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 不夜の街、ヨークシン。

 特にオークション期間の街の賑わいは他の時期の類を見ず、とうに日付は変わっているにも関わらず、道行く街灯は煌々と光を放ち、往来を闊歩する人々は覚めやらぬ興奮で頬を紅潮させている。
 そんな中、蜘蛛の仮宿から出てきたヒソカは、ある目的地に向かって脇目も振らずに足を進めていた。


「やっぱり居た――」

 ヒソカの向かった先はミズキと共に泊まっているホテルであった。部屋の扉を音もなく開いたヒソカは、部屋の奥にあるベッドを見て開口一番に言葉を漏らす。
 ベッドには、ぐったりとした様子で横たわるミズキがいた。その顔はげっそりとやつれ、ちゃんと息をしているのか確認をしたくなるほどに青白い。

 衣服に目立った血は付いていなかったが、鼻をすん、と鳴らすと微かに血と臓物の臭いがした。
 数メートルと離れていない場所で、誰かが内臓をぶちまけながら死んだのだろう。そっと握ったミズキの手は、まるで氷のように冷たかった。

「何て痛々しい――」

 ヒソカはミズキがどんな仕事をしているのか知らなかったし、聞いたこともなかった。
 しかし、ある程度の予測はついていた。
 この世界、裏稼業の人間は数多しといるが、念が使える人間は実際とのところそう多くない。ミズキの実力は念能力者としては三流であったが、裏稼業全体としては上位に位置する。
 そんなミズキをあえてこの時期にヨークシンに呼び出すということは、間違いなくオークションに――とりわけ闇オークションに関わっているといると憶測できた。

『組織最大の武闘派組織か。久々にゾクゾクしてきやがった――戦っても良いんだよな?』
『もちろん。追って相手に適当に暴れてやれよ。そうすれば奴らの方から姿を現す』

 数時間前にクロロが仮宿で携帯電話片手に言った言葉が頭の中に蘇る。
 ミズキがその『追っ手』の中に居なかった保証はない。……いや、ミズキは確実にその追っ手の中に居たのだろう。
 頭を撃ち抜かれるだけならいざ知らず、内臓をぶちまけて死ぬような事態はそうそう起こらない。闇オークションを襲った賊どもを追いかけるうちに、大規模な戦闘に巻き込まれ、ミズキの仲間の何人かがミズキの側で派手に死んでいった――予測するにそんなところであろう。

 そして、ミズキが今ここにいるのは、混乱のために手一杯になっている上層部が、体制が整うまで「とりあえず待機」していろと命令したからに違いない。「来い」と言われれば問答無用に呼び出され「邪魔だ」と言われれば貢献度など無視して追いやられる、組織とはそういうものなのだ。

「ミズキ……」

 ミズキの実力は旅団員のそれに遠く及ばない。襲撃組は確か、ウボォーギン・シャルナーク・フェイタン・フランクリン・ノブナガ・マチ・シズクであったはず。その中で嬉々として戦闘に躍り出る人間と言えば、ウボォーギンしかいないだろう。
 追ってきたマフィアは壊滅状態になったはずだ。
 あんな戦車のような男の暴虐の中で良くぞ生きて戻ってきた、とヒソカは安堵の息を吐きながら、強張った顔のまま息苦しそうに寝息を立てるミズキの頬をそっと撫でる。

「う……うぅん」

 ミズキのパサパサの前髪に指を差し入れ、ゆっくりと掻き上げる。ビターラビットの襲撃以後、ミズキは日に日に憔悴していった。確かにその目は復讐で炎のように燃えたぎっていたが、胃が食物を受け付けないのだろう、指先で触れた頬は骨が感じられるほどに痩せ衰えていた。

『ねえ、団長。……ボクがこれから会う相手、気になるかい?』

 クロロは確かにミズキに執着していた。ミズキの右腕にまるで所有印のような腕輪をはめさせ、団員の誰にも見せたことのない切ない顔でミズキを抱き締め、その唇にまるで触れるのを恐れているような優しいキスを何度も落としていた。

