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「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」


絹を裂くような悲鳴とともに何かが割れる音が聞こえ、ヒソカは一目散にシャワー室へと向かった。蹴破られた扉からむわっと広がる湯気の先に、裸のまま倒れているミズキが見え、ヒソカは壁に掛けてある白いバスタオルを手に取り急いでミズキの元へ向かった。しかし、左隣から聞こえたゴトっという音にヒソカはその足を止めた。


「イルミ、キミ……」


音の発信源はヒソカより先にシャワー室に飛び込んでいたイルミだった。洗面台に後ろ手を付いたままミズキの身体を指差しているイルミの瞳は、大きく見開かれている。付き合いのない人間ならばイルミの目が見開かれているかどうか分からないものなのだろうが、少なからず付き合いのあるヒソカには、イルミが何かに驚いているということが分かった。


「胸……。ミズキに、胸が……。」


喘ぐようにそう言うイルミの視線の先にはミズキの身体ーー嘘偽りない生まれたままの姿、があった。濡れそぼった髪に、肌を伝う幾つもの水滴。一糸纏わぬミズキの体には、普段、身体を覆っているはずの男物の服はなく、代わりに小振りとはいえ成長し始めた女性特有の膨らみがあった。


「ミズキ……もしかしてーー」
戸惑いながら開かれたイルミの口に、ヒソカはやっと気づいたのかといった顔で肩をすくめた。
「ーー変な念でも掛けられたの?」
イルミの的外れな言葉に、ヒソカはズルっと足を踏み外した。
「イルミ!何を言っているんだい、ミズキはどう見ても女の子だろ!?」
「え?だって、前殺した人間の中に、時間制限あるけど念で相手の性別を変えるって能力者がいたし。……って、え?ちょっと待って、ヒソカ。今、何て言った?ミズキが、女の子……って?」
「やっと気づいたのかい?ミズキは正真正銘女の子さ◆」
「え?……だってミズキ、自分のこと『オレ』って言ってたよ?自分で自分のこと『男』だって……」
ヒソカは、はぁ……と大げさに息を吐いた。
「ボクも初めの頃は気づかなかったけど。ホラ、この腰から足にかけての曲線を見てごらん。痩せぎすで『女』と言うにはまだまだ未熟だけど、男にはない皮下脂肪が作る独特の滑らかさが見受けられるだろう? そして胸元の、繊維質な胸筋とは異なる発達途中の乳腺と脂肪による柔らかみのある膨らみと、その頂点にあるツンと上を向いたピンク色のチク……ゴフッ!」

イルミは言葉途中のヒソカからバスタオルを強引に奪い取り、それをヒソカの視線から遮るようにふわりと掛けた。キッとヒソカを睨みつけるイルミは、まるで忠実な番犬のようだった。


「せっかく懇切丁寧に説明してあげようとしているのに……ねえ?」
「もういいから黙って。……あとそのニヤニヤした顔、やめて。気持ち悪い。」
「ククッ、酷いじゃないかいイルミ、これがボクの生まれつきの顔さ」
「あっそ。……それよりヒソカ、もう出てってくんない?これ以上ミズキの身体を変態に見られたくないんだけど。」
「相変わらず手厳しいね、キミは。……でも。それで、ボクを追い出してキミはいったいナニをするつもりなのかい?」
「何を……って、ヒソカじゃないんだから、普通に部屋に運ぶだけだよ。」
「……タオルを掛けただけのミズキの素肌に触れて……かい?それはいただけないなあ◆」


ヒソカの顔には薄っぺらい笑いが張り付いたままだった。しかし、その瞳にはイルミに対する不和の色が映り込んでいる。イルミはすっくと立ち上がると、ヒソカに向かい合った。



「ねぇ、そのニヤニヤ顏やめてって言ったよね。オレに喧嘩売ってるつもり?」
「喧嘩?まさか。ただ、キミみたいに本来の性別を打ち明けられないような浅い間柄の人間に運ばれるより、全てを分かりあっているボクに運ばれた方がミズキもいいだろうと思っただけさ◆」
「なにそれ。オレとミズキの仲が浅いって言いたいの?」
ヒソカの眼光は鋭いままだった。その瞳が「是」と言っているような気がして、イルミの中で腹立たしさ膨らんでいった。
「つーか、浅い仲って言うならオレよりヒソカの方がそうでしょ。」
「ボクが?」
言われっぱなしは癪だった。イルミはさらに言葉を続けた。
「だって、そうじゃん。確かにオレはミズキの性別を知らなかったよ?でも、オレとミズキは性別以外の話ならいっぱいしてる。家の話とか好きな食べ物の話とか誕生日の話とか、他にも色々。……それに、ミズキが助けを求めて電話を掛けてきたのはヒソカじゃない、オレにだよ?」


