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「腕相撲をしている子供達がいる?」

 コミュニティーの幹部陣がセメタリービル入りし始めた午後六時過ぎ、理不尽なサンドバック役がようやくひと段落し、ひと時の休憩にとベータと一緒にレモンソーダを飲んでいたミズキは、突如聞こえたアルファの言葉に眉をしかめた。

「そいつら一般人だろ? 放っておけばいいんじゃねえか?」
「そういう訳にはいかない。こういった何も知らない一般人は、マフィア間の諍いの原因になる」

 通常、露天商など路上で活動をする人間は諍いを恐れてその地区をまとめるコミュニティーにあらかじめ許可を貰い、みかじめ料を払ってから営業をする。その仕事を生業とする人間なら常識であったが、旅行者が爆発的に増えるこの時期はその常識を知らずに勝手に営業を始める人間が多発するらしい。複数のコミュニティーの目があり取り締まりを強化できないこの時期の無許可の露天商は、組織の人間の苛立ちを助長するこざかしい蠅のような存在でしかなかった。

「こういった連中が増えれば増えるほど、明日以降の仕事に影響してくる。今のうちにこういった蠅どもを会場周辺から追い出せとのお達しだ」

 一般人はセメタリービルで地下競売が行われていることを知らない。会場の場所を伏せるためにも通行規制はしていない。彼らからしてみたら突然場所を立ち退けだなんて青天の霹靂でしかないが、仕事であるのならば仕方がない。

「その腕相撲の子供達や露天商の連中を追い払えってことだな。分かったぜ」

 飲み干したレモンソーダのカップを路地裏のゴミ箱に投げ入れ、ミズキは伸びをした。隣でげっそりとした顔で壁に寄りかかっていたベータも、鈍重な動きで体を起こす。

「……大丈夫か?」

 ベータの身体には目に見えて分かる傷がいくつもあった。今日のサンドバックでできた傷だった。ミズキは男達から受ける攻撃をオーラを調節して相殺していたので目立った傷を作ることはなかったが、ベータはおそらく念を知らず、男達の攻撃を生身で受けていた。

「大丈夫だ、問題ない……」

 ベータは恨みがましい目をアルファに向けた後、力なく言った。無理もない。ミズキは二人の関係性を知らなかったが、今日一日ベータはアルファの指示で何度となく痛い思いをしている。遠いところから二人が殴られる様子を観察し涼しい顔でヴォルゲンに報告をするアルファを見れば、いくら肉薄した関係であっても恨みが積もっても仕方がないことだろう。

「お前、あいつと仲がいいんだろ? 何で役を変われって言わないんだ?」

 逆にミズキはこんだけ理不尽な思いを受けながら何も言い返さないベータに疑問を感じずにはいられず、そのまま思った疑問を口にする。

「いい……お前には関係ないことだろ……」

 ベータはニット帽を目深く被るとそのまま何も言い返さずに歩き出した。何も言わないのならそれ以上追求する必要もないだろう。ミズキは肩をすくめると、そのままベータの後に続いて指示された場所へと走り出した。


「……お前、持っているか?」
 走り出してしばらくして、ベータがぼそりと言った。
「持ってるってなんの――」

 そう言い掛けてミズキは口を閉じる。アルファとベータのいびつな関係は、そのままヴォルゲンとの関係に繋がる。

「いや、持っていない……。そういうお前はどうなんだ?」
 走りながらベータへと視線を向ける。
「……持ってねえ。けど、来年には絶対取る」

 殴られて腫れ上がったベータの顔に、決意の炎がたぎっている。この『持っているか』と問われたものは、決意を強めるもので、さらに年単位で手に入れることができるものらしい。

「お前は?」
「ああ、来年は無理だが、二・三年内には。……あいつは持っているのか?」

 ミズキは適当に合わせた言葉を返し、後方にいるアルファへと視線を向ける。

「あいつ?……あいつは持ってるけど……知ってるか、あいつ『星落ち』なんだぜ?」

 ベータは鼻をふんと鳴らして嘲笑の声を上げる。『星落ち』の意味をミズキは分からなかったが、口ぶりからどうやらベータは『それ』を持っていないために、持っているアルファの指示に反抗することなく従っているようだった。それほどまでに、この『持っているか』『持っていないか』の境は大きいらしい。

「星落ち? あんなに威張りくさっているくせに、か?」
 情報を引き出そうと、ミズキはさらに言葉を続ける。
「ははっ、笑っちゃうだろ。あんな威張ってやがるくせに、その実態は星落ち。こんな使い捨ての仕事しか回って来ねえような奴なんだぜ?」

