4話
 先日なまえに風呂敷を返した後、義勇は非常に素晴らしい発見をした。

 目的としていた書店に、興味のひかれる学術書が豊富にあり、わずかに胸が躍る経験をしたのだ。それに、改めて見ていると街というものは人々の活気に溢れており、そこに息づく様々な人の呼吸が尊いものに思えた。

 数日経って買った書を読み終わり、再び例の書店へ出向くことにした義勇は、土手の並木道を進みながらふとなまえのことを思い出していた。
 ふと、というのには若干の無理があり、再会の仕方が印象的であったがゆえに、この道を通る度に彼女のことは思い出された。

 何度となく立ち寄ろうかと思いはしたが、これといって用事はないし、何より結婚を控えた娘に男が早々近付くものではないと、その思いは浮かんでは消え、浮かんでは消えしていた。





 半日ほどぶらりと街を観察して歩き、義勇は程よい満足感で帰路についた。

 書店では新たに一冊の本を買い、昼には蕎麦を食べた。炭治郎と早食いした記憶がよみがえった義勇は、思えばあの時から心持ちが変わったとしみじみ思い返していた。炭治郎は元気にしているだろうか。たまには文を、と思っても左手では難儀し結局はまだ返事の一つも返せないでいる。
 隣でがやがやと騒がしく麺をすすっている家族連れを目にし、妹や仲間、妻に囲まれた炭治郎はきっとあの明るい笑顔で幸せにやっているだろうと、義勇は想い馳せた。

 義勇は今まで、街を行く人々について「鬼の被害に逢わぬよう」という視点で捉えていた。
 駄々をこねる子どもや、はしゃぐ若い娘たち、仲睦まじく歩く夫婦や節くれだった手の老職人まで、街には様々な人がいる。その営みを改めて捉えていると、彼らが何にも脅かされることなく命を生きていることが、勝手ながら喜ばしく思えた。

 その充実感に、例の道に差しかかった義勇は前向きな気持ちでなまえのことを思い出していた。
 彼女は貴重な友人と呼べる人物ではないか。
 通りがかりにたまに声をかけても、おかしいことはないのではないか。せっかくまた、出会うことができたのだから。

 行き道とは違った気持ちに揺り動かされた義勇は、坂を下り、なまえの家の方へ足を進めることにした。
 今日、街で娘たちが珍しがっていた団子でも土産に持ってくれば良かった。今になってそんなことを思いついた義勇は、夕焼けに照らされた道の向こうから、似合いの男女が歩いてくるのを見て足を止めた。

 特徴的な山高棒にステッキ、今日は丸眼鏡までしてめかしこんでいる男は例の親戚だ。
 その横で、鮮やかで彩豊かな袴を着こなし、上半分だけ結った髪を可憐に下ろして笑っているのは、見違えるように垢ぬけたなまえではないか。
 街で見たような流行りの若者らしい姿の二人が連れ立って家へ戻るのを見て、やはり結婚前の娘の家に立ち寄ろうなどという考えは愚かであったと義勇は考え直した。家の前を見てみれば、例の自動車が置かれており、遠い親戚とやらは大変に裕福なのがよく分かった。

 邪魔をしては悪いと義勇は自宅の方向へ足を戻す。
 落ち行く夕日に照らされた川を眺めながら、十数歩進んだ辺りだった。後方から突然「きゃっ」というなまえの声が聞こえてきた。悲鳴という悲鳴を聞いてきた義勇は半ば反射的に振り返る。目をこらした向こうでは、親戚の男がなまえの腕を引き車に乗せようとしていた。

「や、やめてくださいっ!!」
「放してくださいませ!」

 義勇の目には、なまえが捕まれた手を懸命に振りほどこうとしているように見えるが、いかんせん自信のなさが足を止めた。
 以前、鬼に襲われた夫婦を助けた際の出来事だ。夫などどうなってもいいと豪語していた妻は、助かったと分かるや否や夫に縋りついて泣いた。共闘した宇随天元が漏らしていた言葉が思い出される。

"嫌よ嫌よも好きのうちっつーこったな"

 ……あれが、そうなのだろうか。
 「嫌よ嫌よ」状態なのはなんとなく分かるが、「好きのうち」はどうやって判別するのか。彼女が結局は車に乗り込むことが、あのやりとりの終着点だろうか。

 家の前では戸惑ったようななまえが腰を引き、力いっぱい抵抗を見せている。
 男は業を煮やしたのか、彼女の足を掬い無理やり抱き上げる。ばたばたと揺れるなまえの足先から草履が片方滑り落ちた。

「やっ……たすけっ」

 気が付けば、義勇の身体が動いていた。


 次の瞬間、義勇はなまえを抱えて家の裏側の林の中に身を隠していた。

 小さく握った手で顔を覆っていたなまえが、恐る恐る目を開き、眼前の義勇に「ぇ……?」と微かな声をあげる。

 薄暗闇の中、僅かな光が、涙でいっぱいになったなまえの瞳の上で揺れている。血の気が引いて青ざめた彼女は恐ろしさに声を出すこともままならない。
 なまえを抱く手に、身体に、抑えきれない震えが伝わってくるのを感じ、義勇はようやく彼女が結婚に乗り気でないことを真に理解した。

 「戻るか?」

 念のため確認すると、なまえはふるふると頭を振り、力いっぱい義勇の襟元を握りしめた。

「しっかり掴まれ」

 なまえの様子に改めて左腕に力を込めた義勇は、彼女を抱いたまま跳ぶようにその場を去ったのだった。

4話

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