無題


 やあやあ調子はどうだい。今日も混んでるねえ。なんだよ浮かない顔して。ん、俺とは初対面だって? おいおい冗談はよせって。俺たちの間柄じゃねえか。相席だって構いやしないよ、何しろ人気店だからなあ。ここの定食、美味いよなあ。ああ、勿論俺はAランチさ。注文を聞かれたら、すぐさま答えてやらないとな。でないとどんどん順番を抜かされちまう。
 ところでお前さん、聞いたことあるかい。とってもそそられる話だよ。なんでもここから程よく離れた西のほう、何にでも化けちまう奴が居るらしい。――いんや、異形とかそういったことじゃあねえんだよ。残念ながらそれはね、ちゃあんとヒトのかたちをしているのさ。街のハズレに店構えて、何に使うんだか、面とか鬘とか、ガラクタばっかり集めて、周辺じゃ、そいつは忍なんじゃないかと――参ったなあ、信じてもらえないか。そうだよな。俺もこの目で見たわけじゃねえからさ。ただな、実際に見た奴、うん、太郎さんとしようか、こいつが言うには、瞬きしてる合間、そいつぁもう、ごくごく短い間の話なんだと。赤から白、白から赤、容貌がころころと変わるのさ。っかー! 困ったもんだよ、本当の色が分からず仕舞いだ、ってそいつはその――男だか、女だか、はぁ全く伝えようがないなぁ、とにかくよ、文句を言ったんだ。

「目紛るしい、どうせならもっとゆっくり変わっておくれよ」

 するとどうだい、相手はカッと目を見開いて、ぴくとも動かなくなった。息をしてるんだかしてないんだか、とにかく骨も筋も一寸たりとも動かなかったそうだよ。ああ、治郎さんが言うんだ、間違いないよ。その野郎はほんとうに動かなかったんだ。
 なんだい、その後がどうなったかだって? オイオイ勘弁しとくれよ、そのくらい人並みの教養がありゃあ、想像つくだろうに。――エッ、分からないだって? いいから続きを話せ? いやあこりゃあもう、お前さん跳んだたまげたかきつば……オホン、何でもないさ、まあ、いい季節だ、ホラお前さん、あすこに咲いてる椿が綺麗だねえ。――ンン? 枯れている? そりゃ気のせいだよ、きっと。
 ああ、話の続きだったな。だからよ、その女は、ジッと見るだろう、ジーっと。それでさ、欽二さんは気が付いたんだ。

「あ、」

 そうだよ、分かるだろう。赤から白、いや、白から赤だ、そうやってゆっくり、変わったんだ。ちゃんと要望に応えたってことサ。はは、笑っちまうね。――お前さん、笑わないのかい。チッ、これだから教養のない奴は、もっと物でも読んで書いて……ああいや、なんでもないよ。それにしても向かいの庭の椿が綺麗だねえ。
 それで、一之宮さんはな、その子どもに、こう言ってやったんだと。

「無理はよくないよ、そのうち、目元から渇いて、ああ、君、死んじまうんじゃあないか」

 ウンウン、優しいなあ。揶揄われて脅かされた相手をそこまで、心配できるかい? 私にゃあ出来ないね。尊敬しちまうよ。まあ其れはさておき……ハイ? さっきから人物がごちゃごちゃ出てきて話がちっとも分かりゃしないって? はぁー。お前さん、しっかり聞いておくれよ。本当にしっかり聞くんだ、耳の穴掻っ穿ってよーく、な。

 いいかい、この話に人間なんて出てこない。
 何故なら、そいつらは全部、その男が――

「ハーァお客さん! お待たせしましたね! ご注文は?」
「参ったなぁ」
「……へ?」
「いやあね、君の顔を見たとたん、AランチとBランチ、俺はそれこそ日が暮れるまで、悩まなきゃいけないような、そんな気がしてきてね……」

 あーいや、済まないね。お前さん、先に頼んでおくれよ。どうしてまた悩むことがあるんだ、さっきははっきりAと言っていたじゃないかって? お前さん、厳しいこと言ってくれるなあ。いいじゃないか! 素晴らしいことさ、人生悩むだけ悩んで、いずれあやめかかきつば……ああ、やっぱり綺麗だねえ、そこの椿。



忍ライのお題が三郎だったときに書いたもの
他にも三単語お題があって、椿、読書、笑う(だったかな?)





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