その太陽は沈まない


「いってぇ〜〜!!!」


澄み渡る青空の下、少年の声が響き渡る。
折角ヴィクトリアが好きだという二人の為に一緒にご飯でも一緒に食べたら?と勧めたのに、まさかボコボコにされて帰ってくるなんて思ってなかった。顔や身体のあちこちを腫らして帰ってきた二人に話を聞いたらほんとに呆れるような理由だったし、私は溜息を吐きながら少し強めに絆創膏を頬に貼り付ける。

「おい!痛ェだろうが!」
「痛くしてるの」
「はァ!?」
「普通好きな女の子に汁飛ばした上に笑う?ボコボコにされても文句言えないんだからね」

私の言葉に流石に少しは気にしていたのかキッドが口ごもる。先に手当を終わらせていたキラーも気まずそうに目を逸らしているし、やってしまったという自覚はあるのだろう。当のヴィクトリアはカレーうどんの汁を飛ばした挙げ句濡れた自分を大笑いした二人を容赦なくボコボコにした後、フン、と鼻を慣らして着替えに行ってしまっていた。ああなってしまった以上、暫く二人と口を利く気もないんじゃないだろうか。

「ほらキッド、キラー。あとはちゃんと冷やしておいて。私はそろそろ行かなくちゃいけないから」
「お前……」

食堂のおじちゃんから分けてもらって作った氷袋をキッドの頬に当ててやる。黙ってじっと頬に当てているキラーとは違って、キッドは最初こそ「冷てェ!?」と言っていたけれど次第に慣れたのかむすりとした表情のまま何も言わなくなった。手当の為だからと猶予を貰ったけれど、そろそろ氷を貰った代わりに食堂を手伝いに行かなくてはならない。もう殆どの手当は済ませたし、あとはキラーとキッド、二人にしても大丈夫だろう。

「いい?好きな女の子には優しくしなくちゃダメだからね」
「…………ん」
「わかればよろしい!キラーもだからね!」
「あぁ、……もう流石に分かった」

ゴーグルに押さえられてつんつんと上を向くその赤い頭をぐしゃぐしゃと撫でても、キッドは別に反抗しなかった。いつもは子供扱いすんな!とか声を上げるのに、今日の失恋は思っているより堪えたのかもしれない。またね、踵を返して食堂に走る私の背中には何故だかずっと視線が向いているようなそんな気配を感じながら、戻るのが遅くなったことをどうおじちゃんに弁解しようか──その事ばかり考えていた。



***



あれから、数年が経った。
成長するにつれて世界の不条理さも何となく身に染みて分かっていって、私達はまだ子供だけれど純真無垢な子供とは決して呼べないようになっていた。──ううん、今思えばそうと知らなくても、きっと政府加盟国で生きる子供とは随分違っていたとも思う。ここでは等価交換はまだ良心的で、基本的に力の強いものが弱いものから奪い取ることで成り立っている。怖いと思っていた食堂のおじちゃんがまだ優しい人物であったのだと、私は自分の身体が女らしさを帯びてきた辺りで思い知ることになっていた。
この島は──この世界は、不条理に満ちている。
他の人と比べて非力であった私が今まで五体満足でいられるのは、親友であるヴィクトリアが傍に居てくれたことが大きいだろう。誰よりも気が強く夏の日差しのようなカラッとした爽やかさを持つ彼女は、人を惹きつける魅力があったし、そしてその辺の男には負けないくらいにビンタの威力があった。昔から悪ガキだと名を馳せていたキッドとキラーをボコボコにできるその腕前は計り知れないものがある。未だ食堂の手伝いをする事で何とか生計を立てている私とは違って、彼女はしっかりと前を見据えて歩いていた。
少し羨ましいとも思う。ヴィクトリアみたいになれたら、私は──。

「おい」
「わ、キッド!?またヤンチャしたの?」
「…………このくらいかすり傷だ。問題ねェ」

擦り傷から打撲、切り傷まで様々な怪我をこさえて何を言っているのだろう。相変わらず成長しても不良グループを束ねているというキッドは、毎日どこかしらに怪我をしては私のところに顔を見せるからヒヤヒヤしてしまう。顔を見せる度になんか怪我をしているから私の所へ来れば手当してくれるだろうなんて思っているのかもしれないけれど、軽い怪我ならまだしも診療所に行った方がいいみたいな怪我までしてくるから、私の心臓は幾つあっても足りないのだ。

