9話
 次の日、義勇がなまえを呼びにいくと、彼女はいそいそと衣文掛けに桜色の着物を掛けているところだった。

「わっごめんなさい! お待たせしてましたか?」
「いや、準備ができたから様子を見に来ただけだ」
「良かった! 私ももう出られます」

 なまえはすくっと立ち上がり、義勇のいる廊下へ出る。それから振り向いて座敷に目を戻し、もう一度桜色の着物をひょっこり覗き込んでへら〜っと口元を緩ませてから襖を閉めた。

「早く着たいので早速掛けておきました!!」
「そうか。気に入ったようで良かった」
「それはもう! 宝です!!」

 握りこぶしを作って熱く頷くなまえに、義勇は浮かんだ微笑みを隠すことができなかった。





 今日は鬼殺隊の仲間の墓参りへ行こうとかねてから決めていた日だ。
 産屋敷家が管理する鬼殺隊の墓地は、美しい緑に囲まれた庭園に存在している。いつ訪れても、軽やかで涼しい風が吹き、穏やかな温かさのある陽だまりのような場所だ。
 事情を知らぬ者の目にはつかぬよう隠され、丁寧に管理されながら、ひっそりと、しかし悠然と存在している。

 墓地に眠る仲間たちの元へ、義勇も、なまえも、他の関係者達も度々訪れては、在りし日の友人へ報告や挨拶、時には世間話に来ていた。

 爽やかな天気の良き日だ。沢山の菊の花を抱えたなまえと義勇は一つ一つの墓を回り、手を合わせた。

 最後の決戦から数か月が経つ今でも、胸や鼻の奥がきゅんと詰まるような想いになる。油断すると、涙が滲む。
 どの者も墓に来ると、ともに戦った仲間たちとの記憶が一層鮮やかに蘇り、鬼を討ったことを実感した。そして今ある生を全うしようと、力をもらうのだ。

 鬼殺隊の墓地は、在りし日々と悲願の瞬間、そして現在とを結び付ける重要な場所である。





「あ! 義勇さん! ……と、なまえさん?」

 聞き馴染みのある声に二人が同時に振り向くと、墓石の通路の向こうから炭次郎が丸い目をさらに丸くして、自分たちの方へ向かってくるのが目に入った。

「何! 半々羽織……じゃなくなった半々羽織の奴、いるのか!?」
「えっなまえさんて隠の?」
「あ〜〜〜義勇さん! なまえさん!!」

 炭治郎の後ろから、伊之助が飛び出し、義勇を目にしてきらっと猪頭を傾ける。
 さらにその後ろから善逸と禰豆子が続き、大きく口を開けた禰豆子がなまえめがけて飛び出す。
 禰豆子の抱擁を受け止めたなまえは、興奮した様子で炭治郎へ向かって声を上げた。

「炭治郎! 私のこと、覚えててくれたの?」
「もちろんですよ! 蝶屋敷でも沢山お世話になりましたし、なまえさんの匂いは忘れません!」

 なまえは蝶屋敷の出入りで、それぞれの面々とも十分に面識があった。彼らの戦いの後処理に行く時はその悲惨さに胸が苦しくなったが、いつも明るい三人に隠一同励まされていた部分がある。
 禰豆子とは、口枷を外せるようになった頃随分とカタコトのお喋りを楽しんだ。禰豆子は隠達の間でも可愛がられる存在であり、また禰豆子の方もよく懐いていたものだった。

「炭治郎、変わりないか?」
「はい! 義勇さんもお元気そうで何よりです!」
「ああ」

 皆の元気な様子は見ているだけで伝わってくる。なまえは、快活な仲間の姿に義勇の顔がほころんでいるのを覗き見た。

 各々が久しぶりの再会に賑わっていると、ふと気が付いた伊之助が首をひねった。

「で、何で半々羽織となまえが一緒にいるんだ?」
「そっ、それはっ色々と事情があって!」
「ジジョウ?」
「お前今ドジョウを思い浮かべてるだろ」
「うるせえ鈍逸!」
「伊之助さん! お墓では暴れず過ごしましょう」

 伊之助、善逸、禰豆子がわいわいとやりとりしているのに紛れ、なまえは笑って誤魔化した。義勇の屋敷に自分が上がり込んでいるなど、知れば皆が驚くし、義勇の威厳を傷つけることになるかもしれないと思い、なまえはヒヤリとした。