 なるほど、『星落ち』とは嘲笑を向けるようなもので、かつ、使い捨ての仕事しか回ってこないものなのか。その言葉からミズキの脳裏に軍服の襟に付けられた階級章がよぎり、二人はもしかしたらどこぞの軍に所属する人間なのかとミズキは思った。

 しかし、どこぞの軍がマフィアの警備に参加するとは思えなかったし、二人の間に上官と下士官といった雰囲気は感じられない。いったい二人の関係は――そして、ヴォルゲンへと繋がる関係は何なのだろうか。

「おい、着いたぜ。……人が凄え集まってやがる」

 思考を遮るようにベータに言われ顔を上げると、そこには一万ジェニー札を手に持った大柄な男たちが集まっていた。有象無象の群衆の先には、質素なテーブルと二脚の椅子があり、壁側の椅子には小柄な少年が右腕を出しながら座っている。年は十二、三才。ツンツンと逆立つ黒髪と活き活きと光る瞳が印象的である。

「はいはい、押さないで押さないでー!」

 黒髪の少年の脇に立つ、長身のサングラスの男がひょうきんな声で一万ジェニーを持つ男たちに声を掛ける。男の年は二十代半ばだろうか。司会進行をしてこの場を仕切っているようだった。

「俺様の番だ」

 少年のふた回りはあるかと思われる筋骨隆々の男がどかっと椅子に座り、右腕を出す。

「はい、では手を組んでー。レディ……ゴー!!」

 サングラスの男の掛け声を合図に二人は手を組み合わせ、腕相撲を始めた。彼らの後方には、大ぶりのダイヤの指輪の入った小箱をうやうやしい仕草で持つ銀髪の少年がいる。年は腕相撲をしている黒髪の少年と同じく十二、三才であった。

 なるほど、ダイヤを景品とした賭け相撲か。おそらく、三人の後方にある宝石店で買ったのだろう。下手したら営業妨害で警察に通報されてもおかしくないだろうにその可能性を捨ててこんな目立つところで賭け相撲をはじめるだなんて何て無鉄砲な集団なのだろう、とミズキは三人を見て思った。

「おおっと、いけるか? いけるか!? ああー、残念。惜しい勝負でしたねー。はい、では次の人ー」

 サングラスの男が実況の声を上げる中、少年と大男との勝負は終わった。結果は少年の勝ち
どちらが勝つか負けるか分からない良い勝負であった、と勝負を見ていた人間は皆そう思っただろう。しかし、ミズキの感想は全く違った。

(あの子供、念能力者だ……)

 巧妙に隠していたが少年の放つオーラは研ぎ澄まされており、周囲に群がる有象無象の男たちとは段違いの実力に思えた。おそらく百試合してもあの少年は勝つことができるだろう。

「おい、お前。あの子供達と似たような年齢だろう。ひと試合して、みかじめ料を払っているかどうか聞いてこい」
 後から到着したアルファがミズキに告げる。
「金は誰が……いや、いい」

 ミズキは財布から一万ジェニーを取り出すと、渋々むさ苦しい男たちの集団に体をねじ込んだ。

「はいはい、次はオレ!」
「なんだよ、このガキ、横入りするんじゃねえよ!」
「何言ってんだよ、おっさん。オレずっとここに並んでたじゃねえか、オレの背が低くて目に入らなかったからって逆ギレすんなよ!」

 胸ぐらを掴みそうな勢いで怒声を上げる男に向かってミズキはしれっと言い放つと、そのまま一万ジェニーをサングラスの男に渡して椅子にどかっと座った。

「お前ら、この辺に住んでる人間か?」

 ミズキは座るや否や、目の前に座り少年に向かって詰問口調で問いかける。突然の質問に、少年は戸惑いながら「えっと……オレたち、この街には旅行で来てるんだ」と答える。予想通りの答えだった。

「……だろうな。この街の人間なら、この時期にこの場所でこんな目立つことするはずねえもん。許可も……取ってねえんだろ?」
「えっ、許可?」

 少年は狼狽えた声を出し、「レオリオ……」と言いながら隣のサングラスの男へと顔を向ける。

「いいって、ゴン」

 レオリオと呼ばれたサングラスの男は、少年――ゴンへと優しい瞳を向けると、ずいと体を乗り出してミズキに向き合った。

「そこのボクちゃん、許可だの何だの偉そうなことを言っているけれど、あんたはそもそもどこの誰なんだ? なあ、俺たちにどこの誰から許可を貰えって言うつもりなんだ? あぁ?」

 路上で営業活動をする場合、通常は事前に各市町村に露店営業の届出を出し、さらに警察に道路使用許可を出さなくてはならない。しかし、レオリオという男はその部分をすっ飛ばしてミズキに『どこの所属であるか』を問いただしている。まるでこういう営業活動がその地域のコミュニティーと密接に繋がっていることを知っている口ぶりだった。

