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 正午、ヨークシンシティーに到着したミズキは、五百人は収容できる広さのあるホールで、依頼主の到着を今か今かと待ち構えていた。周囲には似たような面持ちの私服姿の人間が数十人いる。

 ミズキの今いる場所は、ヨークシンシティーのビル街の中でもひときわ背の高い「セメタリービル」、ヨークシントップレベルの広さの催場を地上にも地下にも有する、今年のアンダーグラウンドオークションの会場となる場所だった。周囲には明日から始まるオークションに備えて、武器を手にした黒服の男がそこかしこにいる。

 ミズキは依頼主を待ちながら拾える情報は全て拾おうと周囲をつぶさに観察する。人数、武器、配置、おおよその強さ、シンボルマークの有無などなど。目につくものは全て頭に叩き込んでゆく。その観察の結果、ボディーチェックもセキュリティーチェックも警備員の配置も定石通りで問題なかったが、それでも強大な力を持つ人間――例えば念を極めたA級犯罪者群――が侵入を試みればその警備網はまるで4トントラックで突っ込まれたシャッターのように簡単にひしゃげてしまうだろうとミズキは思った。


「待たせたな」


 ベレー帽を目深に被った軍人風の男が扉の向こうから姿を現わす。ヨークシンの奇妙な依頼の時にミズキに黒い箱を運ばせた男である。同じ会場にいる例の依頼で「合格」したと思える数十人のうち何割かが姿勢を正す。

「俺の名前はヴァン・ダッチ・ヴォルゲン、今回お前らの依頼主となる人間だ」

 広いホールであるにも関わらず男の声は良く通り、周囲をなぶるように見る男のそれは軍隊の横柄な教官を彷彿とさせる。

「この会場に来ているからもう察しているかもしれねえが、今回、お前らに与える仕事はこの会場の警備に関するものだ。まずはこの資料に目を通せ」

 手渡された資料には、セメタリービルの図面と警備図、そして、周辺エリアの警備情報が載っていた。

「お前らには、主に周辺の警備に当たってもらう。周辺エリアを方角によってAからHの8つに、距離によって1から5に分けている。例えばBの3なら、そこは北東三百メートルと場所だ。英数字から場所が即座に思い浮かぶよう、さっさと頭に叩き込め」

 その後もヴォルゲンは説明を続け、最後に集まった人間の中で三人一組になるよう指示をした。
 ミズキはニット帽を被った二人組の男と組む事となり、二人は当たり前のように「アルファ」「ベータ」と偽名を名乗った。コードネームだろうか。裏の人間が醸し出すじとりとした雰囲気を二人は纏っていなかったが、長身細身のその肉体は鍛えられており、なんらかの訓練を受けた人間だろうとミズキは思った。

「ヴォルゲンさんから依頼を受けるのはこれで三度目になるし、俺はヴォルゲンさんとの面識もある。このスリーマンセルのリーダーは俺が引き受けよう」

 アルファはそう言ってリーダー役を名乗り出た。特に異存はなかったのでその案に同意を返しながら、ミズキはあの男とこの男にどんな繋がりがあるのだろうかとアルファに注意深く視線を向ける。ニット帽にロンTにジーパンというラフな格好には、何かを示すようなシンボルマークの類は見当たらない。しかし、必ず何かあるはずだ。

 ジョンはヨークシンに来ずにそのままニューステイの高層ビルの中で通常のサラリーマンの仕事をしているようだったが、このヨークシンオークションに何かしらの役割で関わっていることは間違いない。ミズキは会場警備の詳細を聞いている間中、奴らにどんな繋がりがあるのかと考え続けていた。



 その晩、ミズキはヒソカが取った高級ホテルの一室で、今日あった出来事を思い返しながら情報を整理していた。あの後、ヴォルゲンはそれぞれの班に各自担当エリアを下見してくるよう告げると、そのまま姿を消した。納得いかないことだらけだった。

 まず一つ目に、ヨークシンオークションは表の世界では競売できない裏の商品を競り落とすイベントとなっているが、六大陸十地区のそれぞれが保有する力を誇示し合うイベントでもある。そのため、各組織の統率力や人材力を周囲に知らしめるこのイベントでは基本的に外部の人間は使わない。もし、人手が足りなくてオークション前に人を雇うとしても、必ずどこの系列のどの組織か、己の立場を明確にするのが通例だ。
 それなのにあの男は全く立場を明かさなかったし、それとして分かるシンボルマークも身につけていなかった。