 それなのに、クロロの答えは『興味ない』、そのひと言だった。

 ミズキが今憔悴しているのが自分の命令のせいだと知ったら、あの男はどんな反応を見せるのだろうか。動揺を見せるのだろうか。
――いや、そんなことはない。
 彼は幻影旅団の頭であり続ける限り、ミズキの存在を無視し続けるだろう。

「……酷い、男だ――」

クロロの腕輪の無くなった細い手首に指を添え、そのままそろそろと爪まで指を這わせてから、冷たい指先に指を絡める。

「……酷いのはボクも同じか――」

 ミズキを本当に大事に想うのならば、焚き付けることなど言わずに、そのままストックスの街に置いてくれば良かった。ヒソカにはそれは出来た。ヒソカの言葉が無ければ、ミズキはあのままあの田舎街に居続けた事だろう。

 世の中に絶望して死人のように生き続ける人生と、命を燃やし尽くして消えてゆく人生と、どちらが良かったのだろうかと、ヒソカは今更ながらに考える。
 しかし、いくら考えても答えは出なかった。
 ただ、どちらを選んでいたとしてもミズキは自分の手の中には落ちてこないだろう。
 今も確かにミズキはヒソカの手の中にいる。自分と共に飛行船に乗り、自分の予約したホテルに泊まり、自分の贈ったプレゼントを身に付けている。目の前に確かに存在しているし、手の触れられる距離にいる。
 それなのに、ヒソカはミズキが手に入った実感を感じる事は出来なかったのだった。
 ミズキの心は、ヒソカではない別のところに常に向けられていた。

 自分のプレゼントした赤いピアスが付けられた耳たぶを、まるでガラス細工を触るような優しい手つきでヒソカは撫でる。

「んんっ……ん? ヒソカか?」
 頬に感じた感覚のせいだろうか、ミズキは薄っすらと瞼を開けてヒソカへと目を向ける。
「ああ、起きたのかい? 随分と疲れているようだね」
「あ、ああ……そうだ、な……」
「仕事はもう終わったのかい?」
「一応……な。まあ、色々あったが何とか終わったし、経過を報告したら朝の六時まで各自待機って言われたからな。仮眠を取りにこのふかふかのベッドに戻ってきたぜ、へへっ」

 どこの誰に仕えているか、ミズキは言わなかったが、だいたいはヒソカの予想していた通りであった。
 ミズキはベッドに手をついて上半身を鈍重に起こす。酷使された身体はたったそれだけの動きでも、辛そうだった。

「ルームサービス、何か頼もうかい?」

 立ち上がって数メートル離れたテーブルに置かれたメニューを取りに行くも、「いや……いい。食欲あんまない……」とにべもなく断られてしまった。
 それならば……とヒソカは銀食器の上に元々置かれているサービスの小包の菓子をいくつか手に取り、ミズキの方へと振り返る。

「――っ……」

 憔悴している時とも、ビターラビット襲撃後の空虚な様子とも違う、ここを見ているのにどこも見ていないミズキの瞳に、ヒソカは一瞬手に持った菓子を落としそうになった。

「ミズキ――……」

 呼びかければミズキはちゃんと反応を返したし、意思の疎通も問題なくできた。意識もはっきりしているし、言葉のやり取りもできる。以前とちっとも変わっていない。
 しかし、その瞳は確実に以前とは変わっていた。

 その瞳は――死の匂い。そう、死の匂いを放っていた。

 確かにミズキは初めて出会った時から、その年にはそぐわない、まるで何十人何百人と殺してきたような死の匂いを放っていた。

 肉体的にも精神的にも技術的にも未熟で、仕事も裏世界においては表層的としか言いようのない単純なものしかしていない、三流の人間。それがミズキの客観的な評価であるにも関わらず、ヒソカはミズキから、常に死を隣にあるものとして生きている裏の人間しか醸し出すことのできないその臭い――クロロ・ルシルフルが放っているような闇の臭いを――感じていた。
 今思えば、ゴンやキルアといったハンター試験で出会った有望な果実たちと比べて肉体的にも精神的にも劣るミズキを、青い果実として見初めたのは、そう言った不釣り合いな違和感に興味を引かれたからなのかもしれない。