「そういえば、向こうに後藤さんも来てましたよ」
「えっ! 後藤さん!!」

 炭治郎の言葉に、なまえが目を輝かせる。
 後藤は、なまえにとって隠時代の先輩だ。彼は新人の頃から数えきれないほど世話になった恩人であり、共に沢山の場を回った仲間でもある。
 きょろきょろ辺りを見回し、遠くに後藤を見つけたなまえは「ちょっと行ってきますっ」と勢いよく駆け出した。


「後藤さん!」
「おお、なまえ!?」

 一人で来ていた後藤は、駆け寄ってきた人物を見つけ一瞬戸惑ったものの、声や雰囲気からすぐにそれがなまえであると気が付いた。

「袴姿の後藤さん、初めて見ました! 新鮮!」
「それはこっちの台詞だわ。お前も女だったんだな!」

 照れ隠しに後藤がなまえの額を軽く小突く。なまえは額を抑え、「失礼ねぇ!」と応戦する。二人の様子から、鬼殺隊所属中、親しくしていたのが感じられる。

「元気にしてたか? 一人で来たんならこの後飯でも行くか?」
「あっ私今日は一人じゃなくて……」
「そっか、じゃあ飯はまたの機会に。あれ……水さん?」

 なまえは目の前にいる後藤が不思議そうな顔をしたのを見て振り返る。彼女の後ろに、炭治郎達と話し終えた義勇が辿り着いていた。

「ご無沙汰してます! お変わりございませんか?」
「ああ」

 姿勢を正した後藤が義勇へ挨拶する。義勇はごく僅かに表情を和らげ、会釈した。

「おま…、一人じゃないって、冨岡さんと一緒に来たのか?」
「はっはい! あの、同郷で面識がありまして……!」
「ああ!? お前一言もそんなこと言わなかったよな?」
「ひ、必要がなかったから言わなかっただけですよ!」
「それで一緒に!?」
「たまたま行く途中で会っただけです!」

 静かに佇む義勇の横で、会話は丸聞こえながら後藤となまえがこそこそやりとりする。その様子がいかにも親しげに見え、義勇はなまえと後藤の距離感を観察した。後藤というのはこれで有能な隠であった。慕う人物も多く、頼り甲斐のある人物であったことが伺える。

(やべーよ、俺、なまえに水さんの悪口言ってねえよな……?)

 思わぬ事実に焦る後藤は、泳がせた視線を元水柱へ送った。義勇がまじまじと自分を観察していることに気がつき、後藤は肝が冷える思いをした。ひとまずなまえからそっと距離を取る。水さんは相変わらず何を考えているかよく分からない男だが、とっつきやすい雰囲気と前より優しそうな顔つきで、同性から見てもどきりとする程いい男具合だな、と後藤は思った。

「じゃあ、また!」
「おう! 身体壊すなよ!」

 元隠同士の他愛のない挨拶を終え、義勇へぺこりと会釈した後藤は(なまえよ、玉の輿か? そうなのか……? 頑張れよ)と兄のような気持ちで二人を見送った。





 その後、炭治郎達と再び顔を合わせた後藤は興奮を抑えることができなかった。

「まさかあの二人が知り合いだったとは……」

 とにかく失言したような気がする後藤は過去を思い返しながら、気がつけばそう口走っていた。

「驚きでしたね!」

 目も口元も明るく開いた炭治郎が相槌を打つ。

「なまえのやつやたらと焦ってたな!」
「たまたま会ったって言ってたけど、怪しいよな?」

 伊之助の加勢に、後藤は堪えきれず疑念をこぼした。

 炭治郎はそれを受け、二人の様子を思い返す。
 確かになまえからは焦りの匂いを強く感じた。そして二人からは同じ匂い、義勇の屋敷の匂いがした。きっと何か事情があるのだろうと思い、炭治郎は後藤の問いに曖昧に微笑んだ。

 隣に並ぶ善逸もまた、二人の様子を思い返していた。善逸にも、義勇となまえの音は、同じものを食べている身体が発する音、似たような感情を持っている音かのように感じられた。

 ずんずん進む伊之助と後藤の後ろで、炭治郎と善逸が目を見合わせる。その様子を察した禰豆子が「義勇さんも、恋とかするのかな?」と小さく沈黙を破った。

「分からないけど、おっ! 俺は! 禰豆子ちゃんに夢中だよ!」
「あはは、善逸さんったら!」

 善逸と禰豆子の微妙にすれ違っているやり取りを見つめながら、炭治郎は穏やかな表情の義勇を思い出していた。新しい時が少しずつ重なっていく。炭治郎は寡黙な先輩の幸せを静かに願った。



 

