variant in his daylight(久々知と食満)*


※現パロ、人外


 導かれる、導かれる、それは人のかたちをしていない。



 風の強い日だった。久々知兵助はハイネックセーターに合わせたノーカラーのコートを肩にかけて歩く。駅までの道に商店は殆どなく、住宅とかアパートの間を縫うように、自動車一台で横幅がギリギリの細い小道が続いている。その小道が国道に接続する出口、歩き慣れた彼は視界が開けることを身体で覚えていて、無意識にそれまで下げていた顔を上げるのだが、
「ぅぶっ!」
「ったー!」
出会い頭で何かとぶつかってしまった。衝撃と傾く世界の中で、とっさ、相手に怪我はないかに注意が向く。しかし、
「前見て歩けよな、ちっ」
と、聴こえてくるのは丁寧とは言えない苦言と舌打ちである。
「ハン、しかも男かよ。あんまし気乗りはしないが……妥協するか」
 低い側にザラつくその声で、男は兵助を見定めている。地面に身体をぶつけた兵助は手を突き直し、ああどうやら心配の必要はなさそうだ、どころかなんて失礼な奴だろう、謝罪がないどころか訳の分からないことをぶつぶつと、これで挙動不審なようなら、ぶつかっておいて悪いが関わり合いは避けておこう、そう思って身を起こすのだが、男の身体でできるはずの影が、予想以上に、大きい。
「アー、お前、この後の予定は?」
 兵助は、その日陰のなかで、ぱちぱち、目を瞬かせる。
「…………はえ?」
 夢だろうか。
「おい、聴こえてんのか?」
 大川工科大学理工学部応用生物科学科二年生久々知兵助は、たった今しがたこの瞬間、大きな黒い翼の生えた男に、ナンパをされている。


