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 背の高いビルが軒を連ねるヨークシンの中心街でも、ひときわその存在感を誇っているビル、セメタリービル。地下三階、地上七十五階の大きさがあるこのビルは、最大収容人数八百人のセレモニー会場をはじめその他大小の催場を有しているため、映画祭のレセプションや大物政治家の講演会その他大規模なパーティーの会場としてよく使われている。ビル建造から二十年が経ちながらも館内は新築と相違ない綺麗さを保ち、床には塵ひとつない。

 そのピカピカに磨かれたエントランスホールで行われている、金属探知機を使った厳重なセキュリティチェックを終えた黒服の男たちが、ある場所へと流れるように吸い込まれてゆく。

 男たちの向かう先は地下競売の会場――上がっていない階段を降りた先にある、他人と数字を競うための場所である。バスケットコートほどの広さのホールの中には既に五百人近い強面の男どもが集まっており、その前方にはスポットライトに照らされた無人のステージがある。あと数分も経てば、このステージの上には司会進行のオークショニアが立ち、貴重なお宝の数々が並べられることだろう。

 地下競売では競り落とした金額の五パーセントが手数料としてコミュニティーに支払われる。そのため、己の財力を誇示したい組織の幹部陣はあと数分で始まるオークションへの期待と緊張に頬を強張らせながら、野望心でギラつく瞳を無人のステージへと向けていた。

「ようこそお集まり下さいました」

 時計が午後九時を告げるとともにステージ袖から蝶ネクタイを付けた二人の男がステージの中央へと――何もかもが値上がりする地下室の中心へと、姿を現した。一人はフランケンシュタインを連想させる大柄の男で、もう一人は吊り上がった鋭い細目が印象的な小柄な男だった。司会進行の登場に、会場に集まった男どもはその瞳をさらにギラつかせる。

「それでは、堅苦しい挨拶は抜きにして――」

 小柄な男はステージ中央に設置されたマイクに向かってそう言うと、細い瞳をさらにキュッと細めた。いよいよ始まる。ステージへと目を向ける五百人近い人間の誰もが、そう思っていた。

「くたばるといいね」

 しかし放たれたのは予想外の言葉で、その言葉が放たれた瞬間、爆音が会場を切り裂いた。大量の念弾が、小柄な男の後ろにいた大男の指先から客席に向かって一斉に射出されたのだった。念弾は途切れることなく客席に降り注ぎ、血しぶきと阿鼻叫喚が会場を満たす。数分後、血の海となった会場には、生きている人間は一人としていなかった。


 その頃セメタリービルの入り口では、全速力で戻ってきたミズキが不遜な態度で入り口を固める警備の黒服たちに向かって怒声をあげていた。

「だから言ってるだろう、緊急事態だって! 会場が危ない! 中の様子を確認させてくれ!!」
「うるさい。何度も言っているだろう『問題はない』と」
「違う! そんなことあるはずないんだ! 本当に危ない! いいから中に入れてくれ!」
「うるせえ。クソガキ! 何も問題ないと言っているだろう!」

 ドガっとくぐもった音が響き、ミズキは男の容赦ない蹴りにその場にうずくまる。

「お前ら『ホワイト』はこの会場に触れることさえ許されてねえんだよ。さっさと持ち場に戻って、今まで通り仕事をしてろ! ……殴られ役の仕事、をな」

 男がペッと唾を吐きつけると、同じく入り口を警備していた黒服の男たちがうずくまるミズキへと揃って嘲笑を向ける。

「なあ、やっぱりあれは俺たちの勘違いじゃないのか? 会場も問題ないようだし……」

 遅れてやってきたベータが、ミズキの背中をさすりながら言う。

「違う……違うんだ……。あれは、あれは間違いなく――」

 念能力者の仕業だ。なぜ奴らはこの危険性に気づかない――。ミズキは言いかけた言葉を飲み込み、唇を噛む。警備の人間の無能さと何もできない己の無力さに、ミズキははらわたが煮えくり返りそうだった。

