雪融(仙勘)*


 戦場でならいざ知らず、こうしてお偉方の宴席、ふたりして女の装いで出くわすなんて、「この若いうちだけだろうな」と笑い飛ばし、その話はそれで終わり、の筈であった。けれど、勘右衛門が「そんなのは嫌です」と裾を掴んだから──だからここにいるだけだ、と仙蔵は他人事のように己れを捉えている。これは遊びではないし、かといって本気の内にも入らない。分別するなら仙蔵は面食らい、勘右衛門は慰められたがっている。

 はたして、その時に彼が震えていたかなど、今になっての回顧では判断がつかぬ。しかし、かかる前髪ごと額を掌で撫で付けてやると、幾分安心したように笑うのだ。──ならばやはりそうだったのかも知れず、かと言って、問い詰めたとて口は破らぬだろうし、と仙蔵は半ば諦め、ぼんやりと見詰めている。勘右衛門はどうしろとも言わないし、どうこうして欲しいようには到底見えない様子で、空を、若しくは仙蔵の貌を、虚無を盗むように、或いは慈愛を編むように、やはり見詰めている。

 そういう目的でここにいるのだから、そして夜には限りがあるのだからと、仙蔵は勘右衛門の身体の下に片腕をまわす。こういう時、意地を張らないようにできているのは、先を歩いていた名残なのかもしれないが、しかしもうそれも殆ど色あせているので、仙蔵は、積年の恨みをぶつけたがっている目の前の男に、慄くような気を抱くのであった。

 勘右衛門も一旦は抱き返してきて、しかし何呼吸かした後にそれを解き、もぞもぞと仙蔵の腕の中へ潜り込む。初めは無理に、仙蔵が譲ってやってからはすんなりと収まって、目を閉じてすうすうと息をしている。仙蔵は我儘を言われたように思って、黙ったままの勘右衛門の額を、今度は曲げた中指の側だけで撫でてから、つい、と勢いをつけて弾く。

「いたッ」
「痛くしたんだ」
「……その台詞、もっと後に言ってほしい」
「言ってたまるか、助平め」

 なーんだ。勘右衛門はそう言って改めて息を整え、それから明々と燃えるような瞳で、否、さめざめとして射殺すような視線で、とにかくこの世の全ての感情をもって、

「俺、何度も好機を逃す男に見えますか」

と、ぽつり、落とす。仙蔵はその言葉の落ちた箇所を見はするのだ。けれども拾いに行ってやらない男だからこそ、ふたりはこうしてこの夜に改まって相対しているのだろう。

「分からん、お前なりの考えがあるのか、とは思うだろうな」
「……嘘だあ」

 勘右衛門はそう言ってから本当に泣きそうな顔をする。恨みを正直に放ったつもりでもいる。だから身をさらに縮めて仙蔵の腕を潜り抜け、

「いずれ極楽で、なんて俺はそんなの、御免なので」

と吐き捨てる。身体を丸め、自身のつま先を触るような姿勢で横たわる。

「互いが極楽とは、それこそ無理があるな」

 なにせ敵対しているのだから、我々の主人は。からからと笑い、灯りを消しに立つ仙蔵を目で追って半身を起こし、勘右衛門はようやく、

「それじゃ攫ってください、いま」

そう、いざ灯りが消えるという段になって、ようやくのことだった。

〜〜〜

 嘘じゃない。そう言いたかったが、言えば陳腐の二文字が身体に廻る好さを弾いてしまいそうで、仙蔵は遂に言うことをしなかった。それはそれで敗北であって、けれどずっと、こうして敗けられることを待っていたようにも思う。

 勘右衛門の髪は変わらず長かった。仙蔵も、そうだった。しかし、あの頃よりも整わず、色の中にある色も喪った。彼らの生きる日々が、仔細に構うことを許さぬ証だった。

「立花せんぱ、」

 なんか静かなの、耐えきれないから話してもいいですか、と尋ねる態とらしさがかつての彼らしく、仙蔵の心は俄かに絞られる。

「あのね、あの。嬉しくって、吐きそう。おれ」

 嬉しいなんて、予想だにしなかった──なぜなら仙蔵を何度も何度も、夢の中で何度もころし、容貌に似合う花を添えることを繰り返したのが、他でもない勘右衛門だから──と順序もなく語る勘右衛門の喉は興奮で引き攣り、次第にその引き攣りが臓腑の先まで降りてきて、仙蔵は自らが「喰われて」いることを今一度自覚する。これは遊びではないし、かといって本気の内にも入らないが、感情が真剣なものかどうかは、生きて身体を繋げていれば馬鹿でも判るのだ。

「せんぱい、おれ、先輩を好きで……好きですよね。すき。すきでよかったって、」
「勘右衛門、息をしろ、息……」
「うう、あ……ぐ、」
「落ち着け、吸って、吐くんだ」
「く、ぁ! ……ふ」

 そう、そんなことは馬鹿でも判る。抱き合って居れば貌なんて目に入らないし、閨はいつも暗いのだから尚のこと。灯りはないから遠くには行けない。ころさなくってもここにいる。けれど、それを判るため、ふたりは幾星霜を費やしたのか。

 




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