「ん? どうしたんだよ、ヒソカ」

 ミズキは朗らかな声色でヒソカに問い掛ける。自分は平常通りだと取り繕っているような朗らかさだった。
 出会った当初とは比べ物にならないくらい濃い死の匂いがむん、と漂ってくる。肌を這い上ってくるようなおぞましい感覚に、ヒソカの肌が総毛立つ。
 いったい、この短い期間の間にミズキは何を見てきたのだろうか。
 まるで常に地獄絵図を目に映しているようなミズキの闇色の瞳を、ヒソカは瞬きもせずにずっと見ていた。

「……お前、何かウンコ踏んだみたいな顔してるぞ?」

 いつもの生意気で斜に構えているミズキに相応しい軽快な軽口がミズキの口から放たれる。しかし、その瞳の奥には闇の臭いがじとりとへばりついていた。
 以前より濃いそれはもう後戻りできない所まで来てしまったとヒソカに告げているようで、ヒソカは自分自身がミズキを闇へと追いやった人間の一人であるにも関わらず、その一切の光のない瞳に許しを請いたくなるような苦しさを感じた。

「ウンコを踏んだみたいだなんて酷いじゃないか、ミズキ」

 湧き上がる感情の全てを押し殺し、ヒソカはくくくっと喉を鳴らしてミズキのいるベッドへと戻って両手の中にある小包の菓子をミズキへと見せる。

「チョコレートさ。疲れには糖分が良いからね。料理は口に入らなくても甘いものなら口に入るだろ?」
「お前なー、ウンコって言った後に茶色いもン持ってくるなよ。嫌がらせか?」
「何を言っているんだい。要らないのかい?」
「いやいや、いるって!」

 今まであの山で何度なく繰り返されたこんなやり取りも、なぜかこの場では無性にわびしく思えてくる。
「……何か身体に入れないとやっていけないしな」
 ぼそりと誰にも聞こえないくらいの小ささで呟かれたミズキの言葉に、ヒソカはミズキの顔から目を反らした。

「いっただきまーす!」

 折れそうなほど華奢になってしまった腕が、ヒソカの手の中からチョコレートを摘み、袋を剥いてそれを口へと運ぶ。
 骨張った節々がやけに目に付き、ヒソカは気づけばミズキの細腕を手に取っていた。

「お、おう? 残念だが、もう口に入れちまったぞ? 戻せって言われても無理だからな?」

 ヒソカは、そんなミズキの戸惑った声に耳を傾けるでもなく、ただ、手に取ったミズキの腕を、指先で何度も確かめるように触っている。

「な、なんだよ? 何か変なもんでも付いているのか?」
「…………」

 驚いてパチパチと瞬きをするミズキをよそに、ヒソカはミズキの腕ばかり見つめている。ひじから手首、手の甲から指先へと。そうやって数十秒が経った頃、ヒソカは噛み締めるようにして声を漏らした。

「……良く頑張っている」

 ヒソカのしんみりとした声に、ミズキはハッと息を飲み、左右に視線を彷徨わせてから下へとうなだれる。

「……本当に、良く頑張っている」

 喉から絞り出されたようなその言葉は、ヒソカの本心なのだろう。誰に伝えるためでもなく零れ落ちたその呟きに、ミズキは全ての頑張りを肯定されたような気がして、そっと下唇を噛んだ。


「……本当に、こんな肉体的に劣る女の身体で良く――」


 その言葉を耳にした瞬間、ミズキは大きく目を見開いた。ミズキの指先が驚愕で強張る。
「……な、ぜ――」
 ミズキから聞こえた地を這うようなその声に、ヒソカはハッと顔を上げた。ヒソカは、ミズキの不安と恐怖と驚きの混じる顔を見て初めて、自分が重大な過失を口走ったことに気がついた。

「ま、待って――」

 ヒソカは、ヒソカの手を振り払ってベッドから逃げ出そうと身体を反転させるミズキの背中を、衝動のまま抱きしめて言う。
「――っ」
 突然、首から背中に感じた温もりに息を飲むミズキを、ヒソカはさらに強く抱き締める。