きっぱりと言い放たれたその言葉に、ヒソカは言葉を詰まらせた。ミズキが助けを求めたのはヒソカではなくイルミ。それは紛れもない事実だった。


「喧嘩を吹っかけたと思ったら今度はだんまり?……別にいいけど。ま、とにかく、そう言うことだから、ヒソカ、早く部屋から出て行って。」


そう言うとイルミはヒソカに背を向け、ミズキの首の下に手を入れて抱き起こそうとした。しかし、体は意図に反して思うように動かず、イルミは細く長く息を吐いた。


「ねえヒソカ。オレにバンジーガムつけて、何のつもり?」


振り返ったイルミとヒソカの視線が静かに交差する。ミズキをシャワー室のタイルにそっと置くと、イルミはすっと立ち上がった。


「いいよ?受けて立つ。ヒソカに喧嘩売られるの、いい加減うんざりしてたんだよね。」


イルミからゆらりとオーラが立ち上る。空気がピリピリと張り詰め、洗面台のコップがカタカタと音を立てた。まさに一触即発。しかし、何の因果か、イルミとヒソカが拳を合わせることはついぞなく、


「お二人とも!何をやってらっしゃるのですか!!」


予期せぬ第三者の乱入で、その空気は霧散してしまったのだった。







「全く、二人とも揃いも揃ってだらしがない。浴室で倒れた女性を介抱もせずに喧嘩をし出すなんて、男の風上にも置けませんよ!」


ぶつくさと文句を言いながらミズキを甲斐甲斐しく世話している恰幅の良い女性は、先ほどイルミに服を届けに来た使用人のマーサだった。ゾルディックに勤めて五十年という古株中の古株のマーサは、念の使えない使用人でありながらも、その勤務歴の長さと絶対的な服従心とで、ゾルディックの面々から信頼を置かれている数少ない人間の一人だった。


「それにイルミ様?相手が女性なら先に言って下さいまし。キルア様と同じサイズの服だなんて仰っるから、てっきり男性かと思って男物をご用意してしまいましたわ」
「あ。それで構わない。着せてやって。」
「よろしいので?この方ならカルト様のような着物がお似合いですのに」
「もう、構わないって言ってるだろ。」
「はい、畏まりました」

マーサはその年齢ゆえに少々口煩い所があるが、イルミはいつものことといった感じで右から左へと聞き流している。ヒソカは、先ほどの険しい雰囲気はどこにいったのやら、いつもと変わらぬ様子でトランプタワーを作っていた。


「まぁまぁまぁ、それにしてもお綺麗な方ですね、奥様には及びませんが若い雌鹿のような不思議な魅力がありますね」
主が連れてきた女性を褒めないのは失礼に当たると思ったかどうかしれないが、マーサはミズキを褒める言葉を口にした。
「ん。あぁ、ま、そだね。」
しかし、イルミは素っ気なく答える。
「カルト様に通じる魅力がありますね……っと。はい、お手当てもお着替えも終りましたよ?」
「ん、ありがと。」
「また御用がありましたらいつでもお呼びください、イルミ様のお呼びとあらば、このマーサ、どこへだって駆けつけますから」
「はは、ありがと。でも、程ほどにね。腰に響くよ。」
「いえいえ、イルミ様のためなら野を越え山越え海を越えーー、です!」


男二人で諍いあっていた所への女手は有難いものに違いなく、イルミは深夜にも関わらずテンションの高いマーサに少しげっそりしながらも主として最低限の受け答えをしていた。


「……ところでイルミ様、この方はもしや……イルミ様のいい人で?」


突然マーサは声を潜めてイルミの耳元に顔を寄せた。いい人?……ああ、恋人という意味か。イルミはその言葉を頭の中で反芻した後、口を開いた。

「いや、違うけど。」
「あら、違うのですか? 私はてっきり……。奥様がご用意したお見合いに乗り気じゃないのは、イルミ様に既に心に決めた方がいるからだって、使用人の間でもっぱら噂でしたのに……」

