3話
 髪というものは切っても切っても伸びるのでキリがないな、と思いながら、義勇は寝起きの頭部を整える気もなく適当に撫でつけた。

 顔を洗い簡単な朝食を済ませる。屋敷の部屋の中に朝の光が射してくる。

 朝日の力強さ、心強さはどんな時であっても変わらない。しかし長いこと、彼らにとって朝日は、始まりではなく終わりの合図だった。
 朝日が昇ると一先ずは鬼がいなくなり、人々が動き出す。
 出勤する仕事人、農作業を始めようとする人々の間を抜け、自身は帰路につく。陽光の射す中汚れを落とし、身体を休ませ夜に備える。朝日は任務の終わりを告げる存在、そんな生活だった。

 下調べに商店街へ出向くことは多々あったが、友と語らう為に流行りの茶店に行くだとか、店々を渡り歩いて買い物して回るだとか、そんな風に過ごすことはなかった。
 一方で、夜通し寝る、というのも何年もしていないことであった。柱になってからは休む間などなかったし、休む時があるとしたら、それは同時に安静を要する怪我を負った時でしかなかったからだ。

 まずは夜に寝て、朝起きる。そんな生活を送ってみよう、というのが目下のところ義勇の意識するところである。
 どうにも夜間は眠りが浅く、ちょっとした物音や家の軋みで目が覚めるが、朝に起きることに苦はなかった。
 起きたら生活に必要な作業を行う。薪を割るのも片方の腕しか使えないとなると時間がかかった。しかしないものは仕方がない。義勇はその点においては粛々と自身の成すべきことをこなした。





 作業を終えた義勇は、手ぬぐいで汗を拭き、桶に投げ入れようとしたところではたと目を留めた。
 洗い桶の近くに見慣れぬ朱色を見つけたのだ。なまえに手渡された野菜を包んでいた風呂敷である。洗って、干しておいたものだ。
 あの日手渡された野菜は、胡瓜、筍、大根だった。そのままかじろうと思えたのは残念ながら胡瓜だけで、残りの野菜は日の当たらない場所に置いたままになっている。しかし人から受けとった野菜の転がる台所は、不思議と豊かなものに思えて悪くないな、と義勇は思った。
 さて、問題は風呂敷である。朱色の風呂敷は特に高価なものといった雰囲気はないが、野菜と同列に受け取るには気が引けるものである。

 先日果たせなかった目的を果たしに行く予定であった義勇は、懐に風呂敷を入れて出発することにした。





 昼に来てみれば、思っていたほど寂しい場所でもない。
 なまえの家の周りの空いたスペースでは子どもが遊びまわっており、先日夕暮れに感じたもの寂しさは杞憂であったかと思われた。
 近くに生えている満開の桜に目を細めれば、その下で握り飯を頬張る子どもも見られた。

「義勇、お腹すいてないの?」

 義勇の脳裏に、唐突に姉の声が蘇った。





「うん」
「……どうしたの?」

 姉の蔦子は両親亡き後、健気に義勇を育ててくれた素晴らしい人だった。いつも笑顔を絶やさず、厚いまつ毛の美しい、優しい目元をした人だった。

「お花見やりたい」
「お花見……いいわねえ」
「……」
「そのごはんは、お花見用にするの?」

 こくんと義勇が頷けば、蔦子はすぐに状況を察してくれた。

「よし、じゃあ沢山おむすびをこさえましょう。今は桜が見頃だものね。ああ、たくあんもあるといいんだけれど」
「なまえが持ってくるって言ってた」
「なまえちゃんが?……もう二人で計画してあったのね」

 目を丸くした後、くすくすと蔦子が笑い出したので、義勇は何故だか見透かされたような気持ちになって照れくさくなる。

 蔦子が台所へ向かうと、ちょうど玄関の方で物音がした。義勇が戸を開けると、神妙な面持ちをしたなまえが立っている。手には、不器用に竹皮で包まれた、恐らくたくあんを持っている。

「いいって?」
「うん。おむすび沢山作ってくれるって」
「本当!?」
「うん!!」

 なまえがきらきらと目を輝かせると、義勇は自分の姉が特別素晴らしい存在に思えて誇らしかった。まさに、自慢の姉だった。





 すっかり忘れかけていた記憶にごく僅かに口元を緩ませ、義勇は足を進めた。角度が変わってなまえの家の玄関口が見えた時、来客の様子に気が付いた。

 景色に不釣り合いな黒光りの自動車が1台、なまえの家の前に止められている。通常乗り合いで使用されるそれには人の姿はなく、代わりに沢山の荷物が載せられているようだ。
 自動車の横に、手早く荷物を降ろす着物を着た男と、横でそれを監督する洋装の男が目に入る。山高帽を被りステッキを持ったいかにも現代風な洋装の男のほうが、着物の男に何やら指示を出し、荷物を玄関へ運ばせている。その先で、なまえがうろたえている様子が見て取れた。

 荷物を全て運び入れ満足したのか、洋装の男はなまえの肩へ手を置き顔を近づけて何か話しかけている。車へ乗り込もうと振り向いた姿に義勇は微かな見覚えがあった。
 端正な顔つきに、意思の強そうなぎらぎらとした目。彼こそ、冨岡家の遠縁の親戚であり、医者の家の一人息子だ。

 義勇は気配を消したまま、その姿をじっと見つめた。
 きちっと整えられたシャツにネクタイ、吊りバンドをつけ、ズボンの下には艶のある革靴を履いている。自信に満ちた精悍な顔立ちで、いかにも女好きしそうな風貌である。一応は義勇の血縁関係であろうその男は、顎で指し示すように着物の男を従えて車に乗り込み、颯爽とその場を去って行った。

 近くで遊んでいた子ども達が、珍しい自動車の出発に歓声をあげ追いかけていく。
 さっきまで賑やかだったなまえの家の周りは、急に静かになった。





「義勇様!」

 義勇が坂を下り家の前まで来ると、存在に気が付いたなまえが大変に慌てて、荷物に立ちはだかるようにして正面に向き直った。見られてはいけないものを隠すような動きだったが、玄関戸となまえの隙間から、山積みにされた箱が見えている。

「これを返しに来た」

 特に何も言わず義勇が懐から朱色の風呂敷を取り差し出すと、なまえはほっとしたように肩の力を抜いて少し表情を和らげた。

「ああ……かえってお手間を取らせてしまい申し訳ありません」
「別に手間ではない」
「そうですか?」

 遠慮がちに義勇を見つめながら、なまえは先日、自分が邪魔をしてしまったせいで彼が目的の本を探しに行けなかったことを思い出す。きっと今日は改めての出発で、その道すがら寄ってくれたのだろうことが察せられる。そんな中、わざわざたった一枚の風呂敷を気に留めて届けてくれる義勇の性分に、なまえは胸がいっぱいになった。

「わざわざ、どうもありがとうございました」

 なまえの礼を受けて、「では」と義勇は踵を返した。
 山積みの箱に何が入っているのか気にならないこともなかったが、しかし義勇には関係のないことであった。

3話

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