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「ヒソカが悪いんだからね。あいつらで遊び出すから。」

人の気配が一切消え去った静かな廊下を駆けながら、イルミは隣を走る男に悪態をついた。

「しょうがないじゃないか◆ 必死になって歯向かってくる姿が可笑しくて……ね。弱いくせにあんな風に向かって来られたら、からかいたくなるものだろ?」
「知らないよ、そんなの。あーあ、結構遅くなっちゃったけど、ミズキ、大丈夫かな?」
「君は心配性だね。ミズキはボクが鍛えてるんだ。この屋敷の人間にやられるほど弱くはないさ♣ ……それに、ミズキは長年の仇を打ちにココにきているんだ、ボクらみたいな無関係な人間が、横入りするってのは無粋ってものじゃないかい?」
「……分かってる。ヒソカのくせに正論なんか言わないで。」
ぷいと顔をそむけたイルミにヒソカはククッと喉を鳴らした。
「君のそんなムキになる姿、初めて見るよ。君が弟以外のことでそんなにムキになるだなんて……ネ◆……イルミ、そんなにミズキが大切かい?」

その言葉にイルミは足をピタリと止め、ヒソカに向き合った。いつものように飄々と笑うヒソカの目の奥には、ナイフの切っ先のように鋭さが潜んでいた。

「ヒソカこそ、この間からミズキの事になるとやけにオレに突っかかるよね?そんなにミズキが大切なの?」


イルミは抑揚を消した声で、そっくりそのまま言葉を返した。視線がぶつかり合う。ピリッと空気が張り詰め、二人のオーラが不穏に揺れた。

二人の関係は、ギブ&テイクで成り立つ対等な関係だった。互いに趣味嗜好、思考行動パターンを把握し合いながらも、必要があった時にのみ手を貸し合う間柄。それはドライでビジネスライクな付き合いだった。だからこそ二人は、互いの領域に踏み入ることを良しとしなかった。例えそれが自分の益に繋がると感じていたとしても、イルミはヒソカの青い果実『ゴン=フリークス』に手を出さなかったし、同じようにヒソカもイルミの大切にしているモノ『ゾルディックの跡取りキルア』に手を出さなかった。相手の領域に入ればただでは済まないことを互いに痛いほど分かっていたからだ。


「アレ、オレの執事候補なんだよね。」
「何を言っているんだい、イルミ。あのコはボクの青い果実だよ?」


言外に「手を引け」と言い合う二人。剣呑とした空気が流れる。今まで一度たりとも踏み込まなかった『互いの領域』に二人が踏み込んだ瞬間だった。


「だから、前も言ったじゃん。オレの元で強くしてあげるから、その後だったら戦ってもいいよ?って。それの何が不服なの?」
「……」
「今だってゴンを野放しにしているじゃん。強くなるのを待っているって言うならミズキもそれと同じでいいのに。何でそんなにミズキにこだわるの?」


イルミの問いにヒソカは答えない。いや、答えられなかった。

今までヒソカは、「青い果実」を見つけると、それが熟れるまでただひたすら待った。時には、ゴンのように目の前に立ち塞がって闘いの世界の奥深さを見せることも、クラピカのように修羅の道へと続く道をそっと耳打ちすることもあったが、基本的に熟れるか熟れないかは各個人の判断に委ねていた。強さを求めるならそれで良し、もし求めなかったとしても青い果実候補から外せばいいだけだった。必要以上に果実に執着しない。それがヒソカのスタイルだった。

それにも関わらず、今のヒソカはミズキに対して必要以上に構ってしまっている。ハンター試験後、新しく見つけた果実のゴンがククルーマウンテンに向かうと知った時、ヒソカは別段それを止めようとは思わなかった。あそこに行けば強くなることを知っていたからだ。ミズキだってそうだ。ゾルディックの執事養成所で闘いのノウハウを徹底的に仕込まれれば、今よりずっと強くなることは目に見えている。「熟れた果実」と戦うことを目的とするならば、歓迎こそすれそれを止める必要はないはずだった。

それなのに、ヒソカはイルミの提案に「是」と言うことができなかった。


「黙ってちゃ分かんないんだけど。この間もだんまりだったよね、ヒソカは。はぁ……いい加減にしてよね、否定しないってことはOKだってことだって取るよ?」


「それはダメだーー」そう言いかけてヒソカは口をつぐんだ。ミズキが向かった方角から、ぬたり、と何かが壁を這うような感覚が伝わってきたのだった。


「何、これ。ぞわぞわするんだけど……これ、……念?」
イルミも同じ方向を見ている。
「……違うみたいだね」
「これ、オーラ?ネトネト纏わり付いて気持ち悪い……」


肌にべとりと張り付いて体内にじわじわと侵食していくようなそれ。それにヒソカは覚えがあった。初めてミズキに会った晩にBARで感じたもの、そして、ミズキがオーラの使いすぎて自我を失う時に感じたものと同一だった。

「これは、ミズキのーー」

しかも、以前感じたものより何倍も濃く、禍々しい。まるでーー、そう、この世の全てに絶望し、虚無の深淵を覗き込んでいるようなーーそんなオーラだ。こんなオーラを発していてミズキは無事なのだろうか。ヒソカの中に焦燥感が生まれる。