 二つ目は、警備の指示の曖昧さだった。毎年地下競売の警備は五つの地区のコミュニティーによって行われる。東西南北の各エリア警備を四つの地区で、オークションの会場となるホテルの警備をその年のホストとなる地区が行っており、今年はメイン会場をホストであるヨルビアン地区が、その他のエリアをそれぞれ、ノースアイジエン地区、ユナイトバルサ地区、オセアニアン地区、イーストアメイリカ地区が担当している。実際、会場の周囲五百メートルを見て回った時、各コミュニティーの人間と思われる黒服の男が、既に会場の東西南北を警備しているのが確認できた。
 ヴォルゲンの指示にこのまま従えば、既存の人間が警備している場所を二重で警備することになる。指揮系統の違う別の組織による二重警備。しかも付け焼き刃の素人の警備だなんて、混乱を招く未来以外想像できない。マフィア同士の諍いがご法度なこの時期この場所で、なぜこんな諍いが起こりかねない指示をするのだろうか。

 他にも、指示をする立場の人間であるヴォルゲンが軍服風の私服を着ていたことも、自身のことを「依頼人である」と言わずに「依頼人となる」と表現した点もミズキは引っかかっていた。前者はまるでマフィアンコミュニティーとは一線を画す人間だと主張しているように見え、後者は第三者の命令で「警備を統括する立場」を任されているように思えた。

「あー、訳分かんねえ……」

 ヴォルゲンが姿を現した時、集まっていた人間の中の何割かは敬意を示すように背筋を正していた。班のメンバーのアルファと同じように、彼らは既にヴォルゲンと何らかの関わりがあるのだろう。繋がりがあるのは明白であったが、目に分かるシンボルマークの類は見つけられず、現時点ではその繋がりが何であるか分からない。

「くそっ、落ち着け……。まだオークションは始まってないじゃねえか、落ち着け……落ち着くんだ……」

 確実に目の前にいるにも関わらず、どの組織に所属しどの立場で行動しているか見当がつかない。この状況はジョンの背後を探った時の感触と似ており、ミズキの手には焦りで自然と汗が滲む。ミズキはソファにもたれ掛かって目をつぶり、自分自身を落ち着けるように大きく呼吸を繰り返す。

「……消えろ。まだお前に用はない」

 いつの間にか背後に現れた血塗れの人間に向かってミズキは吐き捨て、テーブルの上のグラスを投げつける。ガシャンと大きな音が鳴り、ガラスの破片が床へと散らばった。

「ア、マンダ……」

 ミズキは頭をぐしゃりと抱え、そのままテーブルへと突っ伏した。部屋の主であるヒソカはまだどこかに出掛けたきり帰ってきていない。壁に掛けられた洒落たデザインの時計が、コチコチ……と規則的な音を鳴らしている。今まで一人でやってきたはずなのに、この一人の空間が堪らなく心をかき乱す。

 ミズキは頭を抱える指先にさらに力を加えて小さく丸まった。壁に掛かった時計の長針がカチリと動いて短針と重なる。午前零時。九月一日が始まった。




 その晩、十二人の手足と一つの頭はそこにいた。

 剥き出しのコンクリート壁に囲まれた薄暗い廃墟の中で、どこかから染み込んだ雨水が雫となって落下し、十三人が一堂に会するその場所で、ぴちゃん、と小さな音を響かせる。集まった十三人は、皆が皆、研ぎ澄まされたオーラと触れた者をたちどころに切り刻むような鋭い目をしている。その十二対の瞳は、中央にいる黒髪の男に注がれていた。

「明日から始まるオークションでの、オレたちの狙う獲物は……」

 重苦しい空気を割って男は口を開く。黒髪を後ろに撫でつけてオールバックにしている男の額には逆十字のタトゥーが刻まれ、羽織った黒いコートの背にもまるで神に逆らう証のように逆十字の刺繍が入っている。十二対の瞳は何も言葉を発さずに男の言葉の先へと神経を向けている。

 一拍後、男は言葉を発した。

「全部だ」

 男の言葉は何よりも重く、聞いた者全ての心に入り込み鎖で絡め取るような力強さがあった。

「アンダーオークションのお宝、丸ごとかっさらう」
「本気かよ、団長。地下競売は世界中のヤクザが協定を組んで仕切っている。手ェ出したら世の中の筋モン、全部敵に回すことになるんだぜ、団長!」

