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「はぁ? お前、昨日ゴンにボロクソに負けてたくせに、何でかいクチ叩いてんだよ?」

 ゴンの後ろに控えていたキルアが、ずいとテーブルに身を乗り出して言う。
 あれは戦略的撤退だ――と言いたくなる思いをぐっと堪えて、ミズキはわざと小馬鹿にした視線をキルアへと投げかけた。

「なにお前。しゃしゃり出てくんなよ。……ったく、荷物持ちは素直に黙ってろよ」

 ミズキはキルアがただの荷物持ちではないことを知っていた。腕相撲をしている少年が念能力者である以上、その周囲にいる人間もそれと同等か――少なくても「念能力者」の存在を知っている裏社会の関係者となるはずだ。しかし、

「はぁ!? なんだよお前、俺たちに喧嘩売ってんのか!?」

 神経を逆撫でるミズキの物言いに、キルアは額に血管を浮かび上がらせる。

「喧嘩ぁ? 何言ってんだ、お前が一人で怒鳴り散らしてるだけだろ。そもそもこっちの二人はオレに喧嘩なんて売ってきてないぜ、なぁ?」

 目の前にいる気の良さそうな少年に問い掛けると、少年は所在無げに瞳を揺らす。

「え? う、うん……」
「なんだよゴン、お前そいつの味方するってのか!?」
「いや、キルア、そういうわけじゃ……」
「じゃあ、どういう意味なんだよ!」

 周囲の視線はすっかりこちらに釘付けとなっている。煽りは上々だ。
 ミズキは今にも喧嘩をし始めそうな二人を横目にしめしめと舌を出し、一番話の付けやすそうなサングラスの男へと向きあった。

「はぁ、やれやれ。オレはただこの条件競売に参加しに来たってだけなんだけどなぁ。よぉ、兄ちゃん。この条件競売の参加資格は一万ジェニーを払うことで、んでもって、競り勝つ条件は『この少年に腕相撲で勝つこと』、だったな?」
「ああ、そうだが」
「だったらうるさい外野は気にしなくていいってことだな」
「はぁ!? うるさい外野って俺のことかよ!?」
「ちょっとキルア……落ち着いて……」

 ギャンギャンと騒ぐキルアを右から左に流してミズキは言葉を続ける。

「なあ、兄ちゃん。条件さえクリアすれば、オレが何度勝負を挑戦したって――それこそどんな助っ人を連れて参加したとしても問題ないはずだよな?」
「助っ人?」

 ミズキはしたり顔をしながら、人垣の奥で控えている頭二つ分は抜き出ている大柄の男へと顎をしゃくった。

「おら、どけどけ。俺がやるぜ」

 ミズキの合図に野太い声で群衆を蹴散らして現れたのは、明らかに「堅気ではない」雰囲気を出している二人組の男だった。

「ああ? こりゃどうやって腕を組めって言うんだよ、ガッハッハ!」

 ゴンの前に差し出された腕は、子供の太ももほどはあった。まるで相撲レスラーのような体格の挑戦者に、周囲から五百人抜きと知りながらも憐れみの視線がゴンへと注がれる。

 ヴォルゲンに言い付けられた条件は二つ。ある程度、裏の世界に理解があること。そして、最低限の肉体的強さを有していること。
 念能力者であることを考えれば、この三人は二つの条件を楽に満たしていたが、いかんせん、まだ年端もいかない少年である。この見た目ではどんなパフォーマンスをしても「最低限の肉体的強さを有している」のだと納得する人間は多くはいないだろう。一番良い方法は――。

「オレたちは優しいからな。お前らがどうしてもこの競売の条件を変えたいって言うのなら、それ相応の対応をしたのちに――受け付けてやってもいいんだぜ?」

 ゴツい男の隣に立ちながらいかにも三下な台詞を言うと、ミズキとレオリオの視線が静かに交差した。

「……ゴン、交代だ。俺がやる」

 良し。意図は伝わったようだな。
 ミズキはゴンの前に立ちはだかったレオリオに、自分の役目はこれで終わりだと後ろに下がった。

「兄ちゃん、ゴネる気はねえが、それは条件違反じゃ――」
「分かってる。五百万プラスダイヤ。これでどうだ、文句ないだろ」
 目付け役として来ていたもう一人の制止を振り切ってレオリオが百万ジェニー札をテーブルにドンと置く。
「俺に勝てばこれはお前らのものだ」
 群衆からどよめきが起こる中、レオリオが目付け役の男へと視線を投げかける。

「…………決まりだな。さあ、やろうぜ」

 レオリオは沈黙を肯定と取り、そのまま椅子にドカッと座って右腕を差し出した。スーツを纏った右腕と、筋骨隆々な極太の右腕がテーブルの上でがっぷりと組まれる。

 彼らをさんざん煽った後にいかにもな裏の人間をあてがい、賭け金を吊り上げさせ、一番屈強そうな外見のサングラスの男を勝負の舞台に引きずりあげ、そして、群衆の前で大男と勝負を行わせる。全てミズキの道筋通りだった。これで彼らが勝てばここにいる誰もが彼らの「肉体的強さ」を認めるはずだろう。

