ場はなかった。

 ガサリと樹木の葉が揺れ、草いきれの向こうから男が姿を現した。敵兵だ。距離五十メートル。手には自動小銃。拳銃なんてちゃちなものではない。引き金を引いた瞬間に大量の銃弾を放つ、戦争の殺し合いに使われる殺戮兵器だった。

「くそっ!」

 右に転がり込むのと同時に、ドパパパと銃弾が撃ち込まれる。蜂の巣になった樹齢百年はある太い幹がミキミキと音を立てて倒れてゆく。圧倒力火力だった。しかもあのマガジンの大きさ。少なくとも百発は銃弾が込められているだろう。時間がない。先手必勝とミズキは駆け出した。

 ミズキを狙って銃口が火を吹き、射出された銃弾が地面に大量の穴を開ける。読み違ったら一巻の終わりだ。ミズキは男の照準を予測しながら右に左に飛んで距離を詰めた。あと十メートル。ミズキは手に持った砂利を男に投げつけた。
 一瞬の空白。男が目をつぶったその瞬間に、ミズキはギュンと加速して男の懐に入り込み、自動小銃を蹴り上げた。銃が空中で弧を描く。ミズキはすかさずみぞおちに拳を叩き込んだ。

「ぐはっ……」

 そのまま男の後ろに回り込んで首を絞める。数秒後、男はゴキッと音を立ててその場に崩れ落ちた。

「はぁ、はぁ……。良かった、何とか倒せた……」

 秒速980mで射出される9ミリ弾をしこたま食らえば、いくらオーラで身を守っていたとしても致命傷は免れない。ミズキは肩で大きく息をしながら、額の汗を拭った。
 それにしても、厳重な警備のここを襲撃してくるだなんて、いったいどんな奴なのだろう。疑問を覚えたミズキは息耐えた男をゴロンと仰向けにした。

「まさか、こいつ――」

 男の首元にはスターリッドファミリーの証である黄色いネクタイが下がっている。ミズキの記憶に間違いがなければその男は屋敷に到着した時にボディーチェックをしていた男で、虎の威を借る狐のように高圧的に振舞っていた人間が、拠り所とする組織を襲撃するとは思えない。

「なんだ……これ?」

 さらに慎重に男を調べると、男の頭に何か刺さっているのが目に入った。引き抜いて手に取るとそれは銀色の球体に十センチほどの鋭利な針がついている鋲だった。濃密なオーラが纏わり付いている。
 嫌な予感に背筋が凍り、ミズキは弾かれたようにして地面に耳を当てた。三秒間銃声音が聞こえ、二秒休み、そしてまた三秒間銃声音が聞こえる。銃撃戦の最中とは思えない規則的な音だった。
 人に注目されることなく移動する男に、屋敷中に放たれた膨大な量のオーラ。そして、頭に鋲を打たれた男に、規則的な動きをする襲撃者。ミズキの予想通りならこの襲撃はおそらく――。

「やっぱり……ダミアンじゃないか」

 鬱蒼とした繁みの向こうから声が聞こえ、ミズキは咄嗟に樹の影に体を隠した。声の主に気付かれないように伺い見ると、そこにはライフル銃を腰に構えた男が三人いた。首には黄色地のネクタイがある。さしずめ、襲撃者を狙撃し終え確認に来たスターリッドの警備の男だろう。

「なんでこいつが……ダミアンは同期の中でもパパディーノへの忠誠心が飛び抜けて強かった男だぞ!?」
「まさか、脅されて……いや、こいつは家族を人質に取られたくらいで寝返るような奴じゃない」

 男達が口々に話している。そんな中、何かを見つけたのか男の一人が声を声を荒立てる。

「おいてめえ、こんなところで何してやがる!」
 男達の影になっていてよく見えなかったが、向こう側に誰かいるようだった。
「てめえが、ダミアンをたぶらかした奴か!」
 がちゃりと銃のセーフティーガードを下ろす音が聞こえる。
「くそっ!」

 ミズキは木の枝を掻き分け、前に駆け出す。銃撃戦が行われるこの庭に突如現れた、ファミリーにも、襲撃者にもそれを迎え撃つ人間にも、もちろん撒き餌となった護衛の護衛の人間にもカウントされない者。それは、つまり――

「君たち、うるさいよ。」

 抑揚のない声。生垣を抜けた先に居たのは、黒髪をなびかせながら佇む一人の男だった。すっと通った鼻筋に弓形に整った眉、猫のような黒目がちの瞳。遠目からでも分かる鍛え抜かれたその体躯は、入り口で見た男のそれと同じだった。

 風がざあっと吹き、背中まである艶やかな黒髪が月の光を反射しながらふわりと揺れ、男の指先が真円を描く。滑らかなその動きにミズキはほんの半瞬見とれていたのかもしれない。

「くそっ!」

 気づいた時にはもう手遅れだった。長髪の男が放った鋲が、寸分違わぬ狙いでスターリッドの男たちとミズキの心臓目掛けて飛んでくる。
 幸い男との距離は離れており避けるのは簡単だった。しかし、避けるにしろ、たたき落とすにしろ、それはある程度の戦闘力があると相手に知らしめる事になる。
 どう贔屓目に見ても、男はミズキの数倍強い。戦ったら確実に負ける。そう、この戦いは戦ってはいけないのだ。攻撃を避けても叩き落としても受け止めてもいけない。そう結論づけたミズキは迫り来る鋲に神妙な顔で向き合った。

「ぐぎゃぁ!」

 男たちの悲鳴に被せてミズキも潰れた声を出し、胸に手を当てながら目をカッと見開き、「なんだ、これは……」といった理解の追いついていない顔をする。そして、下半身から力を抜き、カクンと膝を折り、そのまま顔面から倒れこむ。いわゆる『死んだふり』だった。

 男が近づく気配がする中、ミズキはオーラを少しずつ絞ってゆき、息を細めると同時にまるで魂が抜けるようにふわりとオーラを放出させた。オーラ操作に並々ならぬ執念を燃やし、何度となく人の生き死にを観察してきたミズキだからこそできる芸当であった。
 死亡を確認しているのだろうか、すぐ近くで男が足を止める。ミズキは冷や汗を書きながら、魂の尾のように垂れ流していた最後のオーラを止め、完全な"絶"状態に入った。これで傍目には死体と変わらないはず。
 早く行け早く行け早く行け……。永遠のような一瞬が流れ、男はそのまま屋敷の方へと歩き出した。良かった。なんとか切り抜けられた。完全に気配が消え去ってから、ミズキはふぅ……と安堵の息を吐いたその時だった。

「ねぇ。そんなところで何してるの?」

 頭上から声が降ってきた。ま、まさか――。おそるおそる顔を上げると、目の前には首を小さく傾げながら、不思議な物でも見るようにこちらを覗き込んでいる猫目の男がいた。
 ポクポクポクポク、チーン。たっぷりと三拍、ミズキの脳内で木魚と小鐘の音が鳴り響いた。




[2.護衛の護衛 1/3]


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