幸福の人
選べるなら焼き鳥屋の娘になんて生まれたくなかった。焼き鳥屋の娘なんて、ろくなもんじゃない。
父も母も物心ついた時から「忙しい」が口癖で商売が最優先だし。
今じゃすっかり慣れたけど、小さな頃は「タレの匂いがする」「焼き鳥娘」と散々からかわれたし。
今どきの可愛いブラウスを着たおさげ髪の似合うあの子とは違って、私は炭火とタレの匂いがお似合いの野暮ったい娘なのだ。
こんな娘を、どこの誰が欲しがってくれるもんか。
そんなくさくさした気持ちで、常連の勘定を行う。
「なまえ、腕上げたなぁ!いつもありがとよ!」
……だけど、まぁ。
こうやってお客さんが喜んでくれるのを見ると、焼き鳥屋も悪くはないなぁとか。思ってしまう訳だけど。
■
昼時のお客さんが捌けて一旦休憩でも取ろうかと思った時だ。
店先に串を持った人がいたので声を掛けた。
「串ならもらいますよ」
私の声に気が付いたその人は、おっとりとした視線を上げる。
さっきそこでのんびりうちの焼き鳥を食べてた人だ。
書生さんだからどっかの家で世話になってるんだろう。こういう人は何を勉強しているのかな。
「ありがとうございます」
くず入れにしている缶を差し出すと、その人は上品な仕草で串を手放した。
無駄のない、洗練された腕の動きと立ち振る舞い。
いいなぁ、所作の美しい育ちの良い人は。
どこかのお屋敷で面倒見てもらえるくらいだから、将来は学者にでもなるのだろうか。
柔らかな雰囲気ながらしゃんとした佇まいが、豊かさと余裕を表している。
きっと火仕事や水仕事なんて、縁がない人なのだろう。筆より重いものは持ったことがないって感じの涼しい顔をしてるもの。
「ご馳走様」
「どうもね」
「とても美味しかった」
「炭火焼の自信作なんで」
近くで見ると、深い海を思わせる藍色の瞳が綺麗な、美しい人だ。
ちょっと見とれて、うっかり余計なことを口走ってしまった。あまり年の近い男の人と話す機会なんてないから、どんな口調で話すのがいいのか分からなくなってしまう。
「炭火……」
私の言葉が変だったか、男の人は一言そう言って静まり返った。
落ち着いた、不思議な雰囲気の人。
まさか炭火にすら馴染みのないどこぞのお坊ちゃんなのかしら。
「いい仕事ですね」
それから彼はにこやかに相槌を打って軽く会釈をすると、音も立てずに振り向いてその場を去っていった。
「……お坊ちゃんに褒められちゃったよ」
誰もいなくなってから、思わず独り言を口にしてしまった。だってあんまり、自分とは世界の違う人とお話してしまったから。
素敵な人だった。ゆったりとして、穏やかで。
お日様の光が、爽やかな青空に優しくまあるく広がった時のような、晴れやかな笑顔の人だった。
人懐っこい温和な表情に、何だかこっちまで励まされる気分だ。
「よーし、午後もいい仕事、すっかー!」
ぐーっと伸びをすると、何だかすっかり元気がわいてくる。
胸の内を占めていた不満な気持ちはいつの間にか消えていて、優しい心は人に移っていくんだと思った。
おかげで焼き鳥屋が誇らしいものに思えてきたもんだから、私はあの幸福そうな男の人に心の中でお礼を言った。