 キルアは男二人が腕を組み合っているテーブルへと歩み寄ると、やる気のなさそうな顔で二人の腕の中央に手をかざした。

「レディー、ゴッ!」

 勝負は一瞬だった。
 キルアが掛け声をかけると同時に破壊音が鳴り響き、二人が腕を置いていた木製の机が木っ端微塵となって崩れ落ちたのだった。

「うあぁぁーー!!」

 金切り声を上げて立ち上がった男の右腕は、あらぬ方向にバキバキに折れ曲がっていた。

「他に挑戦する奴は?」

 たった今挑戦相手の右腕を粉々にしたとは思えないレオリオの冷たい声に、群衆は顔を引き攣らせながら後ずさりをする。

「チッ、商売あがったりだぜ。しゃあねぇ、店仕舞いするか」

 ヤクザのような物言いで言葉を吐き捨てるレオリオに制止の声を掛けたのは、群衆の後方で腕相撲の勝敗を見ていた目付け役の男だった。

「いやぁー、強いね、兄ちゃん、気に入ったぜ」

 男は懐から名刺を取り出すと、地下闘技場への行き方をさらさらと万年筆で書き込んでそのままレオリオへと手渡した。勝敗後に地図付きの名刺を渡すこと。それはあらかじめミズキと目付け役の男との間で交わされていた取り決めであった。

「後ろの二人はもっと強いぜ?」

 レオリオは、後ろに控えていたゴンとキルアを後ろ手に指を差す。

「……だろうな。だいたいこのサングラスの兄ちゃんの三倍ってところか?」

 ミズキは皆が話している間に顔を飄々と突き出した。

「あー、クソガキ! お前、勝負となったらオッサンけしかけてさっさとトンズラしたクセに、今頃になってしゃしゃり出てきやがって!! 言っとくが、お前らの負けだからな!」
「あー、分かってるって分かってる、オレたちは負けたって。だからそう、キャンキャン喚くんじゃねえよ」
「キャンキャン!?」
「ちょっとちょっと、キルア。落ち着いて……」
「俺は落ち着いてるって。ただこいつがそこはかとなくムカつくだけだって」
「だから落ち着いてって。どうどう……」
「ゴン……あー、くそっ!」

 感情のままにプイと顔を背けるキルアとそれをたしなめるゴンが、何となく機嫌を損ねた白猫とそこにじゃれつく子犬のように思えて、ミズキは一瞬頬を綻ばせそうになった。しかし、ここで笑っては全てが駄目になってしまう。

「あー、いいか、お前ら。今日暇だったら五時までにそこに遊びに来るんだな。……良い事あるぜ?」

 ミズキは不敵な笑みを浮かべながらレオリオの持つ名刺を指差して言うと、くるりと身を翻して去っていった。あとに残ったのは、レオリオ・ゴン・キルアの三人と、散るに散れずにその場に残り続けていた野次馬ばかりであった。

「ったく、何だったんだ、あのクソガキは!」

 ミズキの姿が完全に消えたあと、キルアは地面に転がる机の破片をダンッと力任せに踏み潰した。

「なんだよ、キルア。気づかなかったのか?」
「はぁ? なにがだよ」

 レオリオの問い掛けに、キルアが不機嫌な声を返す。

「あの場を支配してたのはアイツだったってことに、さ」
「はぁ!? どこがだよ!」
「うん、確かに……。あの子、レオリオが腕相撲をするように巧妙に仕向けてきてた気がする」
「……だな。まるで始めから俺たちを誘うことを目的としているような、そんな感じだったぜ。……まあ、とにかく、かかった魚はデカイかなってことさ! ははっ!」

 そう言うとレオリオは不貞腐れるキルアに向かって下手くそなウインクをしながら、手にしたメモにチュッと唇を寄せたのだった。





「あと、三人か……」

 男たちと別れて一人となったミズキは、誰もいない路地裏でふっと息を吐いた。

 先ほどの分け前は、腕を折られて病院に向かった男を除いた二人で分け合うことになり、ゴンたちが地下闘技場に来た場合、ゴンとキルアはミズキが呼び込んだことになり、レオリオはもう一人の男が呼び込んだこととなる。初めの一人頭一人分の配分よりは分が良かったが、それでもあともう三人呼び込まないと命じられた目標の五人には到達しなかった。

「あー、残りどうしよう……」

 あそこまでの粒揃いはそうそう転がっていない。今から広場に向かって手当たり次第に声を掛けたところで、見つかる人材なんてたかがしれている。
 さてどうしたものか……とミズキがアゴに手を当てたその瞬間、背中に悪寒が駆け抜けミズキは即座に飛び退った。