 十二対の瞳の中の一人、獣のような大男が声を震わせる。

「怖いのか?」
「いいや、嬉しいんだよ」

 毛皮を腰に巻いた大男――ウボォーギンは鋭い犬歯を剥き出しにして震え立つ全身を抑え込む。

「命じてくれ、団長。今すぐ!」
 噛み締めたウボォーギンの歯がギチギチと音を立てる。
「オレが許す。殺せ」
「ウワーハッハッハッハ!!」

 ウボォーギンは拳を振り上げ高らかに笑い出す。それは枷の外れた獣のようだった。いや、実際のところ、ここに集まった十二の手足は一つ一つが獰猛な獣を上回る力を有しており、それらが団長――クロロ=ルシルフルの一言によって解放されたのだ。それは危険な獣が野に放たれたのと変わらなかった。クロロの一言を皮切りに、十二対の瞳の中に獣のような炎が各々立ち上り始める。

「じゃあ、詳細はオレの方から話すね」

 ウボォーギンの雄叫びが響く中そう切り出したのはシャルナークだった。

「今から渡す資料に目を通して。会場の見取り図と警備図、オークションを運営しているオークショニアたちの入場ルート、その他諸々が書いてあるから」

 全員に資料が行き渡ったのを確認してからクロロは口を開く。

「今回襲撃を掛けるセメタリービルでは、入場の際に、どこの組織の誰であるかを入場証とともに確認する。入場証の偽装だけでは不十分で、事前にこの人間は関係者だと証言する人間が警備側に必要となる」

 十二対の瞳は、資料を見ながらクロロの次の言葉を待つ。

「そのため、今回オレたちは三つの組に分かれて行動をする。一つ目は事前に会場に潜り込む潜入組、二つ目はオークショニアの移動車を襲う襲撃組、三つ目は有事の際の待機組だ。メンバーは……」

 クロロは潜入の手順、シンボルマークや衣装の確保の方法、襲撃をする車の特徴、タイミング、金庫の場所、逃走経路、その他注意事項などを伝えてゆく。クロロの話が進めば進むほど、十二人の中に芽生えた炎はその勢いを強めてゆく。

「以上だ。潜入組は午後三時にオルタンシアストリートに、襲撃組は午後七時にセントラルユースビル裏口に、待機組は同じく午後七時にこの場所に集合。それまでは各自自由。何か質問がある奴はいるか?」

 何も反応がないのを確認してからクロロは大きく息を吸った。

「集合時間には遅れるな。……好きに暴れてこい。解散!」

 十二匹の獣は野に放たれた。その獣の一つ、ヒソカもトランプ片手に立ち上がる。A級賞金首「幻影旅団」が動き出した瞬間だった。




「おや? まだ起きていたのかい?」

 解散後、ホテルに戻ってきたヒソカが目にしたのは、疲れきった様子で机に突っ伏すミズキの姿だった。

「あ、ああ……。そっちこそ遅かったな」

 顔を上げたミズキの目の下には深い隈がある。飛行船で移動をともにしたこの三日間、ミズキは最低限の睡眠は取っていたので、あの隈は睡眠不足からくるものではなく、精神的な疲弊からくるものだろうとヒソカは思った。

「まあね。それより、何だいこれは。コップでも投げつけたのかい?」

 ヒソカは遅くなった理由を詳しく説明するでもなく、絨毯に散らばるガラスの破片へと視線を落とす。

「あ……いいぜ、やんなくて。オレがやる」

 ミズキはソファから立ち上がってそのままガラスの破片を片付け始めた。ヒソカは自分が何をしてきたか言わないし、ミズキも尋ねない。二人の間には一線引いた距離が引き続きあり、カチャカチャという音だけが広い部屋の中に静かに落ちていた。

「痛っ……」

 小さく声を上げたミズキの指先で真っ赤な血の珠がぷくりとできる。指先を口に含み背中を丸めたミズキの後ろ姿はいつもより小さく、後ろから抱き締めたら腕の中にすっぽり入ってしまうのではないかとヒソカは思った。

「ミズキ……」

 襟足の髪がはらりと落ち、あの場所でクロロが唇を這わせていたミズキの首筋が露わになる。この部屋にはミズキとヒソカの二人だけ。扉には鍵とチェーンロック。浴槽に水はない。手を伸ばせば届くところにミズキはおり、三メートルと離れていないところにキングサイズのベットがあった。地上五十階のこの部屋からは例え窓からでも脱出不可能だった。

