6話
 かろうじて残されていた数着の着物と日用品を手に、二人は来た道を戻った。
 帰りの道すがら、なまえが商店街に寄りたいというので、必要なものもあるだろうと義勇は彼女の判断に任せた。

 急に住処が変わるのは負担がありそうなものだが、隠の任務で方方を飛び回る生活をしていたなまえにとって、そのことはさほど負担ではなかった。それよりも訪ねてきた男に無礼を働いたまま逃げるように場を去ること、そして転がり込むように義勇の屋敷へ世話になる申し訳なさの方がなまえの胸においては大きな比重を占めていた。





「文を出そうと思います」

 屋敷に戻り台所を借りたいと申し出たなまえは、調理道具を並べながら突然そう切り出した。

「窃盗に遭い、親戚の家に身を寄せていると……」

 男がもしまた訪ねてきたら、なまえが数々の宝飾品を持って逃げたかのように映るだろう。誤解を招くことが懸念され、どうにも無礼が気になって仕方がない彼女が考えた案である。
 そもそも相当数の贈答品を失くしてしまったのは事実である。謝罪と共にこのままでは合わせる顔もございませんと付け加え、向こうから破談にしてくれればという密かな期待も込めて差し出すつもりだ。

 無下に断る訳でもなく、一方でこの状況に相手も愛想を尽かすかもしれない。
 例えそうでなくても、時と共に強い執着が落ち着きを見せるやもしれない。
 義勇から見ても、現段階ではそれが適した手段に思えた。





「お待たせしました!」

 しばらくして緊張した面持ちのなまえが運んできた膳には、炊いた飯と汁、漬物、鮭大根が並べられていた。
 帰り道、「どうにかしてお役に立たなければ」「屋敷に何があったか」と考えたなまえが必死に考えを巡らせ、思いついた大根料理が鮭大根であった。確か小さな頃、冨岡の家でご馳走になったことがあったので、これなら食べつけないということもないだろうと判断したのだ。
 大急ぎで商店街へ立ち寄ったのは、足りない材料を揃えるためであった。

「お口に合うか分かりませんけど……」

 手を合わせ終わったところで遠慮がちになまえが付け加える。
 義勇は徐々に慣れつつある左手で箸を持ち、そっと大根をつまみあげた。





「今日は、鮭大根よ」

 夕方の庭先は、本当に幸せな匂いがする。
 薪を束ねていた義勇が漂う匂いにつられて家の中を覗くと、姉がそう献立を告げた。

 味見する?と手渡された小皿には、ほのかな湯気を立ち上らせる煮物がのせられている。受け取った皿を傾けて開けた口に滑り込ませると、ふっくらとした鮭とだしの染みこんだ大根が口の中でほろほろと崩れ、義勇は感嘆の声を上げた。

「うまい!」
「ふふふ、良かった」

 祝言を控えた蔦子は花嫁修業と銘打って、様々な料理作りに励んでいた。母から教えてもらったといういくつかの品目は、義勇の口にもよく馴染んだ。
 その日の鮭大根は、姉が幸せになる喜びと、遠い存在になってしまうのではないかという一抹の不安を含んで、何とも表現しがたい特別な味だった。

「来て」
「?」

 義勇は皿を姉に返すとすぐ、薪を束ねる手伝いに来ていたなまえを呼びに庭へ行った。

「今日のごはん美味しいから味見していきなよ」
「いいの!?」
「うん」
「やった!」

 なまえが促されるまま敷居を跨ぐと、振り向いた蔦子が「つまみ食いの時が一番美味しいのよ」と言って笑った。
 義勇が急かすようにせがんで姉から二枚の小皿を受け取り、片方をなまえに渡す。
 なまえがふうふうと息をかける横で、義勇は先ほどと同じように皿を傾ける。

「あっ義勇、それはまだ熱いわ……っ」
「あちっ!!!」

 蔦子が慌てて声をかけるのと同時に、義勇は一旦口に入った大根を盛大に皿へ吐き戻す。
 それから数日、義勇は口元のヒリヒリする不快感に悩まされることとなった。





 懐かしい出来事を苦く思い出しながら、義勇はそっと大根を口に含んだ。

「うまい」

 咀嚼している間中、義勇が無表情であったのでなまえは大変に焦ったが、飲み込んだ後に一言そう呟いたのを聞き、彼女はひとまず安堵した。
 しかしそれ以降はまた、義勇に言葉を発する様子は見られなくなった。どこを見つめているか分からない目をして、黙々と食べ進めている。
 二人の間にはただ静かな咀嚼音が響くのみとなり、無言に耐えかねたなまえが合間合間に思い出話をし始めた。

