祈り
いてもたってもいられないとはこういうことなのだと、なまえは忙しなく巡る思惑の中で冷静に考える自分の存在を感じていた。いてもたってもいられない。
自分に出来ることは、いつも通り水柱や炭治郎たち隊士を支えること。今この瞬間に、刀を抜いて戦うことができない以上、祈りを捧げ、戻ってきた彼らを迎えられるよう支度をしておく。いつもと同じことだ。そう分かっているのに、動悸は一向に収まる気配を見せてくれなかった。
こうも緊張していると、何か悪いことが起こってしまうような気がして、このような憂いを持つことに罪悪感がわいてくる。きっと鬼殺隊は鬼を滅する。これまで長きに渡り営まれてきた、想いを繋ぐための文字通り血の滲むような努力は報われ、その悲願は達成されるに違いない。
それなのになお、快活に笑った強き炎柱や、かつて血に染まった姿で帰った水柱の姿が、網膜に焼き付いたようになまえの目に浮かび、彼女を脅かす。
いつも通りに。要領が悪く決していつもの通りとはいかないながら、なまえは下拵えした材料を日持ちするよう加工する。きっと明日にはお帰りになって、きっとみんなで食べることもあるだろうから――。覚束ない手際で鍋の中身を掬ったその時、門の方でギャーッとけたたましい鳴き声がしてなまえは戦慄した。
恐怖に慄きながら小窓を覗く。見えたのは鬼の類いではなく、鎹鴉だった。
鍋とおたまを放り出し、なまえは一目散に玄関の外へ出る。そこでは、何かの印のようなものが描かれた札を首から下げている鴉が、叫びながら旋回していた。
「カアァーッ! 鬼舞辻無惨襲来! 鬼舞辻無惨襲来! 鬼殺隊全隊ヲアゲテ総力戦中!」
「鬼ノ本拠地ニテ 交戦中! 鬼舞辻無惨 ホカ 上弦多数! 関係者各位 夜明ケニ備エラレタシ! 夜明ケニ備エラレタシ!」
なまえは聞き取れる言葉を繋ぎ合わせて、何が起こっているかを必死に考えた。
鬼舞辻無惨が襲来した。緊急招集から考えて、お館様の元へ現れたのだろう。
そして現在、鬼殺隊士はみな、鬼の本拠地で戦っているとのこと。関係者各位は夜明けに備えられたし……。夜明けには戦いは終わる……鬼は日光が苦手ゆえ、日が昇るまでの辛抱ということだろうか……。多くの鬼がいても、どれだけ鬼が強くとも、日光が出てしまいさえすれば――。
「……かしこまりましたっ!」
なまえが旋回する鴉を見上げて告げると、次の場所へと向かうのか優秀な鎹鴉は大急ぎで門をくぐり抜けていく。
玄関へ戻ったなまえは土間につっかけを脱ぎ捨て、転がるように座敷へ上がる。急ぎ柱時計へと目をやって、そこで初めて時間を確認した彼女は、心底ぞっとした。
時刻はまだ、二十三時を過ぎたばかりだった。夜明けまで、少なく見積もっても六時間はある。
日光が出てしまいさえしたら。思いついた作戦の、これがいかに難しいことか。
この六時間の間、鬼は回復を繰り返し、人間は体力を消耗し続ける。戦いの前提となる条件が時間の経過と共に悪化していく一方なのだ。
揺れた視線の先、箪笥の上に置いてあった小さな四角のちりめん細工を見つけて、なまえは吸い寄せられるようにそれを手に取る。
握った手を広げた上に載せられていたのは、自身で作ったお守りだった。
ちりめんのはぎれを、好きなようにして良いというから。
だから、なまえは主人の無事を祈ってお守りを拵えていたのだ。
渡そうと思っているうちに、この時を迎えてしまった。なまえは胸の前で小さなお守りをぎゅっと握りしめる。
お守りの有無で、結果が左右されることなどないのかもしれない。それでももし、これを渡せないまま義勇の身に万一のことがあれば、自分は一生後悔するのだろうとなまえには分かった。
「義勇様……炭治郎……」
眠れぬ夜のように。それよりも、もっとうんと。
今夜の秒針が立てる音は、水に取られた足のように重く、かつてないほどに遅く感じられる。