「なんの騒ぎだ」
「あ、あんたは確か――」

 警備の男が振り返った先にいたのは。騒ぎを聞きつけてやってきたヴォルゲンだった。

「コミュニティー内の摩擦解消を任されているヴォルゲンだ。何があった。ん?」
「それが、この『ホワイト』のガキが会場が危ないと――」

 男の「会場が危ない」との言葉にヴォルゲンの額がピクリと動く。やっと話が通じる人間が来た、とミズキは痛みをこらえて立ち上がる。

「不審な車を二台発見した。Eの3だ。会場のすぐ側に持ち主不明な車が停められているだなんておかしいし、何より血の匂いがプンプンしているのに周囲には死体はおろか血痕の一つもなかった。明らかに異常だ。途方もない力を持つ『何者か』がこの車を襲い、中の人間に替わって会場に潜り込んでいる可能性がある」

 途方もない力を持つ『何者』――それは念能力者を意味する。それを知らない人間にしてみればただの誇張表現にしか思えないだろうが、ヴォルゲンはこの言葉の意味をきっと理解する。ミズキはヴォルゲンを正面から見据える。

「――分かった。場所は?」
「Eの3。ウォルフストリートの25番街」
「車種は?」
「ベンゾーニ社のS8型、車のナンバーは――」

 ミズキとの応答のあとヴォルゲンは無線機に向かって何かを尋ね、返ってきた答えに小さく「そうか、分かった」と言った。

「確認取れたぜ。確かにウォルフストリートに不審車両二台があるようだな。……おい、お前、競売会場の様子を見てこい」
 ヴォルゲンはミズキを蹴りつけた男に向かって言った。
「はあ? 何で俺が。俺は上からこのゲートを警備するよう言われてるんだ、お前の使いっ走りをするためじゃねえ」
「俺はその上のそのまた上の依頼でこの場に居る。俺の命令を聞かねえってことは、つまりはドン・ヨルビアンに叛意あり、そういう事になるがいいか?」

 ヴォルゲンが凄味のある声で言う。男はチッと舌打ちを打つと、仲間数名を引き連れて渋々階下の会場へと向かった。


 それから数分と経たずしてエントランスホールは騒然となった。ミズキの予想通り競売会場では何か問題が起きていたようで、会場を見に行った男は血相を変えて戻ってくるなりミズキに掴みかかって「会場には人っ子ひとりいなかったぞ!? お前の手引きか!? 何を知っている!?」と大声でがなり立て、その時になってやっと異変に気付いた警備の男たちは携帯電話片手に口々に上の人間へと事態を報告し始め、おそらく緊急の報告を受け取ったのであろう各組織の人間が慌てた様子で黒塗りの車を会場入り口に横付け武器を片手にどたどたとホールへなだれ込んできた。競売開始から既に十五分が過ぎていた。

「今日の競売品全てが盗まれている!? ……ああ、繰り返すぞ。『不審な飛行船があったらつけてさらえ』『首謀者は生かして連れてこい』『連れてきた組織にはコミュニティーから莫大な報奨金が出る』だな。分かった、直ぐに組織の連中に伝える」

 目まぐるしく変わる周囲の状況にミズキの胸ぐらを掴んだままその場で固まる男の背後から、指示を反復する声が聞こえ、ミズキは目の前の男へじとりと視線を送る。

「……だそうだ。いい加減この手を離してくれねえか?」
「しかし、まだお前に掛かった嫌疑が晴れたわけじゃ――」
「ったく、オレに何ができるって言うんだよ。そもそもオレが手引きしたって言うんなら、何でオレはわざわざこんな痛い思いをして報告しにきてるんだよ。あ? 言ってみろよ!」
「そ、それは……」
「いいから離せよ」

 ミズキは強引に男の手を振り払うと、服に付いた汚れをパンパンと叩いた。ヴォルゲンが側に居る状態ではオーラで男の力を相殺する事ができず、生身で拳を受けたミズキの頬は赤く腫れていた。ペッと血を吐き出す。