「知っていた。随分と前から、キミの隠していることを知っていた――」

 ミズキの首元に顔を埋めながらヒソカはさらに言葉を続ける。
「……こんなに長いこと一緒にいるんだ、気づかないワケないだろ?」
 ミズキの細い首に唇をぎゅっと押し付ける。
「…………」
 ミズキは何も答えない。

「でも、ボクは性別なんて気にしない。キミが男であろうと女であろうと……キミがキミであるなら、ボクはどちらでも構わない」

 こうやってミズキの温もりを感じたのは初めてかもしれない、とミズキを後ろから抱き締めながらヒソカは思った。
 確かに出会った当初からヒソカはミズキに触れていた。一方的に唇を奪ったことも、バンジーガムで縛り付けて好き勝手身体を触ったり、果ては泥酔させてベッドに押し倒した事さえもある。
 しかし、こうやって静かに何十秒もミズキの温もりを感じたことは今まで一度たりともなかった。
 服越しに感じる温もりが、肌が溶けていくほどに温かく、ヒソカはもう離したくないと心から思った。

「ハハハッ……お前、初めて会った時もそんな事言ってたな……」

 ミズキの肩から力がみるみる取れてゆき、数秒後、ミズキはぽふんと音を立ててベッドに座った。

「……いつから、気づいてたんだよ」
「随分と前。キミと出会ってしばらくしてから……さ」
「なんだよ、結構始めの頃じゃねえか……なんで黙ってたんだよ」
「言っただろ? ボクはキミが男であろうと女であろうとどうでも良いって。キミがどんな性別であるかだなんて、ボクにとっては些細なことさ」
「そっか……。些細なこと――か。ははっ、ふふっ……そっかぁ、些細なこと、か……」


 ミズキは泣き笑いな声をあげると、首に回されたヒソカの腕に、そっと自分の手を重ねた。
 触れた指先からじんわりと熱が伝わってくる。

 後ろからミズキを抱き締めているヒソカには、ミズキが今どんな顔をしているのか分からなかったが、ただ、ミズキが放っていたトゲトゲとした空気が、次第に穏やかになっていくのだけは感じていた。


 ヒソカはミズキを抱き締めながらベッドの上に座り直すと、ベッドの縁に腰掛けているミズキを後ろからずるずると抱き寄せた。小柄なミズキはヒソカの腕の中にすっぽりと入ってしまっていたが、ミズキはそれに嫌がる素振りを見せずに、そのまま黙ってヒソカの胸板へともたれ掛かっていた。

 ホテルの外から車の排気音が途切れることなく聞こえる中、二人のドクンドクンという心音だけが温もりを介して伝わり合う。

「……お前、温かいな」
「なんだい、ミズキ。ボクを血の通わない人形とでも思っていたのかい?」
「いや、人形って言うか……地球外生命体? みたいな?」
「くくっ、なんだい、それは」
「ははっ、だよな!」

 ミズキは肩を震わせて笑った。腕の中に感じるその振動さえ、ヒソカは愛おしく思えた。
 だからだろうか。ヒソカからはいつの間にか道化師の仮面が転がり落ちていた。


「……このまま時間が止まってしまえば良いのに――」


 ヒソカの口をついて出たのは、そんな言葉だった。ヒソカはハッと息を飲んだが、もう遅かった。口から出た言葉は既にミズキの耳に入っている。
 ミズキはどんな言葉を返すのだろうか。
 ミズキの顔を恐る恐る覗き込むヒソカと、眉根を寄せて後ろを振り返るミズキとの視線が静かに交差した。


「……時間は決して止まらないし。どんなに願っても巻き戻ることは……ねえ、よ……」


 ヒソカの胸中を知ってか知らずか、ミズキはそんな言葉を返す。
 自分といる時間を嫌がっているのだろうかとヒソカは一瞬思ったが、たぶん、そうではなく、言葉通りの意味なのだろう。

――巻き戻したい「何か」があるのかい?