「またそんなこと言って。こっち来て。手当してあげるから」

私も少し、キッドに甘いところがあった。
1つ年下ということもあって弟のように接していた所為か、数年の間にあっという間に私の背を抜いたどころか体つきまでがっちりとしてしまったキッドに寂しさを感じていたことも手伝って、そんなキッドに頼られているのだと思うと、私も無碍には出来なかったのだ。
いつの間にかこんなに鍛えたのか分厚くなった胸板も、私の腕を2本足しても及ばないくらい筋肉のついた二の腕も、私の記憶にある背の低かった男の子とは想像もつかない。けれど不良グループのリーダーという肩書きも頷けてしまうその様子があっても、私の元に顔を出すキッドは全然極悪そうではない。寧ろ何か戦果があれば「土産だ」と高価そうなものを差し出すキッドのお陰で家計の部分で随分助かっていると言えるだろう。手当の対価にしてはお釣りが出てしまうくらいのものだけれど、私がこうして居られるのはヴィクトリアだけではなく、キッドが支えてくれているのは間違いない。──一体、世話になっているのはどっちだろう。こんな風に二人を頼らなければならない自分が、歯痒い。

「最近ヴィクトリアに会った?」
「あァ、相変わらず気の強ェ女だぜ。おれ達の戦利品の中に欲しいモンがあったとかで堂々と奪い取って行きやがった」
「え!?普通にあげたら良かったじゃない!チャンスよ、チャンス!」
「はァ?」

はァ?じゃないよ。全く。
私が気にしているのは此処だ。私には土産だなんだと理由を付けて何かと持ってくることが出来ているのに当の本人であるヴィクトリアには何でいつもそう悪友のような扱いなのだろう。一度フラれたからって根に持っているのかと思えばそうでは無いらしく、ヴィクトリアとキッドは友人のような関係を普通に続けているのが私からしたら不思議だった。それで満足しているのだと言われたら何も返す言葉もないけれど、気の強いヴィクトリアとキッドは、私の目から見てお似合いだった。
そう思うと何だか複雑な気持ちになってしまうけれど、弟のように思っているキッドと親友であるヴィクトリアだからこそ、きっとただ寂しい、のだと、思う。

「好きな女の子には優しくしてって言ったでしょ?ちゃんとヴィクトリアに優しくしてるの?」
「普通だ」
「なんで!」

私を見るキッドの表情が不機嫌なものに変わる。眉間に皺を寄せて、昔は割と単純だったあのキッドが、思案しているように目を伏せるその仕草に何だか妙にドキリとしてしまう。私にプレゼントできるのだから、キッドはやればできる筈なのだ。

「っわ!?」

するとふとその大きくなった手のひらで私の手首を掴んで、その精悍な顔が近くなる。至近距離で私を射抜くように見つめるその眼差しは、息が止まるほど真剣だった。

「お前、気づいてねェのかよ」
「は……、」

何の、事だろう。心臓が不規則に音を立てて、無意識に頭の隅に追いやっていた疑問が、ぽとりと心に落ちてくる。キッドは決して、私に手を挙げたことはない。私がどれだけ生意気なことを言ったり手荒に手当したりしたって、キッドは別に私に怒ったりはしなかった。それはどう考えても、優しさと呼べるものではないだろうか。少なくともそれは、ヴィクトリアに向けられるべきものだったんじゃないの?
どくんどくんと心臓が暴れている。あと数センチ近づけば唇が触れ合いそうな距離で、キッドはその数センチを確かに埋めようとしていた。

「あ……──、」

待って、と口に出す前に慌ただしい足音と共にキッドの顔が離れていく。息を切らしながらこちらにやってきたキラーは酷い顔色で私たちの体勢も構っていられない様子で声を荒らげる。

「大変だ!!ヴィクトリアが撃たれた!!」

その言葉を聞いた瞬間、私の世界は真っ暗に塗り潰された。

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