「ひゃ〜……結構濡れちゃった」

 帰り道、義勇となまえは通り雨に遭い、川沿いの橋の下で雨宿りをしていた。
 今は雨脚が弱まったが、突然の雨に二人とも着ているものがぐっしょりと濡れてしまっている。嘆きの声を上げて袖や裾を絞りながら、なまえはしかし折れない口調で言った。

「びちょびちょになっちゃったけど、今日はみんなに会えたから良かった」
「ああ」

 なまえが義勇を見ると、彼は炭治郎達を思い返しているのか、優しい、穏やかな表情をしていて、彼女はしみじみと嬉しく思った。

「こうして、鬼殺隊がなくなっても、皆さんが私たちを結びつけてくれているんですよね。……きっと、ずっと」

 明るい声ではあったが、なまえの言葉は重く、深い調子で響いた。声につられるようにして、義勇はなまえを覗き見た。しゃがんで下を向いた彼女の表情は見えないながら、その通りであると義勇は亡き仲間、姉を想い重ねて相槌を打った。

 沈黙の中、立ち上がったなまえが自分の襟元や袖を鼻に近づける動作をするので、義勇は不思議に思いそれを見つめた。目を合わせたなまえが恥ずかしそうに笑う。

「炭治郎、覚えててくれるのはすっごく嬉しいけれど、私の匂いってどんなのかなぁって。変な匂いだったら嫌だなぁって心配になっちゃう」
「分かる」
「義勇さんも思う?」

 苦笑いしながら共感しあっていると、義勇が不意に口走った。

「たくあんの匂いじゃないといいな」

 突然の発言になまえが目を見開く。

「えっ! 私そんな感じ? たくあん!?」
「……」

 それ以上何も言わない義勇に焦ったなまえが再度自身の襟元を嗅ぐ。そして急にひらめいたように声を上げた。

「……あ!!」


 なまえは急速に思い出した。あれは義勇とお花見の計画を立てた時のこと――。

 桜が芽吹き始めた頃、お花見をしようという話になった。義勇はおむすびの用意、なまえはたくあんの用意。互いにうまく持ち寄ることができたら、桜の下で食べようと約束した。
 義勇は無事におむすびを姉に用意してもらうことに成功した。一方のなまえも祖母の目を盗み、たくあんをきちんと調達した。

 しかしながら、だ。
 蔦子と三人でお花見をしている最中、どうにもなまえの様子が優れない。何か妙な匂いがするというのだ。匂いを辿ってみると、なまえの胸元にうっすらとシミができており、彼女が不器用に包んで懐に入れていた竹皮からたくあんの汁が漏れていたことが分かった。
「何だかくさい、くさい」と顔をしかめていたなまえは、情けなさと恥ずかしさで泣き出しそうになったのだった。


「今からかった!?」
「からかってない」
「絶対からかった!」

 まだ気になるのか改めて襟元を嗅ぐなまえに、義勇は口元が緩みそうになるのを抑える。あの時も、彼女がシミに気が付いてからは桜どころではなかった。
 むう、とむくれたなまえは、それでも自身が何かしらの匂いを発していないか不安になったのか、じわじわと義勇から少し距離を取る。嘘と訝しがりつつ、ほんのりと先ほどの話を信じている様が義勇の目にはいじらしく映った。

「もう、ひどい。私はお花見をしている人達を見るたびに、義勇さんのこと思い出してたのに」

 小さく唇を尖らせて、なまえは川の向こうに並ぶ桜の木を遠く見つめる。

「義勇は元気にしてるかな。どこにいるのかなって」

 義勇もつられるように、向こう岸の桜に目をやった。
 雨に降られ、花びらが多く散っている。

「もう、桜も散っちゃうね」
「ああ」
「……」
「葉桜も、美しいと思う」

 義勇が突然そう放ったので、不意を突かれたなまえは彼を振り返った。
 目に入った義勇は、向こう岸を見つめたまま何の言葉も続ける様子がない。そこでなまえは、「うん」とだけ返事をした。

「葉桜を眺めるのもいい」
「うん」

「天気に恵まれたら、しようか」

 小さな会話の最後に、少しの間を開けて義勇がそう言った。それは、少し遅いお花見の誘いではないかとなまえは思う。それとも、うんと遅れての、仕切り直しのお花見の誘いだろうか。

「う……うん!葉桜のお花見、したい」

 なまえの嬉しそうな様子に、義勇がほのかに口角を上げた。なまえはすっかり乗り気になって、からかわれたことなど頭から吹き飛んだ様子だ。

「いつ?いつにする?早くしないと葉桜も散っちゃう」
「天気に恵まれた時」
「晴れたら明日でもいいの?」

 なまえの勢いに苦く笑いながら、義勇は「いい」と答えた。

9話

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