蛇柱は継子をとらない
 確定事項・壱 蛇柱は女が苦手である

 確認事項・壱 幼子は如何なものか?





 私は今、先を進む師範の背中を追いかけている。
 師範というのは、蛇柱・伊黒小芭内のことである。

 私が伊黒さんと出会ってから、しばらくが経つ。
 屋敷に出入りを許され、稽古を受け、共に任務に当たることもある中で、伊黒さんという人がどういう人なのか徐々に掴んできたつもりだ。
 その中で、確定的なものが冒頭に挙げた一点である。伊黒さんは多分、女が苦手だ。


 何故ならば、私を継子にしてくれない。





 私と伊黒さんの出会いは、入隊したての私が同期と合同任務に当たっていた時に遡る。
 下弦から外されて暴れる中級程度の鬼を相手に、一同揃って劣勢を強いられていたところ、援護に来てくださったのが伊黒さんだった。
 初めて見る柱の立ち振る舞い、伊黒さんの正確無比な太刀筋、判断力と剣技の腕、その全てに圧倒された瞬間。大きなうねりを伴いながら的確に斬りこむ蛇の呼吸の型は、一目見て惚れ惚れするほど素晴らしく、自分の身体に衝撃が走ったのをよく覚えている。
 私を始めその場にいた隊士達は負傷した体でそれをただ眺めるしかなかった。

 伊黒さんが鬼を斬りながら「どいつもこいつも使えない」と呟いたのを聞き、見てるだけでは駄目だ!と立ち上がった私が、その時無我夢中で自覚なく行っていたのが蛇の呼吸だった。

 自分でも驚いたことに、私には蛇の呼吸の適性があるようだった。それまで使っていた呼吸の比ではなく動きやすくなり、また鬼へも深く斬り込めた。
 消滅する鬼の横で、目を見開いていた伊黒さんの姿は忘れもしない。私だって吃驚してたんだから。


 その出来事以来、伊黒さんに稽古をつけてもらえるようになった。伊黒さんはこう見えて責任深い考え方をする人だ。歓迎するような様子はただの一度も感じたことがないけれど、若手を育てるのも柱の務めとお考えだ。
 しかしである。稽古を受け、指導を受けている今、周囲は皆私のことを蛇柱の継子と誤解するほどである今をもってしても、伊黒さんは頑なに私を継子とは認めてくれない。

 そのことについて、私の実力が至らないから認めてもらえないのかなとか、でも柱は基本継子にしか稽古をつけないと聞くしなぁとか、色々と思い悩んできたけれど、伊黒さんの様子を観察し続けてある時とうとう気が付いた。
 伊黒さんは女が苦手なのだ。
 助けてお礼をされるにも、女中が気にかけてくれようとも、女隊士が尊敬の目を向けようとも、どれも絶妙に居心地の悪そうな顔をする。近くにいて感じるのは警戒の気配。
 何があるのかは知らないけれど、とにかく女との接触をあまり好ましく思っていないことだけは分かった。

 呼吸の適性ゆえ鬼殺隊の利益の為面倒を見てくださるけれど、私に継子の立場を決して取らせないのは、恐らくそういった理由からではないかとある時私の中で結論づいた。


 現状の関係性は継子のそれと完全に一致しており、正式な継子との違いは名称が私につくかつかないかの違いしかない。
 しかし伊黒さんが私を継子にしようがしまいがそんなことは瑣末な問題である。
 私としては鬼を殲滅するための実力を得ることが最重要であり、蛇柱直々に稽古をつけていただければ十分なのだから。


 だから目下の問題は、「確認事項・壱 幼子は如何なものか?」の方である。





「あぁっ!!」

 鬼はーそと!と声高くはしゃいだ子ども達の撒いた豆が伊黒さんの縞模様の羽織に当たり、私は血の気の引くような思いをすると共に、堪えきれず声を発してしまった。

 鬼が出没したと聞いた土産物屋へ出向き、店主から迷惑だから帰れと追い出されてきたところだ。元々機嫌が悪いところにこれは……と思うと、羽織から視線を上げるのも恐ろしい。
 伊黒さんのネチネチが始まるとまずい。子ども相手でも平気で論破にかかるだろう。

