02






「追いかけっこはもうお終いかい」

 貼り付けたような薄ら笑いが忌々しかった。

「お前と追いかけっこをした覚えなんてねえんだけど……。それよりお前、昨日の人の良さそうな姿はどうしたんだよ? 今のその馬鹿みたいな姿がお前の地か?」
「それはキミも同じだろ? 昨日は人も殺せないような非力な子供の振りをしといてさ」
「ハッ、全て分かっててあの態度か。性格悪いな、お前」

 悪態をつきながら、ミズキは視線だけで退路を確認する。しかしこの場合、退路有無が問題ではない。

「逃がして、くれるわけねえなこりゃ……」

 言いかけた言葉が尻すぼみになる。そんなことはわざわざ言葉にしなくても分かりきっていた。なぜなら男は雄弁に語っていたのだ。まるで飢えた獣のようにミズキを舐めまわす瞳で、そして体を覆う禍々しくも好戦的なオーラで。

「キミの戦う姿を見てからね、ココが猛って仕方がないんだ。鎮めて……くれるかい?」

 局部をズキューンと前に突き出した男から不穏なオーラが放たれ、二人を包む空気がピンと張りつめた。その間を一陣の風がひゅう、と静かに駆けていく。

 次の瞬間、ミズキと男の距離が一瞬で縮まり、キンッと甲高い金属音が鳴り響いた。男の繰り出したトランプとミズキが腰から抜いたナイフとが、キチキチと音を立てる。
 刃物と同等の強度を持つトランプ、それは念の高等技術『周』を使いこなしている証だった。加えてこの威力、このスピード。この男、格段に強い――。
 一瞬で力量を感じ取り、ミズキは後方に飛び退いて男との距離を取った。男はまるでベッドに誘うかのような甘い仕草でミズキに手招きをする。

「くそっ!」

 ダンと踏み込み攻撃を繰り出す。早朝の街にカンッ、キンッと甲高い音が絶え間なく鳴り響く。しかし、ナイフの切っ先は全て男のトランプで抑えられ、あと一歩のところで届かなかった。
 この男遊んでやがる――とミズキが歯軋りしたその瞬間、キンッと一際高い音が響き、ミズキの手からナイフが飛んでゆき、空中で弧を描いて地面でカランカランと乾いた音を立てた。

「ナイフ、飛ばされちゃったね? 取る間待っててあげようか?」

 男は喉を鳴らして言う。
 ミズキは裏の世界で食いつなげる程度の戦闘力を持っていたがそれはあくまで一般人換算の話で、鍛錬を積んだ念能力者がうようよいる世界では下の上、高く見積もっても中の下程度の実力しかなかった。それを自分でも自覚しているミズキは、念能力者に目をつけられないよう常に自身のオーラを垂れ流して一般人と見分けがつかないようにしていたが、この男相手ではそんなことは言っていられない。
 ミズキは大きく深呼吸をすると今まで垂れ流しにしていたオーラを体に戻した。ミズキを中心に濃密なオーラが立ち上ってゆく。

「キミ、本当に美味しそう。ボク、ヒソカ。奇術師さ。キミの名前は?」
「お前に教える名前なんざねぇよ」

 ミズキは右手にオーラを込めてダンッと地面を蹴った。超突進。

「力比べかい?」

 ピエロ男――ヒソカは迎え撃つつもりなのだろう薄ら笑いを浮かべて右手を前に出す。しかしミズキはぶつかる直前で右に飛んだ。フェイントだ。ざまあみろ、誰が馬鹿正直に真正面から行くもんか――。
 懐に入り込んだミズキはこれで終わりだと高速でオーラを込めた拳を繰り出す。当たれば内臓破裂は免れない。驚いた顔をするヒソカに勝利を確信したミズキは「吹っ飛べや、この変態……」とニヤリと笑った。しかし、
 男の吹っ飛ぶ音はついぞ聞こえず、代わりにパシンという乾いた音が響いたのだった。

「危ない危ない」

 危機感を微塵も感じていないその声。急な方向転換に驚いたと見せたのは、この男の演技だったのだ。くそったれ。
 動揺を噛み殺して直ぐさま次の攻撃に移る。体を捻っての回し蹴り。狙いはヒソカの側頭部。
 ドガッとくぐもった音が響くも、その攻撃も余裕の表情で受け止められてしまった。未熟な攻撃。及ばない脚力。蹴りは突きより三倍は威力があると言われているが、それでもヒソカを倒すには力が足りなかった。

(青い果実としては及第点かな)

