5話
 ふくろうの鳴き声が響く夜だ。やや強めの風により竹林の葉が揺れる音も、虫の声も、今は静かにしていてくれ、と義勇は急き立つような気がした。

 土間に面した式台に腰掛けたなまえは、義勇から受け取った湯呑をただ黙って握っていた。
 しっかりと意識しないと落としてしまいそうな指先も、湯呑から伝わる温度に段々と落ち着いてきたところだ。

 義勇の屋敷は竹林を越え、さほど人目につかない場所にある。なまえの家からも多少離れているので、義勇はひとまず彼女を連れ帰った。

 なまえはしばらく遠慮して式台の上に上がろうとしなかったが、障子を閉めねば部屋が冷えると言ってみるとおずおず床の間に入った。
 義勇に促され、改めて差し出された白湯を一口喉元に落としたなまえは、やっとか細く「ありがとうございます」と声を出した。





「本当に情けないばかりです」

 しばらくしてぽつりと、なまえが口を開いた。
 義勇が窺うようになまえの方へ視線をやると、彼女はそのまま続けた。

「義勇様も、ご覧になったかと思いますが……先日抱えきれないほどの贈り物をいただいてしまいました。私の身に余るお着物や宝飾品の数々で……これもその時いただいたものです」

 なまえは袴の胸元の生地に手を這わせ、心底恥ずかしそうに、弁明するように言った。その口調には、これは私の趣味ではないという精一杯の主張がこもっている。

「それなのに、こんな無礼を働いてしまい、一体どうしたらいいのか」

「前向きでないのか」

 義勇の問いかけは、なまえには刹那「覚悟が足りない」と責められているようにも聞こえた。しかし彼の醸し出す様子から、嫁ぐことに踏ん切りがつかない気持ちに理解を示してくれていることが伝わった。

「祖母も、母も、見合いをいたしました。私には見合いの機会もありません。ましてやあのように立派なお家柄の方に目をかけていただき、私の方からお断りすることはとても」
「では話を受けるつもりか」
「はい。祖母からも再三言われましたし……。私の勝手で隠をやっておりましたが、後はもう、そうして生きてゆくのが道理かと思います」
「……」


 義勇はなまえを気の毒に思った。
 必ずや結婚せねばこの世の中で女が生きていけないというなら、自分が面倒を見てもいい。ここへ来れば屋敷も生活の為の金もある。しかし、隻腕の身体、寿命の前借りとされる痣のこと……自身がこれから先どうなるか分からぬ身で、義勇には安易なことは口にできなかった。
 せめて隊の誰か、いい奴がいないだろうか。見合いの段取りくらいできるのではないか。義勇が考えを巡らせていると、どこを見るでもない目でなまえが続ける。

「覚悟を決めねばと思い、指定されたこちらの服を着て、本日はあの方と一緒に過ごしました。けれど一日中、あの方が申されるのは、自慢と通りすがりの誰かを貶す言葉ばかりで……これからうまくやってゆけるのか、不安が増してしまいまして……。……贅沢で、お門違いな悩みですよね」

 そう言ってなまえは自嘲気味に笑った。力なく、嘘の笑みを顔に張り付けている。
 無理もないだろう、と義勇は大人しく耳を傾け続けた。

「帰り際に突然、口づけをされそうになって、」
「な」

 聞き捨てならない言葉に、義勇は思わず声を漏らした。
 口づけ、接吻とは、相手の意に背いて、しかも屋外でするものではないのではないか。
 義勇の中では少なくともそういった認識であったため動揺を覚えたが、巷ではどうなのか分からないゆえ、それ以上の発言は控えることにする。

