獄都夢 | ナノ




此方でお召し上がりですか?


 



店の奥の隅に座る田噛と違い、平腹は来店する度決まって外からも中からも目立つ窓際の席を選んだ。コーヒーや食事を頼みそれが運ばれて来るまでの間、彼は飽く事がないのか窓の外を見つめて一人で百面相をする。朱音はそんな彼を訝し気に思いながら、それでも声を掛けると必ず笑顔で迎えてくれるので、少し変わった一挙一動などすぐにどうでもよくなった。客を贔屓するのは不届き千万なのだろうが、特別なお客様がいるというのはなかなか仕事に張り合いができて楽しいのだ。

今日も平腹は窓際に座っている。朱音は慎重にコーヒーの乗ったお盆を持ち歩きながら店内を一瞥して見回した。時刻はそこまで遅くないが今日は比較的客足が少ない方だ。普段は長い事談笑を続けている女性達も今は居らず、年齢層が高めのスーツを着た男性がちらほらとお一人様で座っている程度だ。書類を広げて何やら真剣に思案している人、パソコンで作業をしている人、新聞をじっくり読んでいる人、そして中には眠ってしまっている人もいる。今日もお客様は各々で寛いでいらっしゃるようで何よりだと朱音は思った。


「コーヒーをお持ちしました」

「おぉ!ありがとなー」


いつもと何ら変わらない声掛け。声音も表情もマニュアル通り。だが朱音の内心では驚いて目を瞬かせている。何故なら窓の外ばかり見ていると思っていた平腹が、今日は何やら手元に紙を置いて鉛筆を走らせていたからだ。よく見ればそれは席に配ってあるアンケート用紙と付属の鉛筆だったのだが、彼はどうもアンケート用紙の裏を使用して何かの構図を考えているようだった。


「今度親睦会でバスケの試合があるんだぜー。オレ達も参加するから今から配置決めとこうと思って」


問いかけずとも答えをくれる平腹に朱音は自然な笑みを返す。コーヒーをテーブルに置きながら書かれた物を見やると、確かにバスケコートらしい枠の中に名前が五つ並んでいた。平腹、斬島、谷裂、木舌、佐疫。一瞬読めなくて面食らったが平腹が“ひらはら”だとわかると他もその容量で他の名も理解できた。それにしても名前には珍しい漢字を使う。


「たがみさんは参加されないのですか?」

「ふぉお?ん、書くの忘れてた」


思わず口走ってしまったがまだ二人が同僚だと決まっていたわけではなかったことを思い出し、朱音は早とちりしたかもと焦った。だがどうやら杞憂に終わったようで平腹はいそいそと田噛の名前を枠外に書く。


「田噛は頭脳派だからなー。試合に出るより司令塔だなー。寝てるかもしれないけどなー」


それは参加と言えるのだろうかと、胸の内でつっこむ。


「肋角さんは来るのかなぁ。わからんなー」


肋角さん、と田噛の下に付け足した平腹は唇を尖らせながらそう呟きコーヒーを口にする。“肋角さん”だけ敬称が付いているという事は、少なくとも平腹にとって上の存在という事だろうか。朱音は紙面を見つめながら見慣れない漢字の名前達を脳に伝達する。


「あ、朱音。オレ今日ドリアセット食う」

「かしこまりました」


夜食の注文を受けたらバックに戻らねばなるまい。朱音は短い会話を少し残念に思いながら踵を返して平腹に背を向け、彼の言うバスケットボールの試合を見れるものなら見てみたいとひっそり思った。



