死ににゆくのは灯火とんぼ(久々鉢)*


※多角関係


一、
 勘右衛門が真暗な中に聞く彼の声はやっぱり濡れていて、つまりはそういうことなのだ。落涙。その場にしゃがみ込むときに履物の裏が地面を擦って音を立てぬよう、脹脛に力を込めつつそうする自分に、情けなさと誇らしさの両面を、勘右衛門は感じ取っている。

「ぐ、んぅ、う、」
「……なに」
「おまえ、あつ、」
「うん」
「なんだよ、!」
「ううん、三郎もだなって、思っ、て」

(知っていたさ、何年も前、なんならおれがうまれる前から、こうなるってことなんだろう)

 一方で二人の足裏は土を噛み、ずりずり、ずりずり、その音こそが、三郎のあられもない音声なんかより、ずっとずっと拒みたい。勘右衛門は絶望していたが、今後も生きていかなければならないわけで、そこで仮に残りの生涯で土をにじる音を耐えられなくなったらば、とんだ噴飯ものだなと、自らの身の上を案じることすら捨て去った。

(わかっていたことなんだ。わかっていたことなのだから、ならば、笑え。たった今気付いたような気分になって、勝手に傷心しているんじゃないよ、ばかもの)

 月は流される雲によって見え隠れし、明るさから次の真暗に転じたときに、勘右衛門は自分の零した水滴の点滅するのを見た。ちかちか、くらくら。支えを欲しがる体幹が、手のひらで地に触れる。
 その瞬間、ざり、と鳴る砂を聞き、勘右衛門は再び身を固くして、同時に(ああ、こいつもまた、ばかなのだ。おれと同じか、それ以上か)と悟る。たとえ見上げても真暗であるのに、掬いにきたのが誰であるかを、何故なのか、知っていた。知っていたから見上げずに、そして僅かな反抗心をこの場の土産にするつもりか、声を特段潜めないで、
「助けにきたんだろ、早く連れ出してくれよ」
と乞えば、
「まあ俺も、傷付いてはいるからなあ」
と嘆き、手を差し出してくれるのは八左ヱ門であった。彼のことを憐憫の目で見てやれれば、それが一等よかった筈なのにと、勘右衛門は後悔している。


二、
「本当に助けが必要だった?」
「疑うなよ。おれに食欲があってよかった。生きる意味の百パーセントだ」

 食堂は暗くとも暖かみをもって二人を出迎えた。八左ヱ門は卓に腰掛け、勘右衛門は勝手でつまめるものを物色するその立ち位置で、また涙が落ちるのを八左ヱ門に知られないことも、勘右衛門にとって好都合だった。

「あーあ。俺のほうが救ってほしい気分だよ」
「それでも二人を責めない優しい八左ヱ門くん、おれ、お芋茹でようかな。どう?」
「はーあ。恋かぁ。あいつら、なんか大人みたいだよな。ずっと思っていたけど」
「お前、ため息が多いんだよ」
「煩いぞ。湿っぽいツラしてるのは誰なんだか」

 ばれたか、と心の裡で舌を出せる程には立ち直っていて、勘右衛門は八左ヱ門にいたく感謝したが、それもやはり心の中でのことであった。

「じゃあこうしよう、おれは雷蔵になりたい。おれは雷蔵に成ってみせよう」
「したらお前、『はは、勘右衛門は勘右衛門でしょ』と、言える役が居なくなるぞ」
「なんだと。そんな残酷なやつは、この世に必要か?」
「必要さ、それこそが救いだろ」

 〈俺たちに本当の意味で見ない振りができるのなら、それに越したことはないにせよ〉と八左ヱ門が付け加えたところを、勘右衛門は聞こえなかったことにした。


三、
「もう、やめようぜ」
「どうして」
「こんなのうぶな見習いがしていいことじゃない」
「驚いた。お前が一番、野心がつよいって思っていたのに」
「それについてはそっくりそのまま返すさ……ってそうではなくてだな」
「といってもね、俺はもう止めることができないし、お前だってそうだって信じてるよ。だけどみんなを、いや、もう雷蔵には明るみに出てしまったことだから、だからこそ二人は、二人は裏切らないって、それを選ぶんならさ……」
「狂ったフリして月の下で哭け、と」
「なんだよその言い方……まあ、そういうことになっちゃうか。俺はお前のことを欲しいから、そう、だね」
「はあ。……これ、致し方無い、ってやつか」
「わかってくれよ三郎。いや、いやいやそうじゃないだろ、お前だって俺のことを好きなくせに」
「今、わかったっていっただろう」
「お前はいつもわかりづらいんだ」

 明るくなり、暗く成り、その数刻の月の表面は、まるで彼らの生きる毎日を示すかのように、息もできないくらいに、めまぐるしく、苦しく。




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