(不)健全な愛のかたち
「首、絞めさせて?」
愛しい彼女にそう請われ、俺は自分の耳を疑った。
ソファに座る俺の、両足を跨ぐようにして向かい合わせになったはるは、至極真面目な顔をしていた。布越しの体温が情欲をそそるが、興奮している場合ではない。
「ま、待て待て、なんの冗談だ? そういうプレイがお望みでも、俺はどっちかっつーと絞める側のがいいんだけど」
「あたしがこんな冗談、言うと思うの?」
精一杯茶化そうとした笑顔が、引き攣った。俺の鎖骨のあたりに右手を乗せて、はるはさらに身体を寄せてくる。ひどく倒錯的な状況に、視界が焦点を失ってぶれた。
「大丈夫、死なせたりしないから。……ちょっと、くるしくなるだけ」
ね? と視線を合わせ、彼女がにっこりと笑う。場違いなほどかわいらしい表情に、心臓がときめきではない高鳴り方をしはじめる。
怯えるように荒くなる呼吸を抑えて、俺は、瞼を下ろした。
視界が閉ざされ、衣擦れの音がはっきりと聞こえるようになる。一度すこし距離をとったはるが、また近付く気配。
「………………アデッ!?」
「じゃないでしょバカ、もっと抵抗しなさい」
衝撃は、神経を集中させていた喉元ではなく、がら空きの額にやって来た。所謂デコピンだ。悲鳴とともに顔を上げると、その目にあるのは呆れの色。
「おまっ……、冗談ならそうと早く言えよ!」
「誰が冗談って言った?」
「あ?」
脱力しきらない身体を、はるがよしよしと撫でてくる。やわらかい胸に鼻先をうずめるようにすると、はるの匂いがした。牛乳のような甘い匂い。
「試したのよ」
「……なにを」
「銀ちゃんがちゃんと『嫌だ』って言えるか」
わけのわからなさに眉を寄せる。細くてやさしい指は、俺の髪をわしゃわしゃと掻き混ぜた。すぐ側で、深いため息の音がする。
「生育環境の問題かしらないけど、銀ちゃんあなた、あたしにぜんぜん嫌って言わないでしょ。あたしが銀ちゃんのこと好きだから、愛してくれるあたしの願いには、面倒くさがりながらもたいてい応えてくれる」
「……そうだっけ?」
「だいたいなんであたしが彼氏の首絞めなきゃなんないのよ、そんな趣味ないわよ。一緒にしないで」
まあ確かに目ェ瞑った銀ちゃんはいじめてやりたくなるほどかわいかったけど、と、涼しい声で彼女は恐ろしいことをのたまった。なんで自分が怒られているのか、不条理を感じる。
俺は家族をしらない。最初からそんなものはいなかったし、だから自分の、そこらへんの感覚が、家族を持っている人々とはいささかズレているのだという自覚もある。しかし、それが愛だなんて話に結びつくとは夢にも思わなかった。
「はじめての恋人があたしでよかったわ、ヘンな女に当たってたら危うくデートDVよ。いや銀ちゃんのことだもの、ヤンデレ女に監禁されて薬漬けの廃人になったっておかしくないわ」
「……おまえ、俺のことなんだとおもってんの?」
「彼女をつけあがらせるダメ男」
きっぱりとした答えに、俺は言葉を失った。
はるの腕が、背中に回ってくる。俺よりずっとちいさなはるを、けれど今、とてもおおきく頼もしい存在に感じてしまった。
ぎゅうっと抱き締められ、抱き返す。耳許でふふ、と笑って、彼女は俺と、コツンと額を合わせた。
「仕方ないから、これからあたしがまともな愛を仕込むわ。健全で明るく、あなたを傷つけたりしない愛をね」