「うーん…」


別段目が見えにくい訳でもないのに紙を手にして視線の先に腕を伸ばし、老眼の高齢者がやるような遠目で目を細める平腹はまるで何かの暗号を解くかのようだ。暫くそうしてじっと眺めていたが満足したのか一人頷くと、紙をテーブルの上に落としてそのまま自身の頭もテーブルへと預けた。両腕を宙に放ってブラブラと揺らしながら空気が抜けるように息を吐く。平腹は眠たげに伏せっていく目で、視界が横向いているせいで上下左右が変わった店内を見回し、ふと空いた席を清掃する朱音に目を止めた。真剣にテーブルや椅子を拭いたり床を掃除したりする彼女は口許を緩めているのか少し笑顔に見える。かと思えば汚い所に苦戦して眉間にしわを寄せたり、パン屑の多さに驚いていたりと表情が忙しい。平腹は伏せた目を更に細めると大きな口で弧を描いた。テーブルに耳を付けているせいか店内のあらゆる音が凝縮されて脳に届く。ヒーリングミュージックと朱音の作業音を堪能しながら彼はそっと目を閉じた。






「…はらさま」

「ん…」

「平腹様、」


体を揺すられる感覚で目を覚ますと一番にチーズとミートソースの香りが鼻をくすぐった。それから頭の少し上の方に朱音の顔。肩に添えられた自分の物とは全く違う手が離れて行くのを確認しながら、平腹は体を起こして小さく伸びる。


「ドリア冷めちゃいますよ」


眠たいせいで重い瞼を開閉させながら朱音を見上げれば、彼女は緩い笑顔でそう言った。平腹はテーブルに置かれた湯気の上がるドリアに目を落とすと用意されていたスプーンを手に取る。その動作を見てか「ごゆっくり」と言い残して去っていこうとする朱音に、平腹は思わず声を掛けた。


「あー…、なぁ。様って何か変な感じするから、せめて“さん”にしてくれねー?」

「平腹…さん、でよろしいですか?」

「うん、うん!良い良い」


満足気に笑う平腹に朱音もつられて微笑んだ。彼女が去った後美味しい香りに巻かれた平腹は早速その根源にスプーンを入れる。自分が相当腹を空かせていた事に食べながら気付き、急に熱いものが胃に落ちていく感覚に若干の苦しさを覚えてむせそうになる。お冷やでそれを流し込みながら休みなくスプーンを動かせばドリアはぐんぐん器から減っていく。ついに食べきってしまうまで五分としなかったのではないだろうか。
彼は一息つくようにコーヒーカップに手を伸ばした。寝てしまったせいで幾分か覚めてしまっていたそれは、それでもなお美味しさを保っている。ドリアの器の他にテーブルの上に並んでいるのはセットで付いてきたサンドウィッチとコーンスープだ。ドリアを全て腹に収めた事で空腹が落ち着いたようで、平腹はスプーンを持ちかえながら今度はゆっくり食べようと自身の瞳と似たような色をするコーンスープをすくった。


カツン


窓側の足元でその固い音は鳴った。平腹が流れるようにその音がした方へと視線をやれば、窓を隔てた外に一つ目カラスがどこか不機嫌そうな雰囲気を発しながらこちらを見上げている。
一つ目カラスは獄都の伝書バトのようなものだ。


「おぉお?どうしたー?」


言いながらコーンスープをすする平腹に一つ目カラスは呆れたように首を下げると、窓ガラスから少しだけ離れてその脚を上げて見せた。普段ならそこに用件を書いた紙が丸められ足にくくりつけてあるのだが、今回は少し違った。脚に小さな紙がくくりつけてあるが丸められておらず、簡潔に用件だけ書かれていたのだ。


「“夜の任務忘れてたら殺す”……」


田噛の字でそう書いてあるのを目にした平腹は一二拍笑顔で首を傾げた後、弾かれるように真顔になって勢いよく席を立った。


「あぁぁあぁぁぁあぁぁああああ!!忘れてた!!」


声のみならず盛大な音を立てて立ち上がったせいで店内の客の視線が集中的に注がれる。バックに引っ込んでいた朱音も何事かと顔を出した。視線の先では平腹が立ったままコーンスープを器ごと持ち上げて酒を煽るような姿勢で飲み干している所だった。