「お前、それを知って――」
「俺は、お前が『どこ』の『誰』なのかを聞いているんだ」

 この男、確実に何かを狙ってやがる。ミズキは今ヴォルゲンの命令でこの場所にいたが、『オブジェクトホワイト』はその性質上どこのコミュニティーにも所属していないことになっている。ここでどこかの組織の名前を出すわけにはいかない。語尾を強めて言うレオリオとミズキの間に険悪な空気が流れる。指示を仰ごうと後ろを振り返ると、首を横に降りその先を促すように顎で指し示すアルファがミズキの目に入る。素性を明かさず腕相撲で奴らを蹴散らせということだろう。

「……腕相撲。元々ここはそういう場所なんだろ?」

 ミズキがふんと鼻を鳴らすと、ゴンは視線をさ迷わせたあと決心した瞳で右腕を出した。まるで自然豊かな森に足を踏み入れたような爽やかなオーラが漂い始め、ミズキはやっぱりこの少年は念を知っているのだと改めて思った。手を組み合わせると、ピリリとした緊張感が周囲を包んだ。

「レディ……ゴー!!」

 レオリオの掛け声で二人の腕相撲勝負は始まった。しかしその勝負は呆気なく決着がついた。

「はぁ、オレの負け。やっぱあんた、強いなー」

 勝負はミズキの負けであった。ミズキは肩をすくめながら組んでいた右手首をぷらぷらと振ると、何か言いたげなゴンを置いてそそくさと席を立った。

「ねえ、ちょっと君……」
「おい、ゴン。やめとけ」

 ミズキの背中に声を掛け立ち上がったゴンに、ダイヤの箱を持った銀髪の少年が腕を広げて制止をかける。

「だって、キルア……」
「まだ先は長いんだ、あんなガキほっとけよ」

 お前もガキだろっと思わずミズキは突っ込みそうになったが言葉を返すことはせず、そのまま背後で始まった腕相撲勝負の実況の声を聞きながらアルファの待つ路地裏へと足を進めた。

「何で負けた」
 戻るなりアルファは非難めいた目をミズキに向けた。
「何でって……あいつ、凄え強いぜ? 見てただろ? オレより何倍も体がデカい奴らに勝ってるんだ、オレなんかが勝てるわけないだろ」

 アルファとミズキの視線が静かに交差する。アルファの目は何かを検分するような目であった。

「……あいつら、もう五十勝しているらしいぜ? 二割のみかじめ料を取ったとして十万、もし百勝するなら二十万の金が懐に入ることになる。収入の機会を勝手に壊すより、ちゃんとした筋に報告してそいつらがあいつらに話を通して金を徴収した方が、断然利になる。……そう、思わないか?」

 ミズキが言うと、アルファは検分するような瞳を今度はゴンたちに向け始めた。

(やっぱり、こいつ、念能力者だ……)

 目にオーラを集中させるアルファを背後から盗み見しながら、全力で腕相撲勝負をしなくて良かった、とミズキは思った。念能力者同士の勝負は肉体の強さよりもオーラ操作の巧拙の差が大きく関わってくる。机を破壊する勢いでゴンと勝負すればミズキはゴンに勝っていたかもしれないが、念能力者だとバレれば今後のミズキの仕事に悪影響を及ぼしかねない。アルファのような忠実な密告者が身近にいる状況ではなおさらであった。

「……そうだな。やつら、百勝どころか二百勝くらい楽にしそうだ。この件は俺の方からヴォルゲンさんに報告をしておく」

 ゴンのオーラの練度を感じ取ったのだろう、アルファは納得したようにそう言うとトランシーバー向かって報告を始めた。

 それにしてもあの三人はどういった関係の人間だろうか。レオリオも後ろに控えていたキルアと呼ばれた少年も、ゴンが念を使えると知った上で腕相撲勝負をしていた節がある。人口比率から見ても希少に違いない念使いが三人も集まって何かを企んでいるなんて、心がざわついて仕方がない。

「ゴン、レオリオ、そしてキルア……か」

 この狭い業界、もしかしたらこの先顔を合わせることもあるかもしれない。初の女の子の挑戦に声を弾ませるレオリオと盛り上がる野次馬の声を聞きながら、ミズキは小さく呟いた。

「この件はヴォルゲンさんに報告しといたぞ。もう俺たちの出る番ではないらしい。……さっさと次行くぞ。無断で営業活動している露天商はまだ何組もいるんだ……」

 ミズキは前をキッと向くと、歓声の声をあげる群衆を背に走り出した。




 それから二時間、ミズキたちは会場の半径五百メートル内にいる露天商に片っ端から声を掛けてこの場所から立ち退くように言って回った。中には悪態をついてくる人間もいたが、ミズキより一回りは体の大きいアルファやベータが胸ぐらを掴んで凄めば、大抵は文句を言いながらも去っていった。言いつけられた仕事は順調と言えた。