 そういえば先ごろから、バサッバサッと分厚いものが空気を切る音がしていたのだ。ぶつかった時の衝撃で頭がイカれてしまったかとも考えたが、兵助はせいぜい地面に尻の付け根を打ち付けたくらいで、それもありえない。
 暇があるかと頻りに問うてくるので、「とりあえず学校行って飯食ってそのあとの授業に出る」と、答えてやる義理の有無を疑いながら答えれば、「じゃあいいな」と男は言う。
 不審者ならばこの場を去ろうと身構えた心算は何処へやら、兵助はすっかり目の前の事象に魅力されていた。ファンタジー趣味があるわけではないが、その非日常は彼の理性を奪うのに十分だった。はためく翼。頭に目深に被ったフードからは三白眼気味の涼しげな目元が覗く。前髪は全て後ろに流していた。
「まぁ、痛くねえようにはすっからさ!」
 快活な笑みを向けられて、兵助はぽかんと口を開く。
「説明してただろうがよ! 聞いてなかったのか?」
「うん」
「うん、じゃねぇぇぇえんだよ!」
 男の声がいちいち大きいので、兵助は耳を塞ぐ仕草をする。
「お前さ、絶対俺より年下だよな?!見りゃわかるもん」
「久々知だから」
「お前の名前聞いてんじゃないのよ」
「だから、お前じゃなくて、久、々、知」
 兵助は自分の名前を区切って述べるに際し、男の鼻先に伸ばした人差し指でもって強調した。男はしばらく兵助の指先を見つめて、小さく唇を舐める。そしていま一度兵助の顔を見てから、
「あ、ああ、それはそうね……ハイ……」
と歩き出した。兵助がやってきた路地を逆戻りするように進んで行く。
「兵助でもいいよ」
 男がどんどん歩くスピードを速めるので、兵助は小走りになって追いかける。
「じゃあ、久々知」
「えー」
「あんだよ! 文句あるか!」
「ないけど。兵助でいいのに」
「煩いわ! んも〜お前とだと全然物事が進まん! さっさとやるぞ」
 男をからかうのがすっかり楽しくなってきた兵助は、アパートとアパートの間の影になっているところから手招きをされて、ホイホイ付いていってしまう。
「ま、真昼間だし人通りもそんなねぇし、大丈夫だろ」
 大丈夫って、何が? ──そう尋ねようとした兵助の耳元に、こう聞こえてくる。
「うん、やっぱ、さっき思ったけど。お前美味そう。大丈夫だな、うん」
 だから、何が大丈夫なんだ。顔が近い。声を出したいのに、何故か叶わない。フードの奥で光る男の瞳に囚われて、呼吸もし辛くなったように思う。
「大丈夫、俺上手いからさ……」
 大きかった男の声は、すっかり囁き声に絞られて、その甘いとも思える響きに、兵助は妙な、例えるなら寝落ちる前のうとうととした多幸感を感じている。ぽーっとしていると、男は首を傾け、兵助の顔に更に密着し、
「い"っ……!」
耳を噛んだ。
「オイ! 痛い! 痛い痛い痛いってなにすんの! ねぇ」
 痛みに耐えきれず兵助が手足をジタバタさせると、男は眉を顰めてから、兵助の身体をひょい、と両手で持ち上げる。そして、アパートの、壁際まで運び降ろし、兵助の逃げ場を無くすように位置取った。その間、耳を噛まれっぱなしの兵助であったが、完全にパニックに陥って、「えっ何何、痛いし俺、えっ力、ねぇ離してよ噛むの止めて、痛い!」などと発話がひっちゃかめっちゃかであった。
「お前、ホントうるっせえのな」
 男は口を離してそう呟く。兵助は、まだジンジンと痛む耳を抑えて、息を荒くしている。
「痛かったか?」
「聞こえなかったの!?」
 男は、ハッと笑って、「そうだったな」と言う。兵助は、「マジ、ないわ。警察、警察来るかな……」と、今更になってスマートフォンを探し、身の危険を思案し始める。
「まぁ待て、こっからだからさ」
「なにがこっからだ、さっきから大丈夫とか言って、しかも痛いし、嘘じゃん!」
「アーもう! 痛くしちまったのは悪かったよ。だからさ、毒抜き? みたいな」
 兵助の脳裏には、先日授業で習った抗原抗体反応のページの、血清病の行が思い出される。もしさっきの噛みつきで抗体が出来ていたとしたら……。
「俺、殺される?!」
「……めんどくせーなホント。血取るだけだっつのに。あとの説明はしょうりゃーく」
 男は平坦な口調でそう言って、再び兵助の耳に口元を寄せる。「血?!」と思ってチラリと見ると、唇の間から牙が覗いている。ヒィ。そこでようやく思い至る。コイツ、吸血鬼なのか。俺、アレに噛まれて死ぬのか……。力では敵わないと知らされている今、兵助に希望の道は無かった。
 カプリ。皮膚が突き破られる感触がする。痛くしないつもりだったのは本当らしい。チクリとはするが先般の痛みなんてもう、比べ物にならないものだったから。耳をすますと、互いの呼吸音とともに、ジー、と微かな震えが聴き取れた。これが、血の吸われている音なのだろうか。
 結構な時間、そうしていた。当然耳に男の息がかかるので、ぞわぞわするのを堪えていたのだが、だんだんとクラクラしてくる。
「ね、まだ、おわんな、いの?」
 問うても止めるどころか返事すらくれない。ふわふわと浮遊感に身体が絡め取られて、いい加減変な気を起こしそうだった。その気を逃したくて、兵助が足踏みをしようと身体をもぞつかせたところ、男の手が兵助の腰を押さえつけてくる。今度は何だ、と身構えれば、
「気持ちよくなっちゃった?」
と聞かれるので、兵助は耳まで真っ赤になった。
「そういう顔してるぜ」
 男はいつのまにか血を吸うのを止め、代わりに牙を当てた箇所、つまり兵助の耳をぺろぺろと舐めている。
「恥ずかしがんなくてもいい、多いんだよなー、そういう奴」
「そういう奴……」
「そ、お前みたいに、」
 男の手が兵助の足の間に伸びる。
「勃っちゃうヒトね。」
 いつもはこんな事まではしないぜ? でもお前美味かったし、痛くしちゃったから。サービスってことで。男は淡々と話しながら、バックル、ボタン、チャックを手順良く片付けて、下着越しに兵助のものへ触れる。
「あーでもどうしよっかな、サービスだかんなァ……」
 ニヤニヤと見つめられるのも、これが正常時なら腹が立つだろうに、なのにどうして、今の兵助には快楽への誘い道にしか思えない。
「お願いしてもらわねえと、出来ないってことに、すっか?」
「え……」
 白昼堂々、住宅街の物陰で、自分は一体何に耽っているのか。恥ずかしいのに、止めてを言えない。言えないどころか。
「お願い、します……」
「何を?」
「そこまで言わすのかよォ……!」
 兵助は天を仰ぐ。趣味の悪い異形に捕まった。まるで悪夢だ。そう、これは夢。夢なんだから、俺が言ったってことには、ならないんじゃないか。
「ああもう!」
「うん?」
「……サービス、して、ください。」
「、ック!」
 男は思わず破顔して、腹を抱えて笑いだした。
「そ、それさぁ! 逆にエッチだよなぁ! 新しいわ、うん。いいね」
 一頻り笑った後も、いやーいいねーと上機嫌な様子で兵助のボクサーに手をかける。なんかオッサンくさいな、と兵助は思ったが、口に出さないことにした。
 外に晒された兵助の性器を、男は平然と口に咥える。先だけを含み、いきなり舌先を尿道口に当ててくるものだから、兵助は思わず腰を引く。
「なんだよ、全力で来いよ。勝ちたくねえのか?」
 そう男は言うが、何をもって勝ちなのか、兵助には全く分からない。思えばこの男とはさっきから話が噛み合わないことばかりで、けれどトータルで言えば笑っていたように思う。全力で来いと言われたら、仕方ないそうしてやるかという気持ちに、どうしてか、持っていかれてしまうのだ。
「じゃあ、勝ちますね」
 そう言って兵助は男の下顎のラインに両手を添え、腰をスライドさせ始めた。くぷっ、くぷっ。男の唾液と兵助の先走りの混ざったものが、唇の間から溢れてくる。時折泡になった液体を垂らす男の唇の、そのだらしなさに兵助は興奮した。
 スピードを速めると、男も呼吸が間に合わないのか、うが、とか、んご、とかと小さく呻き声をあげるようになる。当然息も荒くなっていて、兵助は、「この人もちょっとは興奮してんのかな。してたらいいな」なんて、薄靄がかかる意識のなかで思ったりした。