「お、思わず私、顔を背けてしまったのです。それで、お気を悪くされて、無理やり……」

 そこまで言ってなまえは掴まれていた腕をそっとさすった。微かな震えが再び彼女を襲う。

「もういい」

 見かねた義勇は咄嗟に言う。それ以上嫌なことを思い出さずとも、という意味だったのだが、なまえには跳ねのけるように響いてしまった。

「情けないことを申しまして、大変申し訳ありません」

 謝る彼女に説明する言葉を見つけられないまま、夜は過ぎていった。





 次の日は丸一日、なまえは義勇の屋敷の世話になった。

 朝のうちは落ち込んで食べ物も喉を通らない様子であったが、台所に転がる野菜を発見し、自身が無配慮であったことに気が付いた辺りから彼女に少し活気が戻ってきた。

「あれ、あの野菜」
「あ」

 放置していることが見つかってしまったかと義勇はぎくりとしたが、なまえの方がそれを上回って衝撃を受けていた。

「ごめんなさい!手を加えないと食べられないようなものばかりお渡しして!」
「いずれ食うつもりだった」
「いつもお一人で?」
「調理くらいできる」
「そうですか……?じゃ、じゃあせめて筍の下拵えくらいは!台所をお借りしてもよいですか?」
「……ならば助かる」

 許可を得たなまえはせっせと支度をし始めた。義勇が先日買った本に目を通している間中、彼女は土間の式台に掛けて鍋の様子をじっくりと見つめ続けた。

 昼・夜と食事をとり、会話を交わし、何でもない時間を重ねて朝日が昇ると、人は徐々に落ち着きを取り戻すものである。
 悩みがなくなった訳ではないが、次の日にはなまえの表情も多少明るくなった。





「私、その、帰ろうと思います」

 二日目の朝、薪を割っている義勇の下へそろそろと近づいてきたなまえが言った。

「構わんが、」

 手を止めた義勇は、斧を傍らに置きなまえの足元を見つめて思案する。

 このまま帰って大丈夫なのか。
 この先どうするつもりなのか。

「決心はついたのか」

 せめてそれがはっきりしていないことには、送り出してやれない。
 すると「う……」と気まずそうに声を漏らしたなまえが大変恐縮しながら小声で言った。

「このままご迷惑をお掛けするのは忍びないですし」
「別に迷惑ではない」
「に、臭いも気になりますし」
「何か腐るようなものを置いてきたのか」
「いえ、あの、汗などの……」

 まさかそんなことを気にしているとは義勇は露ほども考えていなかった。
 言われて今更だが、それはまあ、年頃の女であれば気になるところではあろうとすぐに察しがついた。

「風呂ならある。使っていい」
「いいいいいえ!いえ!滅相もない!」

 義勇が鈍いことは大方なまえも分かっている。仮にも男女の仲ですし、とはさすがに言えなかった。「男女?」と義勇に返された場合、どう答えていいか困るのは自分なのだ。

「それに着替えるものも、ないので」
「ああ、」

 それは確かに義勇の屋敷だけでは解決できない問題だった。
 屋敷には隊服か羽織り、男物の着物しかなく、なまえに貸してやれるようなものは一枚もない。

「では一度家まで荷物を取りに行くか」

 言うや否や義勇が支度しようと屋内へ向かうので、なまえが驚いて聞き返す。

「一度取りに……ご一緒にですか!?」
「あいつが待ち伏せていても問題ないなら行かない」
「それは……」

 言葉に詰まったなまえは、義勇の気遣いに感謝し、黙って頭を下げた。





「桜が綺麗ですねえ」
「ああ」
「いつまで持つのかなぁ」

 彼女の何とはない問いに、義勇が答えることはなかった。桜がいつ咲いて、どれくらいの期間で散るのか、そんなことを意識したことがなかった。

 義勇はなまえの言葉に、この春は桜がいつ散ったのか覚えておこうと思った。そうやって、目の前の、何でもないことをひとつひとつ大切に生きていこうと思っている。

 連れ立って歩き、坂道を下る頃までは軽かったなまえの足取りが、急に凍り付いたのは家が目に入ってすぐのことだった。

「え……?」

 言葉を失ったまま、その場を動くことができない。義勇も眉を顰め、同時に立ち止まった。

 そこはかとない違和感が建物に漂っている。玄関の戸が開け放たれている所為と思われた。
 なまえは締め忘れたかと振り返るが、あの日は男と出かける前にしっかりと戸締りをし、帰ってきてまだ戸を開けぬうちにこの場を去ったはずだ。


