ふわり舞い上がり密かにそのこころ麗しく (久々鉢)*


 この世の全てが愛おしい気になる季節が来て、俺は筆を置き欠伸をする。時よ止まれ、そして俺に自由を。今はただ、この悪しき新年度計画立案と向き合いたくなく、穏やかな気持ちばかりがはやり、そして時は無情に暮れてゆくだけで、それならば。


「許せ」
 三郎は流石に訝しんだのだろう、合わせた背中を解き、きっと俺を振り返っている。そんなことお見通しだよね、だって俺と三郎の間柄だもの、ふふふ。しかし口にすれば、「また気が狂った、春真っ只中だな」と言われ、すれば俺の夢見は悪くなるのだよ。それは、断じてあっちゃあならない。だからこそ俺は、西陽が差して居るところを左手で捕まえて、次に身体を翻す、その勢いでもって腰をひょいと浮かし、そうして、
「えっ寝るの」
「おやすみ三郎。」
 ああ、暖かい、なにも羽織らずとも暖かいとは、春よ、けれど床が頬にとって冷たくて、おそらく俺は、だから生きている。すう、すう。息をするのは、これほど心地の良いものなのか。瞼の裏側はずっしりと質量を持ち、どく、どくと次の場所に血を送っている。さよなら、さよなら、こんにちは……。
「ぜんっぜん進んでなーい。久々知くんサイテー」
「…………。」
「こんなのを火薬委員の後輩が知ったら、失の望だぜ」
「………………。」
「私、なんでも出来てなんでもやってみせる久々知兵助を好きになった筈なんだけど?」
 視線が合う。くらえ。
「ん〜。三郎も寝よう」
「…………よしきた」
 すべての命を誘惑してくるなんて、一体どんな気持ちでやるものなのかな。春の午後の脳みその中なんて全く知れないけれど、合わせて誘惑されてしまった三郎なら、横向きに寝そべっていた俺のことを平らに転がしてきやがるところだ。
「うわ〜たおれる〜」
「ドスーン」
「めりめりめり」
「あ、兵助が床壊した」
「三郎のせいだろ。ここね、勘右衛門が布団敷くとこ」
「わー私後で謝るね」
 どうやら俺の腕に絡みついて横になりたいらしい。案外、いやいや、きわめて、ういやつなのだ。合わさった手のひらはまるでぬるま湯のよう、こころも身体も瞼の裏も、ほんとうにほんとうに柔らかだ。
「本気で寝ちゃうのかー?」
「…………。」
 指を掴まれてぱたぱたと動かされているのは分かるのだけれど、三郎、ごめん、俺は眠いよ。蛙に目を盗まれた。あるいは妖精に誘われたんだ、こっちに住まないかって、うん、そう……うん…………。


 その里は凄く長閑でもう楽園だったんだけど、運悪く俺が着いた時には若干雨模様で、その内ゴロゴロ雷が鳴り出して、その距離も段々近づいて来ていて、案内役の妖精とかさっきまで挨拶してた長老とか、みんな慌てて家の中に入っていって、俺ひとりが花畑に取り残された。どうしよう、このままじゃ俺は雷に潰されて死んでしまうじゃないか! こんな時は確か、大木の……周りに、木が、無いっ! そして、とうとう雷が俺の眼を捉えてしまった。嗚呼、ジーザス、もう――
「いっつっっっ! ……ぅえ?」
「っと悪い、痛かったか」
「えっ……いきてる」
目を開いては長屋の天井、身を起こせば三郎がこちらを見ている。
「血……は出てないな」
「三郎、花畑は?」
「知らないけど多分、お前の瞼の裏だけだね」
 つまりは楽園も雨も妖精も蛙も雷も、すべて幻を掴んだということだ。
「せっかく長老と豆腐トークに花を咲かせていたのに」
「それはそれはようござんした」
「えっあっそうだ何で痛みが、それで目が覚めたんだ」
「手の甲か。血は出ていないとさっき言っただろ」
「さては、なにか謀ったな」
「お前な、私を生まれながらの悪辣と決めつけているだろ。そんなこたぁない、可愛いものさ」
 三郎はにんまりと笑っている。何を考えているのか、あるいは何を施しやがったのか。言われた手の甲はじんわり濡れている。これは、
「……唾液か」
「嗅いで判断するのをやめろ」
「お腹空いてるのか? 俺のおやつ、あったかな」
「ばか、いらないよ、いいから」
 笑った後に突いていた肘を伸ばして、三郎は再び俺を床に誘う。骨ばかりの腕が後頭に当たって座りは悪いけど、満足感があった。そりゃ、滅多にないことだからさ。もう一方の手のひらでは目元を覆い隠されて、支配されているように思って、喉と口の間がむずむずとする。それを三郎も、しっかり分かっているのだと思う。
「もう一度、寝るか?」
「ふっ、こんなやらしい口づけ、されて眠るやつが、ん」
「それも、そっ……うかもね」
 半身で俺の上に乗りかかって、脚を絡ませてくるものだから、俺も頭がすっかり冴えて、ああ三郎はさっきからこんなに待ち望んでいたのか、ごめんね、とすら言いたかった。傍から見たら馬鹿らしい欲かもしれないけど、でも俺たちは大真面目に、そして実に単純にすばやく、お互いを欲するように作られてる。
 つま先で袴の裾をたくし上げてきて、肌と肌がまた滑って触れるのが、涙が出そうで、情けなくて、だから笑って誤魔化すことにする。……なんで三郎も笑ってるんだ。ああ、そうか、そうだよな。
「っはぁ、お前だけだよ三郎、うん」
「そりゃ、どうも」
「ハハ、すべすべする」
「この前処理した、課題で」
「なんか変な気分になるな、それ聞かされると」
「ふっ。クソが」
ねえ三郎、お前が笑うと俺、ふくざつだ。よく分からないけど、お前の全部が欲しくなる。よく分からないから、よく分からないなら、この恋の勢いに任せて、有耶無耶なうちに、それを伝えてしまいたくてさ。
「っあ、アァ」
「三郎、だめだよ聞こえる」
「だって、ダ……そ、こ」
「我慢して。好いところでも、我慢」
「ぐ、んふ、」
「うん、ここ、食んで。いいから……」
 それってもしかして、我儘なことなのだろうか。でも、口にしてはならないとしても、溢れてしまうんだよ。だからさ、三郎。
「俺の言うこと、聞ける?」
「ぅ、んぁ、……あ!」
震える腰とか、足の間から垂れる白とかが、是を示しているのだと、思い込んでもいいのだろうか。


「あれっ、三郎来た」
「一人か、兵助一緒じゃなかったっけ?」
「八左ヱ門、この半玉貰ってい?」
「委員会の書き物やってるんじゃないか、今度出すやつが」
「そんなのあるんだ、大変だねぇ代理って」
「ありがと! おれ八左ヱ門だいすきだわ!」
「で、脈絡もなくそっちに集中しだして、三郎が呆れて先に来た、とかそんなとこだろ」
「う〜ん、実にあり得るな〜」
「え、納豆もくれるの!?」
「あげねーよ! 半玉も返せ!」
「やだぴょーん」




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