 ヒソカは悔しがるミズキを見下ろしながらそう評価した。それは強者が見せるほんの僅かな気の緩みだった。刹那、その隙を狙ったかのように予想外の衝撃がヒソカを襲う。ヒソカが蹴りを受け止めると睨んでの二段構えの攻撃、ミズキは回し蹴りで死角となる自分の足目掛けてオーラの塊をぶつけたのだった。

 瞬時にそこまで計算した頭の回転の早さに、自分の足ごと攻撃を食らわせる思い切りの良さ。間違いなく青い果実となりえる子供とに出会いに、ヒソカは追い打ちとばかりに放たれる回し蹴りを受けながら、その身を震わせた。

「ああ、凄くいい……◆」

 屋根から地上へと落下しながらヒソカは恍惚の表情で呟いた。ヒソカの視界の隅に、身を翻して脱兎のごとく逃げてゆくミズキの姿が映る。

「クックック……」

 そのまま地面に叩きつけられたヒソカは、路地裏に打ち捨てられた空き箱の残骸の中で、まるで余韻に浸るような表情をしながら喉を鳴らす。新しい青い果実の発見。その不気味な笑い声はいつまでも路地裏に響き渡っていた。


「もういねぇよな? あの変態」

 ヒソカから何キロも離れた建物の影でミズキは呟いた。顔はげっそりとやつれ、オーラをぶつけた右脚は赤黒く腫れ上がり、酷使した膝はガクガクと震えていた。

「なんだ、あのデタラメな強さは……」

 一刻も早くホームに帰りたかったのに疲弊した体は言うことを聞いてくれず、ミズキは膝から崩れ落ちた。あの男に会いさせしなければこんなことにはならなかったのに――。不可抗力とはいえ何であの男と会ってしまったのか、昨晩のことを思い出すとミズキは後悔でいっぱいになった。





 これはミズキが廃材置き場で仮眠を取る数時間前に起こった出来事である。

 昨晩ミズキはマルコフ=スティグニーという名の過去に十三人もの人を殺したカッツォレラファミリーの幹部を捕まえるためにここニューステイに来ていた。ターゲットの捕獲報酬は八十万ジェニー。目撃情報だけで数百万ジェニーの報酬が当たり前の裏の世界では、雑魚に当たるターゲットであった。

 しかし、『念は使えないが身体能力は達人級』という触れ込みで仕事を請け負っているミズキは、こういった『一般人に頼むには難しすぎるがハンターに頼むほどではない』そういう微妙な案件を相手にすることが多く、今回のターゲットも一般人からみたら『捕まえるには一枚も二枚も上手で難しい相手』であるがハンター関係の人間からみたら『わざわざ手を出す程でもない雑魚』という人間であった。

 ニューステイに到着して三時間後、マルコフの潜伏先について有力な情報を得たミズキは、マルコフが潜伏していると思われる宿の周辺に潜んでいた。

「やっと追い詰めたぜぇ……」

 双眼鏡を片手に宿周辺を伺っていると、カッツォレラファミリーの組織員と見られる屈強な男たちが銃やナイフを片手にドタバタと集まり出した。どうやら何者かが襲撃するという情報が漏れているらしい。ミズキは脳裏に情報をくれたバーのマスターの強欲そうな顔が浮かんだ。

「ハッ、あんだけ金をふんだくっておきながら、あっちにも情報を流すだなんて……商売上手なこって」

 フンっと鼻で笑ってから、ミズキは腰から愛銃を取り出し、まずは小手調べと引鉄を引く。乾いた銃声音が鳴り響く。

「何の音だ!?」
「おい、あっちだ!」

 慌てふためく男たちを横目に二発、三発と弾丸を打ち込んだが、弾はただ男達を掠めるだけであった。ライフル銃ではない普通の拳銃で、しかも有効射程距離から離れた場所から撃ったのだ、外れてしまうのも無理がないことだった。しかしミズキの意図はそんなところにはない。

「ありゃダメだ、雑魚の塊だ……」

 握り直した双眼鏡の先に見えたのは、銃で狙撃されたのに身を隠さない、反撃も遅い、指揮系統も滅茶苦茶で統制も取れてない、どこからどう見ても三流としか思えない男たちだった。
 双眼鏡をしまって屋根から屋根へと飛び移り敵陣の真ん中に勢い良く降り立つと、男たちが突然目の前に現れたミズキに目を丸くする。