 天井に設置されているファンが二人の頭上で静かに音を立てる中、ヒソカの右手がミズキに伸びる。しかし数秒後、ヒソカの手は何も掴まないままゆっくりと元の位置に戻った。

「何だいそのざまは」
「……ヒ、ソカ?」
「念も込められていないただのガラスの破片で皮膚を傷つけるだなんて、たるんでいるんじゃないかい?」
「……」
「そんな表面が切れているだけの傷、痛くもかゆくもないだろう。オーラを指先に纏えば問題ないはずだったのにそんな事にさえ頭が回らないだなんて、それが決意をした人間の取る行動かい?」
「ち、違っ――」
「鍛え方が足りないようだね。いいだろう。ちょうど、上のフロアを丸々借りてきたところなんだ。一人で体を動かすつもりだったけど、こんな情けない人間が側にいるだなんてボクの美学に反する。ついておいで。鍛え直してあげるよ」

 そう言ってヒソカは小さく丸まるミズキの背中をバンと叩く。

「ハハッ、痛いぜ……ヒソカ……」

 ミズキは小さく呟いたあとギュッと拳を握ると、立ち上がった。そこにはいつもの力強い瞳があった。

「しょうがねえな、そんなに言うんだったら付き合ってやってもいいぜ?」

 ミズキはふんと鼻を鳴らし扉へと向かうヒソカの後に続く。二人はそのままエレベーターに乗り込み、階上のイベントフロアへと向かった。

「ヒソカ、ありがとな……。あいつ、やっと消えた……」

 エレベーターの表示画面がぐんぐんと階数を上げる中、ミズキはヒソカの服の裾をぎゅっと握って言う。その指先は少し震えているように見えた。ヒソカは後ろに立つミズキに視線を向けただけで何も答えず、そのまま表示画面へと顔を戻した。

 エレベーターがチンと鳴って目的の階にたどり着いたことを告げる。二人だけの時間が始まった。



『何もかもが値上がりする地下室
 そこがあなたの寝床となってしまう
 上がっていない階段を降りてはいけない
 他人と数字を競ってもいけない』



 その夜、マフィアンコミュニティーの上層部に一つの情報が駆け抜けた。もちろん、その情報はセメタリービルの警備の一部を任されたヴォルゲンの耳にも入った。

「たれこみ……?」

 セメタリービルの上層階の客室の一室で、ヴォルゲンは電話を片手に訝しげな声を上げた。

「……ああ、あの四行詩の娘の占いか。確か、会場警備を任されているドン・ヨルビアンがあの娘の熱心な信望者でしたね。……ふっふ。確か、ハンター協会内にもいましたよ、あの娘の信望者。誰でしたっけ? ああ……ああ……従っておいたほうが良いですねぇ。ふふっ……」

 ヴォルゲンは黒革のソファに深々と腰をかけると、耳に携帯電話を当てながらナイフをいじり始める。

「そんなに当たるって言うんなら、俺も占って欲しいですねぇ……。くっふっふ、その通り、俺は自分の力しか信じませんがね……」

 ヴォルゲンは喉を鳴らしながら、数メートル先にある人型の的へとナイフを投げつける。

「そうそう、ひとつ聞きますが。トラブルが多ければ多いほど、あんたには有利に働く……。ひょっとしてあんた、実はこうなることをあらかじめ知っていたんじゃありません? ふっふ……知らないだなんて白々しい。いや、いい。死刑囚だった俺を、死から救い出して再び血肉踊る戦場に立たせてくれているのは、あんただ。俺はあんたの指示に従うぜ。ふっふ……ああ、そうだ。ああ……また連絡する」

 ヴォルゲンは電話を切ると、手元に残っていた最後のナイフを壁に向かって投げつけた。

「トラブルは俺も大歓迎だぜ? 敵は強ければ強いほどいい……。特に血の匂いを隠しきれていない奴なんかがいい……。くふふ……」

 ヴォルゲンの薄ら笑いは消えることなく、その後も続いた。

 カチコチ……と壁に掛けられた時計が刻一刻と時間を刻む。様々な人間の思惑が入り乱れるヨークシンオークションがついに始まった。



[17.8月31日 3/3 ]



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