そんな噂になっていたのか。見合いを断っているのはただ単純に面倒臭いってだけなのに。


「ミズキはオレの執事こう……そっか。ミズキが女だって言うなら他にも方法がある、か……」


そこまで言ってイルミは口を閉じた。背中に鋭い視線を感じたからだった。いくら声を潜めているとはいえこの距離だ、ヒソカの耳に入っていることだろう。


「とりあえず、用事済んだからもう下がっていいよ」


話はこれで終わりとばかりに強い口調で言うとマーサは不満げな顔をしつつも「はい、畏まりました」と言って頭を下げた。マーサは有能だけど野次馬根性が強いのが玉に傷だ。やっと厄介払いができる、そうイルミが一息吐いた瞬間だった。


「……うう…ぐっ、あぁ……」


ミズキが苦しそうな呻き声を上げた。額に脂汗を浮かべ、歯をギリギリと噛みながら、絶え間無く苦しそうな声を上げている。その苦悶の表情に、マーサがおろおろしながら「イ、イルミ様?私、帰ってもよろしいのですか?」とイルミに問いかける。

これは看病をしてどうかなるものではない。イルミは狼狽するマーサに向かって「大丈夫だから、帰って」とピシャリと言うと、ドアを閉めた。


「あ、う……ごめ…なさい……アマ、ン……ぐ…」


ミズキは血の気が抜けるほど強く服を握り、「ごめんなさい」と言いながらただ一つの名前を繰り返している。きつく噛み締められた唇から、血がたらりと一筋流れていった。


「ミズキ……」


ちらりとヒソカを見ると、ヒソカも全てを了解したような目でイルミを見返していた。ああ、わかっているよ。オレもヒソカと同じ考えだ。イルミはこくりと頷くと、オーラを静かに練った。


イルミはヒソカと共にミズキの枕元にそっと立った。これから起こることを何も言わなくても分かりあっているのだろう。手にオーラを集め始めたイルミを見つめるヒソカの瞳には、少しのブレも揺るぎもなかった。


「針なしと針あり、どっちがいい?」
「……どう違うんだい?」
「針ありだと完全に記憶を消すことができるけど人格がちょっとアレになる。針なしだと人格には影響しないけど、取れやすい」
「アレってどういう意味だい?」
「ん。性格がちょっと変わるよ。従順になったり大人しくなったりする。人それぞれだからやってみないと分からないけど。まぁ、あとはオレの命令に絶対……って位かな?」
「却下だね◆針なしの効果はどれくらいだい?」
「うーん、十日から半年くらい?念に逆らうようなら直ぐにでも取れちゃうけど、逆らわないでいるなら半永久的に取れない、と思う。」


ヒソカは苦悶の表情で脂汗をかいているミズキの、額にベッタリくっついた前髪を優しい手つきで触り、額の汗を掌で拭い、固く閉じられた瞼を親指でなぞった。


「ミズキはボクの青い果実なんだ。人格を変えたりなんかしたくない……。針なしで、頼むよ」


「大切なんだ、とても……」と蚊の鳴くような小さな声で自分に言い聞かせるように言うヒソカを横目に、イルミはオーラをさらに練った。自分に従順で自分の命令を聞くミズキに未練がないと言えば嘘になる。今ここで針を差し込めばミズキは簡単にオレのものになるし、執事になれと命じれば口答えもせずに「はい」と言うだろう。だけど、たぶんそれはオレの求めているものと違うのだーー。ミズキはミズキのままが一番いい。イルミは大きく息を吸うと、右手を振りかざした。


今、楽にしてあげるよ、ミズキーー。


イルミのオーラを受けたミズキは「あ……ぐっ……」と何度か短い声を上げた後に、体をぐったりと弛緩させた。荒かった呼吸も時間が経つにつれて穏やかなものになっていく。


「ん。終わった。」


数分後、イルミはミズキからゆっくりと手を離した。ミズキは先ほどと打って変わった穏やかな顔で目を閉じている。ヒソカとイルミは顔を見合わせて頷くと、そこから先は口を開こうとしなかった。


ブオンブオン……と飛行船のモーター音が部屋の中を満たしていく。窓の外ではいつの間にか顔を出した朝日が、力に満ちたオレンジ色の光を放っていた。

闇に満ちた夜が終わりを告げ、光に満ちた新しい一日が始まろうとしている。眠り続けるミズキの向かう未来は、この朝日のように明るいものなるのだろうか。それは二人にも、ミズキ自身にも……いや、神でさえも分からない。ただ、こうして怒濤に満ちた夜は静かに幕を閉じたのだった。


[15.混乱 3/3 ]


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