 冷静さを忘れた男たちは円形になっていることも忘れ、怒りの形相で銃を構える。馬鹿め。引金を引く瞬間に身を屈めると、円形の至る所から悲鳴が聞こえた。仲間撃ちだ。ミズキはくすりと笑うと、銃を構えたまま呆然としている男に向かってナイフを振り下ろした。
 血飛沫が舞い、ミズキが地面に降り立って三十秒後にはもう立っている人間はいなかった。

「おい、マルコフはどこだ!」

 地面に転がる男の首元を持ってガタガタ揺すると、視界の隅にコソコソと逃げて行く男の姿が映った。逃がさない。しかし、タンと地面を蹴って飛んだ瞬間、背後で「ガチャリ」と撃鉄の下りる音が聞こえ、咄嗟に後ろに首を捻ると、路地裏の影に銃でミズキを狙う男が目に入った。

「くそっ!」

 そうミズキが言うのと銃声が響いたのは同時だった。銃身から飛び出した弾頭がミズキの腕をえぐり、思わぬ負傷に体勢が崩れる。だが、浅い。まだ動けると次の一歩を出そうとした瞬間、同士討ちで死んだと思っていた男が、懐から取り出したナイフで切りつけてきた。油断した――。太ももに熱が走る。

「ぐっ……」

 筋は切れていなかったが、この状況でのマルコフ捕獲は無理だった。撤退だ。即座にそう判断して体を翻したミズキであったが、男が持っていたナイフを目にしてギクリと体を強張らせた。溝のついた刃に特徴的な形状。あれは、もしかして――。

「毒だよ」

 男がにたりと笑った。「それも即効性のね……」そう言いながら近づいてくる男に、体の全てがアラームを鳴らす。逃げなくちゃ。
 しかし、毒に侵された体は言うことを聞かず、視界はぐらつき、内蔵を掻き回されるような嘔吐感でまともに立っていることさえ出来なかった。

「やったぜ!」
「くっそ、てこずらせやがって! こいつ、どうせマルコフさんを狙った賞金稼ぎだろ? サンドバックにしてなぶり殺そうぜ」

 その場に崩れ落ちたミズキに男たちが言葉を吐き捨てる。
 こんなところで死にたくない……。敵を軽視してオーラすら使わなかった自分の見通しの甘さに腹が立つ。今更遅いと知りながら、ミズキは薄れゆく意識の中でオーラを練った。





 同時刻、ヒソカは重厚な雰囲気のクラシカルなバーでグラスを傾けていた。美しくカットされたロックアイスが、一口飲むごとにカランと涼しげな音を立てる。しかし、それに口につける男の顔はあまり晴れやかではなかった。

「はぁ……期待はずれもいいところだよ」

 ヒソカは何年か前に目を付けた果実を狩りにこの街に来ていた。しかし、さぞ美味しく熟れているだろうというヒソカの期待に反して探し出したその果実はあまりにも弱く、伸び代を持ちながらも成長することなく青い果実のまま萎んでいったソレに落胆したヒソカは、問答無用に首を狩ったのだった。
 気だるげな様子でヒソカはくいとウィスキーを飲み干す。今はまだ男の存在を辛うじて覚えているが、興味を失ったものには一切見向きもしないヒソカのこと、飲み終わった頃にはこの男の顔すら忘れているだろう。

「もう一杯、次は……」

 コニャックを、と言いかけたヒソカの体を、まるで性感帯を内側から撫でるような言い知れぬ感覚が駆け抜ける。

(ああ、いいオーラ。近くに能力者がいる……しかも極上の)

 次の瞬間そこにヒソカの姿はなかった。シックなBGMが絶え間無く流れる中、持ち主を失ったグラスがカランと小さな音を立てた。





 歓楽街で遊んだ男女が連れ立って歩くホテル街の、さらに一本入った人通りのほとんどない一角にそれはいた。

「あ、頭が割れそうに痛い……」
「俺も……鳥肌と冷や汗が止まんねぇ……」
「まさか、このガキ!? 捨て身のガス攻撃か……!」

 地面に倒れ伏す小柄な人間と、それを囲むように立つ大柄の男たち。その様子だけ見ると、まるでひ弱な少年がリンチされているように見えたが、実際はミズキの体から漏れ出たオーラに当てられたせいで男たちはその場から動くことができなくなっていたのだった。

「ククク、何ていいオーラなんだ」

 その様子を、ヒソカは少し離れたビルの屋上から眺めていた。まるでこの世の全てを憎悪しているようなどろりと粘りつくオーラに、自然と身体が震え出す。どうやって熟れさせて、どうやって壊そうか。これから始まるゲームへ想いを馳せるだけでヒソカの下腹部は悦びの声を上げた。