「朱音!」


本当に何事かと焦燥感に駆られていく朱音に、平腹はサンドウィッチと伝票を握ってこちらへと早足で迫ってくる。会計をされるのだろうと察した彼女だが手に持つサンドウィッチが気になる。まさか持って帰るつもりだろうか。案の定平腹は会計処理中に「何か袋ない?」と問い、朱音はお釣りをトレーに置いてから「ちょっとお待ちください」と急かされるようにバックへと駆ける。お釣りを財布にしまいながらもういっそ食べてしまおうかと平腹がサンドウィッチを眺めている所に彼女は急いで戻ってくると、サンドウィッチを預かり大きめのナフキンで包み込んだ。その後ナイロン袋の中にそれを入れ、一動作を見守っていた平腹へと手渡した。何とも手際が良い。


「お持ち帰りって普通に頼めばできる感じなのか?」

「今回は特別です」


朱音が小声で「何やら急がれているようですし」と付け足せば、平腹は頭を掻きながら少し困ったように笑った。










――――――――――











先頭を猫背にだれた田噛、一つ目カラスに餌付けする木舌、顔半分を血塗れにした平腹は夜の獄都の一角を見回りに歩いていた。閻魔庁から近いその場所で先日集団で逃げだしたと言う亡者の捜索応援を頼まれていた。


「夜の任務を忘れるのは今に始まったことじゃないけど、現世に出掛けてたとは意外だったな」


木舌は他人事のように笑い一つ目カラスの頭を撫でる。平腹は顔を流れる血を服の袖で拭いながらベタベタになった服や肌の質感に不快感をあらわにした。そんな同僚を木舌は不憫に思ったのか自身のズボンからハンドタオルを出して投げて寄越す。


「田噛ももう少し手加減してやればいいじゃないか」

「……めんどくせぇ」

「田噛こっち側ばっか殴るから、オレの顔多分こっちだけ柔くなってるぜ」

「「それはないな」」


交通量が減った獄都の深夜の住宅地に、静かなせいか三人の足音だけが道に響いて染み渡っていくようだ。時折他の獄卒が「あっちに行ったぞ」と駆けて行くぐらいで、二人の肩に担がれたツルハシとシャベルさえ無ければ気分は夜の散歩だと木舌はぼんやり思った。こんなに余裕があるのも平腹が来るまでに木舌と田噛、それから別の区画で佐疫と斬島、谷裂が逃げ出した亡者を半数近く閻魔庁に引き渡していたからだ。平腹も二人と合流する際に見つけた亡者を引きずって連れて来た事もあり、先程閻魔庁から残るはあと一人だと連絡を受けたばかりだ。


「集団で逃げるなんて大胆な事する奴らだなー」

「最近の亡者は本当狂暴化してたり無駄に賢かったり突拍子のない事をする連中が多いね」

「……賢いわけあるか。閻魔の裁きは自己を守る最後の砦だろうが、それを理解しないで勝手に逃げ出して罪を重くしてんだぞ。馬鹿だろ」

「閻魔“様”ね。……昔は自分の人生がどんなに辛くても自分に納得して死んでくる亡者達が多かったけど、今は色々と現世の不満をここまで持ってくる事が多いらしい。自殺の罪人も多いし、人の世は理解できないな」