 立ち止まった後姿から、ヒリヒリとした気配が感じられる。
 伊黒さんは振り向かないまま言った。

「おい……誰彼構わず豆を投げつけるのはやめろ」
「伊黒さん子どもです」
「だからなんだ?」
「私から言いますのでご容赦を」

 慌てて止めに入り、私は豆を撒いていた子ども達に向き直る。年のころは四、五歳だろうか。妹と思しき女の子が、兄と思しき男の子の後ろへ隠れている。男の子の方は、丸みを持った小さな手で桝をぎゅっと握り、上目に伊黒さんを覗いていた。

「知らぬ人に豆を当てぬよう気をつけましょうね」
「わざとじゃないもん」
「そうね、見ていたから分かるわ」
「あの人こわい」

 子ども達の正直な言葉に参ってしまった。
 確かに伊黒さんはこわい。隊士にもこわいし、特に私に超恐い。

 けれど、悪い人ではない。決して。

「あのね、私たちは鬼が大っ嫌いなのよ。あなた達も鬼は嫌い?」
「うん、絶対に来て欲しくないからやっつけてる!」
「そう。では私達とあなた達は同じ気持ちね。鬼に間違われたらあの方も嫌がりますよ」

 そこまで話すと、小さな目は何かに気が付いてくれた。
 男の子がそうっと足を踏み出し、伊黒さんの前まで進む。そして、おずおずと豆の入った桝を伊黒さんに向けて差し出した。

「さっきはごめんなさい。お兄ちゃんも、豆撒く?」

 なんて純粋な。
 そこまで働きかけてくれちゃうとはちょっと想定外だったけれども、これもまた伊黒さんについて理解を深めるきっかけになるかもしれないと、私は男の子を焚きつけておいて観察に回る。

 伊黒さんは少し立ち尽くした後、小声で何か伝えたようだ。
 
 男の子は「お兄ちゃんはもう撒いたからいいって!」と戻ってきた。そして妹に「これは大切な豆だから、僕たちでしっかり撒きなって!」とにこにこして伝えた。


 確定事項・弐 蛇柱は子どもも得意ではないが、対応が冷たいかというとその限りではない


 どんな口調で言ったのやら……噴き出しそうになるのを堪え、兄妹に別れを告げた私は進み出した伊黒さんの背を追う。

 子ども達よ大丈夫。この場所に鬼は現れない。あなた達の想いはちゃんと蛇柱に届いている。全ては伝えた通り。鬼が大っ嫌いなの。私も、あの人も。

「鬼……いなくなるといいですね」

 伊黒さんに追いついた時、爽やかな気持ちが手伝って私はつい、そう口にしてしまった。

「……いなくなればいい?」

 そこでしまったと気が付いた。
 蛇柱は女が苦手で、子どもも不得意で、だけど対応が冷たいとは限らない。
 そんなことよりも把握しておくべきことがある。


 大前提・壱 ネチネチうるさい


「そんな甘い考えで鬼を殲滅できると思うなよ……?鬼は一体残らず斬る。願うような生半可な意識では目的を達成し得ない。油断の生じた瞬間、たった少しの差で負ける。お前はそういうところがある」
「……はい。申し訳ありません」

 大前提を忘れていた私は、師範の気を収めることに全集中である。
 ちょっと一言言っただけなのに重箱の隅をつつくような物言いなんだから。

「今意識が別のことに向いていただろう?不満が態度に出ている」
「う……」
「その気の緩みで足を掬われる。せいぜい他の隊士に迷惑をかけず勝手に自滅しろ」
「……そんな」
「そんな?お前の立場で意見があると。いい度胸だな……」
「申し訳ありません、独り言です。失礼いたしました……」

 もはや伊黒さんの横顔に青筋が見える。こわい。

 屋敷に着くまでのお説教と、豆を持った男の子を差し向けた罪に問われ激しばきに合うことを覚悟した私は、節分の一幕を背に、今、再びの帰路を進んでいる。

蛇柱は継子をとらない

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