スクイーズ(くく勘くく)*


 空は青く、まるで鍋の底のようにおれのことを喰らい尽くす。女子からもらった手紙は額からまぶたに翳されて、緑の金網を潜り抜けた風を受けて少しだけ、揺れた。


「油断した……」

 兵助のことだと思ったのだ。変な女。引き立て役の方なんか好きになるから、お前の恋は成就しないんだよ。
 声がうまく出ない。別に誰も聞いちゃいないのだけど、おれにとってはおれの声がざらつくことが、至極大問題のように感じられた。

 腹が立つ。虚しさからくる怒りは物欲で埋めるに限るから、「新弾追加するわ」と打つ。ものの二秒で既読がつく。自分で仕向けておいて、兵助がおれにかかりっきりなことが、余計に腹立たしかった。

〜〜〜

 放課後にゆく商店街で、キッチンペーパーを買い足す男を、おれは他に知らない。薄暗さを拭わない、いつ畳まれるかも分からない百円ショップ。そんな程度の店しかない街でも、おれたちには十分足りていることが、妙に将来の寸法を暗示しているようで、おれはひとりで背筋を震わせる。

「おまたせ。」
「うん。」
「何見てんの?」

 別に何も見てはいなくて、女児しか買わないようなシールがおれの目線に陳列されているコーナーで、おれは真剣に兵助との将来を憂いていた。重たい男だ。

「最近トマトが高いんだよ」
「旬から外れたからな」
「旬から外れたものを食いたがる誰かさんのせいで」

 おれのせいにするのではなくだな。おれは全力でフィックスして、胡麻だれを掛ければまあなんとか喉を通る、となって、胡麻だれにはやっぱりトマトじゃないか。こんな言い合いが一生続くのか、または受験という名の戦争(笑)を機に途絶えてしまうのか、といったことを、おれは女児しか見向きもしないシールの前で考えている。こんなことを考える用に貴重な細胞を割いてしまって、きっと神々は後悔しているだろう。

「今日はいいの? 委員会」
「サボり」
「悪〜」

 それこそだれのせいだ、と思う。そろそろ文化祭も見据えなきゃなので、明日顔を出せばまたガミガミ言われるだろうか、とか、いや、待て、今日は金曜だから、月曜になったら全部チャラだな、とか、色々考えている。「まあ母さん遅いし食べてってよ、」と兵助が話すのを、聴いていないようでちゃんと聴いている。そんなに寂しそうに言われると、お前のことを恨みがましく見ている自分が嫌になるからやめてくれ、とは言わずに、女児が好きそうなシールのコーナーに隠れて、おれは兵助にキスをする。


〜〜〜


 新しいゴムはなにかしらのフルーツの味がした。若者がガムを噛まないせいで、こういう技術が応用されていくんだろう。

「お、勘右衛門、キラでた」
「キラってお前……いつの時代の話よ」

 とは言いつつ一応手元を覗くと、兵助はおれの首の裏を撫でながら、ほら、と示して、しかしおれが効果を読み終わらないうちに、それをシーツの上に放った。

「……なんかあった?」
「なんで?」

 図星なので居心地が悪い。こういう時に素直に吐露できないのを、兵助も知っているくせに、何故か吐かせようとしてくるのだ。お前は研究者じゃなくて、所轄の刑事をやった方がいいと常々諭しているのには、実はそういった訳がある。
 兵助は、「寂しそうに見える」と言っておれの耳の上辺を撫でる。よっぽど自身の方が寂しそうにしてそういう風に言う。それを指摘するのは堂々巡りだから、おれは無言で兵助の性器にゴムを被せる。兵助よ、おれに知恵があって助かったな。

「、う、わ」
「っふふ」
「おい、ひとのちんこみて笑うなよ」
「うるせ、黙って舐められてなさいよ」

 フルーツ・オレを模した味は段々と薄れて、ゴムの乾きと精の匂いが舌に残り、耳に届くのは虫の声と、住宅街を往くバイクの音だけだった。

「そういえばおばさんは?」
「わかんない。でももう意味もないんじゃない」
「げえ」
「流石に父さんは知らないとは思うけど」

 一階は静かだし、まだ兵助の家族は誰も帰って来てはいないのだろうが、そんな所感を聞かされては、次の「勘右衛門くんもご飯食べてくでしょ?」を断らないルートには行き辛かった。幾らこの後の展開を期待して興奮していようが、おれにもプライドみたいなものはあるのだ。

「あんまり言うとお前が嫌そうな顔をするから、あれだけどさ」

 もうその前置きだけで拒絶感が増していた。けれど、肘をつき直し、おれは兵助を見上げる。兵助の期待する通りに、嫌そうな表情を作って。

「大学受かったら、ちゃんと言おうと思ってる。俺は。一緒に暮らしたいし。」
「…………そ。」

 賢いおれたちだから、両親には宣言しなくともうまくやれるよ、という道もあるだろう。でも、そこに"逃げない"兵助だからこそ、好ましいのだ。そういった初心を、なぜか捻くれたおれは拒絶したくなっていて、でも、そんな青さは、兵助に並び立つおれならば、絶対に、要らない。

「勘右衛門?」

 徐ろにベッドを離れ、ウエットティッシュで手を拭い、兵助の鞄を漁るおれに、下半身丸出しの兵助が、間抜けな声で呼びかける。早くしないと、互いに風邪をひく。

「一個謝るね」
「は? それ」
「うそ。お前に来週告白したい女子は、いない」

 びり、と破り目の入った手紙は、おれの手を離れてはらりと舞い、ベッドの隅、剥かれたカードのパックやコンドームのパッケージ、コンビニの袋があるところらへんに落ち着いた。

「え、楽しみにしてたんですけど」
「は? ふざけんな」
「いやいや、ふざけてるのはそっちだろ!」
「いいから早く抱け、おたんこなす」

 セックスが終わったら、おれも手紙を書こうか。内容は、そうだな、「嘘ついてごめんね、って言えなくて、ごめんね」とか、かな。



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