 地面に吐き出した精液をペットボトルの水で洗って、側溝に流す。地球を汚してしまったことよりももっと強い罪の意識があるので、こんな些事、どうということはなかった。
「ア"〜!!!」
「お前ほんとうるせえな」
「兵助!」
「久々知くんは上のお口も達者でいらっちゃいまちゅね〜」
「下の口も知らねえくせに、触らせる気も無いけど!」
 兵助は先を歩く男に向かって唾を吐く。あっ久々知くん環境汚染ですよ〜いけないんだ〜と囃し立てられて、それにやいのやいのと応酬しているうちに、小道の出口に差し掛かった。
「元はといえばここでモサっとしてたのが悪りぃんだぞ」
「そっちこそ」
「もうすんなよ」
「こっちのセリフ」
 俺はするわ、生業だもん。と男は笑って、
「じゃあな」
と片手を上げる。ここで立ち去るつもりなのだろう。
「悪くなかったよ、お前」
「兵
「悪くなかったよ、久々知くん!」
「アンタもね」
「俺もアンタって名前じゃないけど……まぁいっか」
 男は少し困ったように斜め上を見て話す。少し名残惜しそうなのかもしれない、と兵助は思う。
「教えてよ」
「え"っ」
「無礼だろ!」
「えーまァ、その、深いワケがさ」
 しどろもどろの男を、兵助は睨みつけている。引くつもりはない、と強い意志を込めて。
「……聞いちゃうの?」
 八の字の形になった眉で男がそう言うので、兵助は人差し指で眉間を小突いてやる。
「だー! 分かったよ!俺の名前はな、」
 その瞬間、大きく南風が吹く。同じくして、自らの運命がかたちを変えたことを、兵助は未だ知らない。




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