 ヒソカは思わずそう問い掛けそうになったが、ミズキの顔を見てその言葉を飲み込んだ。
 あるに決まっている。
 後悔しても後悔し足りない過去があるからこそ、彼女は男の振りをして泥水を啜るような生活をしているのだ――。

「ミズキ……」
「…………」
「そう、だね……。時間は止まらないし、過去は変わらない……」
 何て分かり切ったことを口にしてしまったのだろうか。
 ミズキが常に目にしているものは、自分ではなく、ましてやクロロでもない。彼女だけなのだ。

「そして、時間同様、キミをキミたらしめているモノが変わることもないし、ボクをボクたらしめているものが変わることもない――」

 ミズキが求めているであろう言葉をヒソカは口にする。彼女を求め続けることができるよう。強い心のままでいられるよう。背中を押し続けるであろう言葉をヒソカは口にする。
 ミズキを美味しい果実にするために、ヒソカは過去に何度もミズキを駆り立てるような言葉を口にしてきていたが、なぜかこの場では、その言葉は無性に虚しく思えてしまう。
 

「ははっ、そう……そうなんだよな。オレをオレたらしめているものは変わることはないし、お前をお前たらしめているものも変わることもない」

 ヒソカの言葉を受けて、ミズキは拳をギュッと握る。また彼女を焚き付けてしまった。
 瞳の放つ死の匂いが一層濃くなる。ヒソカに出来ることは、もうミズキを抱き締めることだけであった。

「オレをオレたらしめているものは呪いのように骨の髄まで染み込んでいて……どんなに取り除きたいと願っても、どんなに変わりたいと思っても……消えて無くなってはくれないんだ。…… もしかして、お前も、そういうのあるのか?」

 ああ、あるよ。
 ヒソカは言葉を返さずに、ただ微笑みだけをミズキに向けた。
 その微笑みを見た瞬間にミズキは全てを理解したのだろう、目を僅かに開いた後、ミズキは申し訳なさそうに眉根を寄せた。

「……お前も、難儀な人生だな」

 ミズキは魂に刻まれた呪いのような衝動に突き動かされて生きている。そして、ヒソカもまた、己に刻まれた「奇術師ヒソカ」としての呪いのような衝動に突き動かされて生きている。
 その道を変えることは決してできない。
 死をもってしか、その道に終わりは来ない。

 窓の外では、ヨークシンのネオンがチカチカと点滅している。排気音と電子音の混じった都会の喧騒を耳にしながら、二人は互いの温もりを静かに分け与えていた。







 まどろむ意識の中まぶたに感じていた天井の薄明かりが消えたような気がして、ミズキはぼんやりとした感覚まま、薄っすらとまぶたを開けた。

 部屋の中は真っ暗で、ぐるりと見渡してもヒソカの姿は見つからない。ミズキが寝たのを確認してから、そっと部屋から出て行ったのだろう。
 扉の閉まる音も出て行く気配も感じられなかったことから、ヒソカはかなり気を使って部屋を出て行った事が伺える。

――そんなに気を使わなくても良かったのに……

 ミズキはヒソカの温もりがまだ残る手をギュッと握ると、おぼろげな意識のまま立ち上がり、ヨークシンのネオンを映す窓へと移動した。
 窓の外ではここが大都会であることを主張するかのようにネオンが点滅し、車のエンジン音が途切れる事なく聞こえている。

「あれは――」

 眼下に視線を落とすと、ちょうどホテルの入り口から奇抜な衣装の赤髪の男が出て行くところだった。あんな格好で堂々と歩いている人間なんて一人しかいない。

「ははっ、目立ちすぎだぜ、あいつは――ったく」

 時間は深夜の一時を過ぎた頃だった。一瞬ミズキの脳裏に、明日に備えてもう少し身体を休ませた方が良いんじゃないかとの考えが浮かんだが、ヒソカのおかげでミズキの身体は短い休息ながらも随分と良くなっている。
 それに、また眠ったら嫌な夢を見るかもしれない。