「確か以前、ご馳走になったなと思いまして」

「蔦子様は料理がお上手でしたよね。尊敬しています」

「なかなかあんな風にはできないですけれど……」

 聞いているのかいないのか分からぬ反応の薄さに"無理して食べてるのかな?"と若干の疑いを抱いたなまえは、雰囲気を取り繕おうとその口数が増えていく。

「お、おむすび一つとっても、塩加減が絶妙で!」

 こくりと相槌を打つ義勇。少しほっとしたなまえが言葉を重ねる。

「よく味見をさせていただきました」

「夕方にするつまみ食いが何とも言えず美味しくて」

「熱々のまま口に放り込んで、よく義勇がやけど……」

 そこまで言うとなまえは「ぁ、」と声を漏らし、咄嗟に口をつぐんだ。笑いながら調子よく話しているうちに義勇を思わず呼び捨てにしてしまい、気まずさに彼女は続きの言葉を失ってしまった。

 急に話すのをやめたので、さっきまで必死に言葉を紡いでいた分、沈黙が際立って感じられる。
 

 一瞬しん……となった室内の沈黙は、視線をなまえに向けた義勇の方が破った。

「そのままでいい」

 言い直そうと口を開きかけたなまえが言葉を発する前に、義勇がそう差し込んだ。

 声に目を向けたなまえは、義勇と視線がぶつかり、それを離すことができない。

「そのままでいいよ」

 義勇の言い方は心なしか穏やかで、ほとんど変わっていない表情も、何故か柔らかく感じられた。なまえは彼の顔から目を離せないまま、慎重に、こくりと頷いた。それからぎこちなくそうっと視線を落とすと、同時に彼女の肩からも自然と力が抜けていった。

 それ以降、今度はなまえまで言葉を発さなくなり、二人は黙々と食事の箸を進め続けた。





「詳しいな」
「実は隠の時に何度かお邪魔してまして……」

 来客用の布団がどこかにあるはずだという義勇に、恐縮しつつ仕舞ってある押入れを言い当てたなまえが、持ち出した布団を運びながら白状する。

「……」

 返事の間に横目でちらりと確認すると、義勇が何か言いたげな表情をしているので、なまえは一応の謝罪をした。

「す、すみません、何も言わなくて」

 義勇の不服は言わずもがなそんな近距離にいたにも関わらず声をかけてくれなかった点にあるが、しかし義勇自身、あの頃に話しかけられていても今のように会話できたかは分からない。それを想うと、何とも言えなかった。

「……」
「……怒ってます?」
「怒ってない」

 ただ気恥ずかしいだけだ。そして同時に、未熟であったようで情けないような気持ちでもあった。

「……ご立派でしたよ。ずっと」

 黙る義勇の様子に、なまえがそっと付け加える。
 急に文脈に関係のないことを言われた義勇は、何故今自分が考えていたことがなまえに分かったのだろうと不思議に思った。


「本当に、何から何まですみません……」
「気にすることはない」

 余っていた座敷の端に荷物を寄せ、来客用の布団を借りたなまえは申し訳なさに打ちひしがれながら礼を言った。

「用事があったら何でもやりますので!!何なりと申し付けてくださいね!!」
「特にない」
「あった時です」
「……思いついたら言うようにする」

 義勇の少し間を開けての返答に、なまえには、気を遣わせないよう彼がそう言ってくれたことが十分に伝わった。

「なまえも、必要があれば呼んでくれ」
「はい」
「では」

 小さく会釈した義勇は襖の引き手に手を伸ばす。その時、なまえが彼を呼び止めた。

「義勇さっ…………ん、本当に、ありがとうございます。お、おやすみなさい……」

 思わず「様」を付けそうになったなまえが、ぎこちなく挨拶をする。

「おやすみ」

 義勇は相変わらず、特に表情を変えることはないままそう返し、静かに襖を閉めた。
 廊下の軋む音が響き、義勇が離れていくのが分かる。
 閉められた襖を見つめ続けていたなまえは、義勇さんと呼んでも自然と会話が成り立ったことに何だか妙にほっとして、その日はすぐに床へ就いた。

6話

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