「う、うう……」

 ヒソカが歓喜に打ち震えていたその頃、小さな呻き声を上げて目を覚ましたミズキは、先程まで自分を取り囲んでいたはずの男達がゴミのように地面に転がっているのを見て、目を白黒させた。意識を失っている間に謎の第三者が現れた可能性もなくはなかったが、おそらくそうではないだろう。

「オーラのせいか……やっちまった」

 目に“凝”をして見ると全身からオーラが漏れている。念の使えない一般人にとって能力者のオーラは生死を分かつほど危険なもので、男たちはさながら極寒の地に裸で投げ出されたような心地を味わったことだろう。

「精孔開いてるじゃん……でも、このくらいの開きなら人より早く老けるってだけだろうし……ま、問題ねえか」

 元々悪人だしと付け加え、ミズキは地面で呻いている男たちの首を軽く締めて失神させていくと、おもむろに腰のポーチからスモーク弾とペンを取り出し、きゅぽんと蓋を外した油性ペンで、きゅきゅきゅーっとスモーク弾の裏面に何かを書いていった。

「うっし、ドクロマークの完成! ……このスモーク弾に実は神経ガスが入ってた……って事にして。周りのは誰もいねぇし、目撃者もいねぇし、こう……私が倒れた時に、運悪くコレが漏れた……っつーことで!」

 苦しい言い訳だったが、念の存在を知らない男たちにとっては妥当な説明だろう。ミズキはへへへと悪戯に笑った後、スモーク弾のピンを抜いて地面に転がっているマルコフを肩に担いだ。カラ……コロンと転がったスモーク弾から物凄い勢いで煙が出始める。

「うっし、後はコイツを引き渡せば終わっ、うげっほ、げほっ……」

 ターゲットを捕まえて気を緩めていたミズキは、突然風向きが変わったその煙を思い切り吸い込んでしまった。スモーク弾のドクロマークはただのフェイクで神経ガスなど入っていなかったが、それでもミズキの喉と目を痛めつけるには十分の攻撃性を持っていた。

 失神しているマルコフは見た目以上に重く、生理的な涙が視界を塞ぐ中、負傷している足が悲鳴をあげる。しくじった。咳き込みながら己の詰めの甘さに呆れかえっていると、煙の外から突然声を掛けられ、手を掴まれた。

「キミ、危ないよ。早くこっちにおいで」

 声を出す間も無く成人男性の大きな手に力強く引かれる。

「あ、りがと……」

 煙の外に出たミズキが目の痛みをこらえて瞼を開けると、そこには奇抜な衣装に身を包んだ赤髪の男がいた。いつから居たのだろうか。どこから見ていたのだろうか。

「あんた……なんでオレを助けたの?」

 感謝の口を言葉にしながらも警戒心を剥き出しにするミズキに、ヒソカはさてどう答えようかと考えを巡らせた。本当のことを言ってもいいし、嘘を並べ立ててもいい。だがどうせなら面白くなる方を選んだ方がいいとヒソカは思った。

「ここを通りかかったら煙が湧き出ててね。何だろうと思って覗き見たら咳き込む子供の声が聞こえて。思わず助けに……ネ」

 ヒソカは息を吐くようにさらりと嘘をついた。

「……何か見た?」
「何か……っていうか、ボクが通りかかった時にはもう真っ白だったし……って、アレ? 煙の向こうに人が倒れてないかい?」
「あ、アレは………なんかマフィア同士が喧嘩してたんだ。一人が缶を投げたら、いきなり煙が出てきて、みんな倒れちゃったんだ……」

 しどろもどろと言うその様子は、言葉に詰まっているようにも、巻き込まれた一般人が戸惑いながら答えているようにも見える。もしこれが後者の演技だとしたら、なかなかのものだ。

「もしかしたらソレ、何かの毒だったかもしれないネ。キミは大丈夫だったのかい?」
「だ、大丈夫です。煙の外にいたので!」

 元気に答えるその様には健気さえ滲んでいる。もし、ヒソカが本当にただ通りかかっただけの人間だったらその演技に騙されていたかもしれない。しかしヒソカは煙が出る随分と前からこの現場にいる。

