立っているのは明日の上(尾浜と雷蔵、三郎)


※死ネタ




 縋る。正義。揺らぐ。自由。
 全てこの時代のこの国にはなかったものだが、一先ず見逃してくれ。
 鉢屋は死んだ。
 うーん。納得は行っている。{その場にいた人数}分のいち、確率の問題だ。
 ──みたいなことを言ったら、兵助に殴られた。ぶんが付くほどの勢いだった。うるさい。お前は何にも分かっちゃいない。言ったらまた殴られるし、なにより兵助が泣くのでやめた。鼻を詰まらせた彼奴のいびきは心臓に悪い。今夜おれたちが眠れるのかどうかは、また別の問題だ。

「寂しくなるねぇ」

 雷蔵は言った。えも言われぬ。

「一人だと、夜が静かで堪らないかも」

 沈黙が苦痛で、とか、おれを気遣って、とか、そういう類ではない。一人の夜が研ぎ澄まされ、耳の中で暴れまわることは人間の抱える、悩みだ。そういった意味では、おれは兵助を泣かせておいたほうがよかったのかもしれない。

「おれが行こうか?」
「ううん、今こうして居てくれるだけで」

 雷蔵がぐずんと鼻を鳴らす。ふつうに泣いて、ふつうに悲しむことを、雷蔵は器用にやっている。確かに、おれの力添えは要らなそうだった。
 かく言うおれは、どうなのか。泣くに泣けず、誰のことを殴りたくもなく、ただただ、鉢屋のことを思って、胸骨が崩れて軋むよう、まるで、恋のように。

 おれは鉢屋のことを、好きになってしまったのかもしれない。

 そのことを打ち明けるため、雷蔵をここへ呼んだのだった。

「叱っていいんだよ、おれのこと」

 雷蔵はいろいろ中庸に言うからすぐにはそうしないだろうけれど、ほら、八左ヱ門や兵助に言ったならば、裏切り者を見つけたかの如くおれを摘発し、吊るし上げるだろう。べつに二人のことを下に見ているのではなく、それが、たとえばこの先数日は喉を何も通らぬくらい悲しむことが正しいことなのだと、おれは知っている。だから雷蔵にも、叱っていい、と言っておくのだが、雷蔵は、それもやはりおれの知るように、おれを叱りはしなかった。

「叱らないよ」
「この下に鉢屋の体が埋まってるって考えて、興奮しているんだぜ」

 否定されたくて話し出すときの、なんと居心地の悪いことか。おれの声は、まるで嘘を吐く時のように上擦って滑る。本当のことを、話しているのに。それがつらくて、鼻の奥がツンとしてくるのを感じた。

「そんなの、誰だって部分的にはそうだもの」

 言う相手を間違えたか、などと考え始めていた。
 おれは事実ではなく、励ましが欲しかったのか?
 自分で幾らでもできる慰めを、なおも他人に求めていたのか?
 そういった非・合理は、以前のおれからは隔絶されていたはずで、だからこそおれは、自身の変化を、思い知っている最中である。

「あのとき、」

 また、喉が己を繕いだす。いい加減にしろ、と叫んでも、誰も聞いていない。

「あのとき?」

 本当に雷蔵が応えてくれているのか、分からなくなってきていた。雨が降って、言ったこと全てを、洗い流してくれたらいいと思った。なかったことにして、鉢屋を好きになったことも、兵助に殴られたことも、顔の穴が全て虚ろになった八左ヱ門を見たことも、全部だ。

「おれが、しんがり、だった……」
「しっかりしろ勘右衛門。立って。膝が汚れるよ」

 また、雷蔵のぐすんとすする音がする。馬鹿野郎と思った。おれは鉢屋のことがすきなんだぞ、と。馬鹿野郎は、おれだ。
 雷蔵の手指が脇に食い込み、力一杯握られているのがわかる。なんだ、お前も悲しいの?

 腹立たしかった。事実しか言わないだけじゃなく、おれの愚かさを掻き消しも上塗りもせず、ただあるがまま際立たせやがる。お前がとなりに居るから、おれは己れが愚かだとわかる。
 そしてきっと鉢屋だって、腹立たしかったはずなのだ。

「わかってる、雷蔵。呼び出して悪かった」
「そう言われると、僕も悪い気がしてくるんだけど」

 お前は悪いよ。おれもだけど。
 それは事実だが、断言する勇気や、権利を、まだ誰も、持ち合わせていなかった。

 鉢屋が死んだのはたまたまだ。「お前の役割じゃないだろ」って、兵助は泣いたけど。

 鉢屋が死んだのはたまたまだ。三分の一。確率未満の問題だ。

 だから、おれが鉢屋を好きになったのだって、偶然に違いないのであって、それがこの国にあって、揺らぐことなど。





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