「……で、ヴォルゲンさん。オレたちは次は何をすればいいんで?」

 ミズキとヴォルゲンは一メートルと離れていない距離にいた。こんなに近くでヴォルゲンと言葉を交わすのは、これが初めてである。ミズキとのヴォルゲンの視線が静かに交差する。

「……他の連中と同じように不審な飛行船を追いかけろ。決して見失うな」
「……足は?」
「ホワイトを編成して車を何台か向かわせる。立体高架沿いの中央交差点へ向かえ、途中で拾い上げる」

 それだけ言うとヴォルゲンは身を返し、携帯電話片手に慌ただしい様子で去っていった。ミズキに、「念が使えるのか?」とも「本当に襲撃者と関係はないのか?」とも聞くことはなかった。殴りかかった男は行き過ぎだったとしても、いち早く異変に気付いたミズキに対して何かしらの疑惑を抱いてもおかしくないにも関わらず、である。

「あいつ……もしかして、あらかじめこうなる事を知っていた?」

 それはふと頭に浮かんだ考えに過ぎなかったが、口から転がり落ちたその言葉は時間が経つにつれてミズキの中で大きな疑念となって存在感を増してゆく。

 思い返せば、先ほどミズキといさかいになった男はヴォルゲンに対しても敬意のない受け答えをしていた。『オブジェクトホワイト』が適切な経緯で組織された存在ならば、今年から取り入れられた新しい試みであっても、リーダーであるヴォルゲンに対してあのような不遜な態度を取る人間は現れないはずである。それにも関わらずヴォルゲンはコミュニティーの人間から異分子扱いをされていた。

「『オブジェクトホワイト』はコミュニティーの総意ではない……?」

 まるで新しく力をつけた人間が権力を盾に強引にねじ込んだような、そんないびつな様相をミズキは感じた。『オブジェクトホワイト』が組織された年に、盗賊による襲撃が重なったのは、本当に偶然と言えるのだろうか。もしやこの騒動自体も予定されていたものなのではないか。ミズキの中で疑念がさらに膨れ上がる。

「おい、何をぼーっとしてやがる。さっさと行くぞ!」

 アルファにぐいと襟元を引っ張られる。ミズキは仕方がないと思考を中断し、そのまま身を翻してセメタリービルを後にした。


「ああ、襲撃されたぜ、たれこみ通りだ……」

 騒然となっているホールの中で、ヴォルゲンは走り去って行く三人を目の端で捉えながら携帯電話片手に喜悦の滲んだ声をあげる。

「ああ、相手は分かってねえ。ただ、会場に居た五百人近い人間はどこかに消えたらしいぜ? 凄えよな。相手は何人か分からねえが、是非お相手してもらいたいところだ……くふふ、冗談だ。……ああ、お宝は無事だ。昼に梟と名乗る男が来て商品を全て持って行ったからな」

 ヴォルゲンはエントリーホールの隅にある喫煙所コーナーで立ち止まると、煙草を取り出しそれに火を付ける。

「え? 残りの陰獣と共にこちらに向かっている? 一時間後? おいおい、あんた、十老頭たちとの会談はどうしたんで? ……ああ、そりゃそうだ、こっちが片付かなくちゃ話も進まねえ……」

 ヴォルゲンは紫煙を曇らせながら、くっくと喉を鳴らす。

「ああ、面白くなってきやがったな。……そうそう、あんたが言っていたあの子供。あれ、結構使えそうですぜい? ……そう。いち早く襲撃に気付いた、事前情報も何も抜きにして、だ。……くふっ、念を使えそうに見えねえのに、確実に知っていやがる。それなのに、それを隠してるだなんて、全く面白い奴だぜ。……ああ、詳しいことはあんたが来てから話す。ああ、それじゃ、また……」

 ヴォルゲンは携帯電話を懐に戻すと、黒革のソファにどかっと腰を下ろして、短くなった煙草に口を付ける。


「ああ、面白くなってきやがった……」

 ヴォルゲンはそう呟くと、天井に向かってふーっと煙と吐き出した。煙草を灰皿に押し付けるその顔には、殺しを生き甲斐にする人間独特の隠しきれない愉悦が滲んでいた。




[18.9月1日 3/6]


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