「うおっ!」

 ヒュン、と眼球の数センチ先を何かが物凄い勢いで横切る。銃弾ではない。
 吹き矢か!?
 考える間もなく、二発目三発目と攻撃が飛んでくる。ミズキはほとんど条件反射だけでその攻撃を後ろに後ろにと避け、空を切った投擲物は数瞬前までミズキがいた路地裏の壁や地面へと容赦なく突き刺さった。

「な、これは――」

 ストン、とまるでダーツが的に刺さった時のような音にミズキの背筋が凍った。間違いない、あれは――。
 ミズキの目に映ったのは銀色の物体だった。鋭く磨かれた待ち針のようなそれ。それが何であるか理解すると同時に、ミズキは深い混乱に陥った。

 少なくとも『彼』とは友好的な関係を築けてきたはずだった。敵対する要素は最新の注意を払って除外してきたはずだった。なぜ、こんなことが――。

 一瞬の遅れ。それが決定打だった。

 突如真後ろに男の気配が現われ、鋭い手刀突きが顔面に迫り来た。危ない。即座に身体を捻るも、第二撃は避けきれなかった。ドガっと激しい音と衝撃が腹部に広がり、ミズキは背後にあったレンガの壁へとしこたま背中を打ち付けた。

「な、ぜだ――……」

 肺から息が絞り出される。ミズキは咳き込みながらその人物へを凝視した。

「なぜって……? それはこっちのセリフだよ。」

 男はミズキの質問に答えるでもなく呟き、土煙の中で黒毛の長髪を揺らめかせながらふらりと立ち上がった。その目は怒りに満ちている。

「なっ――」

 男はいつもの通り感情の消え去った能面のような顔をしていた。平常であればミズキはその乏しい表情の、わずかに動く目元や口元から彼の感情を読み取ることができた。しかし、今は「怒り」しか感じ取ることができない。仕事で対峙した時でさえも、これほどまでに明確な敵意を向けられたことはなかった。

「なぜだ、なぜだ! イルミ――」
「なぜって? 分からないの? それとも分からない振りしてるの? そうだとしたら大した演技力だね」

 突然現れた男――イルミ=ゾルディックの声は絶対零度の冷たさをはらんでいた。

「何言ってやがる、『オレ』が、『お前』に対してそんな振りするわけねえだろっ!」
「ほんと? 嘘じゃない?」
「ああ、嘘じゃねえっ!」
「そう、じゃあ――」

 イルミの姿が揺らめいた瞬間、視界の隅で黒髪が踊り、首に強い衝撃が広がった。

「ぐっ!」

 壁に押さえつけられ、冷たい指先で喉元を掴まれれる。瞳孔の開いたイルミの顔が視界いっぱいに広がり、絹のような黒髪がミズキの顔へとはらりと落ちた。

「ねえ、ミズキはさ。何で俺の弟と――キルアと一緒にいたの?」

 イルミ=ゾルディックと付き合う上での禁忌。それは『ゾルディックを害さないこと』であり、そのことを痛いほど理解しているミズキは、常にそのことを念頭に置いてイルミと付き合っていた。ゾルディックの仕事の邪魔をしないのはもちろん、イルミと軽口を言い合う仲になってからも、ミズキはイルミが引いた領域の向こう側――『ゾルディック家」に決して触れようとはしなかった。そのはずなのに――。

「お、とうと?」
「そう、俺の弟。」

 『弟』という単語を耳にしたミズキの脳は、ある記憶を記憶の底から引きずり上げた。
 そう、あれは確かビターラビットを襲撃する前日だった。突然現れたイルミと兄弟の話になったことがある。その時、イルミは自分の弟たちの名前を言っていた。それはしりとり状になっていて。確か、上から、イルミ、ミルキ、キルア、アルカ、カルトと――。

『なんだよゴン、お前そいつの味方するってのか!?』
『いや、キルア、そういうわけじゃ……』

 先ほどの少年たちの口喧嘩が脳内に蘇る。確かに黒髪の少年は言った、『キルア』と。間違いなくそう言っていた。
 キルア。キルア=ゾルディック。それはゾルディック家の三男の名前。次期当主であり、イルミが溺愛している、イルミ=ゾルディックと平穏な人間関係を結ぶ上で絶対に触れてはならない最上位の禁忌である存在――。

 ああ、なんていうことを――。

 ストーキング気質なイルミのこと、溺愛している三男に監視役の人間を人知れず付けていたとしてもおかしくない。それに、各人の所在地情報を相互通告し合うのがゾルディック流という可能性もある。
 どちらにせよ、全ては後の祭り。いくら正体を知らなかったとは言えイルミが最も大切にしている『禁忌』に土足で踏み込んでしまったことには変わりはなかった。

「ねえ、早く答えてよ。」

 ミズキの喉を掴むイルミの指先が、ピキッと音を立てたのだった。



[19.9月2日 3/7 ]


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