7話
朝から支度された食事が食べられるとか。薪を割るのに手伝いがあるとか。
それから何かを結んだり、整えたりする点において、人手があることの有難みを義勇はしみじみと感じていた。
この身については覚悟の上。口にする気は毛頭なかったが、正直なところ不慣れな生活において多少難儀していた部分はあった。
なまえは余計な手出しは決してしないものの、まさに痒いところに手が届くといった塩梅で、ちょっとした瞬間に絶妙な手を差し出した。影で支える隠の経験から、自然と身についた感覚の賜物である。
そして彼女の方も、屋敷で過ごす日が一日、二日と重なるうちに表情が本来の明るさを取り戻してきていた。
鬼殺隊解散後仲間たちと離れての生活は、喜ばしいながらも生活が大きく変わる寂しさを含んでいた。また身の危険を感ずる出来事が立て続けに起こった後である。自ずと高まっていた警戒心が彼女の顔を曇らせ、敏感にさせていたが、最も安心して心を委ねられる友、剣士として絶大の信頼を寄せている元水柱と共にいることが大きな安心に繋がり、いつの間にかなまえの心持ちは随分と軽くなっていた。
■
「ああっ!!」
義勇の手伝いをしようと一緒に丸太を運んでいた時のことだ。ゆらめいたなまえの足元が水たまりに嵌り、着物の裾がぐっしょりと濡れてしまった。
「大丈夫か」
「はい!お着物なら、もう一枚ありますし!」
それを聞いて、義勇は気になっていたことを思い出した。
荒らされた家から持ってきた着物は二着だったが、逃げた日に来ていた袴もあるはずだ。
それなのに彼女は持ってきた小紋の方ばかりを着用し、一度たりとも、袴を着ようとはしない。義勇は何の気なく尋ねた。
「袴もあるのでは」
「あっあれは……」
聞かれたなまえは目を泳がせ、途端に顔を曇らせた。
「上等なものだろう」
「そうだけど、私にはもったいなくて」
「よく似合っていた」
「あ……ありがとうございます」
なまえは顔を真っ赤にして小さく礼を言う。
義勇はそんな彼女の様子に気付くこともなく、今のなまえの声は聞き取りにくかったな、等と悠長に考えながら薪を割る支度をした。
「で、でも私には何だか恐れ多くて、馴染みません。私はもっと、こう……。……あ!!」
急になまえが大きな声を出したので義勇は怪訝に思い、振り返って彼女を見た。薄く紅潮の跡を残した頬を携えて、彼女の目はきらきらと輝いている。
「義勇さんに見せたいものがあるの!!」
何かを思い出したらしいなまえは、そう言って一目散に室内へ向かった。
追った方がいいのか?よく分からぬまま、駆け抜けて行ったなまえの後を義勇は一応辿った。
なまえが使っている座敷まで行くと、彼女は何やら夢中になって、例の貴重品を仕舞う革の鞄をほじくっていた。
少しばかりその様子を見つめていると、なまえは中から何かを取り出し、興奮した様子で義勇のところまで駆け寄った。
「見てください!」
義勇の視線の元へなまえが手のひらを差し出す。その上にあるのは、美しい紅色の飾り玉がついたかんざしであった。
「蔦子様のです!」
「……姉さんの……?」
促されているように思い、義勇は自然とかんざしを手に取った。
「お下がりにと、くださったんです!このかんざしが似合うような年頃になったら、いつかいつかつけようと、大切に仕舞っておいたんです。着物を着るような生活をしていなかったので、まだ夢は叶っていないんですけどね」
着るものの好みを話していて思い出したのだ。
なまえにも彼女なりの、理想の姿があることを。
義勇はなまえの興奮を肌で感じ取りながら、目の前のかんざしを熱心に見つめた。言われて見れば在りし日の姉がつけていたように思う。これは、姉が実際に触れていたものなのだ。ひょっとすると、父や母も、触れたかもしれない。
「義勇さん……」
今にも泣き出しそうな顔だった。義勇の浮かべた慈しみの表情に、なまえは思わず彼の名を呼んだ。
「義勇さんにお返ししましょうか。きっとかんざしも喜びます」
なまえがそっと告げると、義勇ははたと我に返りかんざしをなまえへ返した。
なまえとともに荷物を取りに行った時。荒らされた家の中で革の鞄を見つけ、中身を確認した彼女は「大切にしていた形見は無事だ」と口にした。その後に「一番の宝物」とも表現した。その中にこうして姉のかんざしが含まれ、想いを宿すかけらがずっと大切に保管されていたと思うだけで、義勇の胸を満たすには充分だった。
「俺が持っているよりなまえが使う方が、かんざしは喜ぶと思う」
義勇がそう言うと、なまえの顔に笑みが広がる。
「……ありがとう」
なまえはかんざしが改めて自分のものになったことに感謝を述べたが、義勇の方こそ感謝を述べたい気持ちであった。
■
「では、おやすみなさいませ」
「なまえ」
義勇が休む座敷へ就寝の挨拶に訪れたなまえは、不意に呼び止められ、滑らせかけた襖を止めた。
「明日、街へ出るから着物を探しに行かないか。今のままでは足りないだろう」
義勇の誘いは、実にありがたいものだった。
なまえとしては先行きの分からない生活において出費や私物を増やしたくない気持ちもあるのだが、着るものが間に合わない事態が生じれば、解決するのにまた義勇の手を煩わせることになる。
威勢よく大丈夫とは言ったものの、今日裾を汚した時にそのことが頭をよぎったのは確かだ。
「ありがとうございます。そうします!」
目下の問題に見て見ぬふりをしていたなまえだったが、出費の覚悟を決め、彼女はこくりと頷いた。