「おい、あんな所の路上駐車の車なんかあったか?」

 もうすぐ地下競売が始まる八時五十分、ミズキは路上に停められた二台の不審な車を見つけた。見栄えにこだわるコミュニティーの人間が好みそうな黒塗りの高級車であった。

「車? それがどうしたって言うんだよ」
 アルファが苛立たしげな声をあげる。
「……ちょっと変じゃないか?」
「変って何がだよ」
「四方を警備する奴らって、定期的に担当エリアを見て回っているだろ? ガソリンを大量に積んだ車は格好の爆弾の材料だ。撤去しないはずがない」
「……もうオークションが始まるし、面倒だから後回しにしているだけだろ」
「いや……オレは今日一日でレッカー移動している現場を何度も目にしている。放置しているなんておかしいじゃないか。ちょっと見てくる」
「おい、勝手に――」

 ミズキはアルファの制止を振り払って車へと走り出した。近づけば近づくほど嫌な予感が増してくる。ミズキは唇をきゅっと噛みしめた。

「何だ、これ……血の匂い?」

 車の側に辿り着いたミズキの鼻をついたのは、濃厚な血の匂いだった。一人や二人死んでいてもおかしくない血の匂いに、ミズキの背筋がぶるりと震える。

「殺人? こんな場所で、か? 誰にもバレることなく……?」

 慌てて車の外装や地面を調べるが、目立った血痕は見つけられない。もしや、車の中で誰か死んでいるのではないかと、ミズキは拳に力を込め真っ黒なスモークガラスへと拳を振り下ろした。ガシャン、と大きな音が鳴る。中は無人であった。

「おい、お前何してんだ!!」

 走ってきたアルファに襟首を掴まれ、後ろに引き倒される。背中をしこたま打ってくぐもった声をあげるミズキに、アルファが怒りの目を向ける。

「勝手に窓を割りやがって! 弁償どうする気だ!」
「血の匂いだ! 車から血の匂いがする!!」
 ミズキは怒鳴り返した。
「血の匂い?」
「ああ、この車から血の匂いがプンプンする。なのに死体は見当たらない。外にも、中にも!」
「何!?」

 嫌な感覚が次から次へと湧き上がってくる。打ち捨てられた車。漂う血の匂い。そして、消えた死体。十五分ごとに見回りをしているこの場所に車があるということは、少なくとも二台の車に乗った複数の人間が十分も経たない時間のうちに殺され、さらに死体も消されたことになる。普通の人間にこんな芸当できるはずがない。そう、普通の人間には――


「お前、色々と詳しいだろ!? この車のナンバーがどこの誰の物か分からないか!?」
「そんな、車のナンバーなんて……」
「じゃあ、このルートを使って会場入りする人間に心当たりないか!?」
「各個人の使用ルートなんて……」
「使えねえな!」
「なん……だと?」
「お前、この状況が異常だと思わねえのか!? ……もしかすると……これ……」
「お、俺もこの辺で血の匂いが、す、すると思う……」

 ミズキに怒声を浴びせられてこめかみをピクつかせるアルファに向かって、ベータが口ごもりながら言う。

「ベータ、お前まで!」
「こんな会場近くに車が放置されているの、お、俺も変だと思う……」

 なぜ二人は気づかない。明らかに何者かが念を使った痕跡があるのに……。ミズキの鋭敏な感覚は、風が吹けば消えてしまうような僅かなオーラの残り香を感じ取っていた。ミズキの背中にじとりと汗が滲み、心臓がばくばくと大きな音を立てる。

(車が二台。少なくて四人、最大で八人の人間が一瞬で消されている……)

 相当な実力者だ。誰がどんな目的でこんなことをしているのだろうか。何もかも分からないことだらけであったが、これだけは確信できた。敵はセメタリービルにいる。

「行くぞ! 会場が危ない!」

 ミズキはセメタリービルに向かって駆け出した。敵は誰かに成り代わって会場に既に潜入している可能性がある。コミュニティーに敵対する人間だろか、それとも成り上がりを目指す集団だろうか、それとも――。ミズキの本能が何かヤバいことが起きていると告げていた。ミズキの額に一筋の汗が流れる。


 どこかの建物に設置された古時計がカチリと動き、午後九時を知らせる音を鳴らす。地下競売が始まる時間だ。ボーン、ボーンと地に響くような音が、路地裏を必死に掛けるミズキの頭上に降り注いでいた。





[18.9月1日 2/6]


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