「イルミ、急ごう」


イルミも真剣な顔をしてこくりと頷く。念に精通した人間ならば、このオーラの異様さが一目で分かったはずだ。二人はミズキの向かった先に一目散に走り出した。


「ミズキ……」


ヒソカの脳裏にいくつものミズキの姿が浮かぶ。生意気な目つきでこちらを見上げるミズキ。ケラケラと軽快に笑うミズキ。驚いて目を白黒させるミズキ。顔を真っ赤にして詰め寄るミズキ。力及ばず悔しそうに地面を叩くミズキ。『なぁ、ヒソカ!』と無邪気に呼びかけるミズキの声が、ヒソカの脳裏に鮮やかに蘇った。


ミズキ、ミズキ、ミズキ……。無事でいてくれ。どうかーー。


タンッと地面を力強く蹴るヒソカの足元で、床の血だまりからピチャンと血が跳ねた。廊下の窓から差し込む黄色い月光が、真っ赤な血だまりを妖しく照らしていた。







「……あそこだ」


廊下の先に、弾丸で蜂の巣になっている扉と壁が見えた。血の匂いと香水の甘い香り、そして、ミズキのどろりとしたオーラを扉越しに感じる。頭がくらくらする程濃密なそれが、べちゃ…ぬちゃ…と音を立てながら足元から身体へと這い上ってくるようで、ヒソカはその不快感に縦じわが付くほど強く眉をしかめた。

こんなミズキのオーラ、今まで感じたことない。いったい何があったのだろうか。嫌な予感でヒソカの鼓動が激しくなる。バンッと穴だらけの扉を蹴破って中に雪崩れ込むと、むせるような血の匂いがヒソカの鼻をついた。

壁を抉る弾痕。床に転がる生首。飛び散った血。電線がショートしているのか蛍光灯が時折バチッバチッと音を立てている。そんな荒れ果てた薄暗い部屋の中で、大きな窓から差し込む黄色い月明かりが、ソファにいる人物の姿をまるで発光するかのようにぼんやりと浮かび上がらせていた。ミズキーー。その姿にヒソカは息を飲んだ。


「どうしたの?ヒソ、カ……」


焦点を失った瞳。返り血で真っ赤に染まった顔。吊り上がった唇。そして、聞こえる笑い声。二人が見たものは、もう人として成り立っていないロドリゲスの上にまたがり、狂ったように血を飲ませ続けるミズキの姿だった。


「アハハハハハハハハハ!……ホラ、…飲メ……答エ、ロ…」


自身の左手首から流れ出る血液をロドリゲスの口元に垂らし、「飲メ……」と言いながらミズキは既にこと切れ動くことの無い男の口を強引に開ける。ガコッと顎の砕ける音が、黄色い月光の差し込む静かな部屋に響いた。



「ディレクション、ウォーター」


ミズキがなにがしかの念を発動させたのだろう。その言葉と共に、どす黒いオーラが立ち上がった。しかし、ロドリゲスはピクリとも動かない。


「…言エ、ヨ……ホラ、…アハハハハハハハハハハ」


ミズキの悲痛な笑い声が聞こえる。足元には空になったペットボトルが転がっていた。もう何度も繰り返されたのだろう。男の顔はミズキの血で赤黒く汚れ、砕け散った顎からは骨が見え、床に何本もの歯が転がっていた。


「……ミズキ?」


ヒソカは絞り出すようにしてミズキの名前を読んだ。しかし、ミズキは反応を返さない。いや、二人の存在に気づいてさえいないのだろう。ミズキは反応を返さないロドリゲスを、苛立った様子で殴りつけ、骨が見え隠れする首元に指をぐちゃりと突き刺しては肉を千切り取っている。


「ホラ…言エ…言ウンダ!!!アハハハハハハ!!!」


ロドリゲスの目玉は飛び出し、腕は千切れ、内蔵は飛び出している。身体中の至るところに刺し傷があり、綺麗な部分は一つとしてなかった。ミズキーー。変わり果てたミズキの姿にヒソカは動く事が出来なかった。瞬きをするのさえ忘れてその場に立ち尽くすヒソカの隣を、イルミが駆けていく。


「ミズキ、ミズキ。」


ミズキの肩を強く揺さぶる。しかしまるでたかる蝿を薙ぎ払うように手を振り払われ、イルミはぺたんと尻餅を付いてしまった。



「言エ…言ウンダ!アハッ、…言エ、言、エ……アハッ、アハハ、アハハハハ!!」


ミズキはなおもロドリゲスの方を向き、手首から流れ出る血を男の口に垂らし続けている。ミズキのまるで泣いているような笑い声が、呆然と立ち尽くす二人の鼓膜をただただ震わせ続けていた。


「アハッ、アハ、アハハハハハハハハハ!!!!」



いつまでも、いつまでも、尽きること無く、永遠にーー。





「アハッ、アハハハハ、アハハハハハハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハ!!アハハハハハハハハハハハ!!!!アハハハハハハハハハハハ!!!!!!!」








[ 14.襲撃 4/4 ]


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