「……その肩に組んでいる人は?」

 ヒソカが意地悪く尋ねると、ミズキは驚いた瞳で肩に組むマルコフを見た。ヒソカに聞かれるまで存在を忘れていたようだ。詰めが甘い。ヒソカは口の中で笑みを噛み殺した。

「あ……こいつ、いや、この人は僕の、お、親方なんだ……。僕、この辺りで物乞いをやっていて……この人その元締めなんだ。だから、病院に連れていってあげなきゃ……」

 地面で伸びている何人もの男たちに、いかにも裏家業らしい顔立ちのマルコフ、そこに薄汚れた格好のひ弱な少年という自分の要素をうまい事入れ込み、違和感のない話を瞬時に作り上げている。どうやら頭の方も悪くはなさそうだ。

「そっか、それは大変だったね。ボクも手伝おうかい?」
「あ、大丈夫です! 僕一人で出来るので! あ、でも、あの人たちのために救急車を呼んでくれると嬉しいです!」
「そうかい、分かったよ」

 この男が現れた時はどうなることかと思ったが何とか上手く誤魔化せたようだ。作り笑いの下でミズキはほっと胸を撫で下ろした。

「ボクの顔に何か付いているのかい?」
「え!? いや、あの……」

 顔のペイントやピエロ然した奇抜な格好を盗み見ていたのがバレてしまった。

「ああ、この格好か。まあ、気になるのも仕方がないよね」
「ま、まあ……」
「ボクはね、実は……」
「……実は?」
「ピエロなんだ◆」

 もったいぶった割に見た通りの答えしか言わない男に、ミズキは「そんなん見りゃわかるよ!」と心の中で盛大に突っ込んだ。

「今度、この街に興行に来ることになってね。今日は宣伝にチラシを配ってたんだ。はい、コレ。良かったら遊びに来てね」

 チラシを手渡され、視線を落とすと空中ブランコや玉乗りをする男女のイラストの横に『世紀の大サーカスがやってくる!』とでかでかと宣伝文句が書いてある。まさか本物のピエロだったとは……。助けてもらったのに仕事着にケチを付けるだなんて申し訳ない。

「あ、ああ。時間があれば、な……」

 曖昧に返事を返してミズキはポケットにチラシをねじ込み、もう帰ろうと右肩に背負ったマルコフをよいしょと肩に乗せ直す。

「キミみたいな子はいつでも歓迎さ」

 気の抜いていたミズキはヒソカの行動に何も注意を払っていなかった。そのため、ちゅっと軽いリップ音と共に頬に温かいものを感じるまで、自分が何をされたか理解できなかった。

「キミ、とっても美味しそう……食べちゃいたい」

耳元で囁かれ、全身にぞわりと悪寒が走る。

「うわわわわ、へ、変たっ……てか、キ、キス!? い、今、頬っぺたにキ……え? ああああの、もう、遅いんで、僕、もう、帰ります!」

 上ずった声でそれだけ告げると、ミズキは今晩のターゲットであるマルコフの存在も忘れてバビュンと走りだした。
 なんだあいつは、なんだあいつは!? 最近のピエロは出会い頭にキスするサービスでもやってんのか!? それともなんだ、最近ニュースになっている強姦魔かアイツは!?

「うわぁぁぁぁぁぁ」

 混乱した頭で良く分からないことを考えながら、ミズキは全力で走った。後に残ったのは、存在を忘れ去られているマルコフと、堪えきれないといった様子で喉を鳴らしているヒソカだけだった。





 これが昨夜起きた『ろくでもない夜』の顛末であった。

 あの時ヒソカに出会わなければ、ターゲットであるマルコフをあの場所に忘れてくるだなんて大失態は起こさなかっただろうし、今朝だってこんな命からがらの戦いをするはめにもならなかっただろう。

「ああああ、今思い出してもムカつくぜ!」

 ミズキはヒソカにキスをされた左頬をこすりながら悪態をついたが、むしゃくしゃした感情は消えそうもなかった。

「そういやぁ、何か変なチラシ貰ったんだっけ。……たく、ご丁寧にこんなチラシまで作りやがって、子供を信頼させるためにこんなん作ってんのか? 本当にこのサーカスのピエロだとしたら抗議もんだぞ、これ……」

 ミズキはポケットから取り出したサーカスのチラシをくしゃくしゃと丸め、路地裏のゴミだまりにぽいと投げた。

「さてと、帰るか……」

 これ以上この街で何かあったらたまらない出直しだ。ホームのストックスへと歩き出したミズキは、その時、背後でくしゃくしゃに丸めたチラシからスーッと文字が消えていったことに気づかなかった。

 この時のミズキは、再びこの男と出会うだなんて夢にも思っていなかった。ただの白紙と化したそのチラシが、ミズキの背後で何かを暗示するかのようにカサリと小さく音を立てた。





[1.夢で見る夢 2/2]



[prevbacknext]



top


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -