脳天直下(尾浜と鉢屋)


 トントン、トン、トントン。指が文机に当たっている。

「このままじゃおれは国道沿いのパチンコ屋だ。わかるか。同じ田舎に生えるでも、おれは工場になりたい。たゆたう雲に負けぬ異質さを、暗がりに光の帯を放って伝えるのさ」

 トントン、トントン、トントントントン。指が文机の脚の側面に、当たっている。三郎はそこに彼のよくない癖を見たが、見なかった振りをした。


 三郎と委員会を同じくする尾浜勘右衛門は、二人の下級生が部屋を去って後、あからさまな不機嫌へと移行した。
 活動時間中、にこやかに会話に参じておきながら、産まれながらに少々併せ持った柔和さで、こころの毛羽立ちを隠していたのだろう。事実、三郎が二人に甲斐甲斐しく世話を焼くのを、本日の勘右衛門は、遠巻きに見ているのみであった。
 理由は概ね、二人――と黒木庄左ヱ門と今福彦四郎の距離感が、解しても解けない所まできたのを目の当たりにした、と、そのあたりであろう。優秀な彼ら(彼らは本当に、優秀だ。若さとはいつもそうだ)がTPOを測り損ねることなんてないのだが、だからこそ見えてくる側面というものもある。勘右衛門は、そういった変化に敏感で、感情の整理には器用そうに見えて、内面に拘泥や徒労を抱えていることも多い。
 三郎は自らのことは棚に上げて(それはある程度、自罰的な動作でもあった)、「これは先が思いやられる」と心中で憂う。
 進級。喜ばしい節目は試練と成って、生涯の色を塗り替えようと、その腕を大きく広げ、雨色の墨を垂らしている(ように見える。ものの喩えである。要は三郎もまた憂いの中にある者の一人であり、ポエマーの資質を兼ね備える環境に置かれているのだ)。
 溜息の色もつられて暗い。これからこうして彼らの不安定を見かけては、引き摺られぬよう足場を固めて手を差し伸べるのか。だとすれば〈同〉という字の意味は、なんと罪の深いことだろう。

「済んだか」

 先刻あった「ちょっと待て」との要求に応じ、こうして部屋を閉じずにただ、啄木鳥が煩悩の鐘を撞くのを聞いていたのだ。早く帰って明後日の実習の道具を、そのうち明日使わないものについては、くるんでしまいたかった。

「鉢屋」

 三郎は身構えた。何より先ほどの長台詞だ。視線を机上の書類に落としたまま放たれた言葉の群れは、あるいは何某かが認めた自信作なのかもしれぬ。何にせよ、喰らいたくない。

「終わったよ」

 にっかり、山の手についに自らの店を構えるに至ったパキスタン人ですら真似できないほどの満面の笑みがある。

「終わったんだ」
「そ、そうかそりゃよかった、じゃあ閉め」
「聞いてよ」

 勘右衛門はその書類の上端真ん中を摘み、まるでこれは汚物ですと言わんばかりに顔を皺だらけにして、ひらひら、紙も足取りも揺らめかせながら、三郎の方へ寄っていく。

「何を」
「これ」

 ずい、と汚物(しかしそれは勘右衛門のみにとっての、だ。おそらく三郎の予感は正しい)を三郎の顔に近づける。それならば「聞いて」じゃなくて「見て」でしょうが、とアダムが言ったから、この世に賞レースというものが在るのだろう。

「あ〜〜〜〜〜〜学園崩壊しないかな。自重とかで」

 紙がはらり、声の帯びた曲線の分、重量に抗いながら降ってゆく。

「えーと、君の今の気持ちは」
「立花先輩に会いたくない」

 憎しみの強い音程だった。「じゃあ殺しちゃえば?」のオブリガードがよく調和しそうだった。三郎がそれを口にしないのは、〈同〉としての健全を優先したからであって、唄が下手だからとかでは、決してない。
 三郎は書類を拾う。見直せば、覚えのある内容だ。というか、自分が教師陣から受け取ったのだった。ざっと検めた後、たまたま近くを通りかがった六年の潮江文次郎に渡した記憶がある。書類の下部にもそのフローが残っている。
 対象者たちは粗方目を通したのだろう、多くの朱肉印の後に「中在家」を崩したサインがあり、その右隣少し下に、「おはま」と丸っこい字が書かれている。三郎
それを見て、「こいつまた一つ意味のないぶりっ子の仕方を覚えたな」との感想を抱き、これを久々知兵助あたりに見せたらば、全く同じ感想が貰えそうだと思い至って、口の周りの筋肉が急にこそばゆくなった。

「おねがい、さぶろお」
「受験の時だけ神頼みしても駄目だってポール・スターも言ってただろう」
「でもお前神じゃないじゃん」
「うん、そうだな。また明日」
「あーん待って待って! やだ! おねがいします! GD2貸すから!」
「いや、それよりポケステが要りようらしい」
「わかった手を打とう」

 何が手を打つだ、と真実を知った者は皆唾棄するだろう。兵助の持ち物がまた一つ無くなって竹谷八左ヱ門がドヤされる。八左ヱ門が不破雷蔵に泣きつく。迷った雷蔵が図書室で卒倒する。何事かと中在家長次が駆けつけて……遠い。百年かかる。なれば。
 三郎は書類の端と端を合わせ、輪の部分を潰してゆく。

「わかったよ」
「やーん。さっすが俺の三郎!」
「見て、さぶいぼ」
「ニベア塗っときゃ治るって! じゃ、よろしく!」


 幸福そうな後ろ姿を見送って、部屋の戸を閉める。首をぐるりと回す。老廃物も、わだかまりも、生まれ、いずれ消えるものだ。

「お、鉢屋三郎」
「先輩。なんとなんとまあ。ちょうどいいところに」

 そう、巡り巡るものだ。特に今日は一日善い〈同〉であったから、巡りもまた、そうなのだろう。

「なんだ、これ」
「先輩で最後です。あと、尾浜が言ってました」

 豊かな髪が揺れる。57fpsくらいか、と推し量ってから、三郎はまた口元のむず痒さに耐えきれなくなりそうになる。

「『今まで先延ばしにしていてごめんなさい。明日用具倉庫の裏にて貴様を待つ』だそうです」






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