「そのうち自滅すんじゃねえの?」

「……そうなると輪廻転生は六道じゃなくて五道になるな」

「こらこら滅多な事言うなよ」


木舌はそう言いながら肩を揺らして笑い二人の肩を抱いて引き寄せた。二人よりも身長の高い彼は見上げてくる黄色とオレンジの瞳に笑み返すと少し声音を潜めて言う。


「少し先の左に石垣の塀で囲まれた家があるだろう。あそこに亡者が隠れている」

「え?どこ?」

「一番大きい木があるだろう。見えにくいが上手い事よじ登って身を隠してるんだ」

「……みっけた」

「気付いてないフリで一回通り過ぎようか。特に平腹はずっとおれか田噛を見ておくこと。振り向いたりするなよ」

「ほーい」


だるいと田噛は呟きながら、近付いた事で平腹の制服の下から何か音がする事に気が付いた。彼が動く度にビニールか何かが擦れているような音だ。


「平腹何か持って来てんのか」


振り向くなと言われた平腹は言いつけ通りに田噛を凝視していた。半開きのオレンジの瞳と視線が合った彼は何の事を言われているのかわからず首を傾げる。


「あ、それおれも気になってた。平腹何か懐に袋入れてない?カサカサ鳴ってるんだよね」


木舌の言葉で理解した平腹は感嘆の声を上げつつ嬉々として制服のボタンを外し中からナイロン袋を取り出した。


「サンドウィッチ!」

「遠足かよ」

「ふは、平腹お腹空いてるの?」


何故そんな袋にとか、仕事中に食べるつもりだったのかと聞く事すらどうでも良くなる程に、木舌は肩を竦めて溜まらずにくつくつと笑った。まるで宝物を自慢するようにサンドウィッチであろうそれを掲げて見せる平腹の素直さに笑う以外の道がなかったのだ。田噛はというと、呆れたように息をついて明後日の方を見ながら首を振った。


「……持ち帰りできねえだろあの店。客だからってデカイ顔してっとその内ドヤされるぞおまえ」

「うぇー!オレ別にそんなつもりじゃないけどな。んーーでも今回は特別って言われたし、もうしない!」

「平腹は“もうしない”じゃなくて、最初から“一度もしない”になると良いんだけどな」


木舌の腕が二人の肩を左へと押して曲がり角に入り込む。亡者が隠れている家はもう既に通り過ぎていた。


「……ところでその店って現世なの?」
『道路側の石垣にできるだけ接近した状態で身を隠し、そのまま木の下で待機』


囁くように小声になりながら木舌は目線と指先だけで田噛に指示を出す。


「ああ……コーヒーが美味い」


小さく頷いた田噛は指示通り身を屈め、おそらく亡者からはギリギリ見えない石垣の死角に潜んだ。


『此処で屈んで待機。亡者が木から下りてきたら逃げる前に捕まえろ』


曲がり角の影で木舌は平腹を座らせて暗黙の指令を示した。大きく頷いた平腹はサンドウィッチの入ったナイロン袋を足元に置く。音が鳴っては隠れている意味がないので仕方がない。
さあ、後は木舌が亡者に発破をかけるのみだ。






「俺たちも美味しいコーヒー飲みたいな」


ピンと張っていた糸が突然第三者によって震わされた。木舌が声の主を探し当てるよりも早く亡者がその主に気付いたのか、驚きと焦りの悲鳴を上げて木から飛び降りたようだ。読み通り石垣の外へと足を着いたのが運の尽き、田噛がツルハシでその脚を引っ掛けると盛大に転んで道路に顔を激しくぶつける。だがそれでも逃げようと立ち上げる亡者に追い打ちが如く平腹が楽しげに走ってきて、半ばタックルするように抱きつき亡者は再び道路へとダイブした。


「佐疫ぃい斬島ぁあ!びっくりするだろぉ!」


二度も頭を強く殴打し呻いている亡者を跨いで座りながら、平腹は未だ楽しげに笑って振り向いた。振り向いた先は先程まで亡者が隠れていた木の向こう。家の屋根の上で微笑む佐疫と無表情の斬島が立っていた。


「これで任務終わりだね。俺達は先に肋角さんに報告しに帰るよ」


屋根から颯爽と飛び降りてくる佐疫の外套がマントのようだと田噛は思う。すぐ横に降りてきた斬島は田噛と目を合わせると「お疲れ様だ」と口にした。田噛もそれに頷いて返す。


「田噛、帰ったら美味しいコーヒー飲めるところ俺にも教えてよ」

「……平腹に聞けよ」

「俺も知りたい」

「だから平腹に聞けって」


気だるげに手で追い払う仕草をすれば二人は平腹に視線を投げかけた。彼は鼻から血を流す亡者の首根っこを掴みながら、木舌からサンドウィッチの袋をそれはとても嬉しそうに受け取っている所だった。










2015.04.15

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