「大人の夜遊びってか? 元気だな、あいつはよぉ」

 軽口を言う元気も出てきた。ミズキはふふっと笑みを零しながら、いつものナイフと銃とポシェットを手早く腰に付けてゆく。


――もっと、ヒソカと一緒にいたい。


 リラックスしているからだろうか、ヒソカといる時ミズキはアレを――血塗れのアマンダも、今まで殺してきた亡者の姿も――見なかった。
 決して口にはしなかったが、この時のミズキの胸は確かにヒソカと一緒にいたいとの思いでいっぱいだった。

「へへっ、後ろから付いて行って驚かしてやろう!」

 ミズキは温もりが消えかけている手を胸の前できゅっと握ると、斜に構えたいつもの生意気な顔に戻ってそのままドアから意気揚々と出て行った。





 ホテルから出た当初、ミズキはすぐに目的の場所に辿り着くと思っていた。ミズキたちの泊まっていたホテルは繁華街の真ん中にあり、飲み屋もいかがわしい店も徒歩十分圏内に数え切れないほどあったからだ。
 しかし、ホテルを出たヒソカは、次第に人気のない方へとどんどん歩いていき、ついには、全く人気の感じられない廃墟ビルへと辿り着いてしまった。
 はじめは遊び感覚で付いてきたミズキであったが、次第にその顔は張り詰めてゆき廃墟ビルに辿り着く頃には、完全に仕事時の顔つきとなっていた。
 眠りに落ちる前に、ヒソカが言っていた言葉が頭に蘇る。

『ボクをボクたらしめいるものは変わることはない――』

 ヒソカをヒソカたらしめているモノ。ヒソカの心身を駆り立てて止まない、身体にこびりついて離れないモノ。
 そんなの分かり切っている。ミズキはそれを何度も目の当たりにしていたし、自分自身でそれを感じた事もあった。どんなに切り離したくても、ヒソカから切っても切れないモノ。それは――。

 心躍る戦闘。それに違いなかった。

 嫌な予感で胸が張り裂けそうだった。ミズキはなぜだか込みあげそうになった涙を飲み込んで、ビルの中に入っていったヒソカの後を"絶"をして付いて行く。
 ヒソカはその中の一室に入ると、埃だらけの長椅子に腰を掛け、持って来たトランプで一人遊びを始めた。

 こんなところに、トランプ遊びにためだけに来るはずがない。
 誰かと待ち合わせをしているに違いなかった。時間だけが過ぎていく。

 そうして、現れたのは、一人の少年であった。青い民族風な衣装に、耳下辺りまで伸びたサラサラの金髪。そして、意志の宿った理知的な瞳。

 あれは、確か――。

 ふいに現れた見知った姿に、ミズキが思わず声を出しそうになった。暗闇から現れたのは、数時間前、あの荒野で大男を捕まえた鎖使い――クラピカであった。


「早かったね◆」


 床にトランプを並べて遊んでいたヒソカは、暗闇から現れたその存在に顔を上げて体を後ろに捻る。
「安心しなよ。今キミと戦る気はないから」
 ヒソカは目をにいっと細めて笑った。その声は、身が凍るような冷たさをはらんでいる。
 
――なぜあの少年がここに!? 生きていたのか!?

 ミズキの脳裏に大男を連れて逃げるクラピカの一団と、それを追いかける旅団の一団との様子が蘇る。

――いや、それよりも……一番の問題はあの少年がヒソカと知り合いだということだ……
 いったいこれから何が行われようとしているのだろうか。
 心臓がバクンバクンと音を立て、喉の奥がペトペトと乾いていく。唾を飲み込むゴクリという音が、鼓膜の内側でやけに大きく聞こえた。

 運命の歯車は、ミズキを、また、逃げることのできない不可逆の舞台へと、叩きつけたのだった。

 どこかから入り込んだ風が、ミズキと二人の間をひゅう、と吹き抜けていく。上空から差し落ちた月の光が、薄汚れた廃墟の床に細く長い影を作っている。

 ヒソカの温もりで温まっていた両手は、既に氷のように冷たくなっていた。




[18.9月1日 6/6]


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