「戸が……」

 震える足で一歩踏み出したなまえを義勇がおさえ、先に進んだ。


 中に人のいる気配はなかった。
 しかし、玄関先に積まれていた大量の箱は品物ごと跡形もなくなっており、室内に侵入された形跡がある。なまえが保管していた野菜や、調度品の大半も奪い去られていた。

「金目のものは」
「出しておいたものは……なくなっています。あ、」

 ぽろぽろ勝手に零れる涙を無言で拭いながら家の中を確認していたなまえが、無造作に転がった壺を見つけ駆け寄る。壺の中へ手を突っ込み革の鞄を取り出すと、なまえは青ざめた顔で中身を確認し、ぎゅっとそれを抱きしめた。

「大切にしていた形見と、隠の時にいただいていたお金は無事です……!!」

 鞄はなまえの貴重品を保管していたものである。

 最低限のなまえの頼みの綱は失われずに済んだが、義勇にはかける言葉が見つからなかった。
 一目見た瞬間は男が報復に来たのかと思われた。しかし遠方とは言え医者の家の存続を考えれば、安直に犯罪へ手を染めるとも断定しづらく、なまえがいないことに気がついての火事場泥棒とも考えられる。
 犯人があの男であれ、窃盗犯であれ、なまえを連れ出した義勇には責任の一端が自分にあるように感じられた。

「すまない」
「どうして?義勇様は何にも」
「ここを留守にさせた」
「いえっ義勇様は確認されました。戻らないと決めたのは私です!」

 なまえは懸命に弁解する。恩人に後悔などさせたくなかった。

「やはり女の一人住まいなど物騒なものです。皆様からのご忠告をしっかり聞くべきでした。義勇様のおかげで命拾いしたくらいです」
「なまえ」
「それに、一番の宝物は無事だったので!これがあれば大丈夫です!元々ここへ長く収まるつもりもなかったですし」

 苦笑いを浮かべて気丈に振舞おうとするなまえは見るに堪えない痛々しさである。その姿を見て義勇が口を開いた。判断は、早い男だ。

「残っている必要な荷物をまとめろ」
「……はい?」
「屋敷に来るといい」
「屋敷に!?」
「戸が閉まらぬ上、あの男も来るかもしれん」
「お金も無事でしたし、家ならどこか借りられます!」
「借りられるまでどうする。野宿か?」
「……!」

 家を借りると口走ってはみたものの、長いこと隠をしていて世間の仕組みがどうなっているのかなまえが把握しきれていないのも事実だった。鬼殺隊解散後、まだ生活の基盤ができてない上、男に言い寄られ、果てに泥棒に入られた身に、義勇の申し出はこの上なく有難い。
 義勇としても、自分が姿を消したことが結果あの親類となまえを結び付けてしまった訳で、遠いとはいえ身内がかける迷惑を放っておくことも忍びなかった。

「元々ここへは荷物を取りに来ただけだ」
「……」
「部屋も余っている」
「……」

 口数が少なく、何を考えているか分からないと仲間の間で評されていた水柱が、今何を思い、彼なりに懸命に伝えてくれているか、なまえにはひしひしと感じられる。

「大根の皮はさすがに剥けん」
「……!」

 遠慮せずに済むよう紡ぎだされた言葉の温かさに、なまえの目から大粒の涙が溢れた。

「で、ではお手伝いさせてください!面目ありませんが、しばしお世話になります」

 不器用な義勇を困らせないようすぐに涙を拭って、なまえは深く頭を下げた。

5